2015年9月27日日曜日

ふしぎな球 日野啓三 /日本文学全集 21

私の場合、ベトナム戦争経験者であるという先入観を捨てて読んだ方が、この人の作品に近づきやすかった。

最初に読み切ることが出来たのは、眉村卓のショート・ショートSFのような雰囲気のある「ふしぎな球」。

自分の子供でありながら、妙におとなしい二番目の息子に違和感を感じる父親。

そして、その父親が、ある日、人気のない都心の街を歩いていたときに感じる「色褪せて、内部の輝くを失って見え」る「人間にじかに作られたのではない物が、人間がいなくなってその本性をにじみ出している」感覚。

ある日、二番目の息子は、その父親が感じる街の違和感を物質化したようなガラス玉を拾ってくる。

ガラス玉なのに、光を通さず、明らかに吸い込んでいるような、ブラックホールのようなガラス玉。

息子に問いただすと、街の空間の至るところに穴が空いていて、そこから、ガラス玉を取り出せるという。

 こんな不思議な物語なのだが、その後の短編「牧師館」「空白のある白い町」「放散虫は深夜のレールの上を漂う」「ホワイトアウト」「イメージたちのワルプルギスの夜」など、いずれを読んでも、この作家の主題とトーンは同じように感じた。

日常生活において、別の世界を見ようと、感じようとする。
目の前の現象に、精神の触覚を広くめぐらす。


そして、感じようとすれば、その別の世界の入口は、確かに自分の日常生活の中でも、いくつも転がっているような共感を覚える。

2015年9月23日水曜日

日本霊異記・伊藤比呂美/今昔物語・福永武彦/ 宇治拾遺物語・町田 康/発心集・伊藤比呂美/日本文学全集 08

個人的な感想としては、この本は“買い”である。

仏教の説話文学を集めたという本書であるが、片苦しい雰囲気なのは、鴨長明の「発心集」だけで、他の作品には、性の猥雑さが放胆に力強く溢れている。

なかでも、町田 康が訳した「宇治拾遺物語」は、群を抜いて面白い。

私は、電車の中で読んでいて、何度か爆笑しそうになるのを堪えるのが辛いほどだった。

こぶとり爺さんの原作と思われる「奇怪な鬼に瘤を除去される」(鬼に瘤取らるる事)の鬼の会話が、まるで今風のヤンキーの言葉づかいなのも笑えるが、

町田康訳「奇怪な鬼に瘤を除去される」(『宇治拾遺物語』より)


極めつけは、「中納言師時が僧侶の陰茎と陰嚢を検査した話」(中納言師時、法師の玉茎検知の事)と、「藤大納言が女に屁をこかれた」(藤大納言忠家物言ふ女放屁の事)だろうか。

とにかく性の猥雑さと馬鹿馬鹿しさに溢れた鎌倉時代初期の物語を、今の世に生き生きと復活させた町田 康に拍手を送りたい。

ただ、 この「宇治拾遺物語」のインパクトが強すぎて、残りの物語の印象が薄まってしまったのは実感としてある。

とくに、「宇治拾遺物語」の後に控える長明の「発心集」に至っては、長明の「まとめ」のことばを読んでいると、なにを「真面目くさって」という反感のようなものさえ、湧いてくる始末だった。
 (日本霊異記(平安時代初期)も、最後のほうで仏法の理を説くが、語り口がすぱっとしていて、読んでいて心地よい)

話の面白さとしては、やはり、今昔物語(平安時代末期)が粒ぞろいのような気がする。

芥川龍之介の「藪の中」の元ネタである「大江山の藪の中で起こった話」(妻を具して丹波国に行く男、大江山において縛らるること)をはじめとして、物語として読ませるものが多い。

ちなみに、この「今昔物語」については、水木しげるのマンガ「今昔物語」もある。

本書には収められていないが、「かぶら男」や、「安倍晴明」(映画「陰陽師」の)、「引出物」(谷崎の「少将滋幹の母」の元ネタと思われる)など、楽しめるものが多いので、興味がある人はぜひ。

2015年9月19日土曜日

9月18日 国会前の安保法制抗議集会

18日、仕事帰りに国会のデモに参加してきた。

参議院の特別委員会で行われた「強行採決」、というより「採決」があったとも言えない異常な事態が生じた17日、国会内のテレビ中継に交じって遠くから聞こえるデモの声を聞いたとき、みんな雨が降る中で頑張っているなと思った。明日は行こうと思わずにはいられなかった。

