2021年11月14日日曜日

献灯使/多和田葉子

主人公は、無名(むめい)という少年。その無名を育てているのは、義郎という無名の曽祖父(ひい爺さん)だ。

無名は、立ったり、歩くことが困難で、パンを食べるのも口の中で出血してしまうほど、脆弱な体になっており、常に微熱をかかえている。これは無名だけではなく、この世代の子供たちすべてがそのような存在になっている。そして、反対に老人は元気な体を維持し、六十代は若者の部類になっている。

義郎と無名が住む東京は基準値(おそらく放射能)を超えた危険地域に指定され、住人は減少している。土壌が多量の有害物質に汚染され、野生動物もほとんどいない。

おまけにこの世界では日本を含めて各国が鎖国しているから、果物や農作物は、沖縄や四国、北海道でしか取れず地産地消しているため、蜜柑すら東京には滅多に回ってこない。オレンジは一個一万円。移住も容易には認められていない。

義郎には、妻の鞠華と娘の天南(あまな)がいたが、妻は別居して孤児をひきとる施設の院長に、娘は沖縄に移住してしまった。

孫の飛藻(とも)は、ギャンブル依存症で病院に入院していたが脱走して行方不明になり、その妻は無名を出産して死んでしまった。出産に立ち会ったのは義郎だけ。彼が無名を引き取らざるを得なかった。

タイトルの「献灯使」は、鎖国主義に逆らって、外国に性格的な欠陥がない優秀な若い人(献灯使)を送り出すプロジェクトからきている。義郎の妻の鞠華は、無名にその素質があることを見抜くが、彼の健康状態を考えて通常通りの生活をさせてあげたいと願う。しかし、無名の担任教師が彼を「献灯使」に推薦したいという話をもちかけてくる..という物語だ。

東北・関東地方が危険地域に指定され、農作物は北海道と西・南日本地域でしか収穫できず、日本は鎖国状態になってしまう。そして、子供たちの健康が脅かされる世界。

2011年の原発事故直後に読んだら、明らかにそれを意識したディストピアな未来小説だとしか、思わなかったかもしれない。

しかし、この物語は、工業製品を安価で競うグローバルビジネスが立ち行かなくなった時に、日本には何が残るのかという、気候変動問題やアフターコロナ後にも共通する根本的な指摘を投げかけているような気がする。

作中、工業製品を安価で競うグローバルビジネスからいち早く降りた南アフリカとインドが、言語を輸出して経済を潤し、それ以外のものは輸出入しない方針をとり、世界の人気者となり、どんどん経済的に豊かになっていったが、日本には「輸出できるような言語がなかった」と書かれている。

ここでいう「輸出できるような言語」とは何なのだろう。ソフト・パワーのようなものなのか。だとすると、日本のソフト・パワーとは何なのだろう。そんな事を考えさせられた本だった。

2021年11月11日木曜日

瀬戸内寂聴さんの死

ついにその日が来たかというのが訃報に接しての感想だった。

朝日新聞に不定期に掲載される彼女のコラムを読んで、内容よりも、ああ、まだ元気に生きているという思いをもって、いつも、彼女の文章を楽しんでいた。

なぜ、彼女に惹かれていたのか、自分でもよく分からないが、この人は、出家をしながらも、とても女性らしい人だと感じていた。

それは女性としての、細やかな気配りというより、可愛らしさのほうが際立っていたように思う。

尼僧でありながら、女を捨てきれない、そういう業のようなもの、大きな矛盾がこの人の中には渦巻いていて、常にエネルギッシュだったことが、わたしにとって大きな魅力だったのかもしれない。

そういう大きな精神を、矛盾を感じさせる人がいなくなってしまったことは実にさびしいことだ。

2021年11月7日日曜日

犬婿入り/多和田葉子

これは、またユニークな小説だ。

学習塾「キタムラ塾」を開いている北村みつこという独り者の三十九歳の女性の家に、ある日、太郎という若い男が住み込む。料理や掃除をきちんとする一方、みつこの首や肛門を吸ったり、舐めたり、昼も夜もみつこと交わったり、みつこの体臭を1時間も嗅ぎ続けたりと、人並みの男ではない。

その太郎は、折田という父兄のかつての部下で、良子という女と結婚して家庭を持っていた過去があり、良子の話では大勢の野犬に咬まれてから、その性格が一変し、ある日突然失踪したということを知る。

みつこは、一方で学習塾に通っていた扶希子という、子供たちからいじめられている女の子を可愛がるようになるが、その扶希子の父親と太郎がゲイバーのようなところで付き合っているという噂を聞く。

ある日、太郎と扶希子の父親が駅で旅行鞄を持って旅立つ場面を見た折田が、みつこにその事を告げようとするが、みつこの家には誰もおらず、「キタムラ塾」が閉鎖されたという貼り紙だけが残っていた。そして、その翌日、みつこから折田に、扶希子を連れて夜逃げしたという電報が届く...という物語だ。

