2016年10月30日日曜日

曾根崎心中 いとうせいこう 訳/女殺油地獄 桜庭一樹 訳/日本文学全集10

曾根崎心中は、醬油問屋の手代 徳兵衛と、色里の女 お初が心中する物語である。

醬油問屋の旦那から、その女房の姪との結婚を強要され、お初と恋仲にある徳兵衛は断ろうとするが、母親がすでに金を受け取っているという。

なんとか母親から金を取り戻したはいいが、その金を九平次という知り合いに騙し取られてしまう。
そして、取り返そうとして、逆に殴られ蹴られる始末。
絵に描いたような優男である。

絶望した徳兵衛とお初が死ぬ決意をするまでの流れがリアルだ。
九平次と話をするお初が、自分の足をこっそりとおろして、縁の下にいる徳兵衛と、互いに死ぬ意思を確認するシーンが秀逸だ。

最後の夜、道行く二人が「心中江戸三界」という今でいうラブソングに自分たちの姿を重ねる場面も、今の恋愛事情とそう変わらない。

そして、曾根崎天神の森で二人は心中する。
二人が死ぬまでの描写もリアルである。
というか、脇差で咽喉を突く描写は、写実的に過ぎていると言っていいかもしれない。

実に悲惨な最後だが、「徳兵衛とお初こそまさに、来世で仏になること疑いのない、恋の手本である。」という締めの文に若干違和感を覚える自分は、こういう物語を好んで聞いていた日本人の感性から離れてしまっているのだろう。

いとうせいこうの新訳は、とても読みやすい。

女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)は、油屋「河内屋」の次男で、なにかと問題を起こしている与兵衛が、「河内屋」の向かいの同じ油屋「豊島屋」の美しい人妻 お吉を惨殺する物語で、曾根崎心中に比べると、ずいぶんと現代的な雰囲気を感じる。

まず、与兵衛という社会にうまく適合できない青年が、ふとしたことをきっかけに犯罪を犯してしまう設定は、現代社会でもありふれた事である。
そして、被害者となったお吉が、開放的で面倒見のよい性格で、唯一、与兵衛に優しくしていたという関係でありながら、いや、むしろ、そのせいで、与兵衛に金を貸すのを断り、惨殺されてしまうという不条理な結果も現代的である。

そして、この物語の特筆すべき点は、やはり、油まみれになって、与兵衛がお吉を刺し殺す場面だろう。曾根崎心中同様、死に至るまでの描写が写実的に過ぎている。

死にゆくお吉が自分の三人の娘を残してゆく無念のことばを描いていることからも、この場面は、殺人の残虐性が表立っているが、殺人の前の与兵衛からお吉への不義の誘いと、抱き寄せて、くどいまでお吉の体を突き刺す与兵衛の行動には、どこか暴力的な性の力を感じる。
油と赤い血が混じり合う場面も、見方によっては、官能的ともいえる。

作品としては、与兵衛が獄門首となり、悪は処刑されたという勧善懲悪的な終わりであるが、上記のような、それでは収まりきれないような印象を与える作品としての力があるため、現代的と感じるのかもしれない。

この作品は、江戸時代に再演記録がなく、台本も現存していない異色作らしいが、上記のようなダークサイドの力のせいかもしれない。

桜庭一樹の新訳は、与兵衛がその辺にいる駄目な青年の一人であるかのように憎めない一面を自然に描いているところがいいと思う。

2016年10月24日月曜日

業物語/西尾維新

本書の主役は、3人。

吸血鬼キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードこと、忍野忍と、阿良々木暦の妹の一人 阿良々木火憐、そして、暦の友人である羽川翼である。

「うつくし姫」は、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードが吸血鬼になる前の美しいアセロラ姫の呪われた境遇を童話にした短文。

 「あせろらボナペティ」は、そのアセロラ姫を食べることに情熱を感じているデストピア・ヴィルトゥオーゾ・スーサイドマスターという吸血鬼が、彼女を食べようとトライするが何度も失敗し、終いに、自分の境遇がいやになったアセロラ姫の希望で、彼女を吸血鬼にするという話。
最後の一文だけ、意外性があり、面白かった。

「かれんオウガ」は、武道の達人である阿良々木火憐が、ついに師匠に免許皆伝を言い渡され、最後の試練として、山籠もりすることになる。
体力は抜群の火憐だが、今一つ常識と知恵を持ち合わせていない火憐を心配し、兄の暦が、忍野忍に助っ人を頼むという物語。
案の定、3つの山越えで、 ピンチに陥る火憐を年齢を変えた忍が登場し助ける訳だが、これも、最後のほうで、意外な事実が明かされる。

「つばさスリーピング」は、終物語で、羽川翼が、阿良々木暦を救うため、忍野メメを探しに世界中を旅していた時期にドイツで体験した怪異譚である。

傷物語でも登場したドラマツルギーが忍野メメの行方を知っているかもしれないので、その情報を聞き出すため、彼の仕事である双子の吸血鬼退治に協力するという話だ。

物語中、羽川翼が、悲観主義のドラマツルギーに対して、いい事をいう。

「常に最悪のケースを想定して動いたら、確かに最悪のケースは避けられるかもしれないけれど、だけど最高の想定には、辿り着けないじゃないですか。チャンスをつかみたいなら、あらかじめチャンスを想定しないと」
幸せな自分をイメージできない人間は、幸せになれない―つくづく思うけれど、そういうことである。

