2017年9月24日日曜日

桐壺・帚木/源氏物語 上 角田光代 訳/日本文学全集 4

約一千年前に生まれた恋愛小説。
その作品が書かれたことも、そして現代まで生き残ったことも確かに奇跡のような出来事なのかもしれない。

池澤夏樹は「源氏物語」を、こんな風に評する。
『源氏物語』ではすべての登場人物が作者の頭の中から生まれた。だから「小説」なのだ。
光君の誕生以前から浮舟の出家まで前後七十年に亘る登場人物たちの運命を、作者は一人で糸を紡いで染めて織って大きな緞帳にまとめ上げた。
 五十四編からなる、この長編小説は、今後、中巻、下巻が出るらしいが、さすがに読み切れるものかと心配になったが、巻末にある角田光代の「訳者あとがき」と藤原克己と池澤夏樹のよくできた解説を読んで、これは確かに面白い小説かもしれない、読んでみようという気になった。

特に、角田光代の、とにかく読みやすさを意識した訳文であれば、読み切ることができるかもしれないと思うことができた。
(さらにいいのは、編ごとに、家系図があり、人物関係が一目でわかる工夫がされていることだ)

「桐壺」は、光源氏生誕のいきさつが書かれた物語だ。
父の帝に深く愛された美貌の母 桐壺更衣。権力の後ろ盾もない彼女は、帝の愛情を一身に受けたことで、後宮の女御たちの嫉妬と怨嗟に苛まれる。
光君を産んだが、心労がたたり、光君が三歳の時に亡くなってしまう。

物語中、面白いと思ったのは、光君を観相(人相見)した高麗人のコメントである。
「この子には天子となるべき相がおありだが、この子が天子になると乱憂が生ずるであろう。しかしながら臣下の地位にいてよい相ではない」
帝はこの観相を信じ、光君を臣下の身分に下し、源の姓を与える。

一方、帝は桐壺を失った悲しみを癒すため、彼女によく似ている藤壺の宮を愛するようになる。帝が光君を連れ立ち藤壺をよく訪ねることがきっかけで、光君は継母である藤壺を母のように慕い、成長するにつれ、その思いは恋慕に変わってゆく。

「帚木(ははきぎ)」は、光源氏が十七歳に成長したころの話。「桐壺」との直接的なつながりが感じられない一編なのだが、これも池澤夏樹の解説を読むと納得できる。
冒頭の文章が面白い。
光源氏、というその名前だけは華々しいけれど、その名にも似ず、輝かしい行いばかりではなかったそうです。
この編では、雨の夜、光君が妻の葵の上の兄の頭中将らと、女性経験を話し合うという流れから、光君が臣下の紀伊守の家に突然押しかけ、彼の父である伊予介の後妻(まだ若い)である空蝉(うつせみ)を寝取ってしまう展開になる。

光君は、再び彼女に会うため、彼女の年の離れた弟の小君と親しくなり、恋文を持たせ、彼女の返事を催促するようになるが、空蝉は光君に対する自分の歳と身分を意識し、彼の分不相応な愛は受け入れられないと拒否する。

しかし、かえってその拒否が光君の思いを募らせ、再度、紀伊守の家を突然訪問することになるが、空蝉は内心では光君に心乱れながらも、再び断固として会うのを拒否する。

面白いのは、光君の意外な執拗さで、彼は悔しさに眠れもせず、小君に彼女が隠れているところに連れて行ってくれと頼むところだ。

結局、彼は諦めることになるが、この空蝉の件一つにしても、彼の女性の好みは、幼い頃に亡くした母の桐壺と彼女の面影を引き継いだ継母の藤壺に強く影響され、自分より年上の人妻に偏向しているのが分かる。

角田光代の現代語訳は読みやすく、物語の中心に難なく近づくことができているような気がする。

*初刊だけだと思うが、お香の入った栞(しおり)が付いている。

2017年9月14日木曜日

池澤夏樹、文学全集を編む/河出書房新社

池澤夏樹が個人編集した世界文学全集/日本文学全集に関するイントロダクションのような本書。

まず、池澤夏樹が日本文学全集において古典を翻訳することとなった訳者たち(殆どが小説家)に宛てた手紙がすばらしい。

池澤は、三島由紀夫が日本の古典を天女のように崇め、現代語に訳すのは冒涜であると捉えていたことに触れ、「俗物であるぼくは天女を現世に連れてきて一緒に暮らしたいと思う」という。
そのためにはひらひらの衣装を脱いでTシャツとジーンズになってもらうのもしかたないと考える。大事なのは現代の人々が天女と会う機会を提供すること...現代日本の喧騒と雑踏の中に天から彼女がしずしずと降りてくる光景を目撃したい。それはやはり、今日ただいまの日本語を相手に日々悪戦苦闘している作家の力量を必要とする仕事なのだ。
私は、この手紙を読んで、日本の文学界で死語になりつつある文壇という言葉を思い出した。

