2013年2月25日月曜日

第二次幻魔大戦 ハルマゲドン 第八集(平井和正ライブラリー)

角川文庫20巻「光芒の宇宙」発行(1983年2月)の後、1987年8月に書かれているから、約4年6ヵ月後に続編として書かれた作品だ。

物語は、角川幻魔の話の流れを完全に継いでおり、高鳥慶輔がさらに幻魔に身を落としていく姿と、東丈失踪後の井沢郁江主導のGENKENの不和、丈の姉である三千子が木村市枝、平山親子の願いを受け、丈の正統な後継者として活動することを決意し、別のオフィスにいる郁江に会いにいくというストーリーだ。

この中で、やはり衝撃的なのは、高鳥慶輔と井沢郁江(霊体)がセックスする場面だろう。
これが原因で、幻魔大戦の物語から離れていった読者も多いと聞くが、確かにもっともな気がする。

しかし、冷静に読んでみると確かに郁江なのか?という疑念が芽生えてくる。
井沢郁江は、前世がムー大陸のソル王女であり、彼女は幻魔に相対してきた筋金入りの霊能力者である。

そして、郁江は、東丈を除き、高鳥が幻魔化しつつあることに最初に気づいた人物であり、その彼女が、東丈失踪後のわずか2ヵ月後に、幻魔を倒すため、高鳥慶輔の力を借りにいくというのは、あまりにも脈絡がない。

また、井沢郁江が接触した幻魔が彼女に変化することができ、高鳥の前に現れた姿がそのときの服装に酷似していたことからも、高鳥がセックスの時に感じた違和感が幻魔に憑依された久保陽子のときと酷似していたことからも、相手は井沢郁江に化けた幻魔だと考えるのが常識的な線だろうと思う。

しかし、作者は意図的と思えるほど、その辺を本物ではないかと疑わせるような書き方をしているため、井沢郁江を好ましいキャラクターと思っていた潔癖な読者には、明らかに誤解を与えても仕方がないような内容になっている。
(作者は意図的に「信は愛、信は力」を読者に試したのだろうか?)

結局、これらの謎は解かれぬまま、この作品は終了してしまい、二十五年以上経った今、この初代幻魔大戦(無印 幻魔大戦とも呼ばれているらしい)の続編を期待するのは、作者の年齢から言っても、もはや困難であろう。

困難というのは、少なくとも真幻魔大戦を読む限りでは、この物語の後で、三千子が炎の中で死に、そしてそれが丈が受けた最大最悪の試練だったということは、東丈が戻ってくることが必要であり、東丈がルナ王女と再会し、ルナ王女からの不器用なプロポーズを受けるシーンがあり、久保陽子とタイガーマンがさらに悪行を振るい、最終的に地球は火と氷の激烈な戦いの戦場と化し、地殻が割れ砕ける凄惨なマグマの奔流と大激変の中で破滅を迎える場面が訪れ、GENKENのメンバーが別の世界での再会を期すシーンを描かなければならないからだ。

おそらく、この第八集までのペースで小説を書いていたら、少なくとも後、10巻分は必要になるのではないかと思われる。

しかし、こうして、途中で終わった無印 幻魔大戦も、決して良い作品であったとは言えないが、読んで損をしたといえるほど悪い作品であったという思いはしない。

ひとつには、やはり、作者が地球を幻魔から守ろう(良くしていこう)と考える若者たちの考えや行動を丁寧に描いているからだろうと思う。

この幻魔大戦を書いていた直近で、作者が新興宗教団体に入っていた経験があり、それが影響していることは本人も認めているところであるが、およそ宗教団体に入ったこともない、その興味もなかった人間が読んでも、所々、面白いなと思わせる部分があるし、心を動かされる部分が確かにある。

ある意味、普通のジュブナイル小説の枠を超えてしまった救世主が登場する擬似宗教小説であり、それを大真面目に描いたこのような作品は、少なくとも他にはないと思う。

2013年2月24日日曜日

レイモンド・チャンドラーの生涯/フランク・マクシェイン

これは非常に読み応えのある本だ。

この一冊で、レイモンド・チャンドラーの人となり、数奇な人生の全体像が分かるだけでなく、彼の仕事に対する姿勢、作品に対する思い入れ、作家として成長していく過程も分かるという贅沢な本だ。

