2014年3月27日木曜日

LUPIN the Third ~峰不二子という女~

宮崎駿が作品から手を引いたことや、声優の山田康雄や納谷悟朗が死んでしまったこともあるのだろうが、カリオストロの城を頂点に、新しい作品が生まれるたびに次第に質が落ちていくような印象がある「ルパン三世」だが、そんな流れの中で、この「LUPIN the Third ~峰不二子という女~ 」は、かなり健闘した作品ではないかと思う。

善良な雰囲気が漂っているルパン一味ではなく、1stシーズンの当初の作品にはあった、危険な、どこか信用ならないアダルトな雰囲気。

オープニングとエンディングの映像と音楽がいい。





オープニングのちょっと癖のある低い声の独白は、橋本一子だった。

2014年3月26日水曜日

EPOの歌

大学時代、EPO姉さんの歌をよく聞いていたような気がする。

山下達郎のカバー DOWN TOWNが有名なところだが、あまり、そういう昔の曲は聴かず、一番よく聴いていたアルバムが、「FREE STYLE」とか、「スーパーナチュラル」。

その後、リスナーとしては離れてしまったのだが、EPOの曲をなにかの折に耳にすると、やはり懐かしい。

この歌も好きです。



ひとりで夜汽車に乗って~♪♪

なんか、今の時期に聴くといいですよね。

私の場合、聞いた瞬間、これ、この人の作品だろうとすぐに分かるぐらい、個性の強いアーティストが好きなのですが、考えてみると、EPO姉さんもそうですね。

たとえば、これ。
聴いて一発でわかりました。


♪♪あなたって、不思議だわ~ あなたっていくつなの?~

このストレートな感触。すごく好きです。

ちなみに、Supérieur(シュペリエル)は、フランス語で「上級な、優れた」という意味。

2014年3月25日火曜日

安西水丸さんの死

安西水丸さんが、鎌倉市の自宅で執筆中に倒れ、脳出血のために亡くなられたという。
享年71歳。

あの軽いブリキのおもちゃのような温かみがある絵。
でも、決して安っぽくなくて品がありましたね。

村上春樹の軽く楽しいエッセイの雰囲気と実に合っていました。

http://www.tis-home.com/mizumaru-anzai

そして、なんといっても、村上春樹の似顔絵である。
今のように、あまり本人の露出がなかったころ、私の中の村上春樹のイメージは、まさにこれでした。

このほのぼのとした絵で、村上春樹はどれだけ得をしたことだろう。

安西水丸さんの生地、千葉県千倉にも、村上春樹のエッセイがきっかけだったろうか、一度訪れたことがあって、穏やかな海と静かな街並み、猫が多いのが印象に残っています。
水丸さんの絵が持つ清潔感と温かみが感じられたなぁ。

亡くなって、その存在の大きさが分かる。そんな人ですね。

2014年3月16日日曜日

NHKスペシャル メルトダウン 放射能"大量放出"の真相

福島原発事故で起きた放射能の大量放出の謎に迫った番組
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0316/index.html

ポイントは3つあった。

一つ目は、継続的に大量の放射能放出が起きていたのは、水素爆発を起こした1号機と3号機ではなく、爆発を起こさなかった2号機という事実。

2号機は、メルトダウンの熱で高まる格納容器の圧力を逃がすためのベントがまったくできない状態が続いた。

ベントを行うための空気ボンベが故障していたため、予備のボンベを使い、ベントを行おうとしたが、2重に仕切られていた原子炉建屋内に高濃度の放射能が溢れ、建屋内の作業がすでにできなくなっていた。

原因は、安全装置であるはずのRCIC(非常用の冷却装置)から、格納容器内の蒸気が漏れた可能性が考えられるとのことだった。(実験では、使用されていたものと同じ型の冷却装置で勢いよく、装置のつなぎ目から蒸気が噴き出していた)

RCICは、高い圧力に耐えられる設計になっていなかったらしい(久々に聞いた”想定外”の言葉)

そして、作業員たちは何もできず、2号機の格納容器の圧力が高まりついに破れ、建屋から湯気が立ち上り大量放出に至った。

二つ目は格納容器がどのように破壊されたかということ。
堅牢な作りの格納容器が何故破れたのかを専門家が検証したところ、
溶けた核燃料が格納容器の壁近くに接近し、その輻射熱の影響で壁が曲がり、破れたのではないかという可能性があることが分かった。
ここでも、その壁が、そのような高熱にさらされるということは”想定外”だったらしい。

