2017年6月28日水曜日

幻魔大戦Deep 8 appendix/平井和正

幻魔大戦Deep 8は、本編の終了後に、appendixが14章もついているが、基本的には、本編の物語の流れを引き継ぐ内容になっている。

冒頭の“握り潰し”が、面白い。
下痢になった美恵が、少女を犯すレイプ犯たちの睾丸を握力70kgの力で握りつぶしてゆくという活劇が展開されている。久々に、作者の下品なアクションシーンを読んだような気がしたが、やはり、こういう場面になると、俄然、文章が活き活きしているのが感じられる。

もう一つ面白いのは、東丈を愛人として求める欧州の王女の存在だ。
彼女は、欧州王族結社のような団体のメンバーで、イスラムの無力化を目指し、イスラム原理主義のテロリスト、過激派を養成し、彼らに事件を起こさせ、イスラムを世界全体の敵に仕立て上げ、イスラム全体の衰退を狙っている。

この作品が2001年のニューヨーク同時多発テロの後に書かれた小説ということもあるが、その後のテロ事件の継続を考えると、この作品の目の付け所は鋭い。

強力な催眠能力を有する彼女に死んだ姉妹がいるというあたり、彼女がルナ姫の妹で、リア姫の姉のような気がするのは、私だけではないだろう。

このappendixの最後のほうでは、東美叡を夜な夜な苦しめていた“斉天大聖”が、サンシャインボーイと共に現れ、東丈のパソコンから、1995年12月8日に作成された“GENKENに関する考察”というファイルを見つけ出す。

そのファイルには、1960年代、渋谷に“GENKEN”という宗教団体があり、そのカリスマとして東丈が存在していた事実が書かれていたが、東丈には、そのような文書を作成した記憶はない。

そして、“斉天大聖”に鍛えられるべく、ついに東丈は幻魔と相対することになる。

読み終わった感想としては、東丈という存在意義が少しだけ分かったような気がした。
何故、彼が二度も失踪しなければならなかったのか、それはつまり彼が自分の存在意義をうすうす覚知したからということなのだろう。

この作品の最大の収穫は、続編が書けるような余裕がある世界観、物語構成にtransformできたことだと私は思う。

2017年6月26日月曜日

幻魔大戦Deep 8 本編/平井和正

幻魔大戦Deepも、この8巻が最終巻である。

東美恵は、東丈のサイキック能力も使わない不思議な交渉力のおかげで、敵方の仲間割れに乗じ、地下牢を抜け出すことに成功するが、謎の王女に拉致されてしまい、サイキック能力のある彼女から、再び東丈を彼女の下に連れてくるようにという命令を与えられてしまう。

一方、東丈が進めていたテロリスト判別ソフトがついに完成する。
これに関する東丈のコメントが、共謀罪を彷彿とさせて面白い。 下記の“監獄社会”が“監視社会”だったら、完璧だったろう。
このソフトの恐ろしさは、犯罪者を全部弾き出すことと、犯罪予備軍まで全部洗い出すことだ。

「やめておけばよかった、とみんな後悔するだろうな。だが、テロリストが存在する限り、みんな認めるしかない。テロリストが全員拘置されたとしても、この先の監獄社会の到来を引き寄せることになるかもしれない。おれはとんでもないことをしたような気がするんだ」 
世界ががらっと変貌しますね、と青鹿秘書が感想を述べた。個人の秘密がなくなる時代の到来だとしたら、これほど息苦しい社会はないでしょうし。
善いことをしようと欲して悪事をなす、だと丈先生は淡々といった。
この8巻の本編は、東丈が雛崎ファミリーにクリスマスプレゼントを買いに街に行き、そこで50代の木村市枝に再会する場面で終わる。

東丈はここで初めて、(無印)幻魔大戦の“GENKEN”時代の記憶を取り戻すのだが、「何故、あの時失踪したのか」という彼女の切実な質問には答えられない。

ただ、今は子持ちの未亡人と結婚し、自分は仕合せだと語り、さらには、彼女に子供の有無をたずね、まだ結婚していないことを知ると、彼女に「もったいないことをしたな」と告げる。

この無神経とも思える東丈の一言を木村市枝がどう思ったかは分からない。
ただ、タクシーで去りゆく東丈が見た木村市枝は、明るくほほえんでいたというが、実際はどうなのだろう。

この章の最後は、ende? (ドイツ語)で締められている。
作者としては、幻魔大戦Deepの執筆を始めるにあたり、物語全体とあまり関連性のない、この章を、とりあえずのエンディングとして、あらかじめ用意していたのかもしれない。

しかし、作者も、このお茶を濁した終わり方ではさすがに終われないと思ったらしく、?マークのとおり、この後に、appendixとして、14篇の章が追加されている。


2017年6月25日日曜日

幻魔大戦Deep 6-7 /平井和正

第6巻は、2年前に亡くなった姪の東美恵の墓参りを済ませた東丈が、彼の事務所の前で秘書を襲おうとしていた江田四郎を見つけ、公園に連れ出し、自らを斉天大聖と名乗り、江田四郎がかける呪詛はすべて自分にはね来る念返しをかけたと、こっぴどく脅しつける。

一方、東丈を親分とあがめる雛崎みちるは、別世界に移る能力に目覚め、2年前に死んだはずの東美恵を自分の世界に引き連れてしまう。

東美叡と異なり、サイキック能力もない美恵は、三十年前に失踪した伯父が十七歳に若返ったこの別世界をなかなか受け入れられないが、東丈の説得により、雛崎家に居候することになる。

そして、台風の影響により頓挫するはずだったサンシャイン・ボーイとの面会は何故か実現し、東丈の口添えにより、サンシャイン・ボーイは、小学生の雛崎みちるが十七歳になるという不可能な夢をかなえることを約束する。

また、この面会に同席していた東美恵もサイキック能力に目覚め、別世界を行き来することができるようになり、もう一人の自分である東美叡との邂逅を果たし、振り子の能力も身につけることになる。


第7巻は、東美叡が追う“顔焼き男”の捜査を東美恵が振り子の力で支援するという話から始まる。そして、雛崎みちるは夢の中で、彼女が願った十七歳になる。

その彼女が十七歳として存在した世界は、1967年の(無印)幻魔大戦の世界だ。
1967年、秋。恐ろしいほどの粘着力をもって居すわった夏がようやく腰を上げて立ち去った秋だった。
この文章は、ニューヨークでの戦闘後、一人東京に戻った東丈が“GENKEN”という宗教団体を作ってゆく幻魔大戦の新たな展開のはじまりを示すような印象を与える。

ここでの驚きは、元気いっぱいだった雛崎みちるが珪肺症を患う病弱な女子高生として、違和感もなく、(無印)幻魔大戦の世界に同居しているという事実だ。この役柄を思いついた作者はすごい。

まだ悪魔化していない文芸部の久保陽子や、丈に嫉妬し攻撃をはじめる江田四郎。東三千子も登場する。

雛崎みちるは、その世界で井沢郁江と友人になり、 彼女の紹介で十七歳の東丈と会う。彼女は夢の話として、自分が元いた世界にる十七歳だけれど五十四歳の精神を宿した東丈の姿と振り子の力を語る。

そして、雛崎みちるの出現により、(無印)幻魔大戦とよく似たその世界は、大きな変化を起こす。
まるで、(無印)幻魔大戦にも、こういう未来があり得たのだ、と作者は言いたかったのかもしれない。

しかし、この世界、最初は(無印)幻魔と相似した世界なのではと思っていたが、江田四郎が雛崎みちるに対して丈に超能力で弄ばれた事実を認めているということは、やはり、同じ世界なのだろう。つまり、東丈がルナ姫とサイボーグのベガに無理やり超能力者として覚醒させられ、1967年の夏、彼らとともに、ニューヨークで怪獣タイプの幻魔と戦った世界なのだ。

この第7巻では、“顔焼き男”の捜査を支援していた東美恵が敵方の罠にかかり、それを助けに行った東丈も一緒に地下牢に拉致されてしまう。そして、その地下で謎の外国人の王女らしき人物が登場することになる。


2017年6月22日木曜日

幻魔大戦Deep 5 /平井和正

5巻では、東丈の秘書 青鹿晶子の歓迎会を行うこととなり、訪れたシティ・ホテルのカクテル・ラウンジで、前の世界で東三千子にプロポーズしたサンシャイン・ボーイと出会うこととなる。

そこで、 東丈と連れの女性たちは、サンシャイン・ボーイのマジックにより、満月の幻想を見ることになるのだが、東丈だけ、何故か、髑髏のような満月の姿を見ることになる。
そして、その幻影と重なるように、井沢郁江の姿も。

しかし、この髑髏のような月のイメージが出てくる作品と言えば、漫画版の幻魔大戦ではないだろうか。そして、そこに出てくる女性のイメージと言えば、まず、ルナ王女のはずなのだが。

東丈は、この幻影の意味をサンシャイン・ボーイに尋ね、その会話のやりとりの中で、サンシャイン・ボーイから、幻魔大王というキーワードが出てくる。しかし、丈にはその言葉が思い出せない。

ただ、丈の記憶がわずかに呼び起こされ、十七歳と三十歳の頃、それぞれ別の世界で何かがあった事、しかし、その時の記憶が失われていることを自覚する。

一方、東丈事務所には、東丈の子分となった婦人警官が訪れており、容疑者リストを見せ、丈の振り子の力で白黒を判断するという仕事を行っていることが分かる。

それを、雛崎みちる(みゆきの娘)が見て、振り子の機能をソフトウェアに組み込めば、迅速に、テロリストやテロリスト予備群まであぶりだすことができるかもしれないというアイデアを出す。

このソフトウェアの話は、まるで、最近成立した“共謀罪”のような話ではないか。
2005年の12年後の未来を予知していたかのように、奇妙にその目的は似ている。
しかも、(無印)幻魔では救世主のはずだった東丈が、このアイデアを実現することになるとは、今読むと実に意味ありげな気がしてしまう。

