2017年11月26日日曜日

死体展覧会/ハサン・ブラーシム 藤井光 訳

作者のハサン・ブラーシムは、イラク バグダッド生まれの映像作家で、この14編の短編はアラビア語で書かれ、英訳されたものを藤井光さんが日本語に翻訳した。

戦争と暴力をテーマとしているが、それだけではない魅力にあふれている。

死体展覧会
クライアントを殺して、その死体を市街に展示することを研究し利益を得る団体。
「狂信的なイスラーム集団や、非道な政府の諜報機関といった下らない連中とは、我々が一切関わりがない」と自負する団体の幹部が語る、裏切り者の“展示”の仕方に戦慄を覚える。

コンパスと人殺し
周りの人々に怖れられる極悪非道な兄に連れ回された弟が最後に体験したこと。
「それは連中の神であって、お前の神じゃない。お前の神とはお前自身だ、そして今日がお前の日だ」と語る兄の口調に、自爆テロリストを唆す語り口を感じる。

グリーンゾーンのウサギ
別荘にいる二人の男。一人はウサギを育て本を読みふける僕と、一人はフェイスブックで作家やジャーナリスト達とweb上で議論を交わすサルサール。戦時下、家族を殺され、気力さえ失いそうになった僕が復讐のため、ある宗派に属し、政府の要人を暗殺しようとする。悪い冗談のような結末がリアル。

軍の機関紙
裁判官に語る軍の機関紙で勤めていた男の告白。男は、ある兵士が書いた短編を、兵士を脅迫し死に追いやった後、自分の作品として発表し、世界中で称賛される。その彼のもとに、死んだはずの兵士からさらに二十篇の短編が送り届けられる。男は改めて兵士の死を確認するが、送られてくる短編は止むことがなく、その内容は素晴らしく独創的なものになってゆく。

クロスワード
クロスワードパズルが得意だった友人との思い出。テロ爆発に遭うことで彼の精神は壊れてしまう。


強盗に追われて穴に落ちた青年が、アッバース朝(750-1258年)のバグダッドに住んでいたという老人に会う。穴を訪れる者は過去と現在と未来の出来事を知る方法を会得するという。

自由広場の狂人
明らかに欧米人と思われる金髪の二人の若者の像を撤去しようとする政府軍と、これを守ろうとするイスラムの民という矛盾。金髪の二人の霊力のおかげであらゆる奇跡は起こるというが、この二人を崇拝する私は狂人なのか?

イラク人キリスト
爆弾の危機を回避する予知能力があるキリスト教徒のダニエル。彼が命を落としてしまう結末とは。

アラビアン・ナイフ
三十秒間見つめ続け、涙が出た時に消えるナイフ。その技を会得している僕と友人と一人だけナイフを取り戻すことができる妻の物語。ナイフは何かを象徴している。

作曲家
軍歌の作曲家だった父。戦争が終わり、彼の曲は世に求められなくなったが、最後まで歌でもって戦った彼は果たして狂人だったのか。

ヤギの歌
独裁が終わり、ラジオ局で設立された<記憶ラジオ>。そこで自分の物語を語る人々。
母親に人糞を食べさせ続けられた男の話。糞溜めに弟を突き落として殺した話や戦争で左足と睾丸を失った父の話。

記録と現実
難民受入センターに受け入れられた難民には、二つの物語があるという。一つは、人道的保護を受けるため移民局で書き留められる物語。もう一つは難民たちが心に固くしまい込み、絶対に人には明かさず反芻する物語。ここで語られる物語は、移民局で書き留められた物語ではあるが、壮絶な内容になっている。イスラム過激派に人質として捕らえられた人のリアルな現実のように感じる。