そのポジティブ思考をきっかけに、羽川翼が窮地を脱するという話。しかし、この怪異譚以外にも、忍野メメを探し当てるまでに色々と事件があったらしいことが文末に感じられる。

2016年10月23日日曜日

リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください/井上達夫

法哲学を専門とする著者が、様々な時局的問題を取り上げつつ、法哲学の視座から筋道を立てて考察するプロセスを分かりやすく説明している。

著者はリベラリズムを「自由主義」とするのは誤訳で、リベラルの基本的価値は自由ではなく、正義だという考えから、「正義主義」とでも言ったほうがよいと述べている。

リベラリズムには、「啓蒙」と「寛容」の二つが歴史的起源としてあり、啓蒙主義は理性を重視し、理性によって蒙を啓くこと。因習や迷信を理性によって打破し、その抑圧から人間を解放する思想運動。

寛容は、自分と視点を異にする他者からの異議申し立てや攪乱的影響に対し、自分のアイデンティティを危うくする恐れもあるが、前向きに受け入れ、それによって自分が変容し、自分の精神の地平が少し広がっていくことを許容すること。

さらに「正義概念」に共通する規範的実質は、「普遍化不可能な差別の排除」と述べている。

自分の国だから、あるいは、自分の子供だから特権的に扱われるべきだというような、当事者の個体的な同一性に依拠しているような差別は、普遍化できないので排除されなければならないという考え。

この「普遍化不可能な差別の排除」という正義の概念にかなっているかどうかを、見分ける手段があるという。

一つは、自分の他者に対する行動や要求が、もし自分がその他者であったとしてもうけいれられるかどうか、自分の視点だけではなく、他者の視点からも拒絶できないような理由によって正当化できるかどうか、というテスト。「反転可能性」テストと呼ばれるもの。

二つ目は、「ただ乗り(フリーライド)」の禁止。自分のみ便益を得るだけで負担は他者に転嫁する姿勢の否定。

三つめは、二重基準(ダブルスタンダード)の禁止。自分の他者に対する要求を正当化するための基準を、別の状況で同じ基準を適用すると自分に不利な結論が正当化されてしまう場合、別の基準を援用して、自分に有利な結論を導こうとすること。

このようなリベラリズムの観点から、国歌斉唱・国旗掲揚問題、慰安婦問題、ドイツと日本の戦争責任、集団的自衛権の行使、天皇制、靖国問題、日本的会社主義(過労死問題含む)など、様々な時事的な問題について、著者がどう考えるかということが述べられていて、実に刺激的な本だ。

なかでも印象深かったのは、憲法9条の問題で、護憲派が「専守防衛の範囲なら自衛隊と安保は9条に違反しない」という早稲田大学の長谷部教授などの考えを、無理があると批判しているところだ。

およそ通常の日本語感覚で、現憲法9条を読むと、到底、自衛隊と安保を保持することはできない。これを旧来の内閣法制局見解は、“解釈改憲”していたに過ぎず、護憲派がこの見解を拠り所にすることは、自分自身が解釈改憲をやっているのだから、安倍政権の解釈改憲を批判できないだろうという考えだ。

<著者の考えに興味がある人はこの本を読んでください。ここに書く文量では誤解を招きかねないので控えます>

もう一つ興味深かったのは、天皇制について、天皇・皇族には職業選択の自由がなく、政治的言動も禁じられ、表現の自由もなく、国民が自分のアイデンティティを確保するために、天皇・皇族を奴隷化しており、反民主的であるから廃止せよという考え。

著者は天皇の業績(ハンセン病患者の施設訪問)に好意を持ちつつも、「老齢の夫婦が体にむち打ってそこに行かなければならない、そうしなければ日本国民の関心がそこにいかない」という現状、日本国民統合のための記号として奴隷的に使役している実態を批判している。

現役の法哲学者が、歯に衣着せぬ発言を正々堂々と行っているところが、とても刺激的で、好感が持てる本である。

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個人的な話だが、実は、私は井上先生の法哲学の講習を受講したことがある。
当時、法律嫌いの私が、唯一大学で真面目に勉強したのが、井上先生の法哲学講座ではないかと、今でも思うことがある。

教科書は、先生の代表作の「共生の作法―会話としての正義」で、ゼミ形式ではなかったが、先生の講座はいつも面白くて刺激的だった。

講義の終わり、居酒屋で先生とお酒を飲んだとき、当時の時事ネタに鋭い突っ込みを入れていた様子を、本書を読んで、まざまざと思い出し、「全然変わってない!」とあらためて懐かしく思った次第である。

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2016年10月18日火曜日

近現代詩歌 詩 池澤夏樹選/日本文学全集 29

池澤夏樹が選定した明治から現代に至る四十一人の詩人の作品を読むことが出来る。

生まれの早い順から詩人を並べただけなのだが、その詩人の詩がうまく繋がるように配置されているように思える。

こころに残った詩を挙げてみると...

