2024年2月24日土曜日

行幸・藤袴・真木柱/源氏物語 中 角田光代 訳/日本文学全集 5

この三篇も、玉鬘をめぐっての物語だ。

玉鬘は、光君が一時逢瀬を交わした夕顔と、内大臣となった頭中将との間の娘である。
光君としては、かつて愛した女性の忘れ形見として彼女を引き取り、自分の手元に置き、娘同様に育てるつもりだったのかもしれないが、彼女を取り巻く若い貴公子からの求愛にどう対処すればよいかを彼女に教えているうちに、カサノバ的な血が騒いだのか、彼自身が玉鬘に恋してしまう。

しかし、意外なことに、玉鬘は自分を恋い慕う光君を忌み嫌う。それは、「行幸」で玉鬘が、光君そっくりの、いや彼より若く美しい冷泉帝をみて、気乗りしていなかった宮仕え(尚侍)をする生活もよいのではないかと心動くさまとは対照的である。

この時点での光君は、三十六歳から三十七歳。
彼の人間離れした美しさにも陰りが出てきたということだろう。

光君にも、かつての「動物的」といっては言い過ぎだが、衝動に走って無理やり女性と関係を結ぶという行動を抑制するという変化がみられる。彼は彼女が内大臣の実の娘であること、自分が関係を結んだ際の内大臣の行動や周りの人々に与える影響を考え、玉鬘との関係をエスカレーションしない。

つまり、光君もいい意味でも悪い意味でも「大人」になったということであり、常識的な態度をとるようになる。

しかし、この「大人」的態度は恋愛の世界においては「老い」という意味と同義なのだろう。

「真木柱」においては、髭黒大将という文字通り髭づらの男に、玉鬘を寝取られてしまう。(物語には、書かれていないが、「藤袴」と「真木柱」の間で、彼女が女中の手引きで、髭黒大将に強引に契りを交わされてしまったという)

光君は残念に思いながらも、玉鬘は髭黒大将と婚姻の関係になるのだが、この髭黒大将という男、北の方という正妻がいて、彼女が嫉妬と悔しさのあまり、髭黒大将に香炉の灰を浴びせる「修羅場」はなんとも現実的(リアル)な場面だ。

光君の老いと男女の修羅場を描く源氏物語は確かに小説なのだと思う。


2024年2月18日日曜日

戦争語彙集/オスタップ・スリヴィンスキー 作 , ロバート キャンベル 訳著

ウクライナの人々が戦争を体験し、語った言葉を集めた本。

読んでいて、ウクライナの人々の強さとともに、戦争によって一変してしまった彼らの生活や”言葉”が感じられる。

ロシアによるウクライナ侵攻については、様々なメディアをみるが、現地の人々のこうしたリアルな思いを感じることができる情報は少ないと思う。

戦争という恐怖に囲まれながら、彼らは、自分や悲惨な目にあった人々の状況を、自意識的に、客観的に、時にユーモアを交えて、言葉であらわす。

それだけで、これだけまだ暖かい世界が彼らのこころの中に息づいていることを感じることに安堵感を覚える。

それは、文中、ボフダナさんが語った「人間らしさ」「内面の優しさ」なのだろう。

    ...すべてが崩れ去り、言葉が破壊された時、言葉にも表現できないような時にこそ、人は内面を大切に保つべきです...

それでも、戦争はまだ続いている。ウクライナだけでなく。

このような語彙が、パレスチナ ガザの人々のこころの中にまだ絶えていないことを心から願う。あまりにも国際社会は非情で非力で現実は悲惨だと思う。

ボフダナさんが日本の人々へのメッセージとして語った、戦争とは、私たちが想像する以上に身近なものであり、世界の遠い地域ではなく、近い地域で起こりうるものであり、人間の残虐さと優しさには、限界もなく国境もないという言葉が深い。


2024年2月17日土曜日

篝火・野分/源氏物語 中 角田光代 訳/日本文学全集 5

久々に、源氏物語の続きを読みだした。
前の投稿を改めて読んで、中年男になった光君の玉鬘に対する邪心が嫌になって読むのを止めたのかなと、多少物語のせいにしたくもなった。

