2011年12月31日土曜日

2011年 年の瀬に

今年は、日本が、災害に見舞われた年だった。

1月の宮崎県の鳥インフルエンザ、霧島山・新燃岳の噴火から始まり、
3月11日の東日本大震災。
4月の宮城県の震度6強の余震、6月は長野県松本市で震度5強の地震。
7月は新潟・福島で記録的な大雨が降り、
9月には、台風12号が紀伊半島で大規模な土砂災害をもたらし、 台風15号は首都圏で再び交通を麻痺させた。

特に東日本大震災の被害は、はかりしれない。
(12月29日現在、警察庁まとめ)
死   者…1万5844人(宮城9506人、岩手4667人、福島1605人)
行方不明…   3451人(宮城1861人、岩手1368人、福島218人)
合   計…1万9295人

その中でも、もっとも深刻なのは、福島第一原子力発電所の事故だろう。

住むところを失い、知人や家族とも離れ離れになり、生活の基盤を無くした人たち。
多くの人が、未だ、自分たちの家に戻ることができない状況が続いている。

政府と東京電力は12月21日、 福島第一原子力発電所の1号機から4号機の廃炉工程表を了承したが、廃炉完了までには30~40年要するということだ。

福島の子供たちは、いまだ、身近なところで被爆の脅威にさらされている。

原発問題を取り扱った作品で、Webで読むことができるものがあるので、以下紹介します。


漫画で、原発の安全性への疑問、放射能の恐ろしさが分かりやすく理解できます。
22ページの「放射能の恐ろしさは人間の注意力や忍耐の限度を超えたところにあるのです」
という部分が非常に説得力があります。


原発の安全性の嘘がよく分かる文章です。
「…人はすべて愚かであるということ、原子力発電所を完全に無事故で何百年も運転できるほど賢くはない…」という部分が非常に説得力があります。

2011年12月30日金曜日

東電原発事故調査・検証委員会 中間報告書に思う

12月26日 東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 中間報告書が公表された。

この中では、今回の事故の対応をめぐる様々な問題点が指摘されている。以下、特に気になったところだけ取り上げてみた。

・福島県のオフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)には、放射性物質を遮断する空気浄化フィルターが設置されておらず、事故の進展に伴う放射線量の上昇により、現地対策本部を現場から離れた福島県庁へ移転せざるを得ず、本来発揮すべきであった事故時の情報交換や対策の検討を行うための様々な設備が使用できなかった。
なお、 空気浄化フィルター の問題は2年前に総務省より勧告を受けていたが保安院は対応していなかった。

・1号機の全運転員が原子炉冷却を担う非常用復水器(IC)を作動させた経験がなく、非常用復水器が作動していると誤認し、炉心冷却が遅れた。

・緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)によって得られた今回の事故による放射性物質の拡散傾向の予測情報が、文部科学省、保安院 、原子力安全委員会、内閣官房の連携のまずさにより、活用されなかった。そのため、各市町村は有効な避難指示を出すことができず、避難経路・避難場所が、放射性物質の飛散した方向と重なるケースが多数発生した。
なお、文部科学省、保安院及び安全委員会によるSPEEDI 計算結果の公表がなされたのは、5月3日のこと。