二つ目に面白いのは、池澤夏樹がこの日本文学全集を編んだ編集基準を、丸谷才一の文学的趣味であるモダニズムに依ったということ。
モダニズムというのは伝統を重視すると同時に、大変斬新な実験もする。そして基本的に都会小説であって粋である というのが丸谷式の定義であって...
三つ目に面白いのは、上記のようにいいながらも、丸谷才一が生きていたらやりにくかったと述べ、「敬愛するけど煙たくもあるんですよ」とストレートに本音をこぼしているところ。
丸谷さんが全集を編めば石牟礼道子は入らなかった。中上健次だって認めていなかったから。彼の言うモダニズムは三つあって、一つは斬新な手法を開発する、前衛である。それであって伝統に則る。この二つは矛盾しない。三つ目は、これが丸谷的なんだけど、都会的で洒落ているということ。
そうすると中上健次は入らない。 石牟礼道子も入らない。 だから僕はそれは脇に置いた。僕は辺境に向かう人間だから、彼のように都に向かう人とは途中ですれ違うんです。
中上健次の作品は、私小説的な側面もあるため、丸谷才一は好きではなかったでしょうね。また、石牟礼道子の「苦海浄土」の一節を、丸谷才一も称揚していた書評もあったが、それはもっぱら文章の美しさについてであって、池澤夏樹のように「弱者の側に立つ」「周縁の視点に立つ」「女性の視点」という世界に通用するような価値観を持った作品であるという取り上げ方は絶対にしなかったと思う。


2017年9月10日日曜日

スクープドキュメント 沖縄と核/NHKスペシャル

一昨年、米国防総省は「沖縄に核兵器を配備していた事実」を初めて公式に認め、機密を解除したらしい。
番組では当時の機密資料と元米兵へのインタビューをもとに、沖縄への核配備がどのようなものであったかを明らかにしている。

元軍人のアイゼンハワー大統領の積極的な核利用の姿勢を受け、当時、共産主義国であるソ連、中国との対立から、沖縄への核配備が進められ、極東の核戦略の拠点と位置付けられた。嘉手納の核弾薬庫に核爆弾が保管されていたらしい。

1959年6月19日 現那覇空港の訓練地で20キロトンの広島級の核弾頭を積んだナイキというミサイルが海に誤発射されるという信じられない事故が発生した。
幸い爆発は起こらなかったが、もし、爆発していたら那覇市は壊滅的な被害を被るところだった。米側は、国際世論の批判を怖れ、この事実を極秘扱いにした。

また、米海兵隊がレーダをかいくぐって核爆弾を投下するLABS(低高度爆撃法)という訓練を伊江島で繰り返し実施していたところ、1960年に訓練中、模擬爆弾の爆発で子供と妻がいた28歳の男性が死亡した(番組ではその娘に当たる方がインタビューに答えていた)。

1960年日米安全保障条約が締結され、核を持ち込む際の日本側との事前協議制度が設けられたが、核の抑止力が必要と判断した岸信介総理大臣は、この事前協議制度には沖縄を含まないことを了承。沖縄に核を持ち込むことを暗黙のうちに了承した。

メースBという新型ミサイルの配備が進み、これが核ミサイルではないかと沖縄の住民・新聞が騒然となった。
しかし、当時の日本政府の小坂外務大臣の対応は、ミサイル配備の情報公開を原則とする米軍に対し、事前にメースBを導入することを公表しないでほしいと頼みこんだという。事後の事であれば沖縄の人々も騒がず、日本政府も責められずに済むからという誠意のかけらもない理由からだった。

結局、メースBは沖縄4カ所に設置され、元米兵のインタビューによると、キューバ危機の際、中国をターゲットにしていたらしい。

その後も沖縄への核の配備は進み、1967年には最大で1300発もの核爆弾が配備されていた。もし、ソ連が沖縄に攻撃をしかけていたら、沖縄は無くなっていたかもしれない。

1972年、日本への沖縄返還で表向きには核撤去が約束されたが、佐藤栄作とニクソンの間では、緊急時に備え、那覇、嘉手納、辺野古の核弾薬庫はいつでも使用可能にできるよう維持する核密約があった。

現在、米国防総省は、沖縄に核を配備しているかについてはノーコメントで、日本の外務省は、核密約は無効になっており、非核三原則に基づき、そのような事実はないとコメントしている。(果たして本当なのだろうか?)

核の抑止力を必要と判断し、核爆弾を日本本島に置くことは避け、沖縄を選択するという日本政府の姿勢は、沖縄の基地問題と全く同じ構図だ。

本当に核の抑止力などというものが必要なのか。
必要だとしたら、日本は、核武装を進める北朝鮮と基本的には変わらないのではないか。

http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170910

2017年9月3日日曜日

知の仕事術/池澤夏樹

まるで、立花隆の「知のソフトウェア」のような印象のタイトルの本を、池澤夏樹が書いていることへの好奇心から買ってみた。

冒頭、「自分に充分な知識がないことを自覚しないままに判断を下す」ような社会の大きな変化が目立ってきており、本書は、反・反知性主義の勧めであること、
その知の継承のため、今まで自分の仕事場を公開してこなかったが、規制を緩めて自分の「知のノウハウ」を公開すること、が述べられている。

