2017年5月22日月曜日

白毛 井伏鱒二 近現代作家集 II/日本文学全集27

池澤夏樹が個人編集している日本文学全集は、今までの日本文学全集とは全く趣を異にしたものになっているが、この近現代作家の短編集に至っては、さらにその色合いがさらに強くなっている。

この井伏鱒二の「白毛」も実に珍妙な話で、およそ既存の全集では見かけないような作品である。

作者(おそらく井伏鱒二、本人)は、仕事にとりかかるときに、つい所在なさげに、白毛(白髪)を抜き、それを釣り糸のようにつなぎ合わせる癖がある。

釣りが趣味だから、漁師結びやテグス結び、藤結びなど、骨が折れるような凝った結び方までしてしまう。

作者は結びながら、渓流釣りの場面を思い浮かべるのだが、どうしても消せない不快な思い出があるという。

それは、 偶然知り合った二人の青年と一緒に釣りをしていた時に起きる。

一人の青年がテグスを忘れてしまい、もう一人の青年と言い合いになる。
二人は酒を飲み、酔っぱらっていて険悪な雰囲気。
作者は、雰囲気を和らげるために、馬の毛を抜いてテグスの代わりにすることを提案するが、青年たちは思いがけない行動に出る...という話だ(読んでみてのお楽しみ)。

また、人の毛の強さが禁欲の有無、節制の度合いによって弾力性に開きが出てくるという話や、
娘の生毛(うぶげ)が、男を知っているかどうかで違ってくる説など、作者の“毛”に対する興味は止むところがない。

なんとも変わった話だが、井伏鱒二の写真を見ながら、これが実話だったらと思うと、つい笑ってしまう。

堅いイメージのある作家だが、実は、かなり面白いおじさんだったのかもしれない。

2017年5月21日日曜日

父と暮らせば 井上ひさし 近現代作家集 II/日本文学全集27

原爆投下の3年後の広島の物語。

登場人物は、原爆で生き残った娘の美津江と、亡くなった父の竹造の二人だけ。

竹造は幽霊ということなのだろうが、どこか剽軽で明るい。そして、いつも美津江の将来を気にしている。

美津江は、原爆で過酷な死を強いられた人々を忘れられず、自分だけ幸せになることを恐れ、訪れた婚機を拒否しようとする。

竹造は、そんな美津江を必死になって説得する。
そして、二人の話は、原爆投下の日、瀕死の竹造を置いて行かざるを得なかった美津江の状況にさかのぼってゆく。

あの日、こんなつらい決断をした人々は、どれだけいたのだろう。
そして、それを背負いながら生き続けた人々も。

亡くなったしても、願えば、死者は生き残った者の心に生き続ける。
父娘の最後のやり取りが悲しいけれど、暖かい。

2017年5月14日日曜日

質屋の女房 安岡章太郎 近現代作家集 II/日本文学全集27

戦時中、学校にも行かず、友人の下宿でものを書いたり吉原で遊んで金がない学生と、彼の行きつけの質屋の女房との関係を描いた掌編。

この主人公の学生が語る質屋についての説明が面白い。
...店を出るとき、「ありがとうございます。」と、番頭とうしろに控えた小僧とに頭を下げられ、変な気がした。金をもらったうえに、礼を云われる理由が、咄嗟にはどういうことか合点が行かなかったのである。
また、質屋の女房について恋愛の気持ちがあった訳ではないと説明するくだり。
...しかし、こういうことは云えるだろう。金を借りる側にとっては、いかなる場合でも相手に信用を博そうとか、そのためには相手に好かれたいとかという気持ちが絶えず働いており、それは恋愛によく似た心のうごきを示すことになる、と。

学生は、良心的に質屋の女房に接し、彼女も好意を持って接するが、学生との関係に未来はないことは気づいている。

最後、主人公の学生は、召集令状を受け取り、彼女と最後の対面をすることになるのだが、その結末にも、どこかほほえましさが残る。

2017年5月11日木曜日

海街diary 8 恋と巡礼/吉田秋生

今回の海街diaryは、今までの刊と比べると、正直感動が薄かった。

たぶん、原因は、三女チカが妊娠を秘密にしていたことから発生した事の顛末と、お相手のアフロ店長(アフロじゃなくなった)が失敗したヒマラヤ登山に再挑戦するというエピソードに感情移入できなかったからだ。

妊娠したのに、安全(安産)祈願のために、半日に5カ所もパワースポット巡りをするという無謀な計画を立て、途中で熱中症になってしまうという、どうしようもない展開とか、アフロ店長が、チカの妊娠を知った後、“臆病な自分を取り戻したい”という大の大人が言うのも恥ずかしくなるような動機を真顔で話し、“必ず戻って来る。結婚してください”と告白する状況がどうにも違和感があったためだと思う。

すずの鎌倉での中学最後の夏に話の中心を持ってきたほうが良かったのではと個人的には思ってしまった。

2017年5月8日月曜日

みみずくは黄昏に飛びたつ―川上未映子訊く 村上春樹語る

川上未映子よく訊いた!というのが正直な感想。

話があっちに行ったり、こっちに行ったりして、深く追求できている部分と突っ込みが足りないと感じる濃淡の差はあるが、全体としてみると、多少読んでる方も疲れるほどに、まあよくもこんなに訊いたなという印象を受ける。

それは村上の愛読者である川上未映子がとにかく自分の訊きたいことをストレートに訊きまくったということだろうし、村上春樹もほぼ逃げずに誠意をもって語ったことの証左だろう。

村上春樹が自身の仕事ぶりをまとめた「職業としての小説家」より、ある意味、面白かった。

色々なテーマが語られているが、私が特に興味深く読んだのは、以下の部分だった。

1. 中上健次の思い出

中上健次が文壇のイニシアチブを持っていた時代に、中上と村上が対談した後、中上が村上を飲みに誘って、村上が断ったという逸話。
村上本人も後悔しているが、これ、両者の愛読者としては是非行ってほしかったですね。

2.地下へ降りていくことの危うさ

地上2階建て地下2階の建物の絵(川上未映子作)が秀逸。
地下1階が近代的自我みたいなもの、日本の私小説的な世界(クヨクヨ室)で、 地下2階が無意識の世界という説明は、とてもイメージがしやすい。

3.女性が性的な役割を担わされ過ぎていないか

実は私も、村上春樹の小説で不必要なくらいにセックスシーンが多いなぁと気になっていたので、川上未映子はよく訊いた!と感じるところだったのだが、残念ながらこの部分の村上春樹の答えは、「えっそうなの。でも違うよ」という感じでちょっと逃げているというか、かわしている感じが強い。この部分は正直もっと突っ込んでほしかったが、川上未映子の質問内容も、かなりストレートに近いものなので、これが限界かなという気もする。