イギリス人の教養を身につけ、作品の中で、アメリカ、とりわけ、ロサンゼルスの風俗をイギリス人の視点から批評する姿勢が自然とあらわれている作家、会社経営を引退した40代半ばからデビューした遅咲きの作家、一回りも違う年上の人妻と結婚した作家、パイプを加えているがあまりマッチョな印象はなくむしろ神経質そうに写真に写っている作家。

その程度のアウトラインしか私にはチャンドラーの知識がなかったが、この本では、とりわけ、彼のアイリッシュ・アメリカンという生い立ち、父親不在の家庭環境、イギリスのパブリック・スクール時代に身につけた規律と古典の素養が与えた人格形成まで踏み込み、病気がちで神経質、勉強好きなチャンドラーの少年時代の姿を鮮やかに描き出している。

チャンドラーが様々な仕事を経験した後、石油会社で、会計課員から監査役、副社長へと昇進し、雇っていた弁護士から「ロサンゼルスで最高のオフィス・マネージャーで、おそらく世界でも最高の一人」と評されるほど、有能な経営者であったことも興味深い。

「私は石油事業の会社の役員をつとめたことがある。じっさいは高給をとる社員にすぎなかったが、八つの会社の役員で、三つの会社の社長であった。…」

しかし、内気な自分を元気づけるための酒におぼれ、年上の妻からは得られない愛情を得ようと若い女性社員と不倫関係になり、会社も休みがちとなり、実質、会社を首になってしまう。このとき、チャンドラーはすでに44歳。

会社を首になった後、彼が作家を目指すあたりの様子も面白い。
彼は短編小説の書き方を通信講座で勉強した。
そして、妻を養わなければならぬ45歳の男として、生活のために、粗悪紙で作られたパルプ雑誌といわれる安い大衆紙に、作家として勉強しながら稿料を得る生活を思いつく。
(このパルプ雑誌時代の彼の姿は、「二人の作家」に投影されている)

チャンドラーは、ダシール・ハメットの影響を受け、推理小説を書くことになる。

チャンドラーの作品の魅力は、何といっても洒落た会話にあるが、彼はアメリカの俗語(スラング)を意図的に使い、語順もしばしばでたらめなアメリカ人の会話をおもしろがり、標準英語の文章構造を用いながらも、アメリカ言葉を多用し、彼自身の語法を書き加え、リアルにひびく文章を書くことを目指していた。

チャンドラーの推理小説に対する考えも面白い。
彼は、伝統的な推理小説は、難解な情報を土台としているか、誤解しやすい情報を与えているから、根本的に不正直であると考え、

「ほんとうに正直な推理小説は、読者が謎をとくためのすべての材料が与えられ、重要なことが軽く扱われることがなく、重要でないことが誇大に扱われることもなく、事実そのものによって謎を解決することができ」るものだと考え、アガサ・クリスティーに対しては最大級の侮蔑を抱いていた。

彼の最初の長編「大いなる眠り」の作り方も興味深い。

それは、彼がパルプ雑誌に五年間、書き散らし、「絶滅したドードー鳥のように消え去る運命にあった」短編からみっしりと詰まった素材を救出し、つなぎ合わせ、一つの長編に組み立て直す作り方だった。
(このような小説の書き方は、その後の長編にもみられる。
 なお、日本では、村上春樹もこのような長編小説の作り方を行っている)

やがて、チャンドラーの作品が話題となり、その文学的名声がハリウッドへと導くことになる。
ビリー・ワイルダーとのエピソードも面白いが、ここでも、彼は酒と女で失敗する。

フランク・マクシェインも以下のように評している。

「結果からいうと、彼は酒を飲んでいたときに決して第一級の作品を書き上げていない。彼のパルプ小説のすべて、最初の六編の長編(「長いお別れ」まで)、最高のエッセイは彼が飲んでいないで、シシー(妻)と二人だけでの生活を送っていたときに書かれた。
映画のシナリオ、未完の作品(プードル・スプリングス物語)、最後の作品(プレイバック)は彼が撮影所生活にまきこまれ、情事にふけり、あるいはふけろうと考え、そして、酒びたりになっていたときに書かれた。」

ある意味、塗炭をなめる苦しみが晩年の彼にも続いた。
しかし、八十歳近くの病の重い妻を看護し、家事を取りしきり、自身も複数の病気を持ち、夜は不眠症に悩まされながらも、チャンドラーは彼の最高傑作といわれる「長いお別れ」を完成させる。