以下の章立てで、作者のノウハウが述べられているが、印象に残ったところだけ、軽く取り上げてみる。

1 新聞の活用
 その新聞が作った世界の図を、批判の姿勢で受け入れていく。「それはちょっと違うぞ」と思いながら、いわば対話しながら読んでいく。

2 本の探しかた
 新聞広告、書評のほかに、各出版社が出しているPR詩を購読するのがよい(年間購読でも送料込みで1000円程度)

3 書店の使いかた
 日本全国900軒の古本屋、古書店が参加している日本の古本屋が便利。
 
4 本の読みかた
 古典を読むのは知的労力の投資だ。...しかし、たいていの場合、この投資は実を結ぶ。

5 モノとしての本の扱いかた
 どんな本でもいずれ手放すと意識をして扱う。6Bくらいの太くて軟らかい鉛筆で、気になる箇所にマーキングする。消そうと思えば容易に消せるくらい。

6 本の手放しかた
 ストックの読書とフローの読書。死ぬまで置いておく不変のストックである本と、読まれて次の読者のところへ流れてゆくフローの本。

7 時間管理法
 ワードファイルで「月間管理表」を作る。過去の仕事の記録は全部残しておく。

8 取材の現場で
 知らない所に行くときのガイドブックは「Lonely Planet

9 非社交的人間のコミュニケーション
 小説を書くために人に会って話を聞くことはほとんどない。専門知識はすべて書物とインターネットで集め、現場踏査を行う。

10 アイディアの整理と書く技術
 最初に書いた原稿からの変更箇所が一目でわかるように修正を入れたゲラと同様のデータをつくっておく。

11 語学学習法
 語学の習得にはなにより「分量」をこなすことがものをいう。そういう意味では「暇」は絶対的に大事。
 
12 デジタル時代のツールとガジェット
 英語圏にあって日本にないのが「引用句辞典」。食事の席の話題にしたり、自分の文章をちょっと飾ったりするときに使う。(トイレに置いておくのに最適)

と並べてみたが、丸谷才一から毎日新聞の書評欄の顧問を任されたときの話や、林達夫とガイドブック「Lonely Planet」を交換した時の逸話、父の福永武彦と議論した限定本に関する考え方の違いなど、興味深いエピソードも読ませるものがある。

池澤夏樹が自分で作った書棚の写真が一部だけだが掲載されているところも興味深い。


2017年9月2日土曜日

The History of the Decline and Fall of the Galactic Empire 円城塔 近現代作家集 III/日本文学全集28

邦訳すると「銀河帝国衰亡史」とでも言うのだろうか。

アイザック・アシモフのSFにも、このようなタイトルの小説があるが、この作品は、SFとはまるで無縁の作品だ。

また、この作品は99の短文いう構成になっており、一見、カフカのアフォリズム集のようでもあるが、どれも箴言という深みもない。

例えば、こんな感じ。
81:家の前に野良銀河帝国が集まってきて敵わないので、ペットボトルを並べてみる。
「銀河帝国」という大仰な印象を受けるワードを、日常の文章に埋め込み、そのギャップとナンセンスを楽しんでいる作品だ。

読む人によって、評価は分かれると思う。
くだらないと思う人もいれば、傑作だと思う人もいるだろう。

一時期(今も?)、ケータイ小説なるものがはやったが、もし、私が、この作品を見かけたら、ついつい購読してしまうような気がする。

池澤夏樹が編集した日本文学全集の「近現代作家集」は、この作品で幕を閉じる。
最初から最後まで、型破りの作品の連続だった。



2017年9月1日金曜日

三月の毛糸 川上未映子 近現代作家集 III/日本文学全集28

仙台で暮らす妊娠8か月の妻と夫。
実家の島根から帰る際、妻から京都に寄りたいと突然言い出す。

何かに不安といら立ちを抱えている妻との会話に、半ば疲れ、頻繁に睡魔に襲われる夫。

二人がホテルで寝ている時に、妻は、毛糸で生まれてくる子供の夢を見た話ををする。

「その世界では三月までもが毛糸でできあがっているのよ」

「いやなことがあったり、危険なことが起きたら一瞬でほどけて、ただの毛糸になってその時間をやりすごすのよ」

そして、妻は泣き出す。
「何かとんでもないことがわたしたちを待ち受けているんじゃないかしら」と。

おそらく、二人は三月に旅しているのだろう。
そして、妻の携帯には、友人から地震大丈夫かとのメールが来る。

この状況から考えると、おそらく、この話は、あの日のことで、まだ事実を知らない状態なのだろう。

ただ、上記のように、妻はすでにその予兆を感じている。
そして、夫も、「明日は大変な一日だよ」と妻に告げ、二人はふたたび深い眠りに落ちる。

何かを喪失する前の予兆を描いた作品。

二人は深い眠りから覚めて、あの事を知って、毛糸のようにやり過ごすことができたのだろうか。
そして、二人が仙台に帰る時はいつになったのだろうか。