2014年2月25日火曜日

猫物語(白)/西尾維新 その二

西尾維新の物語シリーズは、主人公の阿良々木暦が出会った怪異を持つ少女たちを彼の視点で物語る作品が多いのだが、この猫物語(白)では、怪異を持つ羽川翼自身が語る設定になっている。

羽川翼は、物語の冒頭で、そんな設定を、コナン・ドイルの推理小説 シャーロックホームズの作品の中で、助手のワトソン博士ではなく、ホームズ自身が物語った作品「白面の兵士」になぞらえている。

この「白面の兵士」、どんな物語だったか、すぐに思い出せなかったが、原文で表記されていた

The ideas of my friend Watson, though limited, are exceedingly pertinacious.

の一節は覚えがあった。
確か、村上春樹の「羊をめぐる冒険」でも、この一節が取り上げられていたような気がする。

わが友、ワトソンの思考には、限定的ではあるが、ひどく執拗なところがある。 ぐらいの意味か。

考えてみれば、シャーロック・ホームズを熱心に読んでいたのは、小中学生の時代である。
どんな作品なのか、気になって調べていたら、なんと、今は、インターネットで読めてしまうのですね。(しかも味のある挿絵入り)

http://www.221b.jp/h/blan.html

五分ほどで一読。
筋立てがシンプルで登場人物がまともな人達で、不快な要素がない。すごく読みやすい。
いかにも古典的推理小説なだと思ったが、タネの部分からして、これは子供のころは記憶に残らないだろうと思った。

しかし、 ワトソンの語り口を批判したせいで、 " Try it yourself, Holmes ! " と言われ、自ら語らざるを得なかった名探偵という状況は、改めて考えてみると確かに面白い。

羽川翼は、そんなホームズに「のきなみ」がっかりしてしまったようだが、一方で、ホームズとワトソンの関係を、自分と阿良々木暦の関係のようにも感じ、自分探しの結末が阿良々木暦をがっかりさせないかを気に病んでいる。

こんなシャーロック・ホームズの珍品に目をつけて、登場人物に物語の前提を語らせてしまうとは、なんともユニーク。

ちなみに、ワトソンが登場せずに、ホームズ自身が物語るもう一編の「ライオンのたてがみ」も、上記のサイトで読むことができます。
(タネの部分も意外でしたが、人間関係の描き方に感心しました)

2014年2月24日月曜日

集団的自衛権行使の憲法解釈の見直し

ニュースで、安倍首相と民主党の岡田さんが論戦をしていた「集団的自衛権」の問題

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20140222-OYT1T00031.htm

安倍さんは、憲法9条の解釈を変更して、従来、憲法改正を得なければ行使できないと言われていた集団的自衛権について、その解釈変更を閣議決定した後、国会の審議に回そうという手続きを考えているらしく、民主党の岡田さんは、そんな重要な解釈変更を先ず閣議決定するのはおかしい。手続きとしては先に国会で審議すべきだという意見らしい。

この「集団的自衛権」の定義とは、

「自国と密接な関係にある他国に対する攻撃を、自国に対する攻撃とみなし、自国の実体的権利が侵されたとして、他国を守るために防衛行動をとる権利」のことを言う。

わかりやすく言えば、同盟国のアメリカが第三国から攻撃を受けた場合、日本は攻撃を受けていなくても、自国に対する攻撃とみなし、反撃する権利ということだろうか。

確実に言える事は、自衛隊が交戦する可能性は一段と高くなるということだろう。

「国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第 9 条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」

というのが、従来の政府見解だったらしい。

以下の資料がよくまとまっているので、参考まで
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/pdf/073002.pdf

上記資料を見ると、個別的自衛権の解釈も集団的自衛権の解釈も、憲法制定から徐々に拡大されてきた経緯が分かるが、それら政府見解は全て国会答弁の中で述べられていることが分かる。

安倍さんは、閣議決定した後、国会の審議に回すと言っているので、一見よさそうにも思えるが、明らかにアメリカとの日米防衛協力の指針(ガイドライン)の改定のスケジュールを見据えたものとなっており、先日の秘密保護法案同様、適当なところで審議を打ち切り、この新解釈で突っ走っていく可能性は否定できない。