彼には、午前中をタイプライターに向かって文章を書くというよろこびがあったからだと、フランク・マクシェインは評している。

チャンドラーは、書くことを嫌っている作家の話を聞き、知人にそのことを書いた。

「言葉の魔術による創造に喜びを見出せない作家は、私にとってとうてい作家とはいえません。ものを書くということのために作家は生きているのです。どうして書くことを嫌うことができるのでしょう。」

チャンドラーは、最愛の妻シシーを失った後、酒におぼれ、拳銃自殺をはかり騒動を起こした。
周りの人々は彼を心配し、手厚く見守ったが、妻亡き後は、抑制を失ったように酒と女性関係の問題がふたたび生じ、死ぬ間際まで複数の女性に心をふらつかせ、それが原因で、みとる人もなく一人で死んだ。

この本を読んで、レイモンド・チャンドラーに、彼が生み出した私立探偵フィリップ・マーロウとの共通点(文明批評の視点、皮肉の利いた洒落た会話、センチメンタリストであることなど)も感じたが、それよりも強く、「長いお別れ」に出てくる礼儀正しい酔っ払いのテリー・レノックスや、同じく酒びたりのベストセラー作家のロジャー・ウェイドに、人間的な弱さという意味で共通点を感じた。

おそらく友人としては、決して付き合いやすい人ではなかったと思う。
しかし、結婚することになった友人にこんな魅力的な手紙を送ることができる人は、そうはいないだろう。

「ここに健全な忠告をしるしておく。私は知っている。

 一 彼女を短い手綱で乗りこなし、決して彼女があなたを乗りこなしてると思わせてはならない。

 二 コーヒーがまずかったら、そういわないで、ただ、床に捨てたまえ。

 三 彼女に年一回以上、家具の配置を変えさせてはならない。

 四 彼女が金を預け入れるのでないかぎり、共通の銀行口座を持ってはならない。

 五 争いごとの場合は、つねにあなたの罪であることを覚えておきたまえ。

 六 彼女を骨とう品店に近よらせてはならない。

 七 けっして彼女の女友だちをほめすぎてはならない。

 八 とくに、結婚はある意味で新聞にひじょうに似ていることをけっして忘れてはならない。
    あらゆる年のあらゆる日に新しくつくられなければならないのである。」

2013年2月20日水曜日

幻魔大戦 第七集(平井和正ライブラリー)


幻魔大戦 第七集(平井和正ライブラリー)は、角川文庫版でいうと、19巻と最終巻である20巻を収録している。

ここでの見所は、高鳥慶輔が、東丈の組織作りを真似て、真の救世主を気取りはじめたところを、詳細に描き始めたところだろう。
我々が新興宗教に持つイメージに近い世界が描かれている。
弟子に課す絶対服従、女性支配、他の教団へのスパイ潜入、マスコミを使ったイメージアップなど。

一方、経済界の重鎮を後援者につけた郁江率いるGENKENにも不協和音が立ち込める。郁江の周りを"宮内庁"と揶揄される秘書グループが取り囲む体制ができるなど、会の運営が次第に独善的なものになっていくことを、東三千子、木村市枝、田崎、河合康夫などが感じはじめる。

東丈が失踪してから二ヶ月も経っていないのに、すでにGENKENという組織は崩れ始めていた。
幻魔と戦う前にすでに、身内の中で自滅しようとしている人間の愚かさを率直に描いているところは好感がもてる。

結局、東丈は物語には復帰せず、その代わりに、姉の三千子が丈に匹敵するような霊能力と人格を発揮しはじめる。

猛火の中の東三千子を杉村由紀が幻視していたように、おそらく、作中、東三千子はアニメ同様、幻魔に殺されるのではないかと思っていたが、物語の最後では、彼女が主人公のような立場になっている。

あるいは、東丈は杉村由紀が幻視した三千子の未来を変えるため、自らの姿を消したのかもしれない。

しかし、では、東丈に変わる救世主は三千子が務めることになるのだろうか。

真幻魔大戦では、具体的なことは説明されていないが、1968年に、幻魔の侵攻により人類はあっけなく滅亡した事実が述べられている。
これは、東丈の不在により起きたことなのだろうか?
あるいは東丈は数ヵ月後にはGENKENに戻り、本格化する幻魔との戦いに身を投じたのだろうか?(個人的には、そのような可能性はないと思っている)