また、この物語では、(無印)幻魔で東丈と敵対した江田四郎が現れ、井沢郁江に対して行ったのと同様、暗黒ボールを青鹿晶子の体に送りつける。

そして、 (無印)幻魔で東丈が見せた超能力の一つ 生体エネルギーの注入を青鹿晶子に行い、暗黒ボールを消し去る。

一方で、別の世界にいた羊子と出会い、姪の美叡が三年前に殉職していたことを知り、丈はショックを受け、雛崎みゆきとともに彼女の墓参りを行うことになる。

ここで興味深いのは、 彼女の墓石を見ながら、東丈が自分がいかに冷たい男だったかを自己分析するところで、姉の東三千子に対してすら、

「自分の意のままになる便利な家政婦として、おれは接していたのではなかったろうか 」

と述懐しているところだ。

作者としては、 (無印)幻魔で全く揺らぐところがなかったように見えた姉弟の絆まで容赦なく見つめ直している真摯さをアピールしたかったのかもしれない。

しかし、彼がそう述懐している、すぐ傍にいる雛崎みゆきも「便利な家政婦」の一人ではないのか。
その可能性まで考えが及んでいれば、こんな言葉は軽々しくは出てこないのではないだろうか。
 (無印)幻魔の東丈であれば、そのような考えが頭を過っても、深沈として口を閉ざしていたに違いない。

この幻魔大戦Deepの東丈は、精神年齢が54歳にもかかわらず、べらんめえ口調もそうだが、軽い上っ面な人格が見え隠れしていて、変に興味深い。

2017年6月19日月曜日

幻魔大戦Deep 3-4 /平井和正

3巻では、東三千子の希望により、東家に、“理想のお母さん”である雛崎みゆきが派遣され、東丈は彼女に魅了されると同時に、ダウジング(振り子)を教わる。

一方、東美叡は、伯父・姪の関係を捨て、東丈と事実婚の関係になるが、 古巣の警視庁から呼び出しを受け、上司から戻ってきてほしいと懇願されたことや、三千子を襲ったと思われる“顔焼き男”の手掛かりが得られそうになったため、警察官の仕事に復帰することになる。

東丈は、振り子の導きに従い、夢の中で、別の世界(パラレルワールド)にいる自分を体験する。
そこでは、 東丈は、夫を亡くした雛崎みゆきとその二人の子供の父親として充実した人生を送っていた。

4巻では、心の離れてしまった東美叡、家に戻らない東三千子のいない世界から、雛崎みゆきとの家庭がある別の世界に旅立つ。

そこで、東丈は、(無印)幻魔大戦同様、十七歳の体に戻るが、精神年齢は54歳のままで、時代は1990年代の日本。

そして、彼は、婦人警官二人を子分につけ、べらんめえ調の親分的な存在となる(笑)。

雛崎みゆきとも再会し、前の世界でも友人だった猿坊の紹介で、政界にも顔が利く矢田氏の信頼も得、東丈事務所も持ち、 秘書はなんと青鹿晶子(ウルフガイのあの人)。

物語は、正直深みはない。だが、筆がのっているというか、物語がドライブしている感じは受ける。
その勢いのせいで、ついつい読みきってしまった。

(無印)幻魔でも、真幻魔でも、東丈は物語途中で失踪してしまうことになるが、このDeepでも、やはり、彼は一つの世界でじっとしていられず、周りにいる人々を置き去りにして、自分は失踪する。
(ただし、このDeepでは、失踪した東丈と一緒に読者も別世界に移動するというところが違う)

それは、はっきり言えば、その世界が続けば、物語が袋小路に入り込んでしまう気配が濃厚に感じられるからだろう。

ひょっとすると、この物語の煮詰まりかたそのものが、ある意味、この「幻魔大戦」シリーズを一貫して頓挫させてきた「幻魔大王」の正体なのかもしれない。

作者は、そんな取扱注意の主人公 東丈をなんとかして物語の中で生かそうと必死になっている。

辛くなったら甘えられる雛崎みゆきという母性的な意味合いが強い女性をそばに置き、女性たちに、べらんめえ口調で親分を気取らせるなんて。

史上最もひ弱な主人公なのかもしれない。

2017年6月18日日曜日

神の島 沖ノ島/藤原新也・安部龍太郎

沖ノ島は、福岡県宗像(むなかた)市に属し、九州と大陸の間に横たわる玄界灘のほぼ中央に位置する孤島である。

宗像大社の神領として、島には沖津宮(おきつぐう)が祀られており、女人禁制で、男子であっても入島の際には海で禊をしなければならない。

池澤夏樹が訳した「古事記」でも、沖ノ島の神様は登場する。
アマテラスが弟スサノオが腰に帯びていた剣を三つにおり、水で清めた上で、嚙み砕いて噴き出した吐息から生まれたのが、

奥津島比売命(オキツシマヒメのミコト)…沖津宮に祀られている田心姫神(タキリビメ)の別名

多岐都比売命 (タキツヒメのミコト)…中津宮(なかつぐう)に祀られている湍津姫神(タギツヒメ)の別名

市寸島比売命(イツキシマヒメのミコト)…辺津宮(へつみや)に祀られている市杵島姫神(イチキシマヒメ)の別名

の三女神である。(女神を祀る神領が、女人禁制というのも面白い)

沖ノ島では、4世紀の昔から大陸と九州間の航海の安全を祈る祭祀が行われ、8万点にも及ぶ様々な神宝が埋却されたので、海の正倉院とも言われている。

本書は、この沖ノ島について、藤原新也の写真と文章、安部龍太郎の文章がまとめられているが、共作という訳ではなく、二人の作品は完全に独立している。

藤原新也の作品は、文章で沖ノ島の歴史などを振り返ってはいるが、この人の凄いところは、写真では、そういった先入観に囚われず、全くのプレーンな眼でこの島の姿を切り取っているところである。

人間の弱さや妥協を排除しているような海や岩や木の峻厳な力強さに圧倒される。

宝物の写真も、素朴ではあるが、ずっしりとした重みが感じられる品々だ。
勾玉が胎児の形に似ているとコメントしているが、そう言われると、妙に納得してしまう。

安部龍太郎の作品は、宗像氏四代とその関連する歴史の物語を綴っている。

宗像君速船(はやふね)、三韓征伐
宗像君荒人(あらひと)、磐井の反乱
宗像君徳善(とくぜん)、白村江の戦い
宗像君清麿(きよまろ)、壬申の乱

池澤夏樹の小説「キトラ・ボックス」でも、壬申の乱のエピソードが出てくるが、高市皇子の母親 尼子娘が、宗像君徳善の娘であったということは意外だった。

これだけ、日本の史実に絡んでいたということは、宗像氏の権勢が当時、相当に強かったということなのだろう。
 https://www.shogakukan.co.jp/books/09682081

2017年6月6日火曜日

幻魔大戦Deep 1~2 /平井和正

「その日の午後、砲台山で」が予想外に面白かったせいもあるが、ついに、平井和正が電子書籍という媒体で続編を書いた「幻魔大戦Deep」に足を踏み入れてしまった。

電子書籍で小説を読むのは、あまり経験がない私だが、この「幻魔大戦Deep」という作品には、この媒体がぴったりと合っている気がした。

ひと言で言うと、この作品が明るくて軽い、つまりはライトノベルのタッチそのものだからだろう。

これは 「幻魔大戦」、「真幻魔大戦」を読んできた読者にとっては、信じられないような変化だ。

上記の過去作品に見られた、幻魔という魔族に攻撃され、滅亡の危機にさらされる恐怖、危機感、悲壮感のようなものが感じられないばかりか、お決まりの悪魔めいた陰惨な印象をもたらす悪役すら、ほとんど現れない。

超能力研究者兼作家の五十代の東丈と、翻訳者で六十を超えた東三千子。

何も起こらなかった世界で、ひっそりと暮らす初老の二人の姉弟に変化が現れるのは、彼らの姪 美叡の存在だ。

ニューヨークで失踪した弟の卓(これは真幻魔大戦と同じ)と、その妻である羊子(真幻魔では洋子)との間で生まれた娘が美叡(真幻魔では恵子)だ。

二人の名前が異なるということは、この世界がやはり別世界であることを暗示している。

美叡にはサイキック能力があり、若くして警視庁の巡査部長まで務めたが、あまりの有能ぶりに、危険を感じた上層部の意向により仕事を辞めざるを得なくなる。

そんな美叡には、夜中の3時に決まって、彼女を意のままに従わせようとする霊体が現れるという悩みがある。その悩みを解決するために、丈は知り合いの猿坊という霊能力者に会いに、美叡と一緒に京都に行くことになる。
そこから、様々な変化が東丈と東三千子に訪れる...というのが、大体のストーリーだろうか。

これも意外な印象だが、この物語に出てくる 東丈と東三千子は、肩の力が抜けて、実に伸び伸びとしている。彼らは、無視できない危機に遭遇しながらも、人生を楽しむ余裕がある。

二人ともお酒を飲むし、三千子はハリウッドの超天才スターからプロポーズを受け、彼の不思議な能力により三十代に若返り、女性としてのお洒落を楽しむし、丈も女性からプロポーズされ、彼女とのセックスも楽しむ。

平井和正は、明らかな意図をもって、幻魔大戦をリライト(rewrite)したとしか、いいようがない。
あの幻魔で袋小路に迷い込み、救いようがないくらい硬直した先のない世界を影に隠し(すべて放り投げてはいない)、新しい世界を構築しようとしたのだ。

その試みが成功したのかどうかは分からないが、特に苦も無く、1,2巻を読んでしまったのは事実だ。

2017年6月5日月曜日

孔雀 三島由紀夫 近現代作家集 II/日本文学全集27

三島由紀夫のような死に方をした作家は、損だと思う。
彼の作品を読んでいていも、どうしても、その影を探してしまうような気がして、落ち着かないからだ。

実際、この「孔雀」も、三島由紀夫の人生というものを感じざるを得ない。

富岡という四十半ばの昔は美少年だったのに、今はその美をほとんど失ってしまった男が、自分が行きつけの遊園地に飼われている孔雀が殺されたことを、刑事から犯人として疑われる。