・条約上の通報義務はないことから、汚染された水を、周辺諸国への事前説明をしないまま海洋放出し、周辺諸国に日本の対応に対する不信感を与えた。

・津波対策の基準を提示するのは保安院の役割だが、その努力がなされた形跡はなかった。

しかし、報告書で、今回の事故の原因の本質を突いていると思われたのは最後の「10 おわり」の部分だ。
今回の事故では、例えば非常に大きな津波が来るとか、長時間に及ぶ全交流電源の喪失ということは十分に確率が低いことと考えられ、想定外の事柄と扱われた。そのことを無責任と感じた国民は多いが、大事なことは、なぜ「想定外」ということが起こったかである。
原子力発電は本質的にエネルギー密度が高く、一たび失敗や事故が起こると、かつて人間が経験したことがないような大災害に発展し得る危険性がある。しかし、そのことを口にすることは難しく、関係者は、人間が制御できない可能性がある技術であることを、国民に明らかにせずに物事を考えようとした。
それが端的に表れているのが「原子力は安全である。」という言葉である。一旦原子力は安全であると言ったときから、原子力の危険な部分についてどのような危険があり、事態がどのように進行するか、またそれにどのような対処をすればよいか、などについて考えるのが難しくなる。
「想定外」ということが起こった背景に、このような事情があったことは否定できない。
今回の事故を通して、原子力が「人間が制御できない可能性がある技術であること」は、すでに明白な事実だろう。

また、人間が作った組織、国家というものは、都合の悪いところは隠蔽し、嘘をつき、国民も容易にだまされ(というより見たくない現実からは目を背け)、思考停止に陥るということも。

人間が制御できない可能性がある技術であるかぎり、今回の事故検証によって政府や東電が「想定外」に備えても、なお、「想定外」の事態は再び起こりうるのではないだろうか?

とすれば、報告書の結論は、原子力発電の廃止に向けた提言ということが妥当ではないかと思う。

今回の事故調査・検証により得られた教訓は、防災、災害時の対応 、危機管理、 社会一般の失敗事例等、様々な分野に有効活用してもらいたい。

しかし、報告書を反省材料として、原発を本格的に再稼動することには絶対に役立ててほしくないと思った。

2011年12月25日日曜日

聴くことの力/鷲田清一

もし、あなたが医者だとして、重症の患者から、「私はもうだめなのでしょうか?」と問われたら、次の5つの選択肢のうち、何を選んで答えるだろうか?

(1)「そんなこと言わないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます。

(2)「そんなこと心配しないでいいんですよ」と答える。

(3)「どうしてそんな気持ちになるの」と聞き返す。

(4)「これだけ痛みがあると、そんな気にもなるね」と同情を示す。

(5)「もうだめなんだ…とそんな気がするんですね」と返す。

医師(精神科医を除く)・医学生、看護士・看護学生、精神科医にアンケートをとったところ、

医師(精神科医を除く)・医学生のほとんどが、(1)を、
看護士・看護学生の多くが、(3)を、
精神科医の多くは、(5)を選択したという。

(5)は、一見すると、患者の問いに対する何の回答にもなっていない。
しかし、患者に対する「あなたの言葉を確かに受けとめました」という重要な意思表示なのだという。

<聴く>という行為は、何もしないで耳をかたむけるという単純に受動的な行為ではない。
語る側からすれば、自分の言葉を受けとめてもらったという確かな出来事になる。

こうして、患者は、口を開きはじめ、得体の知れない不安の実体が何なのか、聞き手の胸を借りながら探しはじめる。

「聴くことの力」/鷲田清一は、そんな例をあげて、語る・諭すという他者に働きかける行為でもなく、論じる・主張するという他者を前にしての自己表出の行為でもない<聴く>という、他者の言葉を受けとる行為の意味を、哲学に結び付けて検討している。

私が面白いと思ったところは、昔、毎日新聞の「人生相談」のコーナーの回答者を、作家の宇野千代が担当していたときの回答の内容である。

宇野千代は、まず、相談者が発した相談の言葉を「…、と言うのですね」、「…、と言うのですね」としきりに執拗に反復するのだ。

これによって、相談者からすると、思いを決して発した言葉が、回答者によって漏れなく受けとめられ、送り返されることで、自分の言葉を確かにキャッチしてもらっているという安心が生まれるという。
(と、同時に自分が発した言葉を客観的に見つめることができるという長所もあるのではないか)