この物語は20巻の最後の時点で1968年の年初の時期までが描かれている。
作者は、ここまでの物語を第一次幻魔大戦と呼び、以降、第二次幻魔大戦(ハルマゲドン)という続編を書き始めるが、そこでも物語は前進しない。

まるで、ハルマゲドンの到来を恐れるように、新興宗教かぶれの大物の悪ともいえない器の高鳥と、組織の内紛にゆれるGENKENを際限なく描く。

一体、1968年に何が起きたのか、その最後までを書ききってほしいというのが読者の望みだけれど。

2013年2月19日火曜日

幻魔大戦 第六集(平井和正ライブラリー)

幻魔大戦 第六集(平井和正ライブラリー)は、角川文庫版でいうと、16巻から18巻までを収録している。

角川文庫版では、全20巻だから、いよいよ物語も最後への着地点に辿り着かなければならないが、その兆しはない。

東丈の失踪により、郁江が主導しようとするGENKENは、早くも分裂状態に陥るが、郁江の東丈がのり移ったかのような講演と、前世の記憶を平山圭子、田崎らから引き出す不思議現象を、巧みに会員に見せることによって、そのカリスマ性を現していく。

一方、東丈の失踪によりさらに気落ちした杉村由紀は、凶暴なヤクザ矢頭に襲われる。

ここでの小説的な工夫は、本当の敵である高鳥と久保陽子が結果的には杉村由紀を救ったという矛盾と、結局はその出来事を機に、杉村由紀がGENKENの信頼できる仲間の善意の力を借りず、独力で精神的に立ち直ったということだ。

そして、今まで裏方に徹していた姉の三千子が、丈の不在を埋めるべく、郁江の説得により積極的な活動をはじめようとする。

この第六集は、これらのこと以外はあまり語るべきことが見当たらない気がする。

2013年2月18日月曜日

幻魔大戦 第五集(平井和正ライブラリー)

幻魔大戦 第五集(平井和正ライブラリー)は、角川文庫版でいうと、13巻から15巻までを収録している。

この辺りからは、今回読み直して、こんなストーリーだったんだという思いが過ぎった。
それほど、この辺りからの物語の記憶がないのは、やはり、十代のころに読むには、かなり鬱陶しい内容が含まれていたからだろうと思った。

幻魔に虜にされた久保陽子と高鳥とのセックスの場面。
丈に対して不信感を抱いてしまった杉村由紀に対する高鳥と久保陽子による超能力による性的な攻撃。妙に人当たりがよい郁江にも化けることができる幻魔の存在など。

物語の場面も、箱根セミナー(GENKENの合宿)とか、弟子たちとランニングをするトレパン姿の東丈とか、そこで起こる不思議体験とか、反省修行とか、にわかに新興宗教っぽい風景が多く見られてくる。
(こうして書き出すと変に面白いような気もするが)

しかし、最も気落ちしてしまうのは、この箱根セミナーの宿泊所に、ソニーとルナ(但し霊体)が現れるのだが、彼らが何を目的に現れたのか、東丈と何を話したのかが一切語られないところだ。
(数日後に杉村由紀は東丈の代理人として、ルナの支援者でもある石油富豪のメイン社長とも会う予定でもあるのだが、その関係も何も説明されていない)

そして、主人公 東丈はセミナーの宿泊施設から突然失踪する。トレパン姿のまま(笑)。
ニューヨークに行き、ルナの活動に合流でもすれば、話も面白くなると勝手に思うのだが、以後、東丈の足どりは全く分からなくなる。

そして、東丈の代わりに、GENKENの代表を実質的に井沢郁江が務めることになりそうな雰囲気で物語が終わる。

不思議な話だが、小説を読んでいるとあまり面白くない感覚が強いのだが、こうして、ストーリーだけ抜き出すと、とても面白い小説に思えてくる。

2013年2月17日日曜日

幻魔大戦 第四集(平井和正ライブラリー)

幻魔大戦 第四集(平井和正ライブラリー)は、角川文庫版でいうと、10巻から12巻までを収録している。

おそらく、この10巻目が小説版 幻魔大戦、すなわち東丈がニューヨークのルナ姫たちと別れ、GENKENという組織を作るという独自の展開をみせた物語の、ひとつのピークであったことは間違いない。