あの不吉な微笑
ネオナチにリンチされる男。彼の顔から消えない微笑は自己防衛のためのものなのか。

カルロス・フエンテスの悪夢
イラクからオランダに亡命したイラク人の物語。彼は他の移民の誰よりも、オランダ語を早く覚え、仕事に就き、オランダ人女性と結婚し、オランダの社会に適合したが、オランダ語が話せなくなったり、オランダの市街に爆弾をしかける夢を見るようになる。彼は、それを何とか乗り越えようとするが。最後に彼が付けていた指輪の描写が鮮烈な印象を残す。

表紙の絵もタイトルも独特だが、中の作品もすべて面白い。

2017年11月23日木曜日

生頼範義 緑色の宇宙

生頼範義(おうらい のりよし)さんは、スターウォーズなどの映画ポスターや、平井和正の幻魔大戦シリーズなどの書籍の表紙のイラストを描いた方だ。

2015年10月に亡くなられたが、今見ても、その絵から放出される異彩な雰囲気に引きつけられる。

日本人が書いたとは思えない迫力のある金髪女性と、SFチックでバロックなオブジェ、そして緑色の宇宙。


イラスト集を買って、ようやく当時、雑誌「SFアドベンチャー」や「ムー」(懐かしい)の表紙も手掛けられていたことを思い出した。

生頼さんのイラストに吸い寄せられ、こんな雑誌を見てはいけないのかなと思いつつ、「ムー」のページをついついめくってしまったあの頃の記憶がよみがえった。

生頼さんは、東京芸大油絵科中退(藤原新也と同じ)で、ミケランジェロ(イラストにも本格的な彫像の絵が数多く出てくる)とSFが好きだったらしい(早川書房の「世界SF全集」を全部揃えていた)。

また、極度の出不精でほとんど、宮崎の自宅から出ずにひたすら絵を描き続けていた仕事人間だったようだ。

2018年1月6日(土)より上野の森美術館で開催される「生賴範義 展 THE ILLUSTRATOR」をやるらしいので、ぜひ見に行きたい。

2017年11月19日日曜日

明石・澪標/源氏物語 上 角田光代 訳/日本文学全集 4

明石の編は、須磨に都落ちした光君が、ひとり寝のさみしさから、明石の浦の前の播磨守の入道の娘 明石の君と関係を持つことになるのだが、彼女が懐妊したところで、朱雀帝から命が下り、 明石の君を置いて京に戻るという物語だ。

自分が都落ちしたのは、過去に犯した様々な罪深い行為であるということも、二条院の紫の女君と手紙をやりとりし、彼女もひとり寝のさみしさを我慢していることを知りながらも、強引に明石の君と関係を持ってしまうのは、やはり、女性なしではいられない光君の性癖のようなものなのだろう。

そういう自分を否定せず、京に戻って、自分を思い続けてくれた紫の女君に、明石の君との関係を隠さず話してしまうところも、無神経といっていいのか、ダイヤモンドのような硬質な精神の持ち主なのか、判断に迷う。

澪標の編は、体調を崩していた朱雀帝が退位し、東宮(公には桐壺帝と藤壺の宮の間の息子だが、実は、光君と藤壺の宮の息子)が冷泉帝として即位する。光君は大納言から内大臣になり、亡き妻 葵の上の父の左大臣とともに、権力を掌握する。

ちなみに、この時点で、光君の子どもは、藤壺の宮に産ませた東宮(光君に生き写し)、葵の上との間に生まれた夕霧(光君に似て美男)だが、明石の君が女の子を産み、三人となる。占いでは一人は帝(的中)、一人は后、一人は太政大臣になるという。

その占いが頭にあったせいなのか、光君は明石の君が産んだ女の子を気にかけ、母娘とも京に呼び寄せようとする。

一方で、夕顔、葵の上を生霊として呪い殺した六条御息所は、御代が替わり、娘の斎宮とともに伊勢から京に戻ってきたが、重い病に臥せっていた。

光君は、六条御息所に会いにゆき、彼女が自分が死んだあとの娘の行く末を案じているのを見て、自分が何なりとお世話するつもりだというのだが、これに対して、六条御息所は、自分の娘をどうか色恋沙汰に巻き込まないでくれ、という親としてはもっともなのだが、強烈な一言を光君にぶつける。