私が読んでいる読売新聞の人生相談のコーナー(ついつい読んでしまう)でも、上記のように、相談者の言葉を反復する回答者が多いような気がする。

不思議な話だが、質問者の文章には、すでに回答が隠れており、回答者が反復することで、それがますます明らかになっていくというケースが多いような気がする。

また、「聴くことの力」には、こんなことも書いてあった。

子供が、泣きながら、あるいは興奮した状態で帰ってくる。
親が「きょう、何をしてきたの?」と聞いてみる。
子供がとぎれとぎれに話した内容を、聴いた親が、
「そうか、…は、きょうは、 … …をしてきたんだね。大変だったね。」と、子供の言葉を反復して、物語としてまとめてあげる。
それだけで子供は満足し、心が落ち着く場合が多いという。

企業でも、コーチング、ホスピタリティという言葉をよく聞く昨今。

<話す>ことが、他者とのコミュニケーションの第一歩であることは間違いないが、それだけでは、より深いコミュニケーションをとることはできない。

<聴く>ことの重要性は、今後も、ますます高まっていくのだろう。

2011年12月24日土曜日

カフカの「断食芸人」 その2

「カフカの生涯」/池内紀を読んでいて、カフカが死の間際、短編「断食芸人」の校正をしていたことが分かったときは、複雑な思いがした。

カフカの死因は、喉頭結核という病気であったが、この病気は、咳が止まらず、喉が焼けるように痛む症状だったらしい。

そのため、カフカは、食べ物を呑み込むのも苦しく、話すこともままならない状態だったという。

粥にしても喉を通らず、スープも水もダメ。わずかに少しのビールやワインにレモンを絞り込んだものを飲むことができたが、その後、焼けつくような渇きがおとずれる。

水が飲めないカフカは、看護人が花瓶に挿したライラックの花を見ながら、話すのが禁じられていたので、小さな紙に書き留めた。

「おかしいね。このライラック、そうじゃない? 死につつ飲んでいる。まだたらふく飲んでいる。」

最後は、痛みをやわらげるアルコール注射も効かなくなり、モルヒネが投与された。

強いられた絶食状態の中で、彼はどんな思いで自分が書き上げた「断食芸人」を校正したのだろうか。

2011年12月23日金曜日

渋谷/藤原新也

「渋谷」を読んで、心を打たれるのは、やはり「母親に罵声のひとつも浴びせて君の名は」の話である。(タイトルのつけ方がうまい)

作者が、渋谷のセンター街で、母親に「うぜえんだよ!」と罵声を浴びせる少女をみかけ、勤め先のファッションマッサージまで後をつけ、客として少女の身の上話を聞くという、フィクションなのか、ノンフィクションなのか、微妙な感じの話だ。

作者は、少女の話を聞いたあと、君にそっくりな少女を知っているよ、と言う。

その少女 エミは、明らかに写真集「千年少女」に映っている被写体の一人の少女の話だ。

その子の生い立ち、写真集のモデルに応募した動機、写真を撮ったときの洋服を選んだときの話、写真集を撮ったあとの話…

とりわけ、エミが、母親が選んだ洋服とは正反対の印象の、真赤なタンクトップと薄いピンクのチェックのスカートを着るあたりの話がとてもいい。

エミの話は、話の重さからして、おそらく実話なのだろう。
そういう背景を知らなくても、「千年少女」は、とてもきれいな写真集だ。
しかし、知ってしまうと、また、特別な思いで、その子の写真を見てしまうのも事実だ。

2011年12月21日水曜日

釜石の奇跡

NHKニュースで、3.11の震災の際、岩手県釜石市の小中学生が、ほぼ全員無事に避難できたというニュースをやっていた。

もちろん、このような奇跡は偶然生まれたのではない。

http://www.t-toyoyama-j.ed.jp/photo/kamaishi.pdf

釜石市は、平成17年から津波防災教育を行ってきたということだが、その内容が徹底している。

それは、余裕のない授業スケジュールの中、特別な防災教育の時間を設けず、各単元で、無理なく防災の知識を学ぶことができるように工夫されているところだ。

http://www.ce.gunma-u.ac.jp/kamaishi_tool/cont-01/c01_0.html

ニュースで取り上げられていた小学生の男の子は、妹と2人だけで自宅にいたが、地震があった際、親の指示も待たず、自分たちの判断だけで避難を開始したという。
バックに飲み物まで詰めて避難していたのだから、脱帽である。