言うまでもないが、子宮ガンに罹った井沢郁江が手術を前に病院から失踪し、大峰山脈で一人祈っていた東丈の前に現れた奇蹟の場面である。

それは、恋愛小説で、ようやく主人公が好きな相手と再会し結ばれる瞬間を読んだのと近い感覚がある。

久々に出会った二人が交わす東丈と井沢郁江の言動は、いかにも十七歳ぐらいの等身大のもので、読んでいて微笑ましいし、二人が手をつなぎながら、日輪を臨みながら空を飛ぶ最後の場面もすがすがしい。

就中、そのような感動的な場面でありながら、当の郁江が一面では冷めた意識を失っていないところが好感が持てるのかもしれない。
しかし、丈を信じつつも、その信を離れて自分を衝き動かそうとする力が自分に内在していることを、今この瞬間にも郁江は意識せずにいられなかった。

この第四集では、江田四郎に追われた女優を助けることがきっかけで、悪魔的な超能力を発揮しはじめる高鳥と、東丈と心の距離ができてしまった秘書 杉村由紀、目的は分からないがGENKENに戻ってきた久保陽子の姿も描かれている。

物語は、どんどん横軸へと拡大し、さまざまな登場人物が立ち現れるが、肝心のハルマゲドン(世界の終わり)への縦軸には進まない。

そのような思いに駆られるのが以降の物語の印象だ。

2013年2月16日土曜日

NHKスペシャル "核のゴミ"はどこへ ~検証・使用済み核燃料~

私は、再放送で見たのだが、ここまで踏み込んで取材し、分かりやすくまとめたNHKスタッフは素晴らしいと思った。
このような番組は、スポンサーがいる民放では決して取り上げることができないテーマであろう。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0210/index.html

http://togetter.com/li/453603

以下、番組の内容で核心となる部分をまとめてみました。

原子力発電所の稼動で生じる使用済み核燃料は、使用後も数年間、高い放熱を止めないため、原子力発電所内の貯蔵プールで冷やされている。

事故があった福島第一原子力発電所の屋根が吹き飛んだ4号機の建屋上部の貯蔵プールにも250トンもの使用済み核燃料が保管されていて、事故直後の電源喪失で冷却水が送れなくなったことにより、メルトダウンの危険が迫っていた。

幸い、必死の放水作業でメルトダウンは避けることができたが、それが起きた場合、政府の最悪のシナリオでは、原発から250km範囲の首都圏まで避難を強いられる事態になったという。

使用済み核燃料は福島第一原子力発電所に限らず、全国の原発等で貯蔵され、その量はすでに1万7千トンに達しているという。

これら使用済み核燃料は、日本の法律では、"ゴミ"として取り扱わず、"資源"として取り扱うこととなっており、再処理された燃料は再び核燃料として使用できるが、その際に出る廃液は、人が触れると数分で死に至るほど極めて強い放射線を持つため、ガラスと混ぜて固め、地下300mより深くに埋めることになっている。これがいわゆる"核のゴミ"だ。

しかし、日本では、上記のような再処理は行われたことがない。

再処理の要である青森県六ヶ所村再処理工場が、トラブルの連続で操業開始を延期し続けており、高速増殖炉「もんじゅ」も、1995年の事故以来、ほとんど稼動していない。

さらに、核のゴミを埋め立て処分する場所も決まっていない。
国の方針としては、数十億円規模の交付金をあげることで、埋立処分地の候補を、全国の地方自治体に募っているらしいが、福島原発の事故以降、立候補に名乗りをあげる自治体はないという。

埋め立てに適しているかの地質調査、住民の理解を得るための手続きなどで、仮に今、申請があったとしても、決まるには約三十年ほどかかるといわれている。

つまり、日本では、再処理ができない使用済み核燃料が行き場所もなく、原子力発電所の貯蔵プールに溜まり続けているのだ。

さらに問題なのは、いまだ稼動したことがない核燃料サイクル事業に数兆円の費用がかかっており、すでに電気料金として徴収されているという事実だ。

国からも、再処理施設を運営する日本原燃に出資する東京電力からも、経営上のリスクとして、事業を見直すべきであるとの意見が出された経緯があったようだが、結局、核燃料サイクル事業の継続が決定されたという。

最大の理由は、核燃料サイクル事業を中止することとなった場合、すでに再処理工場に送られてきた大量の使用済み核燃料が、その瞬間から"核のゴミ"となり、青森県との契約に基づき、使用元の原子力発電所に返還されることになり、保管場所を失った原子力発電所は稼動できなくなってしまうからだ。