なぜ、そうまでして急ぐのか。

安倍首相をいつも強力に支持する読売新聞をみると、どうやら、尖閣諸島を中国が占拠した場合を想定してのことらしい。しかも、軍隊による占拠ではなく、不法操業の漁船を装っての占拠を想定しているらしい。

つまり、尖閣諸島を守ろうとするアメリカが日本国外で攻撃を受けた場合も、憲法違反とならないよう、解釈を変更して、共に戦えるようにしておくので、アメリカさん、ちゃんと日本を守ってねと言いたいということなのだろう。

しかし、そもそもの疑問だが、そんな事態が起きたときに、本当にアメリカは中国と交戦してまで日本を守る意思はあるのだろうか。今のアメリカ政府の対応をみていると、それはないようにも思える。

また、中国は本当に尖閣諸島を占拠する軍事行動を起こすだろうか。
それは本当に日中戦争に発展しかねない危機だ。そして、同盟国であるアメリカとも明確に事を構えることになるだろうし、国際的な非難も確実に浴びることになるだろう。

まず急ぐべきことは、そんな事態は生じないと言い切れないほど悪化してしまった両国関係の改善だろう。
安倍首相が先ず注力すべきことは、何としてでも中国 習近平 氏との対話を実現することではないのか。

そういった対話のメッセージを出さすに、靖国神社の参拝、首相周辺らの失言(特に否定も叱責もなし)、武器輸出三原則の緩和、集団的自衛権の拡大解釈というメッセージばかり送っていれば、否が応でも、日中間の緊張は高まってしまうだろう。

2014年2月23日日曜日

猫物語(白)/西尾維新 その一

ライトノベルを読むことにもすっかり抵抗がなくなり、西尾維新の物語シリーズを楽しみながら読んでいる。

この猫物語(白)は、アニメも何度か繰り返しみているので、大方あらすじは分かっているのだが、冒頭の文章を読むと、ついつい引き込まれてしまう。
羽川翼という私の物語を、しかし私は語ることができない。
は、夏目漱石の「我輩は猫である」 の書き出し
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
を彷彿させる文章である。

しかし、猫は名前が無いのに己が猫であることを認識し、人間社会を辛らつに批評しながら物語を進めることができるのに対し、羽川翼は名前があるのに自分が何なのか、誰なのかが分からず、迷子のように自分探しの物語を語りはじめる。

対照的だけれど、猫物語(白)は、明らかに「我輩は猫である」 を意識して書いている。

たとえば、羽川翼が白無垢の自分を保つために切り離した、いやな感情、ストレスを一手に背負わされたもう一つの人格 ブラック羽川は猫の怪異である。

その猫であるブラック羽川は、羽川翼が眠った時点でその姿を現し、「我輩は猫である」 の猫同様、羽川翼を主人と呼び、猫語(語尾ににゃん)で主人の行動と環境を分析し、彼女なりに主人をサポートしようとする。

そして、もう一つ、羽川翼が切り離した、彼女の嫉妬心が生んだ虎「苛虎(かこ)」は、「我輩は猫である」 の猫同様、
薄暗いじめじめした所でニャーニャー(しくしく)泣いていた事だけは記憶している。
と己の出生を語り、自らを「吾輩」と呼ぶ。人間という存在に対して悲観的、否定的なところも似ている。ちなみに、「我輩は猫である」の猫は午睡のときに、自分が「虎」になる夢をみる場面も出てくる。

西尾維新の物語には、こんな風に、古典文学がひょこっと顔を出すことがある。
それを通り過ぎて(羽川翼 風にいえば、スルーして)読んでもいいのだけれど、立ち止まって色々考えてみるのも面白い。

2014年2月17日月曜日

花物語/西尾維新

西尾維新の物語シリーズで、まだアニメ化がされておらず、物語中の出来事としては一番未来の話という設定が気になり、「傷物語」と同じことだが、堪え切れなくなって読んでしまった。

