2021年7月25日日曜日

ものぐさ精神分析/岸田 秀

私がこの本をおそらく高校生時分に読んだのは、橋本治の「桃尻娘」に引用されていた本だったからではないかと思う。
今、読み返すと、全く記憶がない章があったし、これは高校生には理解できないだろうというテーマもあった。

ただ、この本を読んで、これはすごい本だという記憶は確かにあった。当時は、ろくな本を読んでいなかったと思うが、それでも、この容赦のないほどの論旨の明快さが心に突き刺さったのだと思う。

今こうして、この本を久々に再読すると、岸田秀が唱えている唯幻論のほとんどのテーマ(歴史、性、人間、自己)が網羅されており、この一冊を読めば、彼の主張は理解できる内容になっていることに驚いた。
処女作にして、すでに彼の唯幻論は、ほぼ完成していたことを証明している。出し惜しみもない。

個人的には、「自己嫌悪の効用」が特に強烈である。自己嫌悪の原理を分かりやすい言葉で説明するその一文に、醜い自分の姿が鏡に映し出されたような気分を覚える。
こういう恐ろしい読書体験はめったにない。


2021年7月11日日曜日

高校生からのフロイト漫画講座/コリンヌ・マイエール=作 アンヌ・シモン=画 岸田秀=訳

精神分析の創始者であるジークムント・フロイトの生涯を漫画で描いているのだが、よくできていて、彼が精神分析で唱えた無意識の存在(錯誤行為、夢、エス・自我・超自我の三層論)や神経症の原因(抑圧、リビドー、エディプス・コンプレックスなどの理論)が、奇妙かつ少し不気味で大胆な図柄で分かりやすく説明されている。

巻末の訳者である岸田秀の小文が分かりやすい。
フロイトが生まれたのは1856年。ユダヤ人として生まれた。
当時のヨーロッパはビクトリア時代の最盛期で、ビクトリア時代とは、分かりやすく言えば、理性の時代だった。

自分を理性で律することが求められ、理性に反すると思われる性の衝動や感情や欲望を非難し、自分の中のそういう衝動の存在まで否定することを強いられる時代だった。そして、ヨーロッパを覆っていたキリスト教もセックスを罪悪として捉える宗教だった。

要するに人間らしい感情を否定し、紳士淑女を気取らなければならない非常に窮屈な時代だった。

その抑圧によって神経症を発した様々な患者の話を聞くうちに、フロイトの精神分析論は発達したということが説明されている。

そして、フロイトが神経症の原因に気づいたのは、彼の才能だけでなく、彼が差別される側のユダヤ人であったことも影響していたのではないかと述べている(差別者の醜い面は非被差別者には丸見え)。

フロイトの理論は常識的なことばかりで、ほとんど民衆の知恵や箴言(例えば、性格形成における幼年期の重要性は、「三つ子の魂百まで」)で説明できるという指摘も面白い。

しかし、岸田秀自身が自らの強迫神経症と鬱病と幻覚の治療のため、フロイトの著書を読み漁ったように、フロイト理論は、生活の知恵として知っておいて損はないものなのかもしれない。

漫画の最後は、フロイトの以下のような言葉で締められているが、精神分析の本にありがちな暗い印象がないというのも本書の特徴と言えると思う。

精神分析の戦いとは、欲望を開放すること
そして、理解しようとすること
もちろん、これらはすべて喜びなのだ
私の名、フロイトは「喜び」という意味だ。忘れないで! 

 

2021年7月4日日曜日

嘘だらけのヨーロッパ製世界史/岸田秀

マーティン・バナールの著書「黒いアテナ」は、ヨーロッパ人がヨーロッパ文明の源流であると思っていたギリシア文明が、実はエジプト文明やフェニキア文明から派生したものであるという説を述べているらしく、様々な批判があったらしい。

本書は、そのバナールの主張に対する批判を一つ一つ紹介し、検証しているのだが、岸田秀の考える古代エジプト人は黒人だったという説や、白人は黒人に差別され、追い出された種であるという説、その追い出され、恨みを持ったヨーロッパ人の思想を押し付けられた日本が大日本帝国を作り上げたことを取り上げたことなどを取り上げており、本のタイトルとはほとんど関係ない考えが脱線気味に述べられている。

本書で一番面白かったのは、大日本帝国がかつて理念として掲げていた「欧米諸国による植民地主義からのアジアの解放」という理念を、今は中国や北朝鮮が引き継いでいるのではないかと述べているところだ。

かつて、日本は「アジア解放」の理念を共有する同志を、中国や朝鮮に求めたが、理解されず、彼らを頼むに足らずとみなしていたが、今は全く逆の立場で、中国や北朝鮮が、あれだけ「アジア解放」を主張していた日本が、敗戦後、米国の子分となり、アメリカ的享楽生活にうつつを抜かしていると見ているのではないかという指摘だ。

この本は、2007年に書かれたものだが、現在の中国の立場は、まさに欧米諸国から総スカンを食らっており、この本で指摘しているような対立が実際に起きていることが面白い。
個人的には、香港や新疆ウイグル自治区における人権弾圧の実態を見るかぎり、それは中国が悪いのだという思いが強いのだが、作者が指摘しているような欧米諸国によるアジア叩きという側面も感じる部分はある。
(本書で、米国は日本と中国が同盟関係を結ぶことを最も恐れているという指摘は、たぶん本当だろう。田中角栄はそれで失脚したという説があるぐらいだ)

また、日米戦争について、東京裁判で日本は全面的に悪くアメリカが絶対的に正しかったということを、アメリカは躍起になって証明しようとしていた点を指摘し、

歴史は長い目で見なければならない。日米の道義戦争は、最終的勝負はまだ決まってないのだから。軍事の勝敗は、たかだか当面の利得損失の問題でしかないが、道義の勝敗は、百年先、千年先まで響く国家存立の精神的価値の根拠に関わる問題なのだから。

と述べているのも興味深かった。(日米の戦争が終わっていないなんて、今の日本で誰がそんなことを想起するだろう)