2014年2月23日日曜日

猫物語(白)/西尾維新 その一

ライトノベルを読むことにもすっかり抵抗がなくなり、西尾維新の物語シリーズを楽しみながら読んでいる。

この猫物語(白)は、アニメも何度か繰り返しみているので、大方あらすじは分かっているのだが、冒頭の文章を読むと、ついつい引き込まれてしまう。
羽川翼という私の物語を、しかし私は語ることができない。
は、夏目漱石の「我輩は猫である」 の書き出し
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
を彷彿させる文章である。

しかし、猫は名前が無いのに己が猫であることを認識し、人間社会を辛らつに批評しながら物語を進めることができるのに対し、羽川翼は名前があるのに自分が何なのか、誰なのかが分からず、迷子のように自分探しの物語を語りはじめる。

対照的だけれど、猫物語(白)は、明らかに「我輩は猫である」 を意識して書いている。

たとえば、羽川翼が白無垢の自分を保つために切り離した、いやな感情、ストレスを一手に背負わされたもう一つの人格 ブラック羽川は猫の怪異である。

その猫であるブラック羽川は、羽川翼が眠った時点でその姿を現し、「我輩は猫である」 の猫同様、羽川翼を主人と呼び、猫語(語尾ににゃん)で主人の行動と環境を分析し、彼女なりに主人をサポートしようとする。

そして、もう一つ、羽川翼が切り離した、彼女の嫉妬心が生んだ虎「苛虎(かこ)」は、「我輩は猫である」 の猫同様、
薄暗いじめじめした所でニャーニャー(しくしく)泣いていた事だけは記憶している。
と己の出生を語り、自らを「吾輩」と呼ぶ。人間という存在に対して悲観的、否定的なところも似ている。ちなみに、「我輩は猫である」の猫は午睡のときに、自分が「虎」になる夢をみる場面も出てくる。

西尾維新の物語には、こんな風に、古典文学がひょこっと顔を出すことがある。
それを通り過ぎて(羽川翼 風にいえば、スルーして)読んでもいいのだけれど、立ち止まって色々考えてみるのも面白い。

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