その孔雀の死をきっかけに、富岡はこう思うのだ。
...富岡はさまざまに考えたが、そうして得た結論は、 孔雀は殺されることによってしか完成されぬということだった。その豪奢はその殺戮の一点にむかって、弓のようにひきしぼられて、孔雀の生涯を支えている。そこで孔雀殺しは、人生の企てるあらゆる犯罪のうち、もっとも自然の意図を扶けるものになるだろう。それは引き裂くことではなくて、むしろ美と滅びとを肉感的に結び合わせることになるだろう。そう思うとき、富岡はすでに、自分が夢の中で犯したかもしれぬ犯罪を是認していた。
この強烈な美意識は、この物語において、孔雀の死が人知れず野犬に襲われて殺されたという結末ではなく、誰か人の目によって目撃され、その殺戮の美が堪能されるところまで求めていたことにもうかがえる。

まるで、三島自身が孔雀であったかのような気がしてならない。

2017年6月4日日曜日

鮠の子・室生犀星 片腕・川端康成 近現代作家集 II/日本文学全集27

室生犀星の「鮠の子」、川端康成の「片腕」は続けて読むと面白い。

前者は、魚に託しているが、若い女性が男たちに付きまとわれ、望まないセックスを経験し、子を宿し、それでも、生むことに懸命になる女性のリアルな半生を描いているのに対し、後者は、女性の右腕を借り受けた男が、その右腕に話しかけたり、口づけたり、一緒に寝たりするフェティシズムの物語だからだ。

どちらも、男の勝手な欲望にさらされる女性の話だが、後者のほうは、女性の顔も、半身すらも求めず、「片腕」だけを完全に愛玩物として取り扱っているところに凄みがあるかもしれない。

谷崎も、女性の美しい足の指の描写など、 フェティシズム的な作品を書いたが、その足の持ち主である女性の顔や性格も具体的なものとして書き、それだけを切り離すという“荒業”は行わなかった。

この辺りが、川端康成の特質すべき点なのかもしれないが、単に個人の性的嗜好だけの問題のような気もする。

2017年6月3日土曜日

その日の午後、砲台山で/平井和正

平井和正が2005年に電子書籍として発表した幻魔大戦の後日談的な作品。

ただし、この作品を皮切りに、「幻魔大戦deep」と「幻魔大戦deepトルテック」という続編が書かれることになった。

この物語は、どこかエッセイ的な感じで、平井和正が自分の半生を振り返っているところから始まる。

紙の本には見切りをつけ、電子書籍にたくさんの作品を書き続けたこと。
その間、日本の出版業界は色褪せ、周囲の人々は老い、星新一も死んだが、自分は常に作品世界の中で若く生き続けていたこと、などなど。

平井和正は、まるで世捨て人のように、現実世界は無意味で小説世界こそ本物の人生であると述懐する。

そして、夢の話になる。

夢の中に、「地球樹の女神」のヒロイン 後藤由紀子が現れ、平井和正自身が、「地球樹の女神」の主人公である四騎忍であることを告げられる。

5歳の四騎忍に変身した平井和正は、後藤由紀子とともに、自身の故郷である横須賀の砲台山を訪れる。そこは、平井和正が十三歳の時に、「地球樹の女神」の原形である「消えたX」という作品の着想を得た場所だった。

そして、四騎忍は、「幻魔大戦」の東三千子と出会い、十五歳の四騎忍となり、木村市枝とも出会い、彼女たちから、失踪した東丈の捜索を依頼されることになる。

面白いのは、四騎忍には平井和正の意識が宿っており、彼の思いが所々に露出するところだ。

四騎忍が語る、東丈失踪後の“幻魔大戦”のその後のエピソードも興味深い。
「ハルマゲドンの少女」でも語られなかった、丈が渡米していた事実や、丈が創設した団体「GENKEN」が会員の減少により自然消滅した事実。

カルト宗教、偽メシア...

ここで語られる 四騎忍のGENKENに対する冷徹な視線は、“幻魔大戦”断筆後、20年近い時間が変えた平井和正の内省的な思いが反映されているような気がする。

そして、東丈の秘書だった杉村由紀とも出会う。

四騎忍は、東丈失踪後、彼女が高鳥に性的に誘惑され、ヤクザの矢頭に襲われるはずだった事件を未然に防ぎ、さらには、東丈のいう事を忠実に守ろうとし、無理をする杉村由紀の生き方自体まで否定する。
これも、時の経過がもたらした作者自身の率直な思いだったのかもしれない。

四騎忍は、アメリカに渡航しようとしていた杉村由紀を連れて、平井和正のもう一つの作品「ボヘミアン・ガラスストリート」の世界に移動してしまうのだった。
 私は、「ボヘミアン・ガラスストリート」は読んだことがなかったが、この作品に出てくる「ホタル」という女性は、なかなか魅力的に描かれているなと感じた。

最後まで読み切っての感想。

四騎忍は結局、東丈を探し出す。
しかし、この物語の重要なところは、そこにあるのではなく、四騎忍に語らせた平井和正の東丈への思いが短く記載された以下のところにあるのだと個人的には思う。 
東丈よりもその周辺の人間たちのほうが興味深い。だいたいおれは救世主など信じないし、東丈がその救世主ではありえないと思っている。もし、救世主なるものが存在するなら、人類を救済するよりは破滅へと導くのではないか。

2017年5月28日日曜日

誘惑者 安部公房 近現代作家集 II/日本文学全集27

池澤夏樹個人編集のこの近現代作家集は、個性ぞろいの短編が揃っているが、この「誘惑者」もすごい。

物語は、二人の行商の女が休んでいる始発待ちの駅の待合室に、時季外れの開襟シャツを着た大男が現れるところからはじまる。

疲れた男は眠るためにベンチを空けてくれるよう、お願いするが、女二人は動じない。 その女たちとの駆け引きの後、大男はようやく座れるが、そこに、事務員風の小男が現れる。

小男は、 大男と女二人に対して、自分が現れるのを先回りして待ち伏せしていた大男に捕まってしまったという話をする。吃音の大男に比べて、小男は流ちょうに話を進める。しかも、小男は昔、女を殺した過去があることをにおわせる。

そして、小男は、 自分が逃げ出さないよう、女二人に見張りを頼んで、自分は寝たらどうかと大男にもちかけ、大男は本当に寝てしまい、小男も合わせるように寝てしまう。

始発電車が来て、小男と大男の二人は乗り込み、さらに、バスに乗り換える。そして、ひっそりとした郊外の停留所で二人は降りて歩き、 ある門にたどり着いたところで、二人の関係が明るみになる...という物語だ。

短編小説の見本のような切れ味のあるどんでん返し。
そして、その結末を踏まえて、あらためて物語を見ると、最初からそう読み取ることもできたのだということに読者は気づかされるのだ。

小男の最後の台詞が、意味深だ。
来たるべき超管理社会を予言していたかのようにも思える。

2017年5月22日月曜日

白毛 井伏鱒二 近現代作家集 II/日本文学全集27

池澤夏樹が個人編集している日本文学全集は、今までの日本文学全集とは全く趣を異にしたものになっているが、この近現代作家の短編集に至っては、さらにその色合いがさらに強くなっている。

この井伏鱒二の「白毛」も実に珍妙な話で、およそ既存の全集では見かけないような作品である。

作者(おそらく井伏鱒二、本人)は、仕事にとりかかるときに、つい所在なさげに、白毛(白髪)を抜き、それを釣り糸のようにつなぎ合わせる癖がある。

釣りが趣味だから、漁師結びやテグス結び、藤結びなど、骨が折れるような凝った結び方までしてしまう。

作者は結びながら、渓流釣りの場面を思い浮かべるのだが、どうしても消せない不快な思い出があるという。

それは、 偶然知り合った二人の青年と一緒に釣りをしていた時に起きる。

一人の青年がテグスを忘れてしまい、もう一人の青年と言い合いになる。
二人は酒を飲み、酔っぱらっていて険悪な雰囲気。
作者は、雰囲気を和らげるために、馬の毛を抜いてテグスの代わりにすることを提案するが、青年たちは思いがけない行動に出る...という話だ(読んでみてのお楽しみ)。

また、人の毛の強さが禁欲の有無、節制の度合いによって弾力性に開きが出てくるという話や、
娘の生毛(うぶげ)が、男を知っているかどうかで違ってくる説など、作者の“毛”に対する興味は止むところがない。

なんとも変わった話だが、井伏鱒二の写真を見ながら、これが実話だったらと思うと、つい笑ってしまう。

堅いイメージのある作家だが、実は、かなり面白いおじさんだったのかもしれない。

2017年5月21日日曜日

父と暮らせば 井上ひさし 近現代作家集 II/日本文学全集27

原爆投下の3年後の広島の物語。

登場人物は、原爆で生き残った娘の美津江と、亡くなった父の竹造の二人だけ。

竹造は幽霊ということなのだろうが、どこか剽軽で明るい。そして、いつも美津江の将来を気にしている。

美津江は、原爆で過酷な死を強いられた人々を忘れられず、自分だけ幸せになることを恐れ、訪れた婚機を拒否しようとする。

竹造は、そんな美津江を必死になって説得する。
そして、二人の話は、原爆投下の日、瀕死の竹造を置いて行かざるを得なかった美津江の状況にさかのぼってゆく。

あの日、こんなつらい決断をした人々は、どれだけいたのだろう。
そして、それを背負いながら生き続けた人々も。

亡くなったしても、願えば、死者は生き残った者の心に生き続ける。
父娘の最後のやり取りが悲しいけれど、暖かい。

2017年5月14日日曜日

質屋の女房 安岡章太郎 近現代作家集 II/日本文学全集27

戦時中、学校にも行かず、友人の下宿でものを書いたり吉原で遊んで金がない学生と、彼の行きつけの質屋の女房との関係を描いた掌編。

この主人公の学生が語る質屋についての説明が面白い。
...店を出るとき、「ありがとうございます。」と、番頭とうしろに控えた小僧とに頭を下げられ、変な気がした。金をもらったうえに、礼を云われる理由が、咄嗟にはどういうことか合点が行かなかったのである。
また、質屋の女房について恋愛の気持ちがあった訳ではないと説明するくだり。
...しかし、こういうことは云えるだろう。金を借りる側にとっては、いかなる場合でも相手に信用を博そうとか、そのためには相手に好かれたいとかという気持ちが絶えず働いており、それは恋愛によく似た心のうごきを示すことになる、と。