上記の男の子のように、子供たちが大人たちの指示を待たずに、以下の三原則に基づいて、自分で考え行動していたところが、すごい。

1.想定にとらわれない
 浸水想定区域外に指定された場所も危ういと考え、自らの判断で避難。

2.状況下において最善をつくす
 状況の変化を見逃さず、さらに安全な高台を目指した。
 結果として、それらの判断が命を救った。

3.率先避難者になる
 中学生が率先避難者となって小学生を導いた。

今回の震災においては、これら三原則が全て有効に機能したことになる。

結局、防災対策といっても、年に1回の訓練だけでは、付け焼刃に過ぎない。

子供たちが自発的に行動できるレベルまで防災教育を行っていた釜石市の事例は、災害にどう向き合うかという点で、多くのヒントを提供してくれていると感じた。

2011年12月17日土曜日

「昭和」という国家/司馬遼太郎が言いたかったこと

あれだけ多作な作家であったが、「昭和」(敗戦)という時代については、ついに一つの物語も残さなかった。

わずかに、「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」のあとがき、「草原の記」、「この国のかたち」、『「昭和」という国家』および「司馬遼太郎全講演」に、「昭和」について断片的に語られている。

『「昭和」という国家』で、司馬遼太郎は、 「昭和」 という時代について、こんなことを語っている。
「昭和というものを書く気もおこりません。書いたらですね、おそらく一年を待たずして私はおかしくなりそうですね。」 
「昭和という時代は、書いていて実に精神衛生に悪いところを持っています。」 
司馬遼太郎が物語として日本の歴史をさかのぼり、現代の方向に戻ることができたのは、「日露戦争」(「坂の上の雲」)の終結までだった。

司馬遼太郎が「日露戦争」以後の日本について書いている内容を簡単にまとめると、こんな感じだ。

・日露戦争後の賠償に対する不満から起きた「日比谷焼打事件」は、日本がロシアにぎりぎりのところで勝ったという実態を理解していない群集が起こした暴動である。

・その日露戦争に対する群集の誤認について、ジャーナリズムは本当の実態を何ら明らかにせず、国家も「日露戦史」を作成したが、総花的な中味のない検証しかできなかった。

・やがて、その誤認(リアリズムのなさ)が群集だけのものでなく、国家全体のものになってゆき、「日本は絶対負けない。日本は絶対正しい。」という客観性のない狂信的なものに変わっていった。

・明治時代を作り、支えた人たちは、江戸時代の各藩から集まった人たちで、生き方・考え方に多様性があった。しかし、大正時代に入ると、その江戸期の遺産はなくなり、ペーパーテストで出世する学歴社会となってゆく。第一次世界大戦の好景気もあり、たくさんの学校が設立され、秀才教育、偏差値教育が重視されるようになっていった。

・そういった教育を受けた秀才たちが、日本軍の中枢にあって、実態のない認識・考え・言葉に基づき、戦争を進めていった。

司馬遼太郎は、『「昭和」という国家』の最後のほうで、国際社会の中で、日本人がこれからどうすればよいかということについて、こんな言葉を残している。
これから世界の人間としてわれわれがつき合ってもらえるようになっていくには、まず真心ですね。
真心は日本人が大好きな言葉ですが、その真心を世界の人間に対して持たなければいけない。そして自分自身に対して持たなければいけない。
相手の国の文化なり、歴史なりをよく知って、相手の痛みをその国で生まれたかのごとくに感じることが大事ですね。
いろいろな 事情から、国家行動とか民族的な行動が出てくるものなのだと、社会の現象も出てくるものだと、いろいろ事情を自分の身につまされて感じる感覚ですね。
そういった 神経を持ったひとびとが、たくさん日本人のなかに出てくることによってしか、日本は生きていけないのではないか。
ほぼ、同じ内容が「二十一世紀に生きる君たちへ」にも書かれている。

