2017年1月29日日曜日

義経/司馬遼太郎

古川日出夫 新訳の「平家物語」を読んでいたのだが、源頼朝、義経が登場してくる段になり、ついつい、司馬遼太郎の「義経」を再読したくなった。

この「義経」は、源義経とは何者だったか、なぜ兄の頼朝に殺されなければならなかったのかが実に明確に説明されていて、司馬遼太郎の傑作の一つだろうと思っている。

世にある判官びいき的な義経を賞賛するような記述は、ほとんどない。

ここで描かれている義経は、軍略の天才でありながら、 兄の頼朝が、公家の支配からも一線を置いた武家社会を立ち上げようとしていた努力や時代的な背景を全く理解できない政治的痴呆者という欠陥をあわせ持った男の姿である。

彼を支えた武蔵坊弁慶や伊勢野三郎義盛も、頼朝が、北条家や他の武家の支えがなければ、坂東武者の盟主になることは出来ず、肉親のみに恩恵を与えるような不公平なことを行えば、信頼を失い、鎌倉政権が成り立たなくなってしまうような危うい立場にいるという事も理解していなかった。彼らは、ひたすら、自分の主人をいじめる性格の悪い兄としか、捉えられなかった。

その一方で、司馬遼太郎は、義経を、日本で最初に誕生したスターだと評している。
木曽義仲の京からの駆逐、平家を相手にしての一の谷、屋島、壇之浦の合戦での勝利。
実に四度にわたる華々しい勝利を挙げ、義経は、京の人々に圧倒的な支持を得た。

そして、その人気を利用して、義経を頼朝の対抗馬として飼いならそうとする後白河法皇の暗躍によって、ますます、兄弟の関係は離れてゆく。

義経の母 常盤を寝取る平 清盛、頼朝と北条政子の一風変わった初夜、平家を滅亡させた義経の建礼門院(平清盛の娘であり、安徳天皇の母)への夜這い。こうした奔放な色事にまつわる話が多いのも面白い。

「平家物語」の新訳を読んで、なおさらに感じたことだが、司馬遼太郎の数々の歴史物語も、古典(歴史)の新訳と捉えることで、池澤夏樹編集の日本文学全集の一巻として入れても良かったのではと、個人的には思う。

司馬遼太郎の日本の歴史への解釈が、どれだけ日本の人々に影響を与えたかは、私が言うまでもないことだと思う。
 
(池澤夏樹氏は、司馬遼太郎の作品について、日本に偏りすぎ、功利主義に偏りすぎという印象を持っているようだ)

2017年1月15日日曜日

レベレーション - 啓示 - 2/山岸凉子

英仏百年戦争の最中、神の啓示を受けたジャンヌ・ダルクが、ヴォークルールの守衛官ボードリクールに、王太子シャルル7世をフランスの王にするため、兵を貸してほしいと願い出るところから、物語ははじまる。

一度は追い返されるが、ロレーヌから来た少女がフランスを救うという古い伝説を背景に、次第に周りの人々が特別な少女であると騒ぎだす。やがて、シャルル7世とも親戚関係にあるロレーヌ公にも呼び出され、出し抜かれることを焦ったボードリクールが彼女に兵を貸し与えることになる。

髪を切ったジャンヌ・ダルクは、決して多くはない兵士たちと、敵陣を潜り抜け、シャルル7世がいるシノン城にたどり着く。

そして、王太子とその母であるヨランドが与える様々な試練、審問をくぐり抜け、信頼を勝ち得た彼女についに兵が貸し与えられ、イギリス軍に包囲され、救援を待つオルレアンに向かうこととなる。

山岸凉子は上記の物語の流れを丁寧に描いていて、特にシノン城への行軍中、男だらけの兵士の中でのジャンヌ・ダルクのトイレ問題(草むらや穴が一つの酷い環境)を描いていることに感心してしまった。(普通の作家であればスルーする)

また、彼女の足を戯れに触る兵士や、彼女を襲おうとする連れの兵士、さらに、ポワティエでの審問では肉体的に処女であることを調べられる屈辱的な検査も受けることになる。

これらの精神的なダメージと恐怖を、ジャンヌ・ダルクがいかに乗り越えていくかも、物語の見どころの一つになっている。

(しかし、彼女を襲おうとした兵士の改心の理由が笑える。こういう勘違い男は世の中に大勢います)

本当に神に選ばれた少女なのか、それとも、もともと聡明であった少女が、たまたま、何度もの幸運に恵まれただけなのか。しかし、その連続した幸運こそが神の恩寵ではないのかとも思える。

この物語は、その解釈に幅を持たせながら、ますます面白くなっている。
はやく続編が読みたい。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AC%E3%83%99%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E5%95%93%E7%A4%BA-2-%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0-KC/dp/406388676X