学生は、良心的に質屋の女房に接し、彼女も好意を持って接するが、学生との関係に未来はないことは気づいている。

最後、主人公の学生は、召集令状を受け取り、彼女と最後の対面をすることになるのだが、その結末にも、どこかほほえましさが残る。

2017年5月11日木曜日

海街diary 8 恋と巡礼/吉田秋生

今回の海街diaryは、今までの刊と比べると、正直感動が薄かった。

たぶん、原因は、三女チカが妊娠を秘密にしていたことから発生した事の顛末と、お相手のアフロ店長(アフロじゃなくなった)が失敗したヒマラヤ登山に再挑戦するというエピソードに感情移入できなかったからだ。

妊娠したのに、安全(安産)祈願のために、半日に5カ所もパワースポット巡りをするという無謀な計画を立て、途中で熱中症になってしまうという、どうしようもない展開とか、アフロ店長が、チカの妊娠を知った後、“臆病な自分を取り戻したい”という大の大人が言うのも恥ずかしくなるような動機を真顔で話し、“必ず戻って来る。結婚してください”と告白する状況がどうにも違和感があったためだと思う。

すずの鎌倉での中学最後の夏に話の中心を持ってきたほうが良かったのではと個人的には思ってしまった。

2017年5月8日月曜日

みみずくは黄昏に飛びたつ―川上未映子訊く 村上春樹語る

川上未映子よく訊いた!というのが正直な感想。

話があっちに行ったり、こっちに行ったりして、深く追求できている部分と突っ込みが足りないと感じる濃淡の差はあるが、全体としてみると、多少読んでる方も疲れるほどに、まあよくもこんなに訊いたなという印象を受ける。

それは村上の愛読者である川上未映子がとにかく自分の訊きたいことをストレートに訊きまくったということだろうし、村上春樹もほぼ逃げずに誠意をもって語ったことの証左だろう。

村上春樹が自身の仕事ぶりをまとめた「職業としての小説家」より、ある意味、面白かった。

色々なテーマが語られているが、私が特に興味深く読んだのは、以下の部分だった。

1. 中上健次の思い出

中上健次が文壇のイニシアチブを持っていた時代に、中上と村上が対談した後、中上が村上を飲みに誘って、村上が断ったという逸話。
村上本人も後悔しているが、これ、両者の愛読者としては是非行ってほしかったですね。

2.地下へ降りていくことの危うさ

地上2階建て地下2階の建物の絵(川上未映子作)が秀逸。
地下1階が近代的自我みたいなもの、日本の私小説的な世界(クヨクヨ室)で、 地下2階が無意識の世界という説明は、とてもイメージがしやすい。

3.女性が性的な役割を担わされ過ぎていないか

実は私も、村上春樹の小説で不必要なくらいにセックスシーンが多いなぁと気になっていたので、川上未映子はよく訊いた!と感じるところだったのだが、残念ながらこの部分の村上春樹の答えは、「えっそうなの。でも違うよ」という感じでちょっと逃げているというか、かわしている感じが強い。この部分は正直もっと突っ込んでほしかったが、川上未映子の質問内容も、かなりストレートに近いものなので、これが限界かなという気もする。

4.日記は残さず、数字は記録する

ワープロソフトに「EGWord」(旧Macユーザとしては懐かしい!)を使っているのも面白かったが、村上春樹のある意味緻密な仕事の仕方と仕事量に驚かされる。
長編小説の執筆において、毎日十枚原稿を書いて毎月二百枚のペースを堅持し、書き直し(推敲)は、第5稿までプリントアウトせず、画面上で修正するというのも恐ろしい。そして、プリントアウトした第6稿から念校まで入れると、全部で十校(!)まで書き直しをしているということになる。
しかも、その間に、翻訳を複数こなすというのだから、すご過ぎる。

以上、私が特に興味があるところだけ取り上げてみたが、色々な側面から質問しているので、村上春樹の愛読者であれば、どこかしら興味を感じるところは、きっとあると思う。


http://www.shinchosha.co.jp/book/353434/

2017年5月7日日曜日

晴子情歌(抄) 高村薫 近現代作家集 I /日本文学全集26

昭和十年代の北海道の鰊の漁場とはこんな所だったのか。
赤の他人が金を得るという一つの目的のために集い、鰊の大群を捕獲するという大きな仕事を成し遂げる。

現代でいうプロジェクトなのだが、ここで描かれる情景は、企業で行うプロジェクト等とは比べ物にならないくらい、多種多様な人びとが集まり、濃密な人間関係があり、ダイナミックなエネルギーに満ちている。

私ははじめて高村薫の文章を読んだが、このような題材で、このような人間味のある文章を書く人だとは全く知らなかった。

面白いのは、編者の池澤夏樹がこの作品を、小林多喜二らのプロレタリア文学の系譜に位置づけているということだ。

しかし、ここで描かれる労働というものは過酷ではあるが、はるかに人権が尊重されている仕事場であり、労働者には働く喜びさえ感じられる。

昭和十年からなんと遠くに離れてしまったのだろうと感じてしまうほどに。

2017年5月6日土曜日

機械 横光利一 近現代作家集 I /日本文学全集26

私は初めて横光利一の小説を読んだのだが、軽い衝撃を受けた。
昭和初期に書かれたと思われるこの小説に斬新な印象を覚えたからだ。

カフカが書いた不条理な世界の印象とよく似ていると思う。

物語は、ほぼ密室劇に近い。
ネームプレートを作る町工場が舞台で、主人公はプレートに着色させるための化学薬品の調合を担当しており、その劇薬のせいで頭脳や視力にも影響が出てきていると感じている。
その主人公を敵視するのは、先輩社員の軽部だ。
主人公を町工場の主人から赤色プレート製法を盗み出そうとしている間者だと疑い、工具を頭に落としててきたり、足元に金属の板を崩れさせたり、薬品を劇薬に取り替え、命まで狙おうとしている。

もう一人は、町工場が受注した大量の仕事をさばくため、同業の製作所から応援で働きはじめた屋敷という男。
この男は、主人公から見ても、本物の間者のような怪しい行動をする。

そして、軽部が主人公を殴り、屋敷も殴り、屋敷も軽部を殴り、ついには主人公まで殴り出す。
この三人の職工の馬鹿馬鹿しい殴り合いの果てには更なる馬鹿馬鹿しい結果が用意されている。

主人公の一見客観的に思える状況分析は、物語の中心部を必要以上に掘削し、遂には、すかすかのナンセンスなものに変えていく。

この物語の構成は、ひどく現代的なもののように感じる。

2017年5月5日金曜日

女誡扇綺譚 佐藤春夫 近現代作家集 I /日本文学全集26

佐藤春夫が書いた怪奇ミステリ小説ともいうべき作品。

佐藤春夫と思われる新聞記者が大正時代半ばに友人とともに台湾の荒廃した街を散策した際、無人のはずの豪華な廃屋の二階から若い女性の声を聞く。
不審に思った二人が近隣の住民に話を聞くと、それはかつてその家に住んでいた豪商だった沈家の一人娘の幽霊だという。
そして、二人は沈家の短い栄枯盛衰の歴史を聞くことになる。

台湾人の友人は幽霊の存在を信じるが、作者はきっと若い恋人たちが隠れた密会の場所に選んでいたのではないかと推測を立てる。

興味をかきたてられた作者は再び廃屋を訪ねるが幽霊の姿はなく、一本の扇を拾う。
その扇に書かれていた女性の生き方を指南する言葉が本書のタイトルになっている。

再訪後、二人はその廃屋で若い男が首吊り自殺をしたことを知る。
作者はその男の第一発見者がきっと恋人で、彼らが聞いた女の声の主ではないかと仮説を立て、新聞記者の仕事を利用し会いに行く...という物語だ。

怪奇ものではあるが、終始クールな空気が流れているのは佐藤春夫が人生に対して時折みせる退廃的な雰囲気のせいだろう。

例えば、こんな一節。
いったい私は必要な是非ともしなければならない事に対してはこの上なくずぼらなくせに、無用なことにかけては妙に熱中する性癖が、その頃最もひどかった。
そうして私自身はというと、いかなる方法でも世の中を制服するどころか、世の力によって刻々に圧しつぶされ、見放されつつあった。
私はまず第一に酒を飲むことをやめなければならない。何故かというのに私は自分に快適だから酒を飲むのではない。自分に快適でないことをしているのはよくない。無論、新聞社などは酒よりもさきにやめたい程だ。で、すると結局はあるいは生きることが快適でなくなるかも知れない惧れがある。だが、もしそうならば生きることそのものをも、やめることがむしろ正しいかもしれない。... 