三つ目は、原発近くにあるモニタリングポストの記録。
信じられない話だが、その記録は3年間眠っていた(つまり放っとかれていた)

そのモニタリングポストでは地震発生後3日間の放射線量が観測されていたのだが、1号機のベント直後に、高濃度の放射線量が観測されていたことが分かった。

ベントはそもそも格納容器の破壊を防ぐための圧力を抜く(外に放出する)作業のことだが、
事故当時の東電の説明では、ベントで放出される蒸気は安全なレベルまで放射性物質が取り除かれたものであるというものだった。
サプチャンと言われる水槽が、高熱の蒸気を一瞬で冷やし、その際、蒸気に含まれる放射性物質を水に取り込むという仕組みらしい。

では、なぜ、その水による浄化が機能しなかったのか?
番組では、別の配管から漏れ出ていた蒸気のせいでサプチャンの上部の水温が高くなっていたのではないかという可能性を指摘している。 
海外の施設でシミュレーションした結果、サプチャンと言われる水槽の水温が高い場合、放射性物質の低減化が0.1%から50%にまで落ちることが分かった。

なお、このベントの問題点に対する対策を、NHKが、福島原発と同じ原子炉を使う電力会社に確認したところ、一部の電力会社では、回答を見合わせたり、具体的な対応について答えないところもあった。

以上が番組の概要。

結局のところ、3年経った今でも、未解明の問題がまだまだあるということだ。

そして、当然のことだが、福島原発事故の検証も終わっていないから、これから再稼働に向けて動き出そうとしている他の地域の原発には、事故を防ぐための対策は完全に講じられていない。

2014年3月9日日曜日

ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図 ~福島原発事故から3年~

番組では、放射線測定の第一人者 岡野眞治博士が車に積んだ放射線測定器で、福島県各地の道路を走り、放射能を計測した結果、福島原発事故から3年たち、全般的には放射線量は半分近くに減ってきたことが分かったが、一部にはまだ高い線量の場所が残っていることが明らかにされている。

この岡野博士は、ビキニ環礁、チェルノブイリの放射能汚染を計測してきた研究者らしいが、事故から3年たち、避難解除になった地域に人々が戻るこれからの方が放射能被曝のリスクが高まるというこを述べていた。
安心するな、手を抜くなという言葉が印象的だった。

放射能は、一定のエリア内で均一という訳ではなく、事故後、水・風・人を含めた動物の移動で、その分布は複雑にまだらになっているらしい。
実際、番組では、10㎡の土地の土を採取すると、30㎝横の土を掘っただけで、3~4倍濃いところが存在していることが分かった結果が紹介されていた。

同じことは海の中でも起きているようで、しかも、こちらは3年たったのに放射能の線量の低減が進んでおらず、今も海に汚染水が漏れ続けている可能性が指摘されていた(1日に100億ベクレルも)。海水で全般的には拡散しているが、やはり海底の局所局所で堆積し、濃度が非常に高いところがあるという。
こういった海の汚染が人体に与える影響については、まだ解明の途中とのこと。

事故はまだ収束していないし、放射能の被曝リスクとの戦いも終わったわけではない。
その厳しい現実を分からせてくれた番組だった。

ネットワークでつくる放射能汚染地図-福島原発事故から3年-1

ネットワークでつくる放射能汚染地図-福島原発事故から3年-2

2014年3月8日土曜日

フラニーとズーイ Franny and Zooey /J.D.サリンジャー 村上春樹 訳

J.D.サリンジャーの「フラニーとゾーイー」は、学生のころに、野崎孝訳の文庫本をよく持ち歩いて、電車の中や退屈な授業のときに読んでいた覚えがある。

なぜ、この小説に惹かれたのだろう。

学校とその雰囲気になじめず、まともな社会生活から離れて神とか真理に傾倒するフラニーに共感する部分があったのかもしれないし、その妹の精神的危機を、饒舌な機知に富んだ話し方で助けようとしたゾーイーに対する憧れもあったのかもしれない。