主役級の阿良々木暦や戦場ヶ原ひたぎ、羽川 翼が卒業後の直江津高校で、三年生になった神原 駿河が、今は左腕の怪異のせいで辞めてしまったバスケットボールで中学時代にライバルだった沼地蠟花と再会する物語。

直江津高校で、ひそかにはやり出した人の悩み事を絶対に解決してくれるという「悪魔様」の噂を聞いた神原が、怪異に冒されたもう一人の自分が仕出かした事件ではないかと疑い、阿良々木暦の妹たちや忍野扇(何故か男の子になっている)の協力を得ながら調査して、その悪魔様の正体である沼地蠟花と出会うのだが、実は、この沼地は、人の不幸話を聞いてあげるという、ある意味、善行のような行為をしていることが分かる。

それどころか、神原が背負っていた罪でもあり重石でもあった左腕の怪異(悪魔の体)まで蒐集し、彼女の左腕は元に戻ってしまう。

そして、妙に説得力のある沼地の言葉。

「悩みの正体というのは基本的に『将来に対する不安』だ。だから彼らに必要なのは『その悩みは私が請け負った』という言葉であって、悩みの解決それ自体じゃないんだよ」

「逃げの何が悪い? この世にあるほとんどの問題は、逃げることで解決するじゃないか。『今このとき』に解決しようと思うから、人は苦労するんだよ」

神原は、人の不幸話どころか悪魔の体の部品まで蒐集し、自分の体に吸収する沼地の行為をおかしいと思いつつも、その行為の結果が人助けになっている矛盾に思い悩むが、偶然会った阿良々木の「お前が困っているのは、お前にとって何よりの重大事件なんだ。それはお前が動く理由に十分なるんだ」という言葉に励まされ、本来の自分を取り戻す。

そして、神原は沼地を負かすために、バスケットボールの戦い 1on1を提案する。

人の不幸、善とは? 悪とは? そういう内容的にちょっと重たい理屈っぽい話なので、ともすれば、つまらない観念論で終わりそうな話だが、これを救っているのは、神原のスポーツマン的なシンプルさと悩む前には走り出してしまいそうな能動性だろう。

戦いの後、神原の夢の中で、一風変わった彼女の母親(すでに死んでいる)の観念的な講評に対して、

「違いますよ。お母さん。今回のお話は、たまたま会った懐かしい奴と一緒に遊んで、楽しかったという話です」

と竹を割ったようにシンプルに言い切るところが、ここちよい。

神原が阿良々木に髪の毛を切ってもらう最後の場面で、ひとつ精神的に成長した彼女に対して、阿良々木がかける言葉が優しい。神原でなくても惚れてしまいそうだ。

そして、小さなエピソードとして語られた、自分探しのために世界を放浪し、紛争地帯のNGOに参加して、地雷が埋まっているオフロードで軍用車を転がしているらしい羽川翼にも。

*5月31日からアニメの放映が決定いしたらしい。



2014年2月16日日曜日

独立器官/村上春樹

「女のいない男たち」をテーマにした村上春樹の短編小説第4弾。
今までは、女を寝取られた男たちをテーマにしていたが、今度は寝取る側の男を描いている。

物語の設定は、職業的作家である筆者の僕が、渡会(とかい)という五十二歳の美容整形外科医の男の個人的な打ち明け話を聞き、それを読者に公にするという形式になっている。

谷崎潤一郎の作品で言えば、「卍」。村上春樹自身の作品で言えば、「回転木馬のデッドヒート」の設定である。

麻布の瀟洒(しょうしゃ)なマンションに住み、独身主義者で、料理も一通りできて、ジムに通い若いころの体の線を維持し、複数の女性と関係するという渡会医師は、村上作品で、何回かその姿をみかけるキャラクターだ。

「ダンス・ダンス・ダンス」では、五反田君、「国境の南、太陽の西」の主人公ハジメ、「回転木馬のデッドヒート」では、「プールサイド」に出てくる告白者など。

そして、渡会医師に結婚願望がなく、彼の付き合う女性が、おおむね人妻か、「本命」の恋人を持つ女性たちというところは、同じく「回転木馬のデッドヒート」の「嘔吐1979」に出てくるフリーランスの記者に似ている。