考えようによっては、 「昭和」(敗戦)という時代について、 司馬遼太郎が一番言いたかったことは、これからの事だったのかもしれない。

2011年12月15日木曜日

大野雄二の音楽

松田優作の「遊戯シリーズ」など、80年代の角川映画を見ていると、大野雄二の音楽がバックで流れていることが多い。

ルパン三世の「愛のテーマ」も、ジャズっぽい音楽が子供ながらに心地よかった。

たまたま、アニメのエンディングテーマで耳に残る音楽があると、十中八九、大野雄二だった。

音楽を聴いているだけで80年代の気分になってしまうというのは、日本のミュージシャンでは、私にとっては、大野雄二だ。

アニメ「アンドロメダストーリーズ」も、竹宮恵子の絵と同様、その音楽が、いまだに印象に残っている。


2011年12月13日火曜日

断腸亭日乗/永井荷風

「断腸亭日乗」は、永井荷風が大正6年(1917年)9月16日から、死の前日の昭和34年(1959年)4月29日まで書き続けた日記だ。

ぱらぱらと適当なページを開いて読んでいると、面白い日記がたまに出てくる。

昭和11年(1936年)1月30日などは、住み込みの召使の下女が、手切金(ということはただの召使の関係ではない?)をとらずにいなくなったことに関し、三、四十年来、一人だけだったことを特筆している。(荷風はかなりケチだったみたいです)

また、荷風がそれまで付き合っていた女性16人(大半が芸者・女給)に関して、名前、馴れ初め、身受の時の金額などが、事細かに記されている。
(いずれ、公になることを想定して書いている日記に、こういう情報を平然と載せるあたり、やっぱり、荷風はちょっと変わっているような気がします)

十六まで書いて、「この外、臨時のもの挙ぐるに遑(いとま)あらず、」と記されているあたり、荷風のどうしようもない好色さと苦労がにじんでいて、読んでいて味わい深い。

2011年12月12日月曜日

カフカの一日

「カフカの生涯」(著者 池内紀)が、とても興味深い。
この中に、カフカの奇妙な一日の過ごし方が載っている。
朝八時より午後二時ないし二時半  労働者傷害保険協会勤務 
午後三時ないし三時半         昼食 
七時半まで                仮眠 
そのあと(約十分間)           体操 
そのあと一時間              散歩 
そのあと                  家族と食事 
夜十時半ないし十一時半より      執筆  
(しばしば夜明けまで) 
そのあと                  体操 
そのあと                  ベッド
カフカは二十年近くこの生活を続け、サラリーマンのかたわら、小説を書いた。

なぜ、こんな無理な生活をしたのだろうか。

カフカの母親は、息子が心配なあまり、カフカの文通相手の女性の手紙を盗み見、ひそかに、その女性に手紙を送って、書きもののせいで無理をしないように息子に注意してほしいと頼んだ。

「ぼくの書くものに価値がないとしたら、それはつまり、この自分がまるで無価値だということだ」

こんな言葉も、女性に対する手紙に書いていた。
ピュアな男である。

カフカは、結局、無理がたたって咽頭結核にかかってしまう。

しかし、彼が命を削って書いた小説たちは、今だにその魅力を失っていない。

2011年12月10日土曜日

夢帰行/市川森一

「夢帰行」は、かなり印象に残っているドラマ(市川森一脚本 NHK1990年放映)だ。

バブル崩壊で金に困った不動産会社の経営者(主人公の仲村トオル)と、その幼なじみである片腕の薬丸裕英と、浜田雅功(お笑い芸人)がグルになって、登記簿謄本を改ざんし、詐欺をはたらき、3億円をだまし取るが、ヤクザに追われて逃げ場を失い、故郷である三重県 伊賀上野へ逃避行する。

その逃避行の中で、物語は同時並行的に仲村トオル演じる主人公の過去を遡っていく。
そして、その中で、主人公の人生を左右する女性(麻生祐未)が、各回、姿形を変えて現れる。