2017年1月14日土曜日

言霊/山岸凉子

言霊とは、言葉に内在する霊力をいうらしい。

バレエを習っている高校生の五十嵐 澄(さやか)には、秘密がある。
それは、自分がコンクールで賞を勝ち取るためには、誰か他人が失敗してくれることが必要だと信じていること。
練習では実力が発揮できながら、本番で失敗してしまったことがある彼女は、悪いことだと思いながら、自分より前に演じる友人の失敗を願う。
そんな自分を彼女は、偽善者だと感じている。

そんな澄(さやか)に、転機が訪れる。
一つは、父親の会社の経営がよくないため、母親に受験勉強をして大学に入ってほしいと言われていること。
二つ目は、ドイツにバレエ留学する予定の同い年の男子 聖也(せいや)と通っているバレエ教室で出会うこと。

やがて、彼女は、知らず知らずのうちに、バレエの技にも優れ、精神的にも大人の聖也に感化されていく。

聖也がドイツに入った後も、ブログでのコメントという方法で、彼女は、いくつもの知見を得る。
最も大きかったのは、聖也が、彼女が本番で失敗した原因を科学的に説明してくれたということ(これは演劇をやっている人は知っておいた方がよいかもしれません)。

そして、澄(さやか)にとって、決定的だったのが、バレエの本番前に澄のライバル的な存在の梓(バレエ教室の先生の姪で優遇されている)が澄に投げかけたマイナスの言葉(呪い)を、聖也が打ち消すという出来事があったということ。

当然ながら、 澄は聖也に恋することになるが、バレエのコンクールで、梓が難易度の高い優勝の狙える「黒鳥」というバレエを選択したのに対し、澄は梓の横やり(それを受けたバレエ教室の先生の判断)で、「黒鳥」を選べず、「ドルネシア姫」という優勝が狙えないバレエしか選べないことになる。

絶望する澄に、聖也が「ドルネシア姫」でもヨーロッパの選手が見事に演じていたということを語り、十分優勝が狙えるというアドバイスを受ける。
そして、聖也は、もっとも大事なアドバイスを澄に与える。

ネガティブな言葉を決して口にしない! いや考えてもいけない!
何故なら大脳は考える言葉のすべてに影響を受けるから!

考える言葉はすべてポジティブに!
自分を信じて最善を尽くす!

素直な澄は、聖也の言葉を信じる。(素直な人は伸びると個人的にも思います)
やがて、彼女は自分が他人が失敗してくれることを願っていた(呪っていた)自分は、自分自身に呪いをかけていたことに気づく。

そして、最初は偽善的だと感じながらも、ライバルの梓の成功を願い、緊張する彼女にポジティブな声かけをするようになる。それが自分の成功につながると確信しながら。

結果は、本書を読んでのお楽しみだが、読んでいて、前向きな気分になれる本だ。
別の作品「二日月」 「ブルーロージズ」でも述べられていた言葉の呪い、そして、その呪いから解き放たれるための心に、作者自身が体験しているバレエという”場”で、焦点を当てている気がしました。

今さらながらに思うが、山岸凉子という作家は、とてつもなくポジティブな作品を作る人なのだ。

http://kc.kodansha.co.jp/title?code=1000006295

2017年1月10日火曜日

メリル・ストリープの勇気

トランプ次期アメリカ大統領がtwitterに垂れ流す脅迫めいたコメントに屈し、日米の大手自動車メーカーが、米国への追加投資を決める中、ゴールデングローブ賞授与式で、映画女優のメリル・ストリープさんのスピーチが機知に富んでいて実に素晴らしかった。


(スピーチ全文)
http://www.elle.co.jp/culture/feature/74th_goldenglobes_Meryl_Streep_touching_messages170109

 ハリウッドの俳優たちの多様性を一人一人取り上げ、この多様性を排除したら、 フットボールと格闘技しか残らないだろうと冗談めかして言いながら、名指しはしてないが権力者として不適切な言動を行ったトランプ氏を批判する。

最後に、レイア姫役を演じたキャリー・フィッシャーの言葉「心が壊れたなら、それを芸術へと作り替えなさい」で締めるところは出来過ぎの感がある。

早速、 トランプ氏は、相変わらず品性が感じられないtweetで反撃したようだが、これは、メリル・ストリープさんの勇気を称賛する勲章のようなものだろう。

2017年1月9日月曜日

NHKスペシャル シリーズ東日本大震災 それでも、生きようとした ~原発事故から5年・福島からの報告~

福島県の自殺率が震災4年後の2014年から急上昇しているという衝撃的な内容だった。

都内で開設されている電話相談窓口にも、福島の人からの「もう死にたい」といった緊急性の高い相談が増加しているという。

番組では、福島の特に原発事故関連死のキーワードとして、「曖昧な喪失」 という原因を取り上げていた。

つまり、原発事故の場合、家が津波に流されて壊されるといったことにはならず、その場所に家はあるのだが、帰れないという曖昧な状況が続く。

家が壊されれば、諦めてすぐに新しい生活に舵を切れるが、昔の場所に帰れるかもしれない(でみも帰れない)という状況が延々と続くことに、疲れて命を絶ってしまう人々が多いということらしい。