樹々の二人/高村光太郎
 あれが阿多多羅山、 あの光るのが阿武隈川。 の2つだけが浮かぶシンプルな冬の風景がいい。

初夜/堀口大學
 何一つ下品なことばがないのに、ここまでエロティックなイメージが描けるなんて

俗謡「雪をんな」/佐藤春夫
 どことなくユーモアが溢れている

帰郷/中原中也
 あヽ おまへはなにをして来たのだと…… 吹き来る風が私に云ふ
  久々に中原中也の詩を読むと、なぜか若い時分の自分の姿が思い出されて、恥ずかしい。

わたしが一番きれいだったとき/茨木のり子
 歳をとることは楽しいことなんだという気分にさせてくれる

2016年10月16日日曜日

ミシェル・オバマのスピーチ

アメリカ大統領選挙をめぐる報道が、最近あまりにも下品な内容になってきていることに眉をひそめている人も多いと思うが、一連の問題を引き起こしているトランプ氏の言動を真っ向から否定したミシェル・オバマのニューハンプシャーにおけるスピーチの見事さに感じ入ってしまった。



オバマ夫人は、今週はとても対照的な出来事があったと話す。

その出来事の一つは、 彼女が、10月11日の国際ガールズ・デーに、世界各国の女子をホワイトハウスに招いて、"Let Girls Learn"(女子に教育の機会を)の運動を祝ったということ。

オバマ夫人は、言う。

彼女たち自身がどれだけかけがえのない存在であるかを再認識させることが重要であり、彼女たちに、あらゆる社会を計る尺度は、女性をどう扱うかによるのだということを理解させたかったと。それから、彼女たちと話して、とても元気をもらったということを。

そして、もう一つの出来事、大統領選挙における候補者(名前は出していない)の女性に対する一連の侮蔑的な言動に触れる。

オバマ夫人は、言う。

And I can't believe that I'm saying that a candidate for president of the United States has bragged about sexually assaulting women.

自分がこれから言うことが信じられませんが、アメリカ大統領の候補者が女性への性的暴行を自慢したのです。

It has shaken me to my core in a way that I couldn't have predicted.

それは予想できないほど、私の心の底を揺さぶりました。

This is not something that we can ignore...Because this was not just a "lewd conversation". This wasn't just locker-room banter. This was a powerful individual speaking freely and openly about sexually predatory behavior, and actually bragging about kissing and groping women, using language so obscene that many of us were worried about our children hearing it when we turn on the TV.

これは無視できることではありません。...何故なら、これは単なる"卑わいな会話"でも、ロッカールームでの軽口でもないからです。これは、権力者が、自由にかつ公然と、性的暴力の振るまいについて、女性にキスして体を触ることを、実際に自慢していたのです。テレビをつけたときに、子供たちが聞くのが心配になるような猥褻な言葉を使って。

The shameful comments about our bodies. The disrespect of our ambitions and intellect. The belief that you can do anything you want to a woman.

私たちの体についての恥ずべき発言。私たちの意欲や知性に対する軽蔑。女性には、したいことは何でもできるという信念。

We thought all of that was ancient history, didn't we? And so many have worked for so many years to end this kind of violence and abuse and disrespect, but here we are, in 2016, and we're hearing these exact same things every day on the campaign trail.

そんなことはすべて過去のことだと思っていましたよね。 多くの人々が何年もかけて、こんな暴力や虐待、侮辱を終わらせようと働いてきました。なのに、この2016年に、私たちは選挙戦で毎日まったく同じことを聞かされています。

Too many are treating this as just another day's headline, as if our outrage is overblown or unwarranted, as if this is normal, just politics as usual.

その日のヘッドライン程度にしか取り扱わない人が多すぎます。まるで、私たちの怒りが大げさで、正当な根拠がないように、まるで、これは正常なことであり、ごく普通の政治であるかのように。

But, New Hampshire, be clear. This is not normal. This is not politics as usual. This is disgraceful. It is intolerable.

しかし、ニューハンプシャーのみなさん、はっきりさせましょう。これは正常なことではありません。普通の政治でもありません。これは、恥ずべきことであり、容認できないことです。


以下に、この日のスピーチの全文が載っている。
http://www.npr.org/2016/10/13/497846667/transcript-michelle-obamas-speech-on-donald-trumps-alleged-treatment-of-women

このスピーチを聞いて思ったのは、間違っていると思ったことは間違いと言わなければならないという、とてもシンプルなことだ。

しかし、当たり前のことを公に主張するということは、強い自制心と意思を必要とするものなのかもしれない。

相手の品の無さに感情的にならないよう、抑制しながら、聞く者には、常套句にならないことばの新鮮味と自分の強い思いを伝えなければならない。

このスピーチにおけるミシェル・オバマには、全世界の女性を代表していたかのような品格と迫力があった。

選挙戦は過去最悪のクオリティを呈しているが、彼女のような大統領夫人を持つアメリカを、私は、やはり全否定できないでいる。