2017年4月17日月曜日

補陀洛/中上健次

私には、妹はいないが、自分が死んだ後に、こんな風に呼びかけてくれる妹がいたら、やっぱり、うれしいでしょうね。
兄(にい)やん、兄やん、ふみこはここにおるでえ。
兄やんとよう熊野の川で泳いだねえ。
母さんの子供みんなで、春に、三輪崎の海岸へ、弁当たべにいったねえ。
兄やん、兄やん、わたしは兄やんの魂に呼びかける。
悲しいというより兄やんにそうやってたら会えるかもしれんというわたしの楽しみみたいなものや。
中上健次と父が違う姉の独白。

複雑な家庭環境。

中上健次と父が違う兄(姉と父が同じ兄)は、二十四で自殺してしまった。

でも、あったかい。こういう言葉で語られる思い出は。
どんなに、その時がつらくても、悲しくても、何かいい思い出であったかのように変化してしまう気がする。

2017年4月16日日曜日

自由の秩序 - リベラリズムの法哲学講義 - /井上達夫

法哲学を専門としている井上達夫教授の講義が収められている。

しかし、構成が非常にユニークだ。

まず、冒頭、「市民アカデメイア」という団体の運営委員長から聴講者に対する「講義案内」が掲載されており、最後の方で、
因みに、井上氏から、「連続講義終了後の打ち上げコンパは大歓迎、酒盃片手の場外補講も辞さず」との申し出を事前にいただいております。
とある。

そして、講義の内容は、7日間に加え、場外補講の内容まで盛り込まれていて、その場外補講では、ビアホールでの井上教授と聴講者の質疑応答になっている。
これを最初にさらっと読んだときは、へえ、本当に行ったんだと思った。
しかし、「市民アカデメイア」などという団体は、ネットで検索しても該当しない。

疑問に思いながらも、7日目と場外補講に収められている聴講者との激しい質疑応答を読み進めていくうち、実は架空の設定ではないかと思い立ち、あとがきを読んでみると、案の定、「市民アカデメイア」も、攻撃的な質問をする聴講者も、架空の存在であるということが書いてあった。

井上教授の講義の中で、実際、どこまで、こういう質問をした学生あるいは聴講者がいたのかは不明だが、仮にこれが全部フィクションだったとしても、こういう自分を攻撃するような嫌な質問をする他者を想像して、これと会話して説得を試みようとする井上教授の気力がすごい。

講義内容も、とても興味深い。ちょっと書き出してみよう。

第1日 アルバニアは英国より自由か
・講義の意味
・自由と秩序ではなく、何故、自由の秩序なのか
・アルバニアは英国より自由か

第2日 自由の秩序性と両義性
・秩序と自由は相反するものではなく、両立可能
・むしろ、一定の秩序こそが自由を可能にするという結合関係にある
・自由な社会とは「より少なく秩序づけられた社会」ではなく、「よく秩序付けられた社会」である

第3日 自由概念の袋小路
・自由概念の錯綜
・自由概念ではなく、秩序の側から考えてみる
・法概念のトゥリアーデ(三幅対)

第4日 秩序のトゥリアーデ 国家・市場・共同体
・国家の最低条件
 ①暴力の集中、②暴力行使の合法性認定権の独占、③最小限の保護サービスの分配
・IS(イスラム国)と国家の違い
・近代社会契約説、市場アナキズム、共同体アナキズム

第5日 専制のトゥリアーデ 全体主義的専制・資本主義的専制・共同体主義的専制
・国家の全体主義的専制 ナチズム、スターリニズム、毛沢東主義
・資本主義的専制 ビル・ゲイツ、マードックに代表される独占資本家
・共同体主義的専制 現代日本に見られる会社主義、特殊権益の中間共同体の跋扈

第6日 自由の秩序の相対性と普遍性
・国家・市場・共同体という競合する秩序形成原理が総合に抑制し均衡を図る
・ 秩序のトゥリアーデ
・日本には中間共同体のインフォーマルな社会権力や組織的政治圧力に対して強い「法治国家」が必要

第7日 世界秩序をめぐる討議
・主権と人権は表裏一体
・EUがヨーロッパの平和と繁栄を築いてきたという幻想
・イギリスのEU離脱、問題の本質は英国にあるのではなくEUに

場外補講 リベラリズムにおける自由と正義の位置
・自由ではなく正義こそがリベラリズムの根本理念
・普遍主義的正義理念 ナチのユダヤ人迫害の反転可能性
・ロールズの正義構想への批判

井上教授の文章は、とにかく、難解な単語が多いが、我慢づよく読んでいると次第に慣れてくる。
久々に、頭を使った。

変な話だが、この本を読んでいると、本当に井上教授の難解な講義を聞き、疲れた頭で最終日に打ち上げに行ったような気分になった。

https://www.iwanami.co.jp/book/b281723.html


ちなみに、本書で取り上げている、宗教を廃止したと言われている「アルバニア共和国」。
初めて名前を聞いたので、調べてみると、かなり変わった国のようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%8B%E3%82%A2

http://futarifurari.blog.fc2.com/blog-category-89.html

2017年4月9日日曜日

岬/中上健次

実に複雑な家族関係だ。

主人公 秋幸は、実母と義父が暮らす家の離れに住み、歩いて十分とかからない距離に住む中姉 美恵の夫 実弘が親方をしている組の土方作業を仕事にしている。

同じく土方を仕事にしている義父にも、 秋幸より二つ年上の連れ子 文昭がいて、義父とその子、母と秋幸が同じ家に暮らしている。

中姉 美恵と母は同じだが、やはり、父(すでに他界)は異なっている。

秋幸の実父は、土方請負師でもないのに、乗馬ズボンをはき、サングラスをかけた、獅子鼻で、体だけやたら大きく見える男であり、山林地主から土地を巻き上げたと噂されるような男だ。
秋幸の母以外にも、二人の女に子供(秋幸にとっては異母弟妹)を産ませており、うち、一人は女郎の娘であり、新地(売春街)で働いている。

秋幸の仕事仲間には、美恵の夫 実弘の妹で浮気性の光子の夫 安雄がいたが、ある日、安雄が実弘の兄 古市を刺し殺す事件が起きる。(事件の原因は光子が安雄をそそのかして、兄妹仲が悪い古市を殺した風に描かれている)

その事件に衝撃を受けた姉 美恵が、精神的におかしくなってしまう。
亡き父の法事を機に戻った長姉 芳子もいる中、子供に戻ったように、母を求め、仕草も子供じみたものになる。

その半分だけ血のつながった姉二人と秋幸が、昔よく行った岬に弁当を持って墓参りに行く場面の情景が、この小説の中で一番美しい。

子どものようになった姉 美恵の狂気を岬の明るい光が優しく包み込んでいる。

しかし、美恵が突発的に自殺を図るようになり、ますます息苦しくなった空気から逃げるように秋幸が向かったのは、秋幸の実父が女郎に産ませた娘(秋幸の異母妹)が働く新地の店だった。

中上健次の小説には、もし、現実だとしたら、私にとって、とても受け入れることができない前近代的な要素がいっぱい詰まっている。その大半は日本から消え去ってしまったものだし、これからも消えていくべきものだと思う。

なのに、何故これほど強く惹かれてしまうのだろうか。