4.日記は残さず、数字は記録する

ワープロソフトに「EGWord」(旧Macユーザとしては懐かしい!)を使っているのも面白かったが、村上春樹のある意味緻密な仕事の仕方と仕事量に驚かされる。
長編小説の執筆において、毎日十枚原稿を書いて毎月二百枚のペースを堅持し、書き直し(推敲)は、第5稿までプリントアウトせず、画面上で修正するというのも恐ろしい。そして、プリントアウトした第6稿から念校まで入れると、全部で十校(!)まで書き直しをしているということになる。
しかも、その間に、翻訳を複数こなすというのだから、すご過ぎる。

以上、私が特に興味があるところだけ取り上げてみたが、色々な側面から質問しているので、村上春樹の愛読者であれば、どこかしら興味を感じるところは、きっとあると思う。


http://www.shinchosha.co.jp/book/353434/

2017年5月7日日曜日

晴子情歌(抄) 高村薫 近現代作家集 I /日本文学全集26

昭和十年代の北海道の鰊の漁場とはこんな所だったのか。
赤の他人が金を得るという一つの目的のために集い、鰊の大群を捕獲するという大きな仕事を成し遂げる。

現代でいうプロジェクトなのだが、ここで描かれる情景は、企業で行うプロジェクト等とは比べ物にならないくらい、多種多様な人びとが集まり、濃密な人間関係があり、ダイナミックなエネルギーに満ちている。

私ははじめて高村薫の文章を読んだが、このような題材で、このような人間味のある文章を書く人だとは全く知らなかった。

面白いのは、編者の池澤夏樹がこの作品を、小林多喜二らのプロレタリア文学の系譜に位置づけているということだ。

しかし、ここで描かれる労働というものは過酷ではあるが、はるかに人権が尊重されている仕事場であり、労働者には働く喜びさえ感じられる。

昭和十年からなんと遠くに離れてしまったのだろうと感じてしまうほどに。

2017年5月6日土曜日

機械 横光利一 近現代作家集 I /日本文学全集26

私は初めて横光利一の小説を読んだのだが、軽い衝撃を受けた。
昭和初期に書かれたと思われるこの小説に斬新な印象を覚えたからだ。

カフカが書いた不条理な世界の印象とよく似ていると思う。

物語は、ほぼ密室劇に近い。
ネームプレートを作る町工場が舞台で、主人公はプレートに着色させるための化学薬品の調合を担当しており、その劇薬のせいで頭脳や視力にも影響が出てきていると感じている。
その主人公を敵視するのは、先輩社員の軽部だ。
主人公を町工場の主人から赤色プレート製法を盗み出そうとしている間者だと疑い、工具を頭に落としててきたり、足元に金属の板を崩れさせたり、薬品を劇薬に取り替え、命まで狙おうとしている。

もう一人は、町工場が受注した大量の仕事をさばくため、同業の製作所から応援で働きはじめた屋敷という男。
この男は、主人公から見ても、本物の間者のような怪しい行動をする。

そして、軽部が主人公を殴り、屋敷も殴り、屋敷も軽部を殴り、ついには主人公まで殴り出す。
この三人の職工の馬鹿馬鹿しい殴り合いの果てには更なる馬鹿馬鹿しい結果が用意されている。

主人公の一見客観的に思える状況分析は、物語の中心部を必要以上に掘削し、遂には、すかすかのナンセンスなものに変えていく。

この物語の構成は、ひどく現代的なもののように感じる。

2017年5月5日金曜日

女誡扇綺譚 佐藤春夫 近現代作家集 I /日本文学全集26

佐藤春夫が書いた怪奇ミステリ小説ともいうべき作品。

佐藤春夫と思われる新聞記者が大正時代半ばに友人とともに台湾の荒廃した街を散策した際、無人のはずの豪華な廃屋の二階から若い女性の声を聞く。
不審に思った二人が近隣の住民に話を聞くと、それはかつてその家に住んでいた豪商だった沈家の一人娘の幽霊だという。
そして、二人は沈家の短い栄枯盛衰の歴史を聞くことになる。

台湾人の友人は幽霊の存在を信じるが、作者はきっと若い恋人たちが隠れた密会の場所に選んでいたのではないかと推測を立てる。

興味をかきたてられた作者は再び廃屋を訪ねるが幽霊の姿はなく、一本の扇を拾う。
その扇に書かれていた女性の生き方を指南する言葉が本書のタイトルになっている。

再訪後、二人はその廃屋で若い男が首吊り自殺をしたことを知る。
作者はその男の第一発見者がきっと恋人で、彼らが聞いた女の声の主ではないかと仮説を立て、新聞記者の仕事を利用し会いに行く...という物語だ。

怪奇ものではあるが、終始クールな空気が流れているのは佐藤春夫が人生に対して時折みせる退廃的な雰囲気のせいだろう。

例えば、こんな一節。
いったい私は必要な是非ともしなければならない事に対してはこの上なくずぼらなくせに、無用なことにかけては妙に熱中する性癖が、その頃最もひどかった。
そうして私自身はというと、いかなる方法でも世の中を制服するどころか、世の力によって刻々に圧しつぶされ、見放されつつあった。
私はまず第一に酒を飲むことをやめなければならない。何故かというのに私は自分に快適だから酒を飲むのではない。自分に快適でないことをしているのはよくない。無論、新聞社などは酒よりもさきにやめたい程だ。で、すると結局はあるいは生きることが快適でなくなるかも知れない惧れがある。だが、もしそうならば生きることそのものをも、やめることがむしろ正しいかもしれない。... 