実際、続きの「篝火」においても、玉鬘の部屋に入りびたり、和歌を教えたり、添い寝したり、自分の恋心を篝火にたとえた歌まで読んで、玉鬘を困惑させる。

「野分」は、野分(台風)が接近した六条院の様子が描かれている。そこで、中将 夕霧(光君の息子の一人)が、妻戸の開いている隙間から紫の上の美しい姿を見てしまい、あってはならないと思いながらも、彼女に憧れの思いを抱いてしまう。

そして、夕霧は野分で離れの建物が倒れてしまった六条院を再度訪れ、そこで光君が玉鬘に話しかけている様子を御簾を引き上げて見てしまう。

そして、父娘の関係とは思えないほど親しげな様子を見て、おぞましいと感じてしまう。

父親の光君とは対称的に常識的で真面目な夕霧を、どこか堅苦しい感じの男のように描いているところは、この物語の主人公である光君には、到底かなわないということを印象付けるためだろうか。



2024年2月2日金曜日

陥穽 陸奥宗光の青春/辻原登

日本経済新聞 朝刊で昨年3月から掲載されていた物語が、今年1月末をもって終了した。

私は、今まで陸奥宗光というと、坂本龍馬の子分的存在で、明治維新後は、外務大臣として、外国との不平等条約撤廃に取り組み、カミソリ大臣と呼ばれていたぐらいの知識しかなかった。

この物語では、陸奥が西南戦争の勃発を奇貨として、大久保利通が作り上げた有司専制(薩長という藩閥が独占する政治体制)の転覆を計画したものの、失敗し、山形監獄に移送されるところから始まり、宮城監獄から特赦で釈放されるまでの現在(いま)と、陸奥宗光が小二郎と呼ばれていた少年期に遡り、高野山の学僧から江戸に出て、伊藤博文や桂小五郎、そして坂本龍馬と出会い、明治維新へと進む過去の物語が、交互に入れ替わり徐々に近づいていく。

坂本龍馬に「両刀を差さなくても食べていけるのは、俺と陸奥だけだ」と言わしめた陸奥が、なぜ政府転覆などという無謀な挙行に及んだのか、「陥穽」になぜはまってしまったのかという点が、この小説の主題だろう。

一つには才走っていた陸奥からみると、明治政府の要職を占めていた藩閥出身の政治家たちの無能さが許せなかったという強烈な自信と不満があったからだと思う。

しかし、彼の政府転覆計画は、きわめて杜撰で、大江卓らと進めていた計画のあらかたが川路や大久保に漏れていたというお粗末な「行動」しかできなかった。

この点、西南戦争における西郷の力を過信し、外交官に必要な精緻な「戦略」も練らず、「情報収集能力」もろくに発揮していなかったことが分かる。

要するに全く無謀な行動に突っ走ってしまったのだが、しかし、ここまで彼を追い込んだ閉塞感や無力感は、相当なものだったのだろう。

陸奥が五年弱という長い監獄生活の中で、自分を振り返る時間を持てたこと、ベンサムの著書の翻訳など、知的活動を怠らなかったことが、出獄後の彼の活躍に大いに活きたのだと思う。

陸奥が肺病を抱えながらも、念願のヨーロッパ留学を通して、外国で鬼のように勉強に励んだエネルギーも、この長い監獄生活の遅れを取り戻し、自分の能力を最大限に高めることに必死だった思いが伝わってくる。

この物語では、その後の活躍は描かれていないが、陸奥が外務大臣の職に就いたのは、明治二十五年の第二次伊藤内閣。肺結核で亡くなるのはその五年後である。その五年間に、日本が不平等条約を結んでいた、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスなど15ヶ国すべてとの間で条約改正(領事裁判権の撤廃)を成し遂げた。

そういう意味で、陸奥宗光は徹底した仕事人間だったと思う。彼には美しい妻もいたが、色恋は二の次だった。そういう点は、彼が憎んで暗殺しようと思っていた大久保利通と共通していた。

私がこの物語に惹かれたのは、挫折を重ねながらも、自分を見捨てることなく、知的好奇心を頼りに少しずつでも前に進み、立ち直ろうとする青年の姿を見届けたかったせいかもしれない。