とにかく、多少大人になってからの自分の気持ちのコアな部分に、初めて近接してきた小説だったので、今回、村上春樹の新訳が出るというので、これは買わずにはいられなかった。

村上春樹は、サリンジャー戦記で、「フラニーとゾーイー」を関西弁で訳したいとコメントしていたのを覚えていたので、まず、それが気になったが、やはり標準語だった(若干残念)。

今回も、村上春樹の新約の読み方は、レイモンド・チャンドラーの新訳を読むときの方法と同じだった。

 1.まず、最初に自分が好きなパートの文章を読み、若干の違和感を覚える。
 2.次に、その文章を原文と突き合わせて確かめてみる。
 3.そして、村上春樹の新約で物語をとおして読む(気になった部分があれば2を行う)。

1.の若干の違和感を覚えるのは、好きな文章であればあるほど、新訳を読むときには起こりがちで、その理由は、前の訳文が記憶に定着してしまっているからだろう。

私の場合、「ゾーイー」では以下の部分だった。

野崎訳
「葉巻は安定剤なんだよ、カワイコちゃん。安定剤以外の何物でもないんだ。もしも葉巻につかまらなければ、あいつ、足が地面から離れてしまう。ぼくたちはわれらがゾーイーに二度と会えなくなっちゃうぜ」
グラース家には、経験を積んだ言葉の曲芸飛行家が何人もいたけれど、今のこういう科白を電話での話の中にうまく持ち込む腕前を持っているのはおそらくゾーイーだけだったろう。 
村上訳
 「葉巻は彼のバラストのようなものなんだよ、スイートハート。安定のためのただの重しだ。葉巻を手にしていないと、身体が宙に浮かび上がってしまうんだ。そうなったら、僕らは二度ともうズーイくんを見られなくなってしまう」
グラス家には言葉の曲芸飛行に長けた子供たちが何人もいる。しかしこの最後の台詞を電話口でさらりと口にできるほどその芸に熟達した人物は、ズーイの他にはまずいない。
この部分は、「ゾーイー」で一番好きな部分だったのだが、やはり二人の訳は肌ざわり感が全然違う。初めて読んだときは、なんとなく野崎訳のほうがゾーイー/ズーイの饒舌っぽさの雰囲気が伝わってくる。

まず、村上訳の「バラスト」という言葉が引っかかる。うーんという感じになり、上記で述べた2のステップ――原文を読んでみるとこんな文章だった。

原文
“The cigars are ballast, sweetheart. Sheer ballast. If he didn’t have a cigar to hold on to, his feet would leave the ground. We’d never see our Zooey again.”
There were several experienced verbal stunt pilots in the Glass family, but this last little remark perhaps Zooey alone was coordinated well enough to bring in safely over a telephone.
バラストには「気球の砂袋」という意味の他、「心に安定をもたらすもの」という意味がある。野崎訳では後者の意味をとり、村上訳では「気球の砂袋」の意味合いも感じられる。サリンジャーとしては両方の意味合いを持たせているということを考え、村上訳では、あえて「バラスト」にしたのかもしれませんね。

次に「スイートハート」だ。“sweetheart”って、辞書では「恋人」とか、「いとしい人」という意味。そういう意味では、村上訳のほうが原文に忠実だ。野崎訳の「カワイコちゃん」では、ちょっと軽すぎる。

次に、3の作業に移り、作品全体を読み進めていくと、村上訳のよさが段々と分かってきた。
何より素晴らしいのは、ズーイがお風呂上がりなのに、汗びっしょりになりながらフラニーに語りかける(説得といってもいいかも)ところ。この独白のテンポの良さは、読んでいて実に気持ちいい。
ズーイが必死になって彼なりに妹を救おうとする気持ちが伝わってくる。

村上訳を読んで改めて思ったのは、「フラニーとズーイ」は家族小説なのだ。
登場人物は、グラス家の七人兄弟の下から二人の兄妹である表題の二人と、その母親であるベッシーで、その三人のやりとりをナレーションしている次男のバディーの四人だけ。

ズーイは多少ウザったい気持ちで母親のベッシーと話をしながら、精神的に袋小路に入り込んでしまったフラニーのことを考え、フラニーは、かなりウザったい気持ちでズーイの話に耳を貸す。