光君のお相手をする女性はみな総じて大人しい物言いだが、この六条御息所には、自分の意思を突き通そうとする強さを感じる(想像だが、紫式部とはこのような人だったのではないだろうか)。

六条御息所は数日後に亡くなり、光君は、六条御息所の意向を汲み、藤壺の宮と相談の上、斎宮だった娘を、冷泉帝のお世話役(妃のひとり)として入内させるべく、二条院に引き取ることとする。

こういった人事処理も、また、六条御息所の供養の一つと考えると、男女の関係というものは、一度結ばれてしまうと簡単には切れないものだということを、つくづく感じる。

2017年11月18日土曜日

ティファニーで朝食を/トルーマン・カポーティ 村上春樹 訳

自由奔放で、台風の渦の中心のような人物。

本人にその気はないが、異性の注目をひきつける魅力にあふれ、いつも周りに人々が群がり、はためには恋人をとっかえひっかえしているようにみえる人物。

この小説で主人公がつかの間、関わったホリデー・ゴライトリーもそんな女性だ。

たぶん、この女性が魅力的なのは、一見、能天気なように見えて、自分が空虚なものを求めていることを自覚していて、本質的に孤独だからだと思う。

深くかかわると一生を狂わされるような気がして怖い気もするが、こういう人と人生でめぐり会うのは幸福のような気もする。

会話が多い作品だけれど、軽妙なやりとりがテンポよく続いて、ホリーの奔放な魅力が活き活きと伝わってくる。

村上春樹の翻訳作品の中では、一番好きかもしれない。

#本当にティファニーで朝食が食べられるようになったらしい






2017年11月13日月曜日

花散里・須磨/源氏物語 上 角田光代 訳/日本文学全集 4

この花散里は、非常に短い編であるが、亡き桐壺院の妃の一人であった麗景殿女御の妹で、光君とかつて逢瀬を交わしたという三の君が突然物語に登場する。

桐壺院亡き後、光君が庇護する二人の姉妹は、光君も含め、めったに訪れる人もない荒れた屋敷に静かに住んでいるが、光君に対して恨みの言葉を口にすることなく、やさしい人柄で接する。

それは、光君が、いまだに生活を支えるパトロンだということも大きな理由だろうが、一度結ばれた男女の関係においては、たとえ、長く待たされたとしても自分から仲違いを仕掛けないという、この当時の男女のつきあいの鉄則が述べられているような気がする。

須磨は、弘徽殿大后が権勢をふるう情勢になり、いたたまれない思いをするようになった光君が京を離れ、かつて都落ちした在原行平も住んだことのある須磨に移るという話だ。

死んだ妻の葵が住んでいた左大臣宅にいる若君(夕霧)にも、麗景殿女御にも、三の君にも、出家した藤壺の宮にも会って別れを告げ、弘徽殿大后の怒りの原因を買った尚侍(朧月夜)と藤壺の宮との子 東宮、六条御息所には手紙を送り、紫の女君と最後に別れを惜しみ、わずかな供とともに須磨に旅立つ。

須磨の光君を慕って、都から訪れる人もいるが、皆、都で噂になることを怖れ、早々に立ち去ってしまうことから、余計に光君はさみしくなる。
おまけに、海辺でお祓いをしようとしたら、海の中の龍王に目を付けられ、呼び寄せられるような悪夢を見てしまう。