2017年4月17日月曜日

補陀洛/中上健次

私には、妹はいないが、自分が死んだ後に、こんな風に呼びかけてくれる妹がいたら、やっぱり、うれしいでしょうね。
兄(にい)やん、兄やん、ふみこはここにおるでえ。
兄やんとよう熊野の川で泳いだねえ。
母さんの子供みんなで、春に、三輪崎の海岸へ、弁当たべにいったねえ。
兄やん、兄やん、わたしは兄やんの魂に呼びかける。
悲しいというより兄やんにそうやってたら会えるかもしれんというわたしの楽しみみたいなものや。
中上健次と父が違う姉の独白。

複雑な家庭環境。

中上健次と父が違う兄(姉と父が同じ兄)は、二十四で自殺してしまった。

でも、あったかい。こういう言葉で語られる思い出は。
どんなに、その時がつらくても、悲しくても、何かいい思い出であったかのように変化してしまう気がする。

2017年4月16日日曜日

自由の秩序 - リベラリズムの法哲学講義 - /井上達夫

法哲学を専門としている井上達夫教授の講義が収められている。

しかし、構成が非常にユニークだ。

まず、冒頭、「市民アカデメイア」という団体の運営委員長から聴講者に対する「講義案内」が掲載されており、最後の方で、
因みに、井上氏から、「連続講義終了後の打ち上げコンパは大歓迎、酒盃片手の場外補講も辞さず」との申し出を事前にいただいております。
とある。

そして、講義の内容は、7日間に加え、場外補講の内容まで盛り込まれていて、その場外補講では、ビアホールでの井上教授と聴講者の質疑応答になっている。
これを最初にさらっと読んだときは、へえ、本当に行ったんだと思った。
しかし、「市民アカデメイア」などという団体は、ネットで検索しても該当しない。

疑問に思いながらも、7日目と場外補講に収められている聴講者との激しい質疑応答を読み進めていくうち、実は架空の設定ではないかと思い立ち、あとがきを読んでみると、案の定、「市民アカデメイア」も、攻撃的な質問をする聴講者も、架空の存在であるということが書いてあった。

井上教授の講義の中で、実際、どこまで、こういう質問をした学生あるいは聴講者がいたのかは不明だが、仮にこれが全部フィクションだったとしても、こういう自分を攻撃するような嫌な質問をする他者を想像して、これと会話して説得を試みようとする井上教授の気力がすごい。

講義内容も、とても興味深い。ちょっと書き出してみよう。

第1日 アルバニアは英国より自由か
・講義の意味
・自由と秩序ではなく、何故、自由の秩序なのか
・アルバニアは英国より自由か

第2日 自由の秩序性と両義性
・秩序と自由は相反するものではなく、両立可能
・むしろ、一定の秩序こそが自由を可能にするという結合関係にある
・自由な社会とは「より少なく秩序づけられた社会」ではなく、「よく秩序付けられた社会」である

第3日 自由概念の袋小路
・自由概念の錯綜
・自由概念ではなく、秩序の側から考えてみる
・法概念のトゥリアーデ(三幅対)

第4日 秩序のトゥリアーデ 国家・市場・共同体
・国家の最低条件
 ①暴力の集中、②暴力行使の合法性認定権の独占、③最小限の保護サービスの分配
・IS(イスラム国)と国家の違い
・近代社会契約説、市場アナキズム、共同体アナキズム

第5日 専制のトゥリアーデ 全体主義的専制・資本主義的専制・共同体主義的専制
・国家の全体主義的専制 ナチズム、スターリニズム、毛沢東主義
・資本主義的専制 ビル・ゲイツ、マードックに代表される独占資本家
・共同体主義的専制 現代日本に見られる会社主義、特殊権益の中間共同体の跋扈

第6日 自由の秩序の相対性と普遍性
・国家・市場・共同体という競合する秩序形成原理が総合に抑制し均衡を図る
・ 秩序のトゥリアーデ
・日本には中間共同体のインフォーマルな社会権力や組織的政治圧力に対して強い「法治国家」が必要

第7日 世界秩序をめぐる討議
・主権と人権は表裏一体
・EUがヨーロッパの平和と繁栄を築いてきたという幻想
・イギリスのEU離脱、問題の本質は英国にあるのではなくEUに

場外補講 リベラリズムにおける自由と正義の位置
・自由ではなく正義こそがリベラリズムの根本理念
・普遍主義的正義理念 ナチのユダヤ人迫害の反転可能性
・ロールズの正義構想への批判

井上教授の文章は、とにかく、難解な単語が多いが、我慢づよく読んでいると次第に慣れてくる。
久々に、頭を使った。

変な話だが、この本を読んでいると、本当に井上教授の難解な講義を聞き、疲れた頭で最終日に打ち上げに行ったような気分になった。

https://www.iwanami.co.jp/book/b281723.html


ちなみに、本書で取り上げている、宗教を廃止したと言われている「アルバニア共和国」。
初めて名前を聞いたので、調べてみると、かなり変わった国のようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%8B%E3%82%A2

http://futarifurari.blog.fc2.com/blog-category-89.html

2017年4月9日日曜日

岬/中上健次

実に複雑な家族関係だ。

主人公 秋幸は、実母と義父が暮らす家の離れに住み、歩いて十分とかからない距離に住む中姉 美恵の夫 実弘が親方をしている組の土方作業を仕事にしている。

同じく土方を仕事にしている義父にも、 秋幸より二つ年上の連れ子 文昭がいて、義父とその子、母と秋幸が同じ家に暮らしている。

中姉 美恵と母は同じだが、やはり、父(すでに他界)は異なっている。

秋幸の実父は、土方請負師でもないのに、乗馬ズボンをはき、サングラスをかけた、獅子鼻で、体だけやたら大きく見える男であり、山林地主から土地を巻き上げたと噂されるような男だ。
秋幸の母以外にも、二人の女に子供(秋幸にとっては異母弟妹)を産ませており、うち、一人は女郎の娘であり、新地(売春街)で働いている。

秋幸の仕事仲間には、美恵の夫 実弘の妹で浮気性の光子の夫 安雄がいたが、ある日、安雄が実弘の兄 古市を刺し殺す事件が起きる。(事件の原因は光子が安雄をそそのかして、兄妹仲が悪い古市を殺した風に描かれている)

その事件に衝撃を受けた姉 美恵が、精神的におかしくなってしまう。
亡き父の法事を機に戻った長姉 芳子もいる中、子供に戻ったように、母を求め、仕草も子供じみたものになる。

その半分だけ血のつながった姉二人と秋幸が、昔よく行った岬に弁当を持って墓参りに行く場面の情景が、この小説の中で一番美しい。

子どものようになった姉 美恵の狂気を岬の明るい光が優しく包み込んでいる。

しかし、美恵が突発的に自殺を図るようになり、ますます息苦しくなった空気から逃げるように秋幸が向かったのは、秋幸の実父が女郎に産ませた娘(秋幸の異母妹)が働く新地の店だった。

中上健次の小説には、もし、現実だとしたら、私にとって、とても受け入れることができない前近代的な要素がいっぱい詰まっている。その大半は日本から消え去ってしまったものだし、これからも消えていくべきものだと思う。