2017年4月17日月曜日

補陀洛/中上健次

私には、妹はいないが、自分が死んだ後に、こんな風に呼びかけてくれる妹がいたら、やっぱり、うれしいでしょうね。
兄(にい)やん、兄やん、ふみこはここにおるでえ。
兄やんとよう熊野の川で泳いだねえ。
母さんの子供みんなで、春に、三輪崎の海岸へ、弁当たべにいったねえ。
兄やん、兄やん、わたしは兄やんの魂に呼びかける。
悲しいというより兄やんにそうやってたら会えるかもしれんというわたしの楽しみみたいなものや。
中上健次と父が違う姉の独白。

複雑な家庭環境。

中上健次と父が違う兄(姉と父が同じ兄)は、二十四で自殺してしまった。

でも、あったかい。こういう言葉で語られる思い出は。
どんなに、その時がつらくても、悲しくても、何かいい思い出であったかのように変化してしまう気がする。

2017年4月16日日曜日

自由の秩序 - リベラリズムの法哲学講義 - /井上達夫

法哲学を専門としている井上達夫教授の講義が収められている。

しかし、構成が非常にユニークだ。

まず、冒頭、「市民アカデメイア」という団体の運営委員長から聴講者に対する「講義案内」が掲載されており、最後の方で、
因みに、井上氏から、「連続講義終了後の打ち上げコンパは大歓迎、酒盃片手の場外補講も辞さず」との申し出を事前にいただいております。
とある。

そして、講義の内容は、7日間に加え、場外補講の内容まで盛り込まれていて、その場外補講では、ビアホールでの井上教授と聴講者の質疑応答になっている。
これを最初にさらっと読んだときは、へえ、本当に行ったんだと思った。
しかし、「市民アカデメイア」などという団体は、ネットで検索しても該当しない。

疑問に思いながらも、7日目と場外補講に収められている聴講者との激しい質疑応答を読み進めていくうち、実は架空の設定ではないかと思い立ち、あとがきを読んでみると、案の定、「市民アカデメイア」も、攻撃的な質問をする聴講者も、架空の存在であるということが書いてあった。

井上教授の講義の中で、実際、どこまで、こういう質問をした学生あるいは聴講者がいたのかは不明だが、仮にこれが全部フィクションだったとしても、こういう自分を攻撃するような嫌な質問をする他者を想像して、これと会話して説得を試みようとする井上教授の気力がすごい。

講義内容も、とても興味深い。ちょっと書き出してみよう。

第1日 アルバニアは英国より自由か
・講義の意味
・自由と秩序ではなく、何故、自由の秩序なのか
・アルバニアは英国より自由か

第2日 自由の秩序性と両義性
・秩序と自由は相反するものではなく、両立可能
・むしろ、一定の秩序こそが自由を可能にするという結合関係にある
・自由な社会とは「より少なく秩序づけられた社会」ではなく、「よく秩序付けられた社会」である

第3日 自由概念の袋小路
・自由概念の錯綜
・自由概念ではなく、秩序の側から考えてみる
・法概念のトゥリアーデ(三幅対)

第4日 秩序のトゥリアーデ 国家・市場・共同体
・国家の最低条件
 ①暴力の集中、②暴力行使の合法性認定権の独占、③最小限の保護サービスの分配
・IS(イスラム国)と国家の違い
・近代社会契約説、市場アナキズム、共同体アナキズム

第5日 専制のトゥリアーデ 全体主義的専制・資本主義的専制・共同体主義的専制
・国家の全体主義的専制 ナチズム、スターリニズム、毛沢東主義
・資本主義的専制 ビル・ゲイツ、マードックに代表される独占資本家
・共同体主義的専制 現代日本に見られる会社主義、特殊権益の中間共同体の跋扈

第6日 自由の秩序の相対性と普遍性
・国家・市場・共同体という競合する秩序形成原理が総合に抑制し均衡を図る
・ 秩序のトゥリアーデ
・日本には中間共同体のインフォーマルな社会権力や組織的政治圧力に対して強い「法治国家」が必要

第7日 世界秩序をめぐる討議
・主権と人権は表裏一体
・EUがヨーロッパの平和と繁栄を築いてきたという幻想
・イギリスのEU離脱、問題の本質は英国にあるのではなくEUに

場外補講 リベラリズムにおける自由と正義の位置
・自由ではなく正義こそがリベラリズムの根本理念
・普遍主義的正義理念 ナチのユダヤ人迫害の反転可能性
・ロールズの正義構想への批判

井上教授の文章は、とにかく、難解な単語が多いが、我慢づよく読んでいると次第に慣れてくる。
久々に、頭を使った。

変な話だが、この本を読んでいると、本当に井上教授の難解な講義を聞き、疲れた頭で最終日に打ち上げに行ったような気分になった。

https://www.iwanami.co.jp/book/b281723.html


ちなみに、本書で取り上げている、宗教を廃止したと言われている「アルバニア共和国」。
初めて名前を聞いたので、調べてみると、かなり変わった国のようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%8B%E3%82%A2

http://futarifurari.blog.fc2.com/blog-category-89.html

2017年4月9日日曜日

岬/中上健次

実に複雑な家族関係だ。

主人公 秋幸は、実母と義父が暮らす家の離れに住み、歩いて十分とかからない距離に住む中姉 美恵の夫 実弘が親方をしている組の土方作業を仕事にしている。

同じく土方を仕事にしている義父にも、 秋幸より二つ年上の連れ子 文昭がいて、義父とその子、母と秋幸が同じ家に暮らしている。

中姉 美恵と母は同じだが、やはり、父(すでに他界)は異なっている。

秋幸の実父は、土方請負師でもないのに、乗馬ズボンをはき、サングラスをかけた、獅子鼻で、体だけやたら大きく見える男であり、山林地主から土地を巻き上げたと噂されるような男だ。
秋幸の母以外にも、二人の女に子供(秋幸にとっては異母弟妹)を産ませており、うち、一人は女郎の娘であり、新地(売春街)で働いている。

秋幸の仕事仲間には、美恵の夫 実弘の妹で浮気性の光子の夫 安雄がいたが、ある日、安雄が実弘の兄 古市を刺し殺す事件が起きる。(事件の原因は光子が安雄をそそのかして、兄妹仲が悪い古市を殺した風に描かれている)

その事件に衝撃を受けた姉 美恵が、精神的におかしくなってしまう。
亡き父の法事を機に戻った長姉 芳子もいる中、子供に戻ったように、母を求め、仕草も子供じみたものになる。

その半分だけ血のつながった姉二人と秋幸が、昔よく行った岬に弁当を持って墓参りに行く場面の情景が、この小説の中で一番美しい。

子どものようになった姉 美恵の狂気を岬の明るい光が優しく包み込んでいる。

しかし、美恵が突発的に自殺を図るようになり、ますます息苦しくなった空気から逃げるように秋幸が向かったのは、秋幸の実父が女郎に産ませた娘(秋幸の異母妹)が働く新地の店だった。

中上健次の小説には、もし、現実だとしたら、私にとって、とても受け入れることができない前近代的な要素がいっぱい詰まっている。その大半は日本から消え去ってしまったものだし、これからも消えていくべきものだと思う。

なのに、何故これほど強く惹かれてしまうのだろうか。

2017年4月2日日曜日

キトラ・ボックス/池澤夏樹

池澤夏樹の物語は、異なる時代を、異なる国を、たやすく飛び越えて話が進む。

この物語で、その仕掛けとなるのが、銅鏡と剣。

奈良県の神社で発見された鏡の文様が、中国新疆ウイグル自治区トルファン出土の禽獣葡萄鏡によく似ていることに日本の大学の考古学の男性准教授が気づき、ウイグル出身の女性考古学者 可敦(カトゥ)に連絡を取る。

やがて、可敦が、鏡と一緒に見つかった剣の刀身の文様に描かれていた星が、キトラ古墳の天文図と似ていることに気づく。

そして、二人は、鏡と剣が見つかった時の神社の伝承をもとに、銅鏡と剣がキトラ古墳から盗掘されたという仮説を立てる。では、その銅鏡と剣は、一体、誰のものだったのか。
キトラ古墳の墓主人と推理されている高市皇子なのか、忍壁皇子なのか、阿倍御主人なのか。
そして、その人物が、何故 ウイグルで作られた鏡を持っていたのか。

読者にだけ、その当時(飛鳥時代)の謎が明かされるが、遣唐使、壬申の乱という史実を巧みに生かした設定が面白い。

これが物語の一つの軸。

もう一つの軸は、可敦が中国政府にその身を狙われる立場にいるということ。
可敦が二人の男に拉致されそうになるところを、男性准教授が意外な特技で救い出し、親しい友人に助けを頼む。

その友人の名は、宮本美汐(みしお)。
なんと、前作「アトミック・ボックス」で、国家権力から逃げ切り、国産原爆製造の事実を暴露してしまった主人公ではないか。
そして、前作で彼女の逃亡を支えた友人たちと、敵対していた元公安の郵便局員が、可敦をかくまうことに協力することになる。

しかし、可敦には、秘密がある。
読者にだけ語られる彼女の胸のうちの言葉がヒントだ。

一級のミステリ小説のようでありながら、今の中国におけるウイグル自治区の人々の厳しい現状が反映されている。

最後のほうで美汐が言った

「国家を裏切るか友を裏切るかと迫られたときに、私は国家を裏切る勇気を持ちたいと思う。」

という言葉が胸に響く。

物語の前半はテンポが速く、あっという間に引き込まれた。
しかし、 池澤夏樹(71歳)は精神年齢が相当に若い。
 
http://www.kadokawa.co.jp/product/321508000093/

2017年3月26日日曜日

十八歳/中上健次

十八歳とは、こんな年代だったのかなと思う。

仲間たちと集まって、音楽を聴いたり、酒を飲んだり、じゃれあったり。
川で危険な遊びをしたり、ラブレターを書いたり、親の嫌な面を見たり。
不良たちに絡まれ、暴力を振るわれたり、その復讐を計画したり。
犯罪めいた行為を犯したり、絶望感に襲われたり。

その時、その時は真剣だったのだろう。
でも、当時の誰も(何人かは死んだ)、その時を記録していないし、覚えてもいない。
というか、あまり思い出したくないのかもしれない。 

それでも、この短い断章で切り取られた十八歳の日々が、奇妙に懐かしく、色々な場面で、自分を過去のあの時に引き戻そうとしていた。

2017年3月25日土曜日

十九歳の地図/中上健次

物語は、とてもシンプルだ。

新聞配達をしている予備校生のぼくが、彼が新聞を配達している近所の人たちの地図を作っている。

彼が気に入らなかった住民の家には×が付けられ(〇はない)、時には、電話帳で調べた電話番号に、脅迫めいたいたずら電話をかける。
 (今、個人の電話番号が載っている電話帳というものがあるのだろうか?)

