2015年4月30日木曜日

安倍首相米議会演説 全文を読んで

安倍首相が、4月30日、アメリカ議会上下両院の合同会議で行った演説内容を、ひととおり読んでみた。

(日本語)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150430/k10010065271000.html

(英語)
 http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2015/04/30/video-text-shinzo-abe-calls-for-closer-u-s-japan-ties/
 
単純にスピーチの良し悪しでいえば、頑張った内容になっていると思う。
安倍首相本人とアメリカとの関係、ユーモアを加えるなど、随所にスピーチの工夫がなされている。

そして、内容はというと、まず、徹頭徹尾、アメリカが掲げる民主主義、自由主義の価値を礼賛し、日本もそれを共有し、今後もアメリカの良きパートナーであり続けることを宣言する内容が目立つ。

ここまで、アメリカ寄りの、アメリカに追従してゆく姿勢を鮮明にした演説は、かつての日本の政治家にはなかったのではないだろうか。

また、先の大戦時にアジア諸国に迷惑をかけたことに対するお詫びについては、直接的な表現ではなかったが、歴代総理の見解と変わるものではないことを述べていた。
事実上、謝罪の念を示したともいえるが、このような間接的な表現では、中国・韓国が納得するとは思えない。 安倍首相は、両国との関係修復のきっかけをどうしようと考えているのだろうか。
その懸案とされている課題についてはノーコメントだったと言える。

もっとも気になったのは、集団的自衛権の行使を可能にする安保法制を今夏までに成立されることを明言したということだ。事実上、アメリカに対して公約したに等しい。
(おそらく、このアメリカへの公約を既成事実として、国内を説得するつもりなのだろうが) 


まだ、国会での議論も経ていないうちに、集団的自衛権行使を前提とした「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」を改定したことも手続きの進め方として強引すぎる。

このガイドラインは、安保条約の細則のようなもので、法的拘束力がないものだが、集団的自衛権行使容認の閣議決定といい、根本の原則を変えずに、決議しやすい下位のルールの変更から始めて、既成事実を作り、 根本原則を骨抜きにしてゆくというやり方は、演説で盛んに褒め称えていた民主主義に則った適正な手続きとは言えないと思う。

ちなみに、私には、このガイドラインは、日米間で締結した双務の「軍事サービス提供拡大契約(活動範囲:全世界、ただし決定権はアメリカ)」という印象だけが残った。

なお、沖縄県から同意を得られていない基地の移設についても演説ではノーコメントだった。

演説の最後にある

「米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった」

という美辞麗句を本当に心から思うのならば、米軍基地の移設問題について、是非、沖縄の人々が希望を抱けるアクションを期待したい。

イザベルに ある曼荼羅/アントニオ・タブッキ

読んだ瞬間、あぁ、これは、タブッキの世界だ、と思った。

そう分かってしまうほど、この作品には、「インド夜想曲」、「レクイエム」、「遠い水平線」と重なるような静かで幻想的な世界が溢れている。

主人公のタデウシュが、謎の女性イザベルを探して、さまざまな場所を訪れ、個性的な人々と出会い、対話を重ねるという構成も、なじみのものだ。

しかし、作品に陳腐感はなく、相変わらず、ページをめくるごとに心が癒されてゆくような思いがする。

それは自分の知らない旅先で、素敵な人と出会い、思いがけず、その人の人生を垣間見るような感覚に似ているのかもしれない。

一瞬だけれど、深く交わり、心を残しつつ、別れがやって来る。

その一期一会的な人と人との距離感と、旅するようなスピード感が、今の私にとっては、とても心地よいのかもしれない。


http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309206714/

2015年4月22日水曜日

死者の書 折口信夫/日本文学全集 14

折口信夫の名前は、丸谷才一のエッセイで、「文体が気に入らないが、国文学者としては優れている」という印象を記憶していたが、この作品は読んでいて、相当つらいものがあった。

読んでも読んでも、文章が上滑りして頭に入ってこないのだ。

2回読んで、ようやくあらすじが分かったという程度だろうか。


ざっくり言えば、反逆者として非業の死を遂げた大津皇子の亡霊を、斎宮である藤原南家の郎女(中将姫)が、衣を織って、その霊を慰めるという話なのだと思う。

しかし、大津皇子のイメージ、白い肌と金色の髪(まるで白人ではないか)、そして、その上半身裸の姿が山間に浮かび、その姿に姫が見惚れるという情景に、異質な印象を感じてしまう。