なのに、何故これほど強く惹かれてしまうのだろうか。

2017年4月2日日曜日

キトラ・ボックス/池澤夏樹

池澤夏樹の物語は、異なる時代を、異なる国を、たやすく飛び越えて話が進む。

この物語で、その仕掛けとなるのが、銅鏡と剣。

奈良県の神社で発見された鏡の文様が、中国新疆ウイグル自治区トルファン出土の禽獣葡萄鏡によく似ていることに日本の大学の考古学の男性准教授が気づき、ウイグル出身の女性考古学者 可敦(カトゥ)に連絡を取る。

やがて、可敦が、鏡と一緒に見つかった剣の刀身の文様に描かれていた星が、キトラ古墳の天文図と似ていることに気づく。

そして、二人は、鏡と剣が見つかった時の神社の伝承をもとに、銅鏡と剣がキトラ古墳から盗掘されたという仮説を立てる。では、その銅鏡と剣は、一体、誰のものだったのか。
キトラ古墳の墓主人と推理されている高市皇子なのか、忍壁皇子なのか、阿倍御主人なのか。
そして、その人物が、何故 ウイグルで作られた鏡を持っていたのか。

読者にだけ、その当時(飛鳥時代)の謎が明かされるが、遣唐使、壬申の乱という史実を巧みに生かした設定が面白い。

これが物語の一つの軸。

もう一つの軸は、可敦が中国政府にその身を狙われる立場にいるということ。
可敦が二人の男に拉致されそうになるところを、男性准教授が意外な特技で救い出し、親しい友人に助けを頼む。

その友人の名は、宮本美汐(みしお)。
なんと、前作「アトミック・ボックス」で、国家権力から逃げ切り、国産原爆製造の事実を暴露してしまった主人公ではないか。
そして、前作で彼女の逃亡を支えた友人たちと、敵対していた元公安の郵便局員が、可敦をかくまうことに協力することになる。

しかし、可敦には、秘密がある。
読者にだけ語られる彼女の胸のうちの言葉がヒントだ。

一級のミステリ小説のようでありながら、今の中国におけるウイグル自治区の人々の厳しい現状が反映されている。

最後のほうで美汐が言った

「国家を裏切るか友を裏切るかと迫られたときに、私は国家を裏切る勇気を持ちたいと思う。」

という言葉が胸に響く。

物語の前半はテンポが速く、あっという間に引き込まれた。
しかし、 池澤夏樹(71歳)は精神年齢が相当に若い。
 
http://www.kadokawa.co.jp/product/321508000093/

2017年3月26日日曜日

十八歳/中上健次

十八歳とは、こんな年代だったのかなと思う。

仲間たちと集まって、音楽を聴いたり、酒を飲んだり、じゃれあったり。
川で危険な遊びをしたり、ラブレターを書いたり、親の嫌な面を見たり。
不良たちに絡まれ、暴力を振るわれたり、その復讐を計画したり。
犯罪めいた行為を犯したり、絶望感に襲われたり。

その時、その時は真剣だったのだろう。
でも、当時の誰も(何人かは死んだ)、その時を記録していないし、覚えてもいない。
というか、あまり思い出したくないのかもしれない。 

それでも、この短い断章で切り取られた十八歳の日々が、奇妙に懐かしく、色々な場面で、自分を過去のあの時に引き戻そうとしていた。

2017年3月25日土曜日

十九歳の地図/中上健次

物語は、とてもシンプルだ。

新聞配達をしている予備校生のぼくが、彼が新聞を配達している近所の人たちの地図を作っている。

彼が気に入らなかった住民の家には×が付けられ(〇はない)、時には、電話帳で調べた電話番号に、脅迫めいたいたずら電話をかける。
 (今、個人の電話番号が載っている電話帳というものがあるのだろうか?)

まともに勉強をする気はほとんどなく、三十過ぎの紺野という男と同居している日当たりの悪い部屋で、日がな、日本史の教科書や漫画、推理小説を読んでいる。

彼がかけるいたずら電話は、ある意味、常軌を逸している。

ラーメン屋でない普通の家にタンメンを注文したり、いきなり馬鹿野郎呼ばわりをしたり、東京駅には、爆破予告をする。
そして、紺野がつき合っている“かさぶただらけの淫売のマリアさま”には、紺野の裏切りを話し、死ねばいいと告げる。

それでも、からっぽの体で涙を流すぼくを全否定できないのは、自分にも多少なりとも似たり寄ったりの時代があったからかもしれない。

まだ、電話ボックスの電話機に10円玉を入れ、ダイヤルを回していた時代。

私は、亡き父の若い頃の姿を思い浮かべながら読んだ。
彼もそんな時期を過ごしていたのだろうかと。

2017年3月12日日曜日

NHKスペシャル メルトダウンFile.6 原子炉冷却 12日間の深層 ~見過ごされた“危機”~

福島原子力発電所1号機の格納器内の損傷がひどい。

今、廃炉に向けた工程の中で、最大の難関が、メルトダウンして溶け落ちた核燃料とコンクリートが入り混じった燃料デブリの取り出しだ。

実に3月11日の事故発生から12日間、1号機の危機は見逃されていた。

津波により電源を喪失し、格納器の燃料棒の冷却が懸念されていたが、電気がなくても格納器を冷やすことができるイソコンという装置があった。
しかし、実際に動かした経験がある東京電力の技術者がいなかったため、豚の鼻から、ちょろちょろと出ている蒸気を見て、イソコンが動いていると誤認してしまった。
(実際には、イソコンが動いているときは、大量の蒸気が放出される)

加えて、電源復旧後、再稼働したイソコンを、イソコンのタンクの水が無くなったと誤認し、3時間もの間、止めてしまう。これは、東京電力の技術者に、タンクの水が10リットル備蓄されているという知識がなかったためだ。

3時間後、タンクの水が10リットルあることが分かり、再稼働したが、その3時間に急速にメルトダウンが進み、もはや、イソコンでは対処できない事態になってしまった。

40年間、イソコンを実動作させる機会がなく、技術者の経験不足・知識不足から生じた失敗。

さらに1号機に注水された消防車からの給水ルートにも抜け道があり、 結果として、わずか注水した水の量の1%しか届かなかった(その事にも気づかず)。

番組では、東京電力の事故対応責任者たちの会話を、IBMのAIワトソンを使って分析していた。

水位が変わらない1号機について、当初、吉田所長は、水位計が壊れていることを疑っていたが、3号機の水位が下がってゆく危機的状況に、注意が逸れていく。

この状況を客観的に見ていた柏崎刈谷原発の責任者から、1号機の水位計について疑義が呈される発言があったが、吉田所長は、あくまで東京電力本店とのやりとりに集中していたため、この発言は置き去りにされた。