しかし、三人の間に暖かい情愛が流れているのは伝わってくる。特にフラニーとズーイは、自殺した長兄のシーモアと世捨て人のような次男のバディーに薫陶を受けてしまった精神的な畸形児としての共感が。

フラニーのお祈り、東洋哲学、俳句、キリスト、太ったおばさんの話は、学生時代にとても惹かれた部分でもあったが、今回の新訳では、むしろ家族の愛情のほうが印象に残った。
これは自分が年をとったからなのか、新訳のせいなのかは分からないが。

以下で、村上春樹の解説全文が読める。(本に付いていた別刷りは簡略版)
https://www.shinchosha.co.jp/fz/

2014年3月2日日曜日

ATOMIC BOX アトミック・ボックス/池澤夏樹

池澤夏樹の最近の小説は、読んでいて、とても刺激的だ。
日本の今を、タブーを捉えようとしている。
(おそらく、読売新聞の書評欄では、まず取り上げない一冊だと思う)

題名は、一瞬、原子爆弾(ATOMIC BOMB)のようにも見えたが、原子力の箱。

それは、主人公の美汐(みしお)が、癌で死にゆく父から託された国家秘密。
かつて、美汐の父は、国産の原爆を作るプロジェクトに関与していて、国家から自分の生命を保障するため原爆製造の事実を裏付ける開発データを密かに保有していたのだ。

そして、父の死後、彼をずっと監視していた公安警察は、直ちにそのデータを回収するが、コピーが作られていた事実を知り、美汐と母に対する追求を強めようとする。

一方、そのコピーが収められたCD-ROMを持つ美汐は、父が自分に託したものが何なのかを知るため、警察から逃げることを決断する。

美汐は、自分の体力と知恵と友人たちの力を借りて、優秀な警察組織の追跡をぎりぎりのところで逃れていく。

最初の逃亡は、自力の遠泳で、辿り着いた瀬戸内海の島々から本島へは、女友達、村上水軍(海賊)の子孫たち、元カレ、父の友人だった新聞記者とその家族の力を借りて。
みんな、警察より、自分と付き合いのある美汐を信用しているところが良い。

美汐とその友人対警察との頭脳戦。その妥協のない逃げ切り方がすごい。

美汐は逃亡の途中で、父が託したものを知り、真相を知るため、かつて、原爆開発プロジェクトの中枢にいた、今は保守系の黒幕と言われる人物に会うため、東京へ向かう。
そして、衝撃の事実が判明する。

以上が、大体のあらすじだ。

まず、物語の設定にリアリティがある。

日本が国際社会に対して、「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」という非核三原則を国際社会に表明していた裏で、核兵器を積んだ米艦船の日本寄港を認めていたアメリカとの密約があった(2009年の民主党政権下で時の岡田外務大臣が明らかにした)ぐらいだから、原子爆弾を国産で作る計画というのも、ひょっとしたら、と思わせるものがある。

また、日本があれだけコストとリスクが高い原子力発電を国策として維持し続ける理由も、いざというときに、発電用のプルトニウム燃料を使って、原爆を作ることができる体制を持っておきたいという理由があるからだという憶測を考えれば、本当にこのような計画は実在していたのかもしれない。
(関連図書:「原子力 その隠蔽された真実/ステファニー・クック」

そして、この小説はそれ以上に今の日本が直面している問題、3.11の福島原発事故と放射能の恐怖、日米同盟、核の抑止力、安全保障、国益、隣国への侮蔑(最近の週刊誌の見出しは異常)、特定秘密の保護まで触れられている。

私が特に考えさせられたのは、国家秘密の問題だ。
国のため、国益といいつつ、国家の最高権力者と官僚が、国にとって都合が悪いと判断した事実は秘匿し、漏れそうになると、警察組織を使い、普通では気づかれない方法で、関係する事実、証拠、人々を抹消しようとする。

そんな事は戦時中の話ではないかと思うかもしれないが、今の日本の状況下で、この物語を読んでいると、そんな悪夢が、もっと無様な形で無慈悲に起こりうるような気がしてならない。

この物語の場合、美汐が最後に対決した保守系の大物政治家には、美汐の命がけの主張を受け入れ、倫理的な負けを認める人間的な度量があった。

だから、この物語には救いがある。

果たして、同じ状況下で、今の日本の総理大臣だとしたら、美汐の主張を受け入れることはできただろうか。