「こう こう」とか、「おおう おおう」とか、「ほほき ほほきい」とか、「つた つた つた」とか、「あっし、あっし、あっし」とか、不気味な言葉も同様の印象を受ける。

現代の感覚では理解しがたい古代の世界を描いているから、と言われたら、そういうものかとも思ってしまうが。

でも、池澤夏樹が翻訳した古事記の世界観のほうが、はるかに理解しやすいというのが率直な印象である。

2015年4月19日日曜日

生活の記録 宮本常一/日本文学全集 14

民俗学者の宮本常一氏が「婦人百科」に書いていた日本女性の生活史。

全体的に、苦難に満ちた人生に負けずにたくましく明るく生きている女性の姿が描かれている。


○ふだん着の婚礼
女が結婚という事実を中において、自分の家から他家にその身をうつさねばならないというあり方に、女の地位をきわめて不安定にする条件があった。
というくだりに納得。

○共稼ぎ
ハワイ移民の章が興味深かった。確か、作家の片岡義男の祖父がハワイに移民していたよなと思っていたら、その祖父の出身の山口県大島は、明治から大正にかけて、特にハワイ移民が多かったことが書かれている。
単身渡航した男たちの中で多少のたくわえができた者は、自分の写真を日本の親元に送り、親はその写真をもって息子の嫁に適当な娘を探し、承諾してくれる娘があると、その写真を息子に送り諾否をきく。
そんな「写真結婚」が数知れず行われたという。
○海女たち
海で稼ぐだけでなく、商売もできて、経理に明るくざっくばらんで人づきあいのいい、積極的で話好きの女性たちの姿が描かれている。
「女は男にひけをとらぬ自信と気概を持っていた。」
○出稼ぎと旅
出稼ぎというと、暗いイメージがあるが、ここでは、男女の出会いのきっかけになったり、自分の住む土地以外の社会勉強になる等、ポジティブな側面があった側面に触れている。
驚いたのは、明治時代は、嫁入り前の女性たちが四国八十八所めぐりをしたり、伊勢神宮の参拝など、十日程度の旅行を行っていたというくだり。
昔の女性がそんなにアクティブだったとは。

○見習い奉公
女中という職業も、前近代的なイメージが強いが、奉公している間に、お金の使い方、物の使い方、他人とのつきあいなどを学び、人情の機微も理解するような生活の知恵を持った女になるための修行的な要素もあったらしい。

○女工たち
明治から伸びていった繊維産業は、劣悪な労働環境の中、必死になって働いていた女工さんたちの犠牲の上に成り立っていたんですね。

○行商
戦争で夫を亡くし、子供を育てていかなければならない女性たちが行商でいかに生き抜いていったか。
私も幼いころ、電車の中で、行商のおばさんを見たような記憶があるが、今では、本当に見なくなってしまいましたね。

○人身売買
貧しい家のために娘が身を売る、という今では考えられないような時代が、戦後も売春禁止法が昭和31年(1956年)が施行されるまでは、あったんですね。
○月小屋と娘宿
日本では、沖縄を除き、血はけがれたものとして、そのけがれたものが月々出ることによって、女性をけがれたものと考えていたという。
そのため、生理になった女性がこもる小屋「月小屋」と「娘宿」があったという。
○女の相続
 女子が家を相続するという習俗は、意外にも日本各地であったらしい。
○家出
戦争で男がたくさん死んで、相手が見つからない女性は都会へ出ていったらしい。都会には、旅館、飲食店、美容院など、数多くの女の働き場があった。

「都会は弱い女たちの逃げ場であった」ということばが興味深い。
 ○戦後の女性
 「男の特権が真に剥奪されるためには、戦争のない社会をつくり出さなければならない。戦後における女性社会の拡大と女権の拡張も、われわれが二五年の間戦争をしなかったことと深い関係があるようである。」
 という文章に深く納得。
この平和がずっと続いてほしいと思う。

2015年4月12日日曜日

神社合祀に関する意見 南方熊楠/日本文学全集 14

南方熊楠については、水木しげるの漫画「快傑くまくす」で、その破天荒な人物像は知っていた。

奇行が多い反面、二本足の百科事典と言われる程の頭脳を持ち、青年時代は米英で学び、二十か国に近い言語を操り、中国革命の父と言われる孫文とも交友があった。

帰国後は、粘菌の研究にいそしみ、昭和天皇に対して粘菌をキャラメルの箱に収め献上し、後に「雨にけぶる 神島を見て 紀伊の国の 生みし南方熊楠を思ふ」という、昭和天皇が最初に詠んだ民間人が熊楠だったという逸話も残っている。