また、1号機の格納器内で急激に線量が高くなったことも見逃された。

加えて、2号機、3号機、4号機も加わった多重危機に、吉田所長一人に全ての事柄の決定が集中し、1日に会話がない時間がわずか5時間という過酷な状況が生まれる。
そして、事故発生から10日後、ついに吉田所長が疲労によるめまいのため、指揮官の席から離れる。

その日、ようやく、1号機の格納器の温度が400度になっており、1号機の冷却に失敗していることに気づく。

番組では、この経験を踏まえたとされる東京電力の事故を想定した訓練の様子(所長が現場ラインとは離れたブースに入っていた)や、識者による原子力発電所の機器の実動作の必要性を説明していた。

しかし、このシリーズを見るにつけ、核という怪物を人間が制御できるはずはない、という思いが強くなっている。

http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170312

NHKスペシャル シリーズ東日本大震災 避難指示“一斉解除” ~福島でいま何が~

3月末をもって、避難指示が解除される飯館村と、2015年9月に解除された楢葉町を取り上げていた。

この飯館村は、菅野村長が推し進める帰村に対し、村民が分断されている状態にあるらしい。

仮設住宅からすぐにでも自宅に戻りたいという人もいるし、戻りたくても戻れない人もいる。

その理由の一つに、いまだ、放射能の危険を無視できないという実態がある。

国は、避難指示解除の基準を、一般的な安全基準とされる年間1ミリシーベルト(毎時0.23マイクロシーベル)を当てはめず、年間20ミリシーベルト(毎時3.8マイクロシーベルト)以下という非常に高い数値にしている。

そのうえ、飯館村の7割を占める山林については、除染をしていないから、部分的に線量が高いホットスポットが点在するのだ。

そして、私も実際に目にしたことがあるが、村には至るところに膨大な数の汚染土が入った黒い袋が山積みになっており、移動の目途が立っていないということだ。

こんな環境の中に、子供がいる家族が戻って来るのは難しいと思う。
(実際、村の学校には子どもの1割しか通学せず、ほかの地域の学校に行く見通しらしい)


原発災害の本質は、放射能が、家族や友人、地域をバラバラに分断していくことだ。

菅野村長のかつての友人で袂を別った長谷川氏が、言っていたことが重い。

楢葉町については、復興の試金石として期待されていたが、町民の一割程度しか戻ってこないため、町が復興施策として考えていたコンパクトタウンの実現もままならない状況だという。

人が戻ってこないから、商業施設も採算が取れず、出店を見合わせる。生活インフラもできないから、人も戻ってこないという悪循環に陥っているという。

さらに深刻なのは、町の予算の実に7~8割程度を占める復興関連・原発関連の交付金や補償金が打ち切られた場合、水道事業を維持することもままならない事態に陥ってしまうという。

このままでいくと、双葉郡の町村は合併するしかないという事も語られていた。


6年という歳月を経て、国は様々な補償を打ち切ろうとしているが、事実として、主な原因としては放射能の影響により、いまだ復興の見通しが立てられない町村があるのだ。

そのことを無視しないでほしい。

http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170311_2

2017年3月11日土曜日

陽炎座 泉鏡花 近現代作家集 I /日本文学全集26

鈴木清順監督の映画「陽炎座」を数えきれないくらい見返しておいて、原作を読んでいなかったとは。

しかし、池澤夏樹がセレクトした近現代作家集の中で、もう一度、「陽炎座」を観ることができた。

“観る”と書いたが、実際、泉鏡花の文章は、ロジックな筋立てを語るのではなく、ぱっと鮮やかなイメージを散らす小刀の閃きのような印象を与えるから、まるで、舞台を観たような気になる。

こういう文章は、正直苦手なのだが、この作品はその世界観に浸ることができた。

言うまでもなく、映画「陽炎座」の終盤の重要な場となる、謎めいた“こども歌舞伎”のシーンが美しく描かれていたからだ。

この場面をこれだけ美しく描くことができたのは、 泉鏡花の江戸情緒の名残を残す、まるでロジックではないこの文章の力のせいなのかもしれない。

この原作では、もちろん、松崎春狐(映画では松田優作)も、お稲さん(楠田 枝里子)も、品子(大楠道代)も出てくる。
では、映画では、松崎のパトロンであり、品子の夫である玉脇は誰なのか。

それぞれの役回りも映画とは異なるので、そういう意味でも楽しめる。


2017年3月5日日曜日

作家と楽しむ古典 古事記 日本霊異記・発心集 竹取物語 宇治拾遺物語 百人一首

池澤夏樹が個人編集した日本文学全集で、古典を新訳した作家たちが、古典作品の魅力と新訳の苦労(楽しみ)について語っている。


●古事記/池澤夏樹

古事記が戦前、軍国教育に利用されていた事実に触れながらも、日本人が大事にしてきたもの、一つは、恋愛、もう一つは、弱いものへの共感が、日本人の心性として、の作品に現れてることが語られています。


●日本霊異記・発心集/伊藤比呂美

ひたすら、日本霊異記で用いられているエロい言葉を説明していますが、出来上がった作品に節度が感じられたのは、伊藤さんが意外と根は真面目な人だからかもしれません。作品が呪術的な性格であると気づいて悩むところや、天皇の名前の取り扱いについて悩むあたりなんかは特に。
さんざん苦労した挙句、町田康の「宇治拾遺物語」に持っていかれたショックの念も語られていますが、確かに、この作品とは同じ本に収めてほしくはないですよね。


●竹取物語/森見登美彦

竹取物語は、シャレにこだわっているとか、内容にムラがあるとか、和歌の訳し方とか。
たぶん、この訳者たちのなかでは、一番真面目な内容だったと思う。


●宇治拾遺物語/町田康

「みんなで訳そう宇治拾遺」と題し、古典の訳し方のコツ説明しているだが、これが興味深い。


・コツ1 直訳
 古語辞書を使って訳すと意味は分かる文章になるが、面白みがない。

・コツ2 説明(動作編)
 原文のトピックとトピックの間に読み取れる(あるいは想像される)動作を説明する文章を入れて物語を埋めてゆく。

・コツ3 説明(会話編)
 用件だけ伝えている会話に、つなぎの会話を足してゆく。これにより、話が分かりやすくなり、登場人物のキャラクターが明確になる。


読者が、学者ではなく詩人や小説家が訳す古典に期待するのは、まさに、コツ2やコツ3の“遊び”の部分である。そういう意味で、町田康の手法は、ある意味、理想的な訳し方なのかもしれない。


●百人一首/小池昌代

今回版に新訳した百人一首を紹介していた。
読んだ印象としては、今回版のほうが、はるかによかった。
たぶん、本人が遊びのつもりで訳しているからなんだろうが、言葉がずっと活き活きしている。