番組の最後で、政府の「安全が確認できた原発から再稼動していく」方針に疑問を投げかけ、

「原発を動かすことは、新たな使用済み核燃料を生み、新たな核のゴミを増やすことを意味する。"核のゴミ"問題の解決から目を背けることは、もはや許されない」

と述べていたが、そのとおり。

今また放置すれば、さらに問題は大きくなって、私たちに跳ね返ってくる。

2013年2月12日火曜日

幻魔大戦 第三集(平井和正ライブラリー)

幻魔大戦 第三集(平井和正ライブラリー)は、角川文庫版でいうと、7巻から9巻までを収録している。

この巻では、東丈の最初の支援者であり、崇拝者であった久保陽子が、丈への濁った独占欲から逃れられずにいたところを幻魔の手先となった江田四郎に騙され、拉致されたいたところを、東丈と三千子、井沢郁江、田崎宏が助けにいくという展開からはじまる。

久保陽子に対して江田四郎の行った変質的な行為の記述は避けられているが、三千子がみた幻視によると、内面から幻魔に食い荒らされてしまっているという物語的にはショッキングな展開である。

しかし、私にはどうしても盛り上がらない感じを覚える。

最大の理由は、江田四郎という人物の書き方で、幻魔という別のものに変化してしまっているからかもしれないが、悪人としてあまり魅力的でないのだ。これは作者があまり愛情をもって描いていないせいだと思うが、紋切り型の十九世紀的悪魔とでも言おうか、あまりにも古い印象の悪魔なのだ。(平井和正は、悪人を描くのがとても上手い作家であると思う)

それは、井沢郁江を逆恨みした久保陽子が、毎晩午前二時の丑の刻に、憎悪の念(黒いボール)を井沢郁江に送りつけ、子宮ガンにさせたという状況、それと東丈が対決したときのシーンも同様である。悪の描き方としてはどこか紋切り型だと感じてしまう。

文句ばかりになってしまうが、東丈の講演の様子も、今ひとつ魅力に乏しい。
救世主の講演というイメージを作ろうとする作者の努力は感じるが、話す内容も常識的だし、やはり画一的な印象がいなめない。

もっとも、この講演がきっかけで、二人の重要な人物が現れる。
一人は、丈の新たな秘書となるテレパシストでもある杉村由紀と、もう一人は、後に幻魔化していってしまう好青年 高鳥慶輔である。

この物語中、もっとも面白かったのは、東丈と高鳥慶輔の議論の場面と言い切っていっていいだろう。ここでは、高鳥の質問に答えて、東丈が何故、組織不拡大の方針を貫くのか、超能力を実際に披露してマスコミでアピールすることの危険性について率直に語られている。

しかし、何故、東丈は、最初から高鳥に対して冷たい対応しかとらなかったのだろうか?
江田四郎の助けを借りに行き、後戻りできなくなる運命にある女優に対し、それでも、行かないよう最大限の助言をする一方、高鳥に対しては後に幻魔化するということも十分予知できていたはずなのに、それを捨てておいた。

あるいは、東丈は、高鳥の幻魔化もGENKENという組織の強化に必要だと重い、故意に捨てておいたのだろうか?
だとすると、東丈は、ある意味相当な悪といってもよい懐の持ち主のようが気がする。
私としては、そのほうが、画一的な救世主の東丈の姿より、はるかに魅力的な存在になるように思える。

2013年2月11日月曜日

幻魔大戦 第二集(平井和正ライブラリー)

幻魔大戦 第二集は、角川文庫版でいうと、4巻から6巻までを収録している。
漫画版の幻魔大戦のストーリーから逸脱し、独自の展開を描き始めるのは、この4巻からである。

ニューヨークで石油富豪のバックアップを受け、来るべき幻魔大戦に備えるべく、超能力者組織の結成に取り組むルナ、ソニー、ベガと別れ、一人、東京に戻った東丈は普通の高校生活に戻るが、一連の出来事により人間として成長した彼を中心に人々が集まりはじめる。

具体的には、久保陽子、井沢郁江、平山圭子、田崎宏、木村市枝、河合康夫など、以後、東丈の活動を支援する人々だ。

東丈は、GENKEN(幻魔研究会の略称)という組織を立ち上げ、平山圭子の父親の支援を得て、高校内の組織から、渋谷 道玄坂に一般の社会人が出入りできるオフィスを持つ組織まで成長させる。