もう一つは、コミュニティーの分断。

震災後は、一緒に避難していた家族や親類、連絡を密に取り合っていた近隣の人と、仕事の都合、故郷への帰還の断念などの理由で離れてしまい、孤独になってしまうこと。

南相馬市小高区に住んでいた高齢者(80歳代)が東京に避難し、2014年に命を絶った事例では、その人が2012年に小高に仮帰宅した際、無事に我が家があることから、帰って農業をしたいという希望を持ったが、小高区の除染作業が進まず、帰宅できる見通しが2016年4月になってしまった。そして、自分の田んぼのすぐ近くには、除染作業で出た廃棄物が山のように積み上げられてしまっていて、農業の再開も困難な状況を知る。そのうち、一緒に避難していた家族とも別れ、近隣の人との連絡も疎遠になり、命を絶ってしまった。

さらに、もう一つ原因として挙げられるのは、震災・原発の被害者に対する人々の関心がなくなってしまったのではないかとも。

川内村に住んでいた若い三十代の夫婦の自殺の原因は色々あったのだとは思うが、自分が作った米に対する世の中の関心があまりに低いことに絶望したことも一因だったのではないかという気がしました。

今、南相馬のNPO法人 こころのケアセンターなごみセンターでは、アウトリーチという手法で、社会との接点を持ちづらい一人で暮らしている高齢者の家を訪問し、医療支援から洗濯・家事といった部分まで関わり、自殺を防ぐ懸命の試みが紹介されていた。
老人の拒絶的な言葉をひたすら傾聴する女性スタッフの苦労が思いやられた。(しかし、このセンターの人員は4名だけだという)

改めて、原発・震災問題は何も終わっていないということを感じた番組だった。

https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170109

2017年1月8日日曜日

枕草子 酒井順子 訳/日本文学全集07

春はあけぼの...ではじまる、あの「枕草子」の清少納言は、本名も生没年も不明だという。

分かっていることは、彼女は清原元輔という二級貴族の娘で、和歌が得意な父からその教養を授かった。十代で名門の貴族であった橘則光と結婚し、男の子を産んだが、ほどなく別れ、二十代半ばで三十近く年上の藤原棟世と再婚する。

やがて、関白 藤原道隆の娘で一条天皇の皇后となった中宮定子に仕えることになる。
父である藤原道隆が死に、関白職が藤原道長に移ると、中宮の一家は没落してゆくが、才気煥発であった中宮定子は一条天皇の寵愛を受け続け、女性としての魅力ひとつで、道長の権力と渉りあうことが出来た后だった。

清少納言は、そんな中宮定子に才気を見込まれ、同質の才能を有する主人を敬愛し、彼女の役に立つことに喜びを感じ、自らの教養と機知に富んだ当意即妙な応答で宮中の評判となる。

この新訳 「枕草子」が、一貫してポジティブな雰囲気に溢れているのは、彼女と中宮の才気と趣味の良さに対する絶対的な自信と、それが人々に感嘆されることへの喜びが基にあるからだろう。

中宮定子がわずか二十五歳で亡くなったことで、清少納言も、その後不遇になったようだ。
案外、彼女は、この幸福の記憶を懐かしく思い出し、書き留めながら、自分の現在を慰めていたのかもしれない。

そう思いながら、この新訳「枕草子」を読むと、今までとまったく違う清少納言のイメージが生まれてくる気がしませんか。

2017年1月7日土曜日

映画 傷物語Ⅲ 冷血篇

傷物語も、いよいよ最終話。

前作で、ギロチンカッターとの戦いに勝利した阿良々木が、持ち去られた両腕を取り戻し、そして、忍野メメから心臓を取り戻し、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードは、完全復活する。

約束通り人間に戻れると思った阿良々木は、彼女と別れの会を開こうとするが、ギロチンカッターを血だらけになって食べるキスショットの姿を見て、ショックを受ける。

物語のストーリーを知っているだけに、新鮮味はなかったが、 若干、過剰な描写になっていたなと感じたのが、このキスショットの食事のグロさと、阿良々木が羽川翼の胸を揉むことを妄想するエロさ、そして、キスショットと阿良々木が体をバラバラにされても戦うグロさだろうか。

要するに、エログロですね(笑)

個人的には、忍野メメと3人の吸血鬼ハンターとの密約があったことの説明、 キスショットの本心に感づいた羽川翼のせいで作戦が台無しになったことに対する忍野メメが苦い言葉を吐くシーンは残しておいてほしかった。(たぶん、それがこの物語の肝にあたる部分)

しかし、この後、猫物語(黒)、化物語と続いていく原点の作品であったことを思うと、 やはり、感無量なところはある。