①遠いけむり
主人公の少年時代。炭焼きを営む山を不動産業者に騙し取られ、家族を壊された女性が、炭焼きの窯に不動産業者の男を突き落とす。主人公の少年はその光景を見てしまう。

②風の行方
主人公の高校生時代。臨時の司書をつとめる女性と仲良くなり、学校卒業後は、女性の実家で漁師になることを約束するが、その約束を破ってしまう。

③見知らぬ戦場
主人公の大学生時代。学生運動さかんな時代、映画館のもぎりをしている女性を好きになる。しかし、彼女はベトナム戦争の脱走兵を保護する活動をしていた女性だった。主人公は女性のために、父親の仕送りを全て競馬に賭けてしまう。

④笛や太鼓に誘われて
主人公の会社員時代。薬丸裕英とともに、独立して不動産会社を設立。会社の命運がかかるような大規模な土地買収計画を進める中、買収に応じない神社の娘を好きになってしまう。しかし、薬丸演じる友人が地上げ屋を使って、その神社を焼いてしまう。

⑤昔、あるところに
主人公の現在。逃げ込んだモーテルで通報され、あやうく捕まりそうになるところで、同伴のホステスに助けられる。主人公は、故郷近くの山で炭焼きの窯を見つけ、女性とともに炭焼きを行う。

五回とも楽しみに見ていたが、あまりに面白かったせいで、実際に、その後、伊賀上野を旅してしまった(山に囲まれたのどかな街で花粉症が悪化してしまったことを覚えています)。

市川森一さんのご冥福を心からお祈りします。

2011年12月9日金曜日

スピンクス/鬼子母神/メディア/山岸涼子

山岸涼子の特徴のひとつは、自らを押さえつけ、束縛し、無力化しようとする存在との葛藤や戦いを描いている作品が多いことだ。

「スピンクス」は、魔女スピンクスの館に幽閉された男の子が、その魔力から逃れようとする物語だ。

歪んだ異常な世界の意味することが物語の終わりのほうで分かったとき、少女漫画が人間の内面世界をここまで描くことができるのだということに驚いたのを今でも覚えている。

「鬼子母神」は、夫に失望した母親の愛情と期待を一身に受け、そのプレッシャーに押しつぶされてしまった兄と、母親の鬼子母(愛しすぎて子供を食べてしまう母親)の一面を見抜いてしまった妹の苦悩を描いた作品だ。

この作品を読んだとき、藤原新也の「乳の海」を思った。
(「乳の海」も、母親にペットの「チワワ」同然に育てられてしまった青年が、何とかその呪縛から抜け出そうともがく様子を描いた作品です)

「メディア」は、ギリシャ神話の「王女メディアの子殺し」から題名をとりながらも、物語は、女が母親役にしがみついて起こってしまう子殺しの悲劇だ。

これらの作品の裏の主題は、父親の不在(あるいは存在感のなさ)。

ストーリーがとてもしっかりして、絵もきれいなのですが、よけい怖いです。

一番悲劇的という意味では、「鬼子母神」の兄かもしれないですね。

なぜなら、「スピンクス」の少年も、「メディア」の女の子も、このままではいけないことを自覚し、必死に戦うのですが、「鬼子母神」の兄は母親の愛情に飲み込まれてしまい、いまだ自分を取り戻せないからです。

2011年12月8日木曜日

女性対男性/丸谷才一

「Xmas」の『X』は、何を表しているのか?
男が女に問う。
女 「イエスが十字架にかかって死んだでしょう。だから、十文字のぶっちがえ(斜めに交差しているの意)である十字架はイエスを意味して、そこでXmas」 
男 「正解は、『X』は、キリストという意味の”クライスト”で、なぜ『X』が”クライスト”になるかというと、ギリシャ語のせいである。ギリシャ語で、キリストという名を書くと『X』が頭文字になってしまう。その頭文字をとって、キリストを代表させたわけ」 
男「ヨーロッパでは、クリスマスに何を食べるか知ってる?」 
女「知ってるわよ。七面鳥でしょう。決まってるじゃない」 
男「あれはアメリカ。ヨーロッパでは、アヒルを食べたり、鯉を食べたりする」 
女「どうして鯉なんか食べるのかしら?」 
男「それが、ギリシャ語と関係がある」…
という感じの、男と女のちょっぴり知性をきかせた会話のサンプル集が、「女性対男性」です。