物語の中心は、ここにきて、幻魔との超能力戦争から、GENKENという、東丈の思想を伝播する目的の講演や出版物の準備を行う、一歩間違えば、新興宗教団体と思ってしまいそうな組織作りに移ったといっていい。
ニューヨークにいるルナたちの活動とはまったく無関係に物語は進むことになる。

子供のころ、何故、この4巻から物語の方向を転換させていったのか、甚だ疑問だった。
しかし、今読み返してみると作者が本当に書きたかったのは、ここからの物語だったように感じる。

ここで描かれるのは、GENKENという組織をめぐる人々の様々な思惑、組織拡大、利権の獲得、内部分裂といった、あらゆる組織に共通する課題に苦悩するリーダーとしての東丈の精神的な葛藤の様子だ。

丈の超能力の発現も変質する。念動力は意識的に封じられ、遠感(テレパシー)、宇宙エネルギーの注入(病気の治療)といったものが主体となり、その回数も減少する。

そして、それとバランスをとるように、幻魔の活動も派手なものではなくなり、超能力を持つ丈を嫉妬していた元親友の江田四郎に憑依し、丈の活動を真似るかのように、悪霊教団を作ろうとしている実態が分かる。

作者は、本来の主題であった幻魔、超能力というSF的な存在を物語から後退させ、救世主として成長する若者、つまりキリストを描きたかったのだろうか。

その途方もない試みに、今読み返してみても、戸惑う自分を感じてしまう。

2013年2月10日日曜日

幻魔大戦 第一集(平井和正ライブラリー)

幻魔大戦 第一集(文庫本でいうと第一巻から三巻)を読んで、改めて、面白い小説だったのだなと感慨を深くした。

ヨーロッパの小国トランシルヴァニアの王女ルナが飛行機事故に遭い、海上へと落下する中、宇宙意識フロイとコンタクトし、宇宙の破壊者 幻魔が地球に侵攻することを告げられる。
フロイに助けれた彼女は、別の銀河で幻魔と戦い敗北し眠り続けるサイボーグ戦士ベガと出会い、敗残の意識の中からベガを呼び戻す。

そして、ルナとベガは、巨大なPK(念動力)を潜在させていた日本人の高校生 東丈と、テレポーテーション能力を有する黒人幼児であり、ブラックハーレムのボス、ソニー・リンクスを目覚めさせ、尖兵として送り込まれてきた幻魔 ザメディとザンビと戦うこととなる。

第一巻から三巻までは、少年向けSF小説という枠に収まっている内容だと思うが、それでも、超能力者たちの人種偏見の相克、大きな石油企業の社長が超能力者グループを支援し、その見返りに自社の防諜能力を強化しようとするあたりは、いかにも生々しい。
いわゆるジュブナイル小説の枠からはみ出ている部分といってもよいかもしれない。

しかし、今読むと何といっても登場人物が若い。
ルナは十八歳、丈は十七歳、ソニー・リンクスに至っては五歳である。
昔読んでいたころはひどく大人びた印象だった丈の姉 三千子でさえ、二十七歳の若さだ。
(ちなみに舞台は1967年)

*吉田秋生の「BANANA FISH」に、アッシュ・リンクス(山猫)という、やはりニューヨークのダウンタウンのストリート・キッズを束ねる天才的な十七歳のボスが登場する。名前が類似したのは偶然か?

この物語中、一番の名言は、「信は愛、信は力」というサイボーグ戦士ベガの言葉だろう。
(英語で言うと、「To believe is to love.To believe is to be strong」だろうか?)

「心の結集がなければ、いかなる強大な力もなんの用も果たさない。他人を信ずるという行為には大きな努力が要る。不断の努力による持続が不可欠なのだ。」ということばは、今聞いても確かにそうだなと思う部分がある。

幻魔大戦の物語は、これ以降、ある意味、このベガの言葉の実践の困難さが主要テーマになる。

2013年2月9日土曜日

仕事の報酬は

最近とても忙しい一日があって、なぜ自分がここまでして仕事に力を尽くすのか、自分でも自分を不思議に思った。

ひとつ言えることは、動機らしい動機といえば、相手の信頼を得たいという気持ちが結構強いということだけだ。
一度、自分を信頼してくれた相手は、また次の仕事を依頼してくれる。

それが、訳もなくうれしