2015年4月19日日曜日

生活の記録 宮本常一/日本文学全集 14

民俗学者の宮本常一氏が「婦人百科」に書いていた日本女性の生活史。

全体的に、苦難に満ちた人生に負けずにたくましく明るく生きている女性の姿が描かれている。


○ふだん着の婚礼
女が結婚という事実を中において、自分の家から他家にその身をうつさねばならないというあり方に、女の地位をきわめて不安定にする条件があった。
というくだりに納得。

○共稼ぎ
ハワイ移民の章が興味深かった。確か、作家の片岡義男の祖父がハワイに移民していたよなと思っていたら、その祖父の出身の山口県大島は、明治から大正にかけて、特にハワイ移民が多かったことが書かれている。
単身渡航した男たちの中で多少のたくわえができた者は、自分の写真を日本の親元に送り、親はその写真をもって息子の嫁に適当な娘を探し、承諾してくれる娘があると、その写真を息子に送り諾否をきく。
そんな「写真結婚」が数知れず行われたという。
○海女たち
海で稼ぐだけでなく、商売もできて、経理に明るくざっくばらんで人づきあいのいい、積極的で話好きの女性たちの姿が描かれている。
「女は男にひけをとらぬ自信と気概を持っていた。」
○出稼ぎと旅
出稼ぎというと、暗いイメージがあるが、ここでは、男女の出会いのきっかけになったり、自分の住む土地以外の社会勉強になる等、ポジティブな側面があった側面に触れている。
驚いたのは、明治時代は、嫁入り前の女性たちが四国八十八所めぐりをしたり、伊勢神宮の参拝など、十日程度の旅行を行っていたというくだり。
昔の女性がそんなにアクティブだったとは。

○見習い奉公
女中という職業も、前近代的なイメージが強いが、奉公している間に、お金の使い方、物の使い方、他人とのつきあいなどを学び、人情の機微も理解するような生活の知恵を持った女になるための修行的な要素もあったらしい。

○女工たち
明治から伸びていった繊維産業は、劣悪な労働環境の中、必死になって働いていた女工さんたちの犠牲の上に成り立っていたんですね。

○行商
戦争で夫を亡くし、子供を育てていかなければならない女性たちが行商でいかに生き抜いていったか。
私も幼いころ、電車の中で、行商のおばさんを見たような記憶があるが、今では、本当に見なくなってしまいましたね。

○人身売買
貧しい家のために娘が身を売る、という今では考えられないような時代が、戦後も売春禁止法が昭和31年(1956年)が施行されるまでは、あったんですね。
○月小屋と娘宿
日本では、沖縄を除き、血はけがれたものとして、そのけがれたものが月々出ることによって、女性をけがれたものと考えていたという。
そのため、生理になった女性がこもる小屋「月小屋」と「娘宿」があったという。
○女の相続
 女子が家を相続するという習俗は、意外にも日本各地であったらしい。
○家出
戦争で男がたくさん死んで、相手が見つからない女性は都会へ出ていったらしい。都会には、旅館、飲食店、美容院など、数多くの女の働き場があった。

「都会は弱い女たちの逃げ場であった」ということばが興味深い。
 ○戦後の女性
 「男の特権が真に剥奪されるためには、戦争のない社会をつくり出さなければならない。戦後における女性社会の拡大と女権の拡張も、われわれが二五年の間戦争をしなかったことと深い関係があるようである。」
 という文章に深く納得。
この平和がずっと続いてほしいと思う。

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