こういった男は、現実社会では明らかに片輪的な存在で非難されるべき男性像だと思うが、村上作品の中では、まともな知性と性格を持っているのだが、そういう趣味・趣向を持ち合わせてしまったある意味、悲劇的な存在として描かれている。

今回の渡会医師でいうと、女性に対する細かな思いやりと気配りの資質、話題の豊富さ、ユーモアのセンスなどが、まともな部分と言えそうだ。

しかし、その反面、自分の付き合っている女性が「他の男たちにも抱かれているという事実は、とくに彼の心を悩ませなかった」と感じるところや、
子供のいる夫婦を「親たちの頭にあるのは子供を名門校に入れることばかりで、学校の成績のことでいつも苛立っており、その責任のなすりつけあいで夫婦間の口論も絶えないようだった。子供たちは家ではろくすっぽ口もきかず、部屋に一人で籠もって級友たちと果てしなくチャットするか、得体の知れないポルノ・ゲームに耽るかしていた」という、ある側面では事実かもしれないが、ずいぶんと偏った考えを持っているところは、あまり、まともとは言えないような気がする。
(村上春樹自身の考え方が如実に現れている部分かもしれないが)

ここまでの物語の設定は、今までの作品でも描かれているところだが、今回の作品では新たな展開を見せており、その一つは渡会医師が、付き合っている一人の人妻を独占したいという、ある意味自然な恋愛感情に襲われる、しかし、反面、今までの彼の人生を根底から揺さぶる事件に遭遇してしまったところを描いている点である。

「私とはいったいなにものなのだろうって、ここのところよく考えるんです」という疑問に襲われ、今までの自分をリセットした状態を、アウシュビッツ強制収容所の話に仮定するところは、正直、極端すぎる感じを覚えたが、これは、その後にでてくる話の伏線なのだろう。
まるで、カフカの「断食芸人」をモチーフにしたような話の。

そして、もう一点は、この小説の題名にもなっている「独立器官」という概念を提示しているところだ。

この概念を女性一般に対して説明する渡会医師の考え方は、やはり独特な感じを受けるが、この物語の筆者は、それを否定しない。むしろ、「そのような器官の介入がなければ、僕らの人生はきっとすいぶんと素っ気ないものになることだろう。」とちょっとロマンチックすぎる肯定を述べている。

その説明に、私の脳裏には、およそ噛み合わない俗にいう「魔が差す」ということばが浮かんでしまったのだが、これは、この物語の渡会医師や筆者の感覚から見て私がすいぶんと素っ気ない人生を生きているからかもしれない。

皆さんはどう感じられたでしょうか。

2014年2月1日土曜日

傷物語/西尾維新

テレビの物語シリーズが終わってしまってから、ようやく、ファーストシーズンの化物語、偽物語、セカンドシーズンで見逃していた猫物語(黒)、傾物語 、囮物語を見終わった。

色々な登場人物が出てくるが、やはり、戦場ヶ原ひたぎの優しさと、羽川翼の強さが印象に残る。

そして、それ以外で気になるのは、物語の最初の起点となる主人公 阿良々木暦が、吸血鬼キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードと出会う「傷物語」の内容である。

化物語に、回想シーンがわずかに登場するせいで、どんな物語なのだろうと気になるのだが、この「傷物語」は物語全体がアニメ化されていない状況のようだ。

そんな訳で我慢ができず、ついつい、ライトノベル「傷物語」を読んでしまった。
西尾維新の小説は、前に「難民探偵」を酷評してしまったが、さずがにこの小説は面白かった。

登場人物とそのイメージ、関係が頭に入っていることも影響しているのかもしれないが、物語の構成も、推理小説の要素が含まれていて単純な吸血鬼退治の話ではないところがよい。

なかんずく、一見、美談の話を、忍野 メメというアロハシャツを着た三十歳ぐらいの怪異の専門家(コンサルタント、交渉人?)の冷めた言葉が浄化しているところが大きいのかもしれない。

いつ、アニメ化されるのか、とても気になる。