まともに勉強をする気はほとんどなく、三十過ぎの紺野という男と同居している日当たりの悪い部屋で、日がな、日本史の教科書や漫画、推理小説を読んでいる。

彼がかけるいたずら電話は、ある意味、常軌を逸している。

ラーメン屋でない普通の家にタンメンを注文したり、いきなり馬鹿野郎呼ばわりをしたり、東京駅には、爆破予告をする。
そして、紺野がつき合っている“かさぶただらけの淫売のマリアさま”には、紺野の裏切りを話し、死ねばいいと告げる。

それでも、からっぽの体で涙を流すぼくを全否定できないのは、自分にも多少なりとも似たり寄ったりの時代があったからかもしれない。

まだ、電話ボックスの電話機に10円玉を入れ、ダイヤルを回していた時代。

私は、亡き父の若い頃の姿を思い浮かべながら読んだ。
彼もそんな時期を過ごしていたのだろうかと。

2017年3月12日日曜日

NHKスペシャル メルトダウンFile.6 原子炉冷却 12日間の深層 ~見過ごされた“危機”~

福島原子力発電所1号機の格納器内の損傷がひどい。

今、廃炉に向けた工程の中で、最大の難関が、メルトダウンして溶け落ちた核燃料とコンクリートが入り混じった燃料デブリの取り出しだ。

実に3月11日の事故発生から12日間、1号機の危機は見逃されていた。

津波により電源を喪失し、格納器の燃料棒の冷却が懸念されていたが、電気がなくても格納器を冷やすことができるイソコンという装置があった。
しかし、実際に動かした経験がある東京電力の技術者がいなかったため、豚の鼻から、ちょろちょろと出ている蒸気を見て、イソコンが動いていると誤認してしまった。
(実際には、イソコンが動いているときは、大量の蒸気が放出される)

加えて、電源復旧後、再稼働したイソコンを、イソコンのタンクの水が無くなったと誤認し、3時間もの間、止めてしまう。これは、東京電力の技術者に、タンクの水が10リットル備蓄されているという知識がなかったためだ。

3時間後、タンクの水が10リットルあることが分かり、再稼働したが、その3時間に急速にメルトダウンが進み、もはや、イソコンでは対処できない事態になってしまった。

40年間、イソコンを実動作させる機会がなく、技術者の経験不足・知識不足から生じた失敗。

さらに1号機に注水された消防車からの給水ルートにも抜け道があり、 結果として、わずか注水した水の量の1%しか届かなかった(その事にも気づかず)。

番組では、東京電力の事故対応責任者たちの会話を、IBMのAIワトソンを使って分析していた。

水位が変わらない1号機について、当初、吉田所長は、水位計が壊れていることを疑っていたが、3号機の水位が下がってゆく危機的状況に、注意が逸れていく。

この状況を客観的に見ていた柏崎刈谷原発の責任者から、1号機の水位計について疑義が呈される発言があったが、吉田所長は、あくまで東京電力本店とのやりとりに集中していたため、この発言は置き去りにされた。

また、1号機の格納器内で急激に線量が高くなったことも見逃された。

加えて、2号機、3号機、4号機も加わった多重危機に、吉田所長一人に全ての事柄の決定が集中し、1日に会話がない時間がわずか5時間という過酷な状況が生まれる。
そして、事故発生から10日後、ついに吉田所長が疲労によるめまいのため、指揮官の席から離れる。

その日、ようやく、1号機の格納器の温度が400度になっており、1号機の冷却に失敗していることに気づく。

番組では、この経験を踏まえたとされる東京電力の事故を想定した訓練の様子(所長が現場ラインとは離れたブースに入っていた)や、識者による原子力発電所の機器の実動作の必要性を説明していた。

しかし、このシリーズを見るにつけ、核という怪物を人間が制御できるはずはない、という思いが強くなっている。

http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170312

NHKスペシャル シリーズ東日本大震災 避難指示“一斉解除” ~福島でいま何が~

3月末をもって、避難指示が解除される飯館村と、2015年9月に解除された楢葉町を取り上げていた。

この飯館村は、菅野村長が推し進める帰村に対し、村民が分断されている状態にあるらしい。

仮設住宅からすぐにでも自宅に戻りたいという人もいるし、戻りたくても戻れない人もいる。

その理由の一つに、いまだ、放射能の危険を無視できないという実態がある。

国は、避難指示解除の基準を、一般的な安全基準とされる年間1ミリシーベルト(毎時0.23マイクロシーベル)を当てはめず、年間20ミリシーベルト(毎時3.8マイクロシーベルト)以下という非常に高い数値にしている。

そのうえ、飯館村の7割を占める山林については、除染をしていないから、部分的に線量が高いホットスポットが点在するのだ。

そして、私も実際に目にしたことがあるが、村には至るところに膨大な数の汚染土が入った黒い袋が山積みになっており、移動の目途が立っていないということだ。

こんな環境の中に、子供がいる家族が戻って来るのは難しいと思う。
(実際、村の学校には子どもの1割しか通学せず、ほかの地域の学校に行く見通しらしい)


原発災害の本質は、放射能が、家族や友人、地域をバラバラに分断していくことだ。

菅野村長のかつての友人で袂を別った長谷川氏が、言っていたことが重い。

楢葉町については、復興の試金石として期待されていたが、町民の一割程度しか戻ってこないため、町が復興施策として考えていたコンパクトタウンの実現もままならない状況だという。

人が戻ってこないから、商業施設も採算が取れず、出店を見合わせる。生活インフラもできないから、人も戻ってこないという悪循環に陥っているという。

さらに深刻なのは、町の予算の実に7~8割程度を占める復興関連・原発関連の交付金や補償金が打ち切られた場合、水道事業を維持することもままならない事態に陥ってしまうという。

このままでいくと、双葉郡の町村は合併するしかないという事も語られていた。


6年という歳月を経て、国は様々な補償を打ち切ろうとしているが、事実として、主な原因としては放射能の影響により、いまだ復興の見通しが立てられない町村があるのだ。

そのことを無視しないでほしい。

http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170311_2

2017年3月11日土曜日

陽炎座 泉鏡花 近現代作家集 I /日本文学全集26

鈴木清順監督の映画「陽炎座」を数えきれないくらい見返しておいて、原作を読んでいなかったとは。

しかし、池澤夏樹がセレクトした近現代作家集の中で、もう一度、「陽炎座」を観ることができた。

“観る”と書いたが、実際、泉鏡花の文章は、ロジックな筋立てを語るのではなく、ぱっと鮮やかなイメージを散らす小刀の閃きのような印象を与えるから、まるで、舞台を観たような気になる。

こういう文章は、正直苦手なのだが、この作品はその世界観に浸ることができた。

言うまでもなく、映画「陽炎座」の終盤の重要な場となる、謎めいた“こども歌舞伎”のシーンが美しく描かれていたからだ。

この場面をこれだけ美しく描くことができたのは、 泉鏡花の江戸情緒の名残を残す、まるでロジックではないこの文章の力のせいなのかもしれない。

この原作では、もちろん、松崎春狐(映画では松田優作)も、お稲さん(楠田 枝里子)も、品子(大楠道代)も出てくる。
では、映画では、松崎のパトロンであり、品子の夫である玉脇は誰なのか。

それぞれの役回りも映画とは異なるので、そういう意味でも楽しめる。


2017年3月5日日曜日

作家と楽しむ古典 古事記 日本霊異記・発心集 竹取物語 宇治拾遺物語 百人一首

池澤夏樹が個人編集した日本文学全集で、古典を新訳した作家たちが、古典作品の魅力と新訳の苦労(楽しみ)について語っている。


●古事記/池澤夏樹

古事記が戦前、軍国教育に利用されていた事実に触れながらも、日本人が大事にしてきたもの、一つは、恋愛、もう一つは、弱いものへの共感が、日本人の心性として、の作品に現れてることが語られています。


●日本霊異記・発心集/伊藤比呂美

ひたすら、日本霊異記で用いられているエロい言葉を説明していますが、出来上がった作品に節度が感じられたのは、伊藤さんが意外と根は真面目な人だからかもしれません。作品が呪術的な性格であると気づいて悩むところや、天皇の名前の取り扱いについて悩むあたりなんかは特に。
さんざん苦労した挙句、町田康の「宇治拾遺物語」に持っていかれたショックの念も語られていますが、確かに、この作品とは同じ本に収めてほしくはないですよね。


●竹取物語/森見登美彦

竹取物語は、シャレにこだわっているとか、内容にムラがあるとか、和歌の訳し方とか。
たぶん、この訳者たちのなかでは、一番真面目な内容だったと思う。


●宇治拾遺物語/町田康

「みんなで訳そう宇治拾遺」と題し、古典の訳し方のコツ説明しているだが、これが興味深い。


・コツ1 直訳
 古語辞書を使って訳すと意味は分かる文章になるが、面白みがない。

・コツ2 説明(動作編)
 原文のトピックとトピックの間に読み取れる(あるいは想像される)動作を説明する文章を入れて物語を埋めてゆく。

・コツ3 説明(会話編)
 用件だけ伝えている会話に、つなぎの会話を足してゆく。これにより、話が分かりやすくなり、登場人物のキャラクターが明確になる。


読者が、学者ではなく詩人や小説家が訳す古典に期待するのは、まさに、コツ2やコツ3の“遊び”の部分である。そういう意味で、町田康の手法は、ある意味、理想的な訳し方なのかもしれない。