行ってよかったと思う。
少なくとも、自分と同じように今回の事態に怒っている人は多いのだなと認識できた。

平日のデモは、自分のように仕事帰りの人々や、小学生くらいの子供たち、子連れのお母さんたち、大学生、お年寄りなど、本当に様々な人がいて、いかに、この法案に反対する国民の裾野が広いことが分かる。

荷物をコインロッカーに預け、手ぶらだったのだが、「9条壊すな(青)/戦争させない(赤)」の紙が配られていて、それをもって、国会正門前に向かった。

しかし、すでに人々が溢れていて、自分は途中で立ち止まって、何度か、繰り返させる「コール」に声をあげた。

昨日のデモは、2つの団体によって統制されていて、ひとつは「総がかり行動実行委員会」、ひとつは「SEALDs」

「戦争法案絶対反対」
戦争法案今すぐ廃案
「安倍政権はただちに退陣」

といったスタンダードなコール。
いつも姿が見えず、凛とした女性の声だけが印象に残るのだが、調べたら、 菱山南帆子さんという方だった。



一方、SEALDsのコール(奥田さん)は対照的で、アジテーター的な雰囲気が漂う。

「ア・ベ・ハ・ヤ・メ・ロ」
「勝手に決めるな」
「国民なめんな」
「賛成議員を落選させよう」


と生々しい。


 抗議集会では、作家の島田雅彦、慶応大学の金子教授、学者会、ママさん代表の方、一昨日、横浜の公聴会で意見を述べた2人の公述人 広渡清吾氏、水上貴央氏も参加していた。

本来であれば、公述された内容はその後の審議や採決で適切に参酌されなければならないのだが、議事録にも記載されず、特別委員会は質疑を打ち切った。
明らかに形だけの公聴会だろう。

今日の参議院本会議 安保法案の審議で民主党の福山氏も述べていたが、今回の安保法案の法制化のプロセスが、最初から最後まで、ルール違反、手続き無視で行われたことの証明だろう。

しかし、今日、国会に行って感じたのだが、この反・戦争法案で芽生えた、今まで受け身一辺倒と思われた日本国民の政治に対する意識の変化は、今後も止まらないだろう。

そこに、明るい希望を感じる。

おかしい事は、おかしいという。
立憲主義という言葉が高校生の口から飛び出す。
普通の人がデモに参加して、声をあげる。
大体、私自身、本来、デモなんかに参加する人間ではないのだ。

SEALDsのコールに、

「民主主義ってなんだ?」

「これだ!」

という応答がある。

これは、意外と今回の国民の意識の変化の流れを象徴的に示したものなのかもしれない。

*つい先ほど、安保法案が参議院で可決・成立した。

2015年9月15日火曜日

安保法案を巡るさまざまな動き

驚いたことに、自民・公明の与党と野党3党が今日になって、安保法案の修正合意をしたという。

http://mainichi.jp/select/news/20150916k0000m010089000c.html

ただ、野党といっても、「次世代の党」(議員数7名)、「日本を元気にする会」(議員数5名)、「新党改革」(なんと1名)という弱小野党で、修正合意というのも、法案を修正するのではなく、野党3党が主張する修正案を尊重するという国会の付帯決議と閣議決定をするだけのものらしい。

そんな拘束力のない合意が「修正」と呼べるものなのか、甚だ疑問だが、与党側が、「強行採決」と言われる事態を、極力薄めたいという意思が感じられる。
あいかわらず姑息なやり方だ。

問題の修正の内容だが、 これが、いかにも中途半端な内容になっている。


図で分かる通り、日本が直接攻撃を受けていない事態(存立危機事態など)に、例外なく、国会の事前承認を求めること、また、自衛隊派遣後も180日後に、派遣を継続するか、国会の承認を求めるなど、国会の関与を強める修正になっている。

しかし、今の自民・公明が過半数を維持している状況で、これが歯止めになるとは思えないし、第一、自衛隊を派遣したあと、国会が否決したので撤退しますなどと、同盟国に本当に言えるのかという疑問が生じる。

現場の自衛隊からすると、国会審議の行方では、派兵後、わずか半年で撤退させられる可能性もあるということを考えて活動するということになるのだろう。
私が自衛隊員だったら、こんな不安定な制約を付けて腰の据わった活動などできるか、と言いたいところだ。