物語は謎めいてはいるが(特にみつこが何者かは分からない)、太郎の存在は、「犬」に置き換えると、おおよそは理解できる。犬は突然飼い主の家からいなくなり、よその家で飼われていたということは、おかしな話ではない。

扶希子という愛情を注ぐ自分の「子供」を持ったみつこが、飼い犬に興味を失くし、犬も飼い主の愛情を得られず、再び家を出るという結末も納得できる。

しかし、私は、この物語について、汚いものや性の猥雑さに学習塾の子供たちが敏感に反応し、好奇心を抑えきれない様子が生き生きと描かれているところが面白いと思った。無意識に、太郎が犬であることを見抜き、興味津々で見守る子供たちの視線というものが、この物語を民話のようにからっと明るい雰囲気に仕立てているような印象を受ける。

なお、みつこが語っていた犬婿の話は、本当に昔話としてあるようだ(今昔物語や南総里見八犬伝など)。

2021年11月6日土曜日

ペルソナ/多和田葉子

この物語は、多和田葉子の作品としては珍しく、割とストレートにテーマが語られている。

ドイツ・ハンブルクで弟 和男と暮らす道子。姉弟は2年間の予定でドイツで暮らしている。道子は、「ドイツに住みドイツ語で小説を書いているトルコ人の女性作家たち」について論文を書いており、和男はドイツの中世文学を研究している。

道子は、知り合いの韓国人の看護師セオンリョン・キムが、「東アジア人」だから表情がなく、何を考えているか分からないと噂され、胃を悪くして入院してしまったことをきっかけに、同じ表情のない自分の顔が周りに見られていることに不安を覚える。

「東アジア人」ではない、日本人の顔になるように化粧をしなければ、という強迫観念にかられるが、彼女の不安は消えず、本当の思っていることを言おうとすると、日本語が下手になっていくことを感じるようになる。

そんな彼女が知人の家で偶然出会った、深井の能面。

道子の視線を捕らえて、恨めしげににらみ返してきた顔があった。女性の顔があった。頬の肉が多少垂れ下がって見え、口が半ば開いていた。開いた口は、人に噛みつこうとしているようでもあり、疲労のあまり言葉を失ったようでもあった。

道子は、その深井の面を自分の顔に被せ、ある一つの顔から解放され、しかも、その仮面には、これまで言葉にできずにいたことが、表情となってはっきりと表れていることを感じ、その面をつけたまま、ハンブルグの街を歩く...という物語だ。

仮面(ペルソナ)をつけることで、本来の自分を表現するという行為は、ある意味、珍しいことではないのかもしれない。ただ、深井の能面を被ったという点は、ユニークというかある種の覚悟のような思いを感じる。

決して日本人である自分を否定するということではなく、自分の感情(ある種の悲哀のようなもの)を隠さないという点において。


(深井の能面)

2021年11月3日水曜日

光とゼラチンのライプチッヒ/多和田葉子

作者と思しき彼女は、ベルリンから東の都市 ライプチッヒに行こうとするのだが、そこで何をしようとしているのかが、この物語のキーポイントだ。

ある商品を販売しに行くらしいのだが、スパイも現れ、ガラス板の技術とゼラチンがからんでいるのではないかという話になる。

彼女はスパイに対して、こんなことを言う。

「ゼラチンの特色は、湿り方によって光を通す度合いが異なってくる事です。」

「私がゼラチンを塗ったガラス板に正面からぴったり体をくっつけて立つと、目や口のところは湿っているからゼラチンが変質して光を通し...」 

「でも私がガラス板に体をつけて立ったのでは商売にならないのです。女性の姿を印刷すると、車の広告や、雑誌の表紙を、どうしても思い出させてしまうので、使い古した感じになってしまうんですね。」

ガラス板が「本」「印刷物」という解釈だとすると、「私がガラス板に体をつけて立つ」という行為は、生の自分を写すという意味で私小説のような印象を与える。そして、ゼラチンは外国語と解釈すると、「光を通す」とは、言葉をガラスの向こうに伝えることだろう。

国境地帯で彼女は喉の渇きを覚えながら、ひたすら歩き、「時々はっとする言葉があると、のどが少しだけ湿って、この粘膜が透き通り、光が通った気持ち」になるのだが、その同じ言葉を繰り返すと逆に影になって重くなってしまうため、彼女はまた別の言葉を捜さなければ前へ進めなくなる。

国境はまさに言葉の壁でもあるが、ここでは既成の文学、日本語の壁を乗り越えて、新しい文学、外の世界に響く言葉を見つけるのがいかに困難なのかが伝わってくる。

読んだ印象は、軽いタッチで書かれた作者のユーモアチックな精神世界だが、上記のように解釈すると、まさに多和田葉子が目指している文学の姿がシリアスに伝わってくる作品に思えてくる。