2013年8月25日日曜日

チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド

福島で原発事故が起き、立入制限区域が設定されたとき、その数十年後を思い、タルコフスキーが撮った映画「ストーカー」のように、あの地域が”ゾーン”のようになる光景をイメージが過ぎった。

しかし、そのことは誰にも言わなかった。現地で事故の対応作業に当たっている人々や、自分の家に住めなくなった人々に対して、彼らが生活している/していた土地を、映画にたとえる行為は不謹慎なような気がしたからだ。

なので、本書を読んで驚いた。

1986年に原発事故が起きた旧ソ連(現ウクライナ)北部のチェルノブイリでは、2011年12月には、外部からの観光ツアーを許可し、現地に観光客を受け入れているというのだ。

しかも、その立入制限区域は、映画同様、”ゾーン”と呼ばれ、ツアーガイドは”ストーカー”と呼ばれているらしい。
決してマイナーな取り組みではなく、国営のゾーン広報機関があり、立ち入りするためには政府許可が必要となるが、それを取り扱っている旅行代理店も約二十社近くあり、2011年以降は1万4千人以上の観光客が訪れているという。

本書は、そんな”ゾーン”の観光ガイド(放射線量の計測記録もある。写真も豊富)と、その観光に携わるウクライナの人々の言葉を通し、福島第一原発事故周辺地域を観光地化しようとすることを検討するという、今まで読んだことのないような本だ。
(唯一、近い本といえば、史上初の戦場都市ガイド「サラエボ旅行案内」ぐらい)


ちなみに、ダークツーリズムとは、戦争や災害といった人類の負の足跡を辿り、死者に悼みを捧げるとともに、地域の悲しみを共有しようとする観光の新しい考え方を言うとのこと。
(日本で言えば、原爆ドームなど。ドイツで言えば、ナチス関連資料館など)

”原発事故”と”観光”という組み合わせに、違和感を感じる人も多いだろうが、この本では、かなりまじめにその可能性を検討している。

その理由を、本書では「原発事故被害の中心地を訪れることの最大の意義は、その状況に向き合うことにある」と説明している。
マスコミのセンセーショナルな画一的な情報に頼るのではなく、原子力発電所という物を、廃墟となった遊園地や村を、直接自分の目で見て、体で触れて、考えることが重要だということ。

(この本でインタビューされている人々の声を聞く限りでは、現地の人々の多くが、観光客に対して、ネガティブな印象をもっておらず、むしろ多くの人々にチェルノブイリの実態を知ってもらうことはよいことだという肯定的な意見が多かった)

そのきっかけになるのであれば、好奇心でもよいという考え。
実際に、”ゾーン”を訪れる多くの若者は、PCゲーム「S.T.A.L.K.E.R.」のファンになったことがきっかけになったという。

本書の終わりのほうに、「東京と福島第一原発を結ぶ国道六号線を下りそこにあるリアリティを見ることにこそ希望がある」という言葉があったが、現地の復興ということを考えると、確かにそうだなと思う。

本書には、私が今まで知らなかったさまざまな情報が載っている。

・チェルノブイリ発電所が、いまだ発電所として一部稼動していること
・ウクライナの原発依存率が50%近くと非常に高いこと
・世界のダークツーリズムの名所の情報
・日本の新聞各社のチェルノブイリ掲載記事の掲載件数の比較
・チェルノブイリ博物館が、多くのカップルが訪れるデートスポットになっていること
・「南相馬ソーラー・アグリパーク」や「川内高原農産物栽培工場」の取り組み
・宮崎駿の「On Your Mark」にみる原発事故地の姿…など

また、この本では、被災地の遺構を保存する問題についても触れられているが、気仙沼の巨大魚船が撤去されることが決定した今、考えさせられる問題だ。
(3Dの映像データで残そうという取り組みもあるようだが、果たして、実物と比較したとき、どこまでのインパクトがあるのだろう)

非常に興味深い本だが、この本の続編として「福島第一原発観光地化計画」が刊行される予定だという。

深刻な汚染水の漏洩問題も解決できていいない現在では、不可能なことではあるが、この先20年後というスパンで考えたとき、海という観光資源を失ったこの土地に、このような復興策もあるのではないだろうかと思った。