本書の題名にある「神社合祀」とは、明治末期の勅令で行われた神社の合併政策のことで、これによって、全国で約20万社あった神社のうち、7万社が取り壊された。

何故、そんなことをしたかというと、国家が管理できるレベルまで神社の数を減らし、公費を一定数の神社に集中させることにより、神社の威厳を保たせ、継続的な経営を確立させることだったらしい。

南方熊楠は、廃社に伴い土着の信仰や習俗が破壊され、神林(神社の森)が伐採され、生態系が破壊されてしまうことを察知し、神社合祀に対する反対運動を起こした。

「神社合祀に関する意見」という長文の手紙は、神社合祀がいかに社会と民衆に害悪をもたらすかということを、古今東西の思想家の箴言を引用し、その愚かさを諭す一方で、社会科学、自然科学の観点から、神社とその自然環境が与えてきた人々の暮らしへの恩恵と合理的な関係性について具体的に説明しているところがすごい。(まだ、環境問題という概念がない時代である)

実際には、熊野(和歌山県・三重県)の神社のおよそ9割が廃却され、その神林も伐採されしまったらしいが、彼の反対運動のおかげで、今日、かろうじて熊野古道が世界遺産として登録できたのかもしれない

熊楠は、故郷の田辺での演説で、やがて、この景色や空気で儲ける時代が来るだろうと予言していた。粘菌という小宇宙の世界を研究していた彼には、精緻に組み立てられていた自然と社会のシステムが見えていたのだろう。

2015年4月11日土曜日

土佐源氏 宮本常一/日本文学全集 14

宮本常一という民俗学者の存在をはじめて知った。
日本各地を訪ね、現地の人々の話を聞いてまとめた民間伝承を膨大な著書として残しているらしい。

そういう意味では、彼の著書はノンフィクションということになるのだろうが、この全集に収められている「土佐源氏」は、まるで一個の文学作品ではないかと思うくらい、完成度が高い。

土佐(高知県)の山中にある檮原(ゆすはら)村に住む盲目の乞食同然の老人が体験してきた数々の女性との性的な関わりあいを、語り口調でリアルに描いている。
わしは何一つろくなことはしなかった。男ちう男はわしを信用していなかったがのう。どういうもんか女だけはわしのいいなりになった。
わしにもようわからん。男がみな女を粗末にするんじゃろうのう。それですこしでもやさしうすると、女はついてくる気になるんじゃろう。
そういえば、わしは女の気に入らんようなことはしなかった。女のいう通りに、女の喜ぶようにしてやったのう。
一見すると、単なる女たらしの言葉だが、同じように牛を可愛がるこの老人の情のこもった言葉を聞いていると、そういうものかなと思ってしまう。

牛と言えば、それを育てる百姓について語る彼の言葉も、不思議と真実味にあふれている。
わるい、しようもない牛を追うていって、「この牛はええ牛じゃ」いうておいて来る。そうしてものの半年もたっていって見ると、百姓というものはその悪い牛をちゃんとええ牛にしておる。そりやええ百姓ちうもんは神様のようなもんで、石ころでも自分の力で金に変えよる。
中上健次の作品同様、この作品でも、乞食、子守奉公、若衆、ばくろう(馬喰…馬・牛の売買の仲介人)という前近代的な今の日本からは消え去った人々の姿が生き生きと描かれている。

私は、決してそういう前近代的な要素を現代に復活すべきだとは思わないが、いわゆる中流層から外れるような人々を受け入れていた懐の深さがかつての日本の社会にはあったのだと思う。

2015年4月5日日曜日

「沖縄の孤独な戦い」/ル・モンド紙

菅官房長官が4月5日の今日、ようやく沖縄県知事の翁長氏と会談の機会を持った。

両者の主張が平行線の結果に終わることは予想できていたが、しかし、ここまで沖縄の人々の苛立ちを増幅し、態度を硬化させてきたのは、安倍政権が、辺野古への米軍基地移設反対を唱える翁長知事を、就任以来、一貫して無視し続けてきたことが原因であることは明白だと思う。