自民党も、よくも、こんな中途半端な修正を飲んだものだと思う。
信念がないに等しい。

この安保法案の最大の問題は、憲法違反の疑いが濃厚ということだが、その点については、この修正合意では触れられていない。
もっとも、触れていたら、修正合意などあり得ないと思うが。

一方、国会では、中央公聴会が開かれ、野党推薦の4人(SEALDsの奥田さんも参加)が反対の意意見を、与党推薦の2人が賛成の意見を述べた。

http://mainichi.jp/select/news/20150916k0000m010084000c.html

小林節さん(慶応大教授)の
国の雇われマダムにすぎない政治家たちが、憲法を無視するということは、今後、何でもできる独裁政治の始まり。我々が常々おかしいと批判している北朝鮮と同じ体制」
の言葉と、

SEALDsの奥田さんの
「私たちは決して今の政治家の発言や態度を忘れません」
という言葉が印象に残った。

そして、国会前では、連日、多くの人々が、安保関連法案の反対デモを行っている。

http://mainichi.jp/select/news/20150916k0000m040130000c.html

そんな中、与党は、明日16日にも参議院平和安全法制特別委員会で締めくくりの質疑を行い、同委員会で16日もしくは17日に強行採決を行い、週内に法案成立を図ることを決めたらしい。

国民の半数以上が望んでいない法案を、何のために、誰のためにという疑問が改めて心に浮かぶ。

アメリカのため、安倍の私的な感情に基づいた政治目標の達成のため、といったところだろうか。

2015年9月6日日曜日

NHKスペシャル 巨大災害 MEGA DISASTER Ⅱ 日本に迫る脅威 第2集 大避難 ~命をつなぐシナリオ~


地球温暖化のせいなのか、年々、台風が最強となる地点が北上しつつあり、このままでいくと、東京に、2013年にフィリピンを襲った風速80m以上の勢力を持つスーパー台風が上陸する可能性が高くなっているという。

もし、スーパー台風が東京に上陸した場合、発生した高潮により、荒川と江戸川にはさまれた江戸川区、葛飾区と足立区は、海抜ゼロメートルの地域にあることから、3mの高潮が襲った場合、ほとんどが床上浸水の被害にあうという。

しかし、従来の避難勧告のタイミングで避難しても、道路の渋滞や駅の混雑などで思うように避難は進まず、かつ、氾濫した川から逃れる高所も限られていることから、多くの人が逃げ遅れ、被害に遭う恐れがあるという。

番組では、サイクロンに襲われたアメリカの都市の避難計画を参考に、従来よりも極端に早い上陸の3日前からの避難が有効であることが述べられていた。

最初は、要介護者、一人住まいの高齢者など、最も逃げ遅れる危険性がある人から移動させ、車も街に繋がる道路は外に出る方向の一方通行に規制し、 鉄道やバスもラッシュアワー時並みにフル稼働させ、人を外に運び出す。

そうすれば、何とか、高所に逃げる人も溢れることなく、大多数の人が助かるという避難計画だ。

しかし、3つの区から逃げた先はどうするのかとか、 ラッシュアワー時並みに公共交通機関を稼働させることが出来るのかなどは、まだ検討段階なのだという。

日本には、地域ごとの災害対策という思想中心で、広域災害対策という概念はまだ根付いていないらしい。

以上が番組の前半で、後半では、南海トラフに襲われた際の避難について取り上げられていた。

南海トラフ大地震が起きた際、静岡県焼津市には、最速5~6分程度で津波が街を襲うらしい。
地震が起きても、すぐには避難できない。揺れが収まるのに4分。
そこからわずか2分しかないのに、どうやって、市が指定する避難所に逃げることが出来るか。

焼津市では津波タワーという建物を各所に建設などしているのだが、足が悪いお年寄りなどは、500m以上離れた避難所に、たった2分の時間では到底たどり着けない。

番組では、大学教授と地元の高校生が協力し、どうすれば、逃げ遅れる人々を救うことができるか、検討していたが、一つの有効な代替策としては、市の指定する避難所に拘らず、身近にある3階建て以上の鉄筋コンクリートの建物に逃げるのが有効であることが説明されていた。

これは、東日本大震災で倒壊せずに残った建物を割り出した結果、3階建て以上の鉄筋コンクリートの建物であれば、ある程度の安全性があるということが分かったということだった。

津波が来たら自分は死ぬしかない。

そんな思い込みをしている高齢の人が、高校生のアドバイスで、災害時にどう生き残ることができるかの可能性を見出す姿は興味深かった。

http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150906