単なる王宮での色恋沙汰だけで話が終わらず、主人公 光源氏の不遇の時を描いているところは、源氏物語がまぎれもなく小説であることを証明していると思う。



2017年11月12日日曜日

NHKスペシャル 追跡 パラダイスペーパー 疑惑の資産隠しを暴け

バミューダ諸島の法律事務所などから流出した膨大な内部資料(パラダイス文書)をもとに、政治家や富裕者が税逃れしている実態を取り上げていて、とても興味深かった。

バミューダやケイマン諸島だけでなく、英国に近いマン島も、法人税などが極端に低いタックスヘイブンになっている。

タックスヘイブンの特徴は、税率が低いだけでなく、知られたくない経済活動が秘密裏に行えるという特徴があるという。

今回、流出した文書には、英国のエリザベス女王の名前もあり、アップルやナイキの社名も。日本の政治家、個人、企業では1000超の名前が明らかになり、鳩山由紀夫元総理大臣も名前もあがっていた(これはニュースで見た記憶がある)
他にも、内藤正光 参議院議員 元総務副大臣もいた。
二人とも、そのような事実は把握していなかったとの弁明だが、どうなのだろう。

アメリカでは、トランプ政権のロス商務長官(元々80近くの会社を経営していた)が、いくつものペーパーカンパニーと投資会社を通し、プーチン大統領の側近と義理の息子が経営しているシブール社に投資し、利益を得ていたことが分かる(やり取りした金額78億円)。
ロシア疑惑(米大統領選でトランプ陣営に有利な働きかけをロシア政府が行ったという疑惑)の一つとして騒がれている。

また、イギリス王室の属領 マン島での税逃れでは、自家用としてジェット機を購入しても(税率20%)、ジェット機のリース事業を行っている形にすれば、税率0%にできる「制度があるという。
日本では詐欺事件で逮捕された元社長 西田信義氏が、ドイツで荒稼ぎしている違法カジノ事業の経営者が、F1ドライバーのルイス・ハミルトンも同じような手口で、税逃れをしている。

権力者や富裕者が、これほど税逃れしているとは。

パナマ文書報道に参加していた記者が自動車に爆弾を仕掛けられ暗殺される事件があったが、こういう骨のある番組は取材調査を続け、適宜報道を行ってほしい。

http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20171112

2017年11月11日土曜日

文芸翻訳入門 言葉を紡ぎ直す人たち、世界を紡ぎ直す言葉たち/藤井光 編

イントロダクションで、藤井光さんが、「日本の語学教育は、文法と読解ばかりでコミュニケーション力が育たないという批判はあるが、翻訳という最大の使い道がある」と述べていたが、なるほどと深くうなずいてしまった。

基本文法が理解できて、知っている語彙が単語教材くらいになれば、たいていの文章を読めるようになり、背伸びをすれば小説も読めるようになる。
しかし、ただ読むだけでなく、(小説の)翻訳ができるようになるには、確かに長い道のりが必要な気がする。

原文をしっかり理解できていること(意味だけでなく、文章の性質も理解する)、対応する日本語の表現もなるべく多く頭に浮かび最適なものを選ぶ能力も必要となる。
加えて、背景や歴史的出来事を辞書やインターネットでしっかり調べるという地道な作業も必要になる。

慣れると、右脳で英語を考え、左脳で日本語を考え、これがつながる「回路」のようなものができるというが、どんな感じなのだろう。

本書で面白かったのは、以下のパートだった。

Basic Work 1 「下線部を翻訳しなさい」に正解はありません それでも綴る傾向と対策
(150年分)

藤井光さん(アメリカ文学)が、明治から現代にいたるまでの様々な文学作品(タイトル含む)の訳を例示し、その時代背景と翻訳者(森鴎外、谷崎精一、村上春樹、柴田元幸ら)の特徴を解説している。

同じポオの作品で、明治の森鴎外が意訳的で、昭和の谷崎が直訳的というのは意外だった。さらに時代が進んで、村上春樹になると、文章を短いセンテンスで切って、日本語の文章のリズム感をよくしたり、意訳と直訳を相互に共存させるなどの工夫がみられるという。