●百人一首/小池昌代

今回版に新訳した百人一首を紹介していた。
読んだ印象としては、今回版のほうが、はるかによかった。
たぶん、本人が遊びのつもりで訳しているからなんだろうが、言葉がずっと活き活きしている。

2017年2月26日日曜日

騎士団長殺し/村上春樹

題名のインパクトに惹かれ、ついつい、村上春樹の長編の新刊本を買ってしまったが、ほとんど立ち止まることなく、2冊の単行本をあっという間に読み切ってしまった。

村上春樹の長編で、こんな経験をしたのは、実に久しぶりのことだった。
私にとっては、「ノルウェイの森」、「ダンス・ダンス・ダンス」以来かもしれない。

ある意味、彼の使い慣れた登場人物とシチュエーションが、ストレートに前面に出ていたという気がする。

肖像画を描くことを仕事にしている私(僕という主語でも違和感は感じないかもしれない)も、浮気をして僕から離れてしまう妻も、謎の中年男 免色も、十三歳の少女 まりえも、イデアとしての騎士団長も、謎の日本画家 雨田具彦も、村上春樹の過去の作品で見かけた登場人物たちだ。

これに、ナボコフの「ロリータ」 、フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」の影響も感じました。

しかし、この物語をぐいぐいと力強く引っ張っていく牽引力は、間違いなく、 「騎士団長殺し」という絵画の魅力だろう。

村上春樹の的確な分かりやすい描写は、本当に、「騎士団長殺し」という絵があるかのように、この謎の絵の異様な魅力を、読者に具体的にイメージさせる。
そして、次々と私にふりかかる不可思議な出来事の数々は、常にその絵を中心に起きているのだ。

面白すぎて、めくるページが止まらない。
こんな幸福な読書体験は、久々だった。

2017年2月22日水曜日

映画監督 鈴木清順の死

映画監督の鈴木清順が、2月13日に亡くなっていたらしい。
93歳という年齢を考えれば、大往生だろう。

この人の映画には、独特の美しい映像と、いつも枠からはみ出したユーモアが漂っていた。
この2つの特徴を併せ持った日本の映画監督は、鈴木清順しかいなかったと思う。

大正生まれのせいもあるのだろうか、真面目よりは洒落、悲嘆よりは笑いを好んでいたと思う。
人間の愚かさをなにかお祭りのように明るく笑い飛ばすような柄の大きさがあった。

2017年2月19日日曜日

移動祝祭日/ヘミングウェイ

アーネスト・ヘミングウェイは、1921年(二十二歳)から1926年(二十七歳)までの6年間、パリにいた。この本は、晩年のヘミングウェイが、その時のパリの生活の様子をストレートに語っていて、とても面白い。

彼が文章を書くために入り浸った様々なカフェやレストラン、様々な料理や酒の数々、そこに出入りする彼の一風変わった友人たち、他の小説家のインスパイアを受けるための貸本屋、セーヌ川、競馬場、競輪場。そして、貧しいながらも、人生を楽しむ妻との生活。

そこで生活する人々の匂いまで感じられるような文章になっているということは、ヘミングウェイにとって、パリでの生活の思い出は、もはや身体の一部になっていたのだろう。彼が冒頭の文章で述べているとおり。
もし、きみが、幸運にも
青年時代にパリに住んだとすれば
きみが残りの人生をどこで過ごそうとも
パリはきみについてまわる
なぜなら、パリは
移動祝祭日だからだ
しかし、何といっても、同世代の作家 スコット・フィッツジェラルドとの逸話が秀逸である。

彼との奇妙な旅行の逸話、そして愛妻ゼルダとともに崩壊していく生活の生々しい描写は、一読の価値があると思う。

ヘミングウェイが、これほど近く、フィッツジェラルドに近づいていたとは知らなかったので、とても新鮮でした。

※この本は、私が聞いているNHKのラジオ英語番組「攻略! 英語リスニング」で取り上げられていて、偶然読んだ本でした。

※私が読んだのは、土曜文庫という聞きなれない書店の、シンプルな装丁の文庫本でした。(福田陸太郎 訳)

※ヘミングウェイたちを、ロスト・ジェネレーションと呼んだガートルード・スタイン女史との付き合いについても触れられています。

2017年2月12日日曜日

鬼は内/瀬戸内寂聴

日々、様々な人の言葉を耳にはしているが、はっとさせられる言葉というのは、そうそうない。

最近でいうと、たまたま、読んだ朝日新聞で目にした瀬戸内寂聴さんのエッセイで目にしたこの言葉だろうか。

 「福は内! 鬼も内!」
 「ええっ?」
 私より66歳も若いスタッフたちが笑いだす。
 「鬼なんて、いらない!」
 「ここはトランプのアメリカとはちがうのよ、寂庵だもの、誰でも、何でもこばまない」
 「わたしたちにも撒かせて」
 娘たちも掌にいっぱい豆を握り、私の声に合わせた。
 「福は内! 鬼も内!」
 若い笑い声がはじけ、魑魅魍魎が喜々として駆け込んでくる気配がする。

前に、NHKスペシャルで、瀬戸内寂聴さんが暮らす寂庵の様子を見たことがあるが、彼女を支援する若い女性に囲まれながら、負けじと若々しい精神を保っている寂聴さんのバイタリティが垣間見えた。

彼女の一見無茶とも思えるようなひと言で、鬼って一体何だろうと、引きづるように長く考えさせられた。

2017年1月29日日曜日

義経/司馬遼太郎

古川日出夫 新訳の「平家物語」を読んでいたのだが、源頼朝、義経が登場してくる段になり、ついつい、司馬遼太郎の「義経」を再読したくなった。

この「義経」は、源義経とは何者だったか、なぜ兄の頼朝に殺されなければならなかったのかが実に明確に説明されていて、司馬遼太郎の傑作の一つだろうと思っている。

世にある判官びいき的な義経を賞賛するような記述は、ほとんどない。

ここで描かれている義経は、軍略の天才でありながら、 兄の頼朝が、公家の支配からも一線を置いた武家社会を立ち上げようとしていた努力や時代的な背景を全く理解できない政治的痴呆者という欠陥をあわせ持った男の姿である。

彼を支えた武蔵坊弁慶や伊勢野三郎義盛も、頼朝が、北条家や他の武家の支えがなければ、坂東武者の盟主になることは出来ず、肉親のみに恩恵を与えるような不公平なことを行えば、信頼を失い、鎌倉政権が成り立たなくなってしまうような危うい立場にいるという事も理解していなかった。彼らは、ひたすら、自分の主人をいじめる性格の悪い兄としか、捉えられなかった。

その一方で、司馬遼太郎は、義経を、日本で最初に誕生したスターだと評している。
木曽義仲の京からの駆逐、平家を相手にしての一の谷、屋島、壇之浦の合戦での勝利。
実に四度にわたる華々しい勝利を挙げ、義経は、京の人々に圧倒的な支持を得た。

そして、その人気を利用して、義経を頼朝の対抗馬として飼いならそうとする後白河法皇の暗躍によって、ますます、兄弟の関係は離れてゆく。

義経の母 常盤を寝取る平 清盛、頼朝と北条政子の一風変わった初夜、平家を滅亡させた義経の建礼門院(平清盛の娘であり、安徳天皇の母)への夜這い。こうした奔放な色事にまつわる話が多いのも面白い。

「平家物語」の新訳を読んで、なおさらに感じたことだが、司馬遼太郎の数々の歴史物語も、古典(歴史)の新訳と捉えることで、池澤夏樹編集の日本文学全集の一巻として入れても良かったのではと、個人的には思う。

司馬遼太郎の日本の歴史への解釈が、どれだけ日本の人々に影響を与えたかは、私が言うまでもないことだと思う。
 
(池澤夏樹氏は、司馬遼太郎の作品について、日本に偏りすぎ、功利主義に偏りすぎという印象を持っているようだ)

2017年1月15日日曜日

レベレーション - 啓示 - 2/山岸凉子

英仏百年戦争の最中、神の啓示を受けたジャンヌ・ダルクが、ヴォークルールの守衛官ボードリクールに、王太子シャルル7世をフランスの王にするため、兵を貸してほしいと願い出るところから、物語ははじまる。

一度は追い返されるが、ロレーヌから来た少女がフランスを救うという古い伝説を背景に、次第に周りの人々が特別な少女であると騒ぎだす。やがて、シャルル7世とも親戚関係にあるロレーヌ公にも呼び出され、出し抜かれることを焦ったボードリクールが彼女に兵を貸し与えることになる。

髪を切ったジャンヌ・ダルクは、決して多くはない兵士たちと、敵陣を潜り抜け、シャルル7世がいるシノン城にたどり着く。

そして、王太子とその母であるヨランドが与える様々な試練、審問をくぐり抜け、信頼を勝ち得た彼女についに兵が貸し与えられ、イギリス軍に包囲され、救援を待つオルレアンに向かうこととなる。

山岸凉子は上記の物語の流れを丁寧に描いていて、特にシノン城への行軍中、男だらけの兵士の中でのジャンヌ・ダルクのトイレ問題(草むらや穴が一つの酷い環境)を描いていることに感心してしまった。(普通の作家であればスルーする)

また、彼女の足を戯れに触る兵士や、彼女を襲おうとする連れの兵士、さらに、ポワティエでの審問では肉体的に処女であることを調べられる屈辱的な検査も受けることになる。

これらの精神的なダメージと恐怖を、ジャンヌ・ダルクがいかに乗り越えていくかも、物語の見どころの一つになっている。

(しかし、彼女を襲おうとした兵士の改心の理由が笑える。こういう勘違い男は世の中に大勢います)

本当に神に選ばれた少女なのか、それとも、もともと聡明であった少女が、たまたま、何度もの幸運に恵まれただけなのか。しかし、その連続した幸運こそが神の恩寵ではないのかとも思える。