”原発事故地の観光地化”という考えに賛成の人も、反対の人も一読の価値はあると思う。

2013年8月24日土曜日

佐野元春 Film No Damage

この間、映画館で何気なく見たチラシに、佐野元春の名前があったのを見て、とても懐かしかった。


十代の頃に聞いた音楽というのは特別で、焼き付いてしまったように記憶というか、体から剥がれない。
ガラスのジェーネレイション、さよならレーヴォリュゥション、つまらない大人にはなりたくない、so one more kiss to me
歌詞カードがボロボロになるまで読んでは聴き、聴いては歌った。
今になってしまうと、こういう聴き方はもうできない。

私にとっては、佐野元春はそういったアーティストの一人だった。
佐野元春、浜田省吾、尾崎 豊、大沢誉志幸…

彼の音楽を聴きはじめたのは、ちょうど、この映画で記録された後に、旅立ったニューヨークで作られたアルバム「VISITORS」からだったと思う。

佐野元春が作るアルバムというのは、まず外れがない。
全体的によくできている。かならず平均値以上の音楽を作ってくる。

その理由の一つには、彼が非常に知的なロックミュージシャンだからだと思う。

「No Damage」のアルバムの写真などは、明らかに、ロックのイメージを変えようと意図しているものだし、その「No Damage」のスタイルから大きな変貌をとげたアルバム「VISITORS」の1曲目「Complication Shakedown」の歌詞は、1984年の作品だが、知的なセンスに溢れており、来たるべき情報化社会を予言していたかのような内容だ。

そういう意味で、大人になっても安心して聴くことができるアーティストなのだが、やはり、ビールのコマーシャルなどに出たりして温和な雰囲気を感じるよりは、若くギラギラしていて、どこかとがっている雰囲気を感じるほうが、個人的には好きだ。



最近すっかり見たい映画がなくなった日々だが、久々に映画館に足を運んでみようと思う。

2013年8月1日木曜日

麻生副総理の歴史認識を疑う

全く信じられないような発言をしたものだ。
もちろん、麻生副総理の憲法改正をめぐる発言のことだ。

*発言の全文
http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html
「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」
音声で聞くと冗談のようなトーンで発言していて、会場からは笑いもおきていた。
しかし、明らかに非常識な発言だ。

民主主義を否定するナチスのやり方で、日本の憲法も改正すればいい、という趣旨に誤解されても仕方がない発言だ。

内外から批判が高まる中、釈明(原稿の棒読み)をして、ナチスの部分の発言を撤回したようだが、

「憲法改正については落ち着いて議論することが極めて重要だ。喧騒にまぎれて十分な国民的理解、議論のないまま進んでしまった悪しき例としてあげた」

という説明も、よく分からない。そもそも、「喧騒」とは何のことだろう。

発言を見ると、自民党の中の憲法部会の議論を引き合いに、怒鳴りあいもなく議論をしたことを、「自民党のすごいところ」と褒めているが、要するに、野党や他国(自分たちと異なる考えを持つ人々)に、とやかく言われたくない。黙っていれば、俺たち自民党の案を、国民は理解して受け入れるのだから、と言っているようにしか思えない。
(この考え方自体、幼稚で危険なものだし、日本国民を馬鹿にしていると思う)

その本音が思わず、ぽろっと出てしまったのが、今回のナチス発言の真相ではないかと思う。

しかし、皮肉なことに、悪しき例とたとえたナチスのやり方と比較しても、今回の憲法改正をめぐる発言は、相当にお粗末なものになった。
少なくとも、麻生副総理がいる現政権が推し進める憲法改正は危険だという認識を、私は強く持った。

ナチスの歴史的な評価は、小学生でも知っていることだが、この発言をすることで、ユダヤ人の人々やドイツ国民がどう思うかなどということは念頭になかったのだろう。

また、安部政権が憲法改正をして国防軍を持つことを明記することに積極的な点について、右翼化の傾向にあることを批判し、歴史認識が異なることでも争っている中国、韓国が、この発言をどう捉えるかも念頭になかったのだろう。

そういった配慮も想像力もない人は、本来、政治家になれないし、ましてや総理大臣の職に就くはずもないし、現政権のナンバー2になるなんて、あり得ないはずなのだが。

石原慎太郎の「三国人」発言、橋下徹の「従軍慰安婦」の発言、今回の麻生副総理のナチス発言とくると、自国民でも、日本の政治家の歴史認識は相当におかしいという印象を持ってしまう。

まして、諸外国に対しては、日本の政権および日本人の歴史観はやはりおかしいと印象付けた決定的な出来事になったと思う。

言っていいことと悪いことがある。子供でも分かることだ。

私は、完全に辞任に値する発言だと思う。