今日の会見で、翁長知事が 「上から目線の粛々と言う言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していくと思っている。」と述べていたが、今まで、政府がコメントしてきた、法律論を盾に海底ボーリング調査などの移設作業を“粛々”と強行する姿勢を目の当たりにすれば、誰でも沖縄県の人々の怒りは十分理解できてしまう。

内田樹氏のブログにも、 フランスの新聞社『ル・モンド』が3月25日に掲載した「沖縄の孤独な戦い」と題するレポートを紹介している。

http://blog.tatsuru.com/2015/04/03_1842.php

http://www.lemonde.fr/asie-pacifique/article/2015/03/25/int-au-japon-le-combat-solitaire-d-okinawa_4600787_3216.html

この記事を読んで、なるほど外からはこう見えるのかと、妙に納得してしまったのは、「19世紀末に独立王国であった琉球の日本への併合以来、二級の市民とみなされてきた住民たちの怨恨をかたちにしている」という部分だ。

私たちは、今も世界のあちこちで起きている少数民族の迫害を、まるで他人事のように受け止め、彼らの文化や考えを尊重することを主張しているが、第三者的な目で見てみると、日本もまた沖縄に対して同じことをしているのではないかということだ。

「日本から独立すべきだ」という声が沖縄の人々から上がってもおかしくない深刻な事態に陥ってしまっているというのが現状だと思う。

2015年4月4日土曜日

透明な対象/ウラジミール・ナボコフ

ナボコフの最後の未邦訳の作品で、ボリュームも少ないと思って、気軽に手にしてしまったのが、間違いだったと思う。

ナボコフらしい巧緻にちりばめられた仕掛けだらけの作品と言ってもいいかもしれない。


一読したが、注意散漫な読者である私は、訳者の若島正が巻末に用意した作品中の文章、言葉に関する意味と背景に関するノートと、あとがきを読んで、スルーしてしまったたくさんの仕掛けの存在に気づいた。

そして、その仕掛けの謎解きをするために、再読を強いられた。

物語は、文芸編集者のヒュー・パーソンが、4度目のスイス旅行で、かつて泊まったホテルでの回想から始まる。

一度目のスイス旅行は、父との二人旅。そして、父の奇妙な最後。
二度目は作家R氏との対面のため。

そこから、ヒュー・パーソン、R氏の義理の娘であるジュリア、そして、二度目のスイス旅行で乗ったスイス鉄道で、R氏の作品を読んでいたアルマンドとの関係が描かれる。

R氏の義理の娘でありながら、同時に愛人というスキャンダラスなジュリアとの束の間の情事。
アルマンドという若く美しいけれど、性格と習慣に難がある女性との奇妙な初デートと、その後の奇妙な夫婦生活は、いかにも、ナボコフらしい軽妙なタッチでエロティックを描いていて、とても面白い。

ヒュー・パーソンが実は重度の不眠症と夢遊病を抱えていることが物語中、明かされるのだが、それが、その後の物語の伏線となってくる。

この物語は、26章の短い文章で組み合わされているのだが、最初の章で、題名でもある「透明な対象」(原題:Transparent Things)について、こう説明している。
我々がある物質的な対象に焦点を当てるとき、それがどんな状況に置かれていても、注意を集中するだけで、否応なしにその物の歴史の中に沈みこんでしまう可能性がある。物質をその瞬間の正確なレベルにしっかりととどめておきたければ、初心者はまず物質の表面をかすめていくことを学ばねばならない。過去が透けて輝く、透明な対象だ!
 この文章だけでは分からないが、第3章で、ホテルの整理棚にあった鉛筆の姿から、それが出来上がるまでの物語(黒鉛がすりつぶされ粘土と混ぜられたり、松の木が切り倒される)を透かして見ることが述べられている。

第4章から、この物語の主人公ヒュー・パーソンの過去を遡って描いていることから、透明な対象とは、ヒュー・パーソンという男の人生、これまでの物語を透かして見ることを意図しているのだろう。

なお、 ヒュー・パーソンが最後に死を迎える瞬間を「ある存在状態から別の存在状態へと移行する」と表現しているあたりは、ナボコフの死の捉え方(この作品は彼の死の2年前に発表されている)が明確に示されていて、とても興味深い。

そして、謎めいた最後の台詞「まあ気楽に、なんというか、行こうぜ、なあきみ。」 の部分は、ナボコフの遺作という印象をさらに強めている(実際には違う作品が遺作となった)。