Basic Work 2 なぜ古典新訳は次々に生まれるか

沼野充義さんが、外国文学の「古典」の新訳ブームに火をつけたのは、村上春樹と亀山郁夫(ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」など)の功績であると述べている。

村上春樹がカポーティの「ティファニーで朝食を」の翻訳のなかで、「朝食」を「朝ごはん」と訳していることを取り上げ、タイトルも「ティファニーで朝ごはん」に思い切って変えてもよかったのではないかと述べている一方で、若島正が訳したナボコフの「ロリータ」に関する現代口語の思い切った表現には、懸念を示しているのは、沼野さんがロシア文学専門で、ナボコフに対する姿勢が厳しいせいだろうか?

Actual Work 3 翻訳の可能性と不可能性 蒸発する翻訳を目指して

笠間直穂子さん(フランス文学)が、翻訳する上での経験を具体的に述べていて、興味深かった。 

単語一つ調べるのに、すべての語義、用法、用例を読み、原文に適した語義を選び、辞典で解決しないときは、事典やインターネット検索を行うという根気のいる作業。
担当した学生が「ここが分かりません」というとき、「ほとんどの場合は、辞書に正解が載っているのに見逃しているにすぎず、」と言っているあたり、仕事に厳しい方なのかもしれない。

翻訳に興味がある人は、読んで損がない本だと思う。








2017年11月5日日曜日

葵・賢木/源氏物語 上 角田光代 訳/日本文学全集 4

「葵」は、光君と夫婦でありながら、仲睦まじい関係になれなかった葵の上が、光君の息子となる夕霧の出産時に、六条御息所の生霊によって呪い殺され、傷ついた光君は、年頃になった紫の上(若紫)に手をつけ、夫婦の関係になるという話だ。

六条御息所は、光君への嫉妬から、彼が愛した夕顔に生霊として取りついて殺している過去がある。

冒頭、「二年がたった」と時の経過が述べられ、退位した桐壺帝が、光君に対し、六条御息所をぞんざいに扱うべきではないと注意する場面があるが、光君は、夕顔にとりついた六条御息所の生霊を目撃しても、なお彼女との縁が切れなかったらしい。
(もっとも縁を切ったら、彼自身取り殺されるリスクはあったかもしれない)

光君より年上で、なおかつ身分も高い自分を正当に扱わない。
そんな恨みに、祭りの際に葵の上の使用人に恥をかかされた恨みが加わり、生霊になるのだが、光君と会話していたはずの葵の上が六条御息所の声になったり、六条御息所が、葵の上を乱暴に打ち据える夢を回想するところは若干怖い。

しかし、妻を呪い殺されながら、六条御息所との関係を断ち切ることもなく、自分が育てた紫の上と新たに夫婦になろうとする光君は、強化ガラスのような精神を持つ稀有な男なのかもしれない。

「賢木」は、光君の父であり、パトロンであった桐壺帝が死去したため、光君の最愛の女性と言っていい藤壺が出家してしまい、光君は二重の悲しみを感じるのだが、一方で、自分の政敵と言ってもいい弘徽殿女御の妹 尚侍の君(朧月夜 別名六の君 )と無理な逢瀬を重ね、その逢引の場を朧月夜の父である右大臣に発見されてしまうという話だ。

この右大臣に、尚侍の君と御簾の中にいた光君が発見されたときの描写がいい。

...すると、やけに色めかしい様子で、無遠慮に横になっている男がいる。今になってようやく顔を隠し、だれだかわからないようにしている....。

このふて寝をして申し訳程度に顔を覆う光君のずぶとさ。
若干憧れてしまう。

しかし、右大臣は、即位した朱雀帝の母でもある弘徽殿女御に、この一件を話し、彼女は光君を陥れる手立てを思案し始める。



2017年11月3日金曜日

ノスタルジア/タルコフスキー

タルコフスキーの「ノスタルジア」は何度も見ていて、ヴェルディのレクイエムや光や水の映像の美しさにいつも陶然とした気持ちになるのだが、今回観たときは、エウジェニア(Eugenia)を演じたイタリア人のドミツィアナ・ジョルダーノ(Domiziana Giordano)の魅力に引き込まれた。