2017年2月26日日曜日

騎士団長殺し/村上春樹

題名のインパクトに惹かれ、ついつい、村上春樹の長編の新刊本を買ってしまったが、ほとんど立ち止まることなく、2冊の単行本をあっという間に読み切ってしまった。

村上春樹の長編で、こんな経験をしたのは、実に久しぶりのことだった。
私にとっては、「ノルウェイの森」、「ダンス・ダンス・ダンス」以来かもしれない。

ある意味、彼の使い慣れた登場人物とシチュエーションが、ストレートに前面に出ていたという気がする。

肖像画を描くことを仕事にしている私(僕という主語でも違和感は感じないかもしれない)も、浮気をして僕から離れてしまう妻も、謎の中年男 免色も、十三歳の少女 まりえも、イデアとしての騎士団長も、謎の日本画家 雨田具彦も、村上春樹の過去の作品で見かけた登場人物たちだ。

これに、ナボコフの「ロリータ」 、フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」の影響も感じました。

しかし、この物語をぐいぐいと力強く引っ張っていく牽引力は、間違いなく、 「騎士団長殺し」という絵画の魅力だろう。

村上春樹の的確な分かりやすい描写は、本当に、「騎士団長殺し」という絵があるかのように、この謎の絵の異様な魅力を、読者に具体的にイメージさせる。
そして、次々と私にふりかかる不可思議な出来事の数々は、常にその絵を中心に起きているのだ。

面白すぎて、めくるページが止まらない。
こんな幸福な読書体験は、久々だった。

2017年2月22日水曜日

映画監督 鈴木清順の死

映画監督の鈴木清順が、2月13日に亡くなっていたらしい。
93歳という年齢を考えれば、大往生だろう。

この人の映画には、独特の美しい映像と、いつも枠からはみ出したユーモアが漂っていた。
この2つの特徴を併せ持った日本の映画監督は、鈴木清順しかいなかったと思う。

大正生まれのせいもあるのだろうか、真面目よりは洒落、悲嘆よりは笑いを好んでいたと思う。
人間の愚かさをなにかお祭りのように明るく笑い飛ばすような柄の大きさがあった。

2017年2月19日日曜日

移動祝祭日/ヘミングウェイ

アーネスト・ヘミングウェイは、1921年(二十二歳)から1926年(二十七歳)までの6年間、パリにいた。この本は、晩年のヘミングウェイが、その時のパリの生活の様子をストレートに語っていて、とても面白い。

彼が文章を書くために入り浸った様々なカフェやレストラン、様々な料理や酒の数々、そこに出入りする彼の一風変わった友人たち、他の小説家のインスパイアを受けるための貸本屋、セーヌ川、競馬場、競輪場。そして、貧しいながらも、人生を楽しむ妻との生活。

そこで生活する人々の匂いまで感じられるような文章になっているということは、ヘミングウェイにとって、パリでの生活の思い出は、もはや身体の一部になっていたのだろう。彼が冒頭の文章で述べているとおり。
もし、きみが、幸運にも
青年時代にパリに住んだとすれば
きみが残りの人生をどこで過ごそうとも
パリはきみについてまわる
なぜなら、パリは
移動祝祭日だからだ
しかし、何といっても、同世代の作家 スコット・フィッツジェラルドとの逸話が秀逸である。

彼との奇妙な旅行の逸話、そして愛妻ゼルダとともに崩壊していく生活の生々しい描写は、一読の価値があると思う。

ヘミングウェイが、これほど近く、フィッツジェラルドに近づいていたとは知らなかったので、とても新鮮でした。

※この本は、私が聞いているNHKのラジオ英語番組「攻略! 英語リスニング」で取り上げられていて、偶然読んだ本でした。

※私が読んだのは、土曜文庫という聞きなれない書店の、シンプルな装丁の文庫本でした。(福田陸太郎 訳)

※ヘミングウェイたちを、ロスト・ジェネレーションと呼んだガートルード・スタイン女史との付き合いについても触れられています。

2017年2月12日日曜日

鬼は内/瀬戸内寂聴

日々、様々な人の言葉を耳にはしているが、はっとさせられる言葉というのは、そうそうない。

最近でいうと、たまたま、読んだ朝日新聞で目にした瀬戸内寂聴さんのエッセイで目にしたこの言葉だろうか。

 「福は内! 鬼も内!」
 「ええっ?」
 私より66歳も若いスタッフたちが笑いだす。
 「鬼なんて、いらない!」
 「ここはトランプのアメリカとはちがうのよ、寂庵だもの、誰でも、何でもこばまない」
 「わたしたちにも撒かせて」
 娘たちも掌にいっぱい豆を握り、私の声に合わせた。
 「福は内! 鬼も内!」
 若い笑い声がはじけ、魑魅魍魎が喜々として駆け込んでくる気配がする。

前に、NHKスペシャルで、瀬戸内寂聴さんが暮らす寂庵の様子を見たことがあるが、彼女を支援する若い女性に囲まれながら、負けじと若々しい精神を保っている寂聴さんのバイタリティが垣間見えた。

彼女の一見無茶とも思えるようなひと言で、鬼って一体何だろうと、引きづるように長く考えさせられた。

2017年1月29日日曜日

義経/司馬遼太郎

古川日出夫 新訳の「平家物語」を読んでいたのだが、源頼朝、義経が登場してくる段になり、ついつい、司馬遼太郎の「義経」を再読したくなった。

この「義経」は、源義経とは何者だったか、なぜ兄の頼朝に殺されなければならなかったのかが実に明確に説明されていて、司馬遼太郎の傑作の一つだろうと思っている。

世にある判官びいき的な義経を賞賛するような記述は、ほとんどない。

ここで描かれている義経は、軍略の天才でありながら、 兄の頼朝が、公家の支配からも一線を置いた武家社会を立ち上げようとしていた努力や時代的な背景を全く理解できない政治的痴呆者という欠陥をあわせ持った男の姿である。

彼を支えた武蔵坊弁慶や伊勢野三郎義盛も、頼朝が、北条家や他の武家の支えがなければ、坂東武者の盟主になることは出来ず、肉親のみに恩恵を与えるような不公平なことを行えば、信頼を失い、鎌倉政権が成り立たなくなってしまうような危うい立場にいるという事も理解していなかった。彼らは、ひたすら、自分の主人をいじめる性格の悪い兄としか、捉えられなかった。