1977年の本なので、今、読むと、言葉遣いが古臭くなっているのは否めないが、会話を面白くするゴシップねたが至るところに散りばめられているという点で、その価値は落ちていないと思う。

こういうユニークな本を書こうと思い立ったところが、小説家/批評家 丸谷才一の偉大なところである。

2011年12月7日水曜日

ランボーにまつわる話

その昔、サントリーのウイスキーのCMで、アルチュール・ランボーを題材に取り上げた幻想的なCMがあった。

そのCMにすっかり魅せられて、本屋に行って、ランボーの詩集を買い求めた人は多いのではないだろうか?

私の場合、新潮文庫の堀口大學訳の「ランボー詩集」だった。

それまで、詩なんかろくに興味もなかったが、「飢餓の祝祭」のような吐き捨てるような強烈な言葉は、中学生が読んでも、そのパワーが十分に感じられた。

その後、期間が空いたが、大学生の時代に、小林秀雄の「考えるヒント4」を読み、そこに収録されているランボーへの憧憬というのだろうか、独特の陶酔ぶりが伝わってくる文章と詩集を読んで、またランボー熱に冒された。

しかし、何といっても、ランボーの人生そのものが一片の詩のように美の創造と破壊そして謎に満ちているところが最大の魅力ではないだろうか?

ランボーは、詩人ヴェルレーヌに絶賛されながらも、二十歳で詩作を止め、ヨーロッパ、アフリカの諸国を巡りながら、教師、兵士、サーカス団の通訳、武器商人、隊商の頭、探検家などなど様々な職を転々とし、三十七歳の若さで死んだ。

個人的には、「俺は、夏の夜明けを抱いた。…」からはじまる、飾画(イリュミナション)の「夜明け」が、すごく好きです。



2011年12月4日日曜日

文字禍/中島 敦

たまにだが、普段書きなれたはずの漢字が思い出せないときがあり、ワープロで変換してみて、自分が忘れてしまった漢字は、こんな形はしていなかったはずだと頭の中で違和感が残るときがある。

中島 敦の「文字禍」を読んでいて、ふとそのことを思い出した。
「一つの文字を長く見詰めている中に、いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。
単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを有(も)つことが出来るのか、どうしても解らなくなって来る。」
このように、意味のない単なる線の集合が、音と意味とを有することができるのは、文字の霊の存在があるからだというのが、この物語の主題だ。

 文字の霊は、必ずしも人々にとって良い事ばかりもたらす訳ではない。
文字を覚えてから今まで良く見えた空の鷲の姿が見えなくなった者、空の色が以前ほど碧くなくなったという者…近頃人々は物臆えが悪くなった。…人々は、もはや、書きとめて置かなければ、何一つ臆えることができない。…人々の頭は、もはや、働かなくなったのである。
獅子という字は、本物の獅子の影ではないのか。それで、獅子という字を覚えた猟師は、本物の獅子の代りに獅子の影を狙い、女という字を覚えた男は、本物の女の代りに女の影を抱くようになるのではないか。
今の時代で言えば、媒体は書物から、PC、スマートフォン、iPadなどの情報端末に変わったのかもしれないが、本質的には変わっていない。
「文字」を「情報」に置き換えてみたら、ますますそうかもしれない。

この作品が発表されたのは、昭和十七年二月。
日本軍が次々と東南アジアの国々を侵略していた年である。

そんな時代に背を向けて、どこかマイナーポエットな作品を書き続けた中島 敦は、この年の12月4日に、気管支喘息で亡くなっている。

三十三歳という短い人生だったが、その作品はどれも質が高い。