タルコフスキーは、女優を美しく撮る人だったなと、あらためて思う。

「鏡」で、タルコフスキーの若い頃の母を演じたマルガリータ・テレホワ(Margarita Terekhova)もそうだが、おそらく、この女優の一番美しい時期を切り取ったのではないかと思わせるような”代替の利かない”美しさがフィルムに収められている。

「ノスタルジア」は1983年の映画で、ドミツィアナ・ジョルダーノは、1959年生まれなので、この時、二十四歳ぐらいだったのだろうが、作品の重みもあるせいか、三十代の女性のような雰囲気が漂う。

アンドレイに、「光の中で、君は美しい」と賛美され、はにかむ場面もいいが、新しい恋人のドミニコ(おそらく彼女にはふさわしくない)に、タバコを買ってくるわと伝えるときの表情がとても魅力的だ。


英語版のウィキペディアによると、彼女は女優もやるが、写真家でもあり、ビデオアーティストでもあり、詩人でもあるという。

2017年11月1日水曜日

浮世の画家/カズオ・イシグロ

非常に良く練られて作られた小説だと思う。

戦後、現役を引退した画家 小野の姿を、1948年10月、1949年4月、1949年11月、1950年6月の四つの時期に分けて描いている。
小野が戦時中どのような絵を描き、実力を有していたかが、彼の末娘の縁談をめぐる人々との関係を彼が追憶することで少しずつ明らかになっていく。
そして、戦後、アメリカの民主主義と価値観に染まっていく日本社会と人々の中で、彼の立場がどのように変わったかが暗示される。

この小野という画家がどういった人物だったのかを、作者は、彼の独白と彼の視点でしか描いていない。
それでも、彼が杉村という実力者から立派な屋敷を手に入れた経緯、末娘の最初の縁談が破談となった理由、かつての弟子との冷え切った関係、彼が敏感に反応する若者からの戦争責任の追求の言葉などを通して、次第に小野が直接的には語らないの闇の部分が浮かび上がってくる。

1949年11月の章で、小野が、彼の師匠が目指していた「浮世」の画風から離れ、軍国主義的な国威発揚を煽る絵画を書くようになった経緯が判明する。
歴史の教科書に載っていたようなポスターのイメージが浮かぶ。
作者は、地元で若手画家の登竜門的な展示会を主催する岡田信源協会という謎めいた政治団体の存在を配置したり、小野の弟子が警察に非国民的な絵を燃やされるするなどの様子を描き、当時、軍国主義に染まっていった日本がリアルに描かれている。

この作品の最も効果的なところは、実は小野が語っていないところに相当な真実が隠されているのではないかと読者に思わせるところだと思う。

例えば、1950年6月の章で、小野は戦時中、次第に社会の評判を落としていった彼の師匠の別荘を眺め、彼自身の立身出世と比較して勝利感を味わう。しかし、戦後においては、小野の軍国主義的な絵は社会から当然に抹殺され、彼の師匠の絵は再評価されることになったはずである。しかし、小野はそれについて何も語らない。
小野が行きつけだった飲み屋「みぎひだり」(これも意味深な名前)も立ち退きに会い、行き場が無くなりつつある彼が、新たに建てられた会社の社屋から出て来る若い社員を見ながら、「純粋な喜びを感じる」と言ったのは、果たして本心なのだろうか。
そういう疑念のようなものが行間からふつふつと湧いてくる。

この作品を読んで、丸谷才一の「笹まくら」を久々に思い出した。
戦争から逃げた徴兵忌避者の男の戦後と、戦争を美化し、それを推し進めようとした男の戦後。

この二作品、比べて読むと、とても面白いと思う。