その一方で、司馬遼太郎は、義経を、日本で最初に誕生したスターだと評している。
木曽義仲の京からの駆逐、平家を相手にしての一の谷、屋島、壇之浦の合戦での勝利。
実に四度にわたる華々しい勝利を挙げ、義経は、京の人々に圧倒的な支持を得た。

そして、その人気を利用して、義経を頼朝の対抗馬として飼いならそうとする後白河法皇の暗躍によって、ますます、兄弟の関係は離れてゆく。

義経の母 常盤を寝取る平 清盛、頼朝と北条政子の一風変わった初夜、平家を滅亡させた義経の建礼門院(平清盛の娘であり、安徳天皇の母)への夜這い。こうした奔放な色事にまつわる話が多いのも面白い。

「平家物語」の新訳を読んで、なおさらに感じたことだが、司馬遼太郎の数々の歴史物語も、古典(歴史)の新訳と捉えることで、池澤夏樹編集の日本文学全集の一巻として入れても良かったのではと、個人的には思う。

司馬遼太郎の日本の歴史への解釈が、どれだけ日本の人々に影響を与えたかは、私が言うまでもないことだと思う。
 
(池澤夏樹氏は、司馬遼太郎の作品について、日本に偏りすぎ、功利主義に偏りすぎという印象を持っているようだ)

2017年1月15日日曜日

レベレーション - 啓示 - 2/山岸凉子

英仏百年戦争の最中、神の啓示を受けたジャンヌ・ダルクが、ヴォークルールの守衛官ボードリクールに、王太子シャルル7世をフランスの王にするため、兵を貸してほしいと願い出るところから、物語ははじまる。

一度は追い返されるが、ロレーヌから来た少女がフランスを救うという古い伝説を背景に、次第に周りの人々が特別な少女であると騒ぎだす。やがて、シャルル7世とも親戚関係にあるロレーヌ公にも呼び出され、出し抜かれることを焦ったボードリクールが彼女に兵を貸し与えることになる。

髪を切ったジャンヌ・ダルクは、決して多くはない兵士たちと、敵陣を潜り抜け、シャルル7世がいるシノン城にたどり着く。

そして、王太子とその母であるヨランドが与える様々な試練、審問をくぐり抜け、信頼を勝ち得た彼女についに兵が貸し与えられ、イギリス軍に包囲され、救援を待つオルレアンに向かうこととなる。

山岸凉子は上記の物語の流れを丁寧に描いていて、特にシノン城への行軍中、男だらけの兵士の中でのジャンヌ・ダルクのトイレ問題(草むらや穴が一つの酷い環境)を描いていることに感心してしまった。(普通の作家であればスルーする)

また、彼女の足を戯れに触る兵士や、彼女を襲おうとする連れの兵士、さらに、ポワティエでの審問では肉体的に処女であることを調べられる屈辱的な検査も受けることになる。

これらの精神的なダメージと恐怖を、ジャンヌ・ダルクがいかに乗り越えていくかも、物語の見どころの一つになっている。

(しかし、彼女を襲おうとした兵士の改心の理由が笑える。こういう勘違い男は世の中に大勢います)

本当に神に選ばれた少女なのか、それとも、もともと聡明であった少女が、たまたま、何度もの幸運に恵まれただけなのか。しかし、その連続した幸運こそが神の恩寵ではないのかとも思える。

この物語は、その解釈に幅を持たせながら、ますます面白くなっている。
はやく続編が読みたい。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AC%E3%83%99%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E5%95%93%E7%A4%BA-2-%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0-KC/dp/406388676X

2017年1月14日土曜日

言霊/山岸凉子

言霊とは、言葉に内在する霊力をいうらしい。

バレエを習っている高校生の五十嵐 澄(さやか)には、秘密がある。
それは、自分がコンクールで賞を勝ち取るためには、誰か他人が失敗してくれることが必要だと信じていること。
練習では実力が発揮できながら、本番で失敗してしまったことがある彼女は、悪いことだと思いながら、自分より前に演じる友人の失敗を願う。
そんな自分を彼女は、偽善者だと感じている。

そんな澄(さやか)に、転機が訪れる。
一つは、父親の会社の経営がよくないため、母親に受験勉強をして大学に入ってほしいと言われていること。
二つ目は、ドイツにバレエ留学する予定の同い年の男子 聖也(せいや)と通っているバレエ教室で出会うこと。

やがて、彼女は、知らず知らずのうちに、バレエの技にも優れ、精神的にも大人の聖也に感化されていく。

聖也がドイツに入った後も、ブログでのコメントという方法で、彼女は、いくつもの知見を得る。
最も大きかったのは、聖也が、彼女が本番で失敗した原因を科学的に説明してくれたということ(これは演劇をやっている人は知っておいた方がよいかもしれません)。

そして、澄(さやか)にとって、決定的だったのが、バレエの本番前に澄のライバル的な存在の梓(バレエ教室の先生の姪で優遇されている)が澄に投げかけたマイナスの言葉(呪い)を、聖也が打ち消すという出来事があったということ。

当然ながら、 澄は聖也に恋することになるが、バレエのコンクールで、梓が難易度の高い優勝の狙える「黒鳥」というバレエを選択したのに対し、澄は梓の横やり(それを受けたバレエ教室の先生の判断)で、「黒鳥」を選べず、「ドルネシア姫」という優勝が狙えないバレエしか選べないことになる。

絶望する澄に、聖也が「ドルネシア姫」でもヨーロッパの選手が見事に演じていたということを語り、十分優勝が狙えるというアドバイスを受ける。
そして、聖也は、もっとも大事なアドバイスを澄に与える。

ネガティブな言葉を決して口にしない! いや考えてもいけない!
何故なら大脳は考える言葉のすべてに影響を受けるから!

考える言葉はすべてポジティブに!
自分を信じて最善を尽くす!