この物語は、その解釈に幅を持たせながら、ますます面白くなっている。
はやく続編が読みたい。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AC%E3%83%99%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E5%95%93%E7%A4%BA-2-%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0-KC/dp/406388676X

2017年1月14日土曜日

言霊/山岸凉子

言霊とは、言葉に内在する霊力をいうらしい。

バレエを習っている高校生の五十嵐 澄(さやか)には、秘密がある。
それは、自分がコンクールで賞を勝ち取るためには、誰か他人が失敗してくれることが必要だと信じていること。
練習では実力が発揮できながら、本番で失敗してしまったことがある彼女は、悪いことだと思いながら、自分より前に演じる友人の失敗を願う。
そんな自分を彼女は、偽善者だと感じている。

そんな澄(さやか)に、転機が訪れる。
一つは、父親の会社の経営がよくないため、母親に受験勉強をして大学に入ってほしいと言われていること。
二つ目は、ドイツにバレエ留学する予定の同い年の男子 聖也(せいや)と通っているバレエ教室で出会うこと。

やがて、彼女は、知らず知らずのうちに、バレエの技にも優れ、精神的にも大人の聖也に感化されていく。

聖也がドイツに入った後も、ブログでのコメントという方法で、彼女は、いくつもの知見を得る。
最も大きかったのは、聖也が、彼女が本番で失敗した原因を科学的に説明してくれたということ(これは演劇をやっている人は知っておいた方がよいかもしれません)。

そして、澄(さやか)にとって、決定的だったのが、バレエの本番前に澄のライバル的な存在の梓(バレエ教室の先生の姪で優遇されている)が澄に投げかけたマイナスの言葉(呪い)を、聖也が打ち消すという出来事があったということ。

当然ながら、 澄は聖也に恋することになるが、バレエのコンクールで、梓が難易度の高い優勝の狙える「黒鳥」というバレエを選択したのに対し、澄は梓の横やり(それを受けたバレエ教室の先生の判断)で、「黒鳥」を選べず、「ドルネシア姫」という優勝が狙えないバレエしか選べないことになる。

絶望する澄に、聖也が「ドルネシア姫」でもヨーロッパの選手が見事に演じていたということを語り、十分優勝が狙えるというアドバイスを受ける。
そして、聖也は、もっとも大事なアドバイスを澄に与える。

ネガティブな言葉を決して口にしない! いや考えてもいけない!
何故なら大脳は考える言葉のすべてに影響を受けるから!

考える言葉はすべてポジティブに!
自分を信じて最善を尽くす!

素直な澄は、聖也の言葉を信じる。(素直な人は伸びると個人的にも思います)
やがて、彼女は自分が他人が失敗してくれることを願っていた(呪っていた)自分は、自分自身に呪いをかけていたことに気づく。

そして、最初は偽善的だと感じながらも、ライバルの梓の成功を願い、緊張する彼女にポジティブな声かけをするようになる。それが自分の成功につながると確信しながら。

結果は、本書を読んでのお楽しみだが、読んでいて、前向きな気分になれる本だ。
別の作品「二日月」 「ブルーロージズ」でも述べられていた言葉の呪い、そして、その呪いから解き放たれるための心に、作者自身が体験しているバレエという”場”で、焦点を当てている気がしました。

今さらながらに思うが、山岸凉子という作家は、とてつもなくポジティブな作品を作る人なのだ。

http://kc.kodansha.co.jp/title?code=1000006295

2017年1月10日火曜日

メリル・ストリープの勇気

トランプ次期アメリカ大統領がtwitterに垂れ流す脅迫めいたコメントに屈し、日米の大手自動車メーカーが、米国への追加投資を決める中、ゴールデングローブ賞授与式で、映画女優のメリル・ストリープさんのスピーチが機知に富んでいて実に素晴らしかった。


(スピーチ全文)
http://www.elle.co.jp/culture/feature/74th_goldenglobes_Meryl_Streep_touching_messages170109

 ハリウッドの俳優たちの多様性を一人一人取り上げ、この多様性を排除したら、 フットボールと格闘技しか残らないだろうと冗談めかして言いながら、名指しはしてないが権力者として不適切な言動を行ったトランプ氏を批判する。

最後に、レイア姫役を演じたキャリー・フィッシャーの言葉「心が壊れたなら、それを芸術へと作り替えなさい」で締めるところは出来過ぎの感がある。

早速、 トランプ氏は、相変わらず品性が感じられないtweetで反撃したようだが、これは、メリル・ストリープさんの勇気を称賛する勲章のようなものだろう。

2017年1月9日月曜日

NHKスペシャル シリーズ東日本大震災 それでも、生きようとした ~原発事故から5年・福島からの報告~

福島県の自殺率が震災4年後の2014年から急上昇しているという衝撃的な内容だった。

都内で開設されている電話相談窓口にも、福島の人からの「もう死にたい」といった緊急性の高い相談が増加しているという。

番組では、福島の特に原発事故関連死のキーワードとして、「曖昧な喪失」 という原因を取り上げていた。

つまり、原発事故の場合、家が津波に流されて壊されるといったことにはならず、その場所に家はあるのだが、帰れないという曖昧な状況が続く。

家が壊されれば、諦めてすぐに新しい生活に舵を切れるが、昔の場所に帰れるかもしれない(でみも帰れない)という状況が延々と続くことに、疲れて命を絶ってしまう人々が多いということらしい。

もう一つは、コミュニティーの分断。

震災後は、一緒に避難していた家族や親類、連絡を密に取り合っていた近隣の人と、仕事の都合、故郷への帰還の断念などの理由で離れてしまい、孤独になってしまうこと。

南相馬市小高区に住んでいた高齢者(80歳代)が東京に避難し、2014年に命を絶った事例では、その人が2012年に小高に仮帰宅した際、無事に我が家があることから、帰って農業をしたいという希望を持ったが、小高区の除染作業が進まず、帰宅できる見通しが2016年4月になってしまった。そして、自分の田んぼのすぐ近くには、除染作業で出た廃棄物が山のように積み上げられてしまっていて、農業の再開も困難な状況を知る。そのうち、一緒に避難していた家族とも別れ、近隣の人との連絡も疎遠になり、命を絶ってしまった。

さらに、もう一つ原因として挙げられるのは、震災・原発の被害者に対する人々の関心がなくなってしまったのではないかとも。

川内村に住んでいた若い三十代の夫婦の自殺の原因は色々あったのだとは思うが、自分が作った米に対する世の中の関心があまりに低いことに絶望したことも一因だったのではないかという気がしました。

今、南相馬のNPO法人 こころのケアセンターなごみセンターでは、アウトリーチという手法で、社会との接点を持ちづらい一人で暮らしている高齢者の家を訪問し、医療支援から洗濯・家事といった部分まで関わり、自殺を防ぐ懸命の試みが紹介されていた。
老人の拒絶的な言葉をひたすら傾聴する女性スタッフの苦労が思いやられた。(しかし、このセンターの人員は4名だけだという)

改めて、原発・震災問題は何も終わっていないということを感じた番組だった。

https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170109

2017年1月8日日曜日

枕草子 酒井順子 訳/日本文学全集07

春はあけぼの...ではじまる、あの「枕草子」の清少納言は、本名も生没年も不明だという。

分かっていることは、彼女は清原元輔という二級貴族の娘で、和歌が得意な父からその教養を授かった。十代で名門の貴族であった橘則光と結婚し、男の子を産んだが、ほどなく別れ、二十代半ばで三十近く年上の藤原棟世と再婚する。

やがて、関白 藤原道隆の娘で一条天皇の皇后となった中宮定子に仕えることになる。
父である藤原道隆が死に、関白職が藤原道長に移ると、中宮の一家は没落してゆくが、才気煥発であった中宮定子は一条天皇の寵愛を受け続け、女性としての魅力ひとつで、道長の権力と渉りあうことが出来た后だった。

清少納言は、そんな中宮定子に才気を見込まれ、同質の才能を有する主人を敬愛し、彼女の役に立つことに喜びを感じ、自らの教養と機知に富んだ当意即妙な応答で宮中の評判となる。

この新訳 「枕草子」が、一貫してポジティブな雰囲気に溢れているのは、彼女と中宮の才気と趣味の良さに対する絶対的な自信と、それが人々に感嘆されることへの喜びが基にあるからだろう。

中宮定子がわずか二十五歳で亡くなったことで、清少納言も、その後不遇になったようだ。
案外、彼女は、この幸福の記憶を懐かしく思い出し、書き留めながら、自分の現在を慰めていたのかもしれない。

そう思いながら、この新訳「枕草子」を読むと、今までとまったく違う清少納言のイメージが生まれてくる気がしませんか。

2017年1月7日土曜日

映画 傷物語Ⅲ 冷血篇

傷物語も、いよいよ最終話。

前作で、ギロチンカッターとの戦いに勝利した阿良々木が、持ち去られた両腕を取り戻し、そして、忍野メメから心臓を取り戻し、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードは、完全復活する。

約束通り人間に戻れると思った阿良々木は、彼女と別れの会を開こうとするが、ギロチンカッターを血だらけになって食べるキスショットの姿を見て、ショックを受ける。

物語のストーリーを知っているだけに、新鮮味はなかったが、 若干、過剰な描写になっていたなと感じたのが、このキスショットの食事のグロさと、阿良々木が羽川翼の胸を揉むことを妄想するエロさ、そして、キスショットと阿良々木が体をバラバラにされても戦うグロさだろうか。

要するに、エログロですね(笑)

個人的には、忍野メメと3人の吸血鬼ハンターとの密約があったことの説明、 キスショットの本心に感づいた羽川翼のせいで作戦が台無しになったことに対する忍野メメが苦い言葉を吐くシーンは残しておいてほしかった。(たぶん、それがこの物語の肝にあたる部分)

しかし、この後、猫物語(黒)、化物語と続いていく原点の作品であったことを思うと、 やはり、感無量なところはある。