素直な澄は、聖也の言葉を信じる。(素直な人は伸びると個人的にも思います)
やがて、彼女は自分が他人が失敗してくれることを願っていた(呪っていた)自分は、自分自身に呪いをかけていたことに気づく。

そして、最初は偽善的だと感じながらも、ライバルの梓の成功を願い、緊張する彼女にポジティブな声かけをするようになる。それが自分の成功につながると確信しながら。

結果は、本書を読んでのお楽しみだが、読んでいて、前向きな気分になれる本だ。
別の作品「二日月」 「ブルーロージズ」でも述べられていた言葉の呪い、そして、その呪いから解き放たれるための心に、作者自身が体験しているバレエという”場”で、焦点を当てている気がしました。

今さらながらに思うが、山岸凉子という作家は、とてつもなくポジティブな作品を作る人なのだ。

http://kc.kodansha.co.jp/title?code=1000006295

2017年1月10日火曜日

メリル・ストリープの勇気

トランプ次期アメリカ大統領がtwitterに垂れ流す脅迫めいたコメントに屈し、日米の大手自動車メーカーが、米国への追加投資を決める中、ゴールデングローブ賞授与式で、映画女優のメリル・ストリープさんのスピーチが機知に富んでいて実に素晴らしかった。


(スピーチ全文)
http://www.elle.co.jp/culture/feature/74th_goldenglobes_Meryl_Streep_touching_messages170109

 ハリウッドの俳優たちの多様性を一人一人取り上げ、この多様性を排除したら、 フットボールと格闘技しか残らないだろうと冗談めかして言いながら、名指しはしてないが権力者として不適切な言動を行ったトランプ氏を批判する。

最後に、レイア姫役を演じたキャリー・フィッシャーの言葉「心が壊れたなら、それを芸術へと作り替えなさい」で締めるところは出来過ぎの感がある。

早速、 トランプ氏は、相変わらず品性が感じられないtweetで反撃したようだが、これは、メリル・ストリープさんの勇気を称賛する勲章のようなものだろう。

2017年1月9日月曜日

NHKスペシャル シリーズ東日本大震災 それでも、生きようとした ~原発事故から5年・福島からの報告~

福島県の自殺率が震災4年後の2014年から急上昇しているという衝撃的な内容だった。

都内で開設されている電話相談窓口にも、福島の人からの「もう死にたい」といった緊急性の高い相談が増加しているという。

番組では、福島の特に原発事故関連死のキーワードとして、「曖昧な喪失」 という原因を取り上げていた。

つまり、原発事故の場合、家が津波に流されて壊されるといったことにはならず、その場所に家はあるのだが、帰れないという曖昧な状況が続く。

家が壊されれば、諦めてすぐに新しい生活に舵を切れるが、昔の場所に帰れるかもしれない(でみも帰れない)という状況が延々と続くことに、疲れて命を絶ってしまう人々が多いということらしい。

もう一つは、コミュニティーの分断。

震災後は、一緒に避難していた家族や親類、連絡を密に取り合っていた近隣の人と、仕事の都合、故郷への帰還の断念などの理由で離れてしまい、孤独になってしまうこと。

南相馬市小高区に住んでいた高齢者(80歳代)が東京に避難し、2014年に命を絶った事例では、その人が2012年に小高に仮帰宅した際、無事に我が家があることから、帰って農業をしたいという希望を持ったが、小高区の除染作業が進まず、帰宅できる見通しが2016年4月になってしまった。そして、自分の田んぼのすぐ近くには、除染作業で出た廃棄物が山のように積み上げられてしまっていて、農業の再開も困難な状況を知る。そのうち、一緒に避難していた家族とも別れ、近隣の人との連絡も疎遠になり、命を絶ってしまった。

さらに、もう一つ原因として挙げられるのは、震災・原発の被害者に対する人々の関心がなくなってしまったのではないかとも。

川内村に住んでいた若い三十代の夫婦の自殺の原因は色々あったのだとは思うが、自分が作った米に対する世の中の関心があまりに低いことに絶望したことも一因だったのではないかという気がしました。

今、南相馬のNPO法人 こころのケアセンターなごみセンターでは、アウトリーチという手法で、社会との接点を持ちづらい一人で暮らしている高齢者の家を訪問し、医療支援から洗濯・家事といった部分まで関わり、自殺を防ぐ懸命の試みが紹介されていた。
老人の拒絶的な言葉をひたすら傾聴する女性スタッフの苦労が思いやられた。(しかし、このセンターの人員は4名だけだという)

改めて、原発・震災問題は何も終わっていないということを感じた番組だった。

https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170109

2017年1月8日日曜日

枕草子 酒井順子 訳/日本文学全集07

春はあけぼの...ではじまる、あの「枕草子」の清少納言は、本名も生没年も不明だという。

分かっていることは、彼女は清原元輔という二級貴族の娘で、和歌が得意な父からその教養を授かった。十代で名門の貴族であった橘則光と結婚し、男の子を産んだが、ほどなく別れ、二十代半ばで三十近く年上の藤原棟世と再婚する。

やがて、関白 藤原道隆の娘で一条天皇の皇后となった中宮定子に仕えることになる。
父である藤原道隆が死に、関白職が藤原道長に移ると、中宮の一家は没落してゆくが、才気煥発であった中宮定子は一条天皇の寵愛を受け続け、女性としての魅力ひとつで、道長の権力と渉りあうことが出来た后だった。

清少納言は、そんな中宮定子に才気を見込まれ、同質の才能を有する主人を敬愛し、彼女の役に立つことに喜びを感じ、自らの教養と機知に富んだ当意即妙な応答で宮中の評判となる。

この新訳 「枕草子」が、一貫してポジティブな雰囲気に溢れているのは、彼女と中宮の才気と趣味の良さに対する絶対的な自信と、それが人々に感嘆されることへの喜びが基にあるからだろう。

中宮定子がわずか二十五歳で亡くなったことで、清少納言も、その後不遇になったようだ。
案外、彼女は、この幸福の記憶を懐かしく思い出し、書き留めながら、自分の現在を慰めていたのかもしれない。

そう思いながら、この新訳「枕草子」を読むと、今までとまったく違う清少納言のイメージが生まれてくる気がしませんか。

2017年1月7日土曜日

映画 傷物語Ⅲ 冷血篇

傷物語も、いよいよ最終話。

前作で、ギロチンカッターとの戦いに勝利した阿良々木が、持ち去られた両腕を取り戻し、そして、忍野メメから心臓を取り戻し、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードは、完全復活する。

約束通り人間に戻れると思った阿良々木は、彼女と別れの会を開こうとするが、ギロチンカッターを血だらけになって食べるキスショットの姿を見て、ショックを受ける。

物語のストーリーを知っているだけに、新鮮味はなかったが、 若干、過剰な描写になっていたなと感じたのが、このキスショットの食事のグロさと、阿良々木が羽川翼の胸を揉むことを妄想するエロさ、そして、キスショットと阿良々木が体をバラバラにされても戦うグロさだろうか。

要するに、エログロですね(笑)

個人的には、忍野メメと3人の吸血鬼ハンターとの密約があったことの説明、 キスショットの本心に感づいた羽川翼のせいで作戦が台無しになったことに対する忍野メメが苦い言葉を吐くシーンは残しておいてほしかった。(たぶん、それがこの物語の肝にあたる部分)

しかし、この後、猫物語(黒)、化物語と続いていく原点の作品であったことを思うと、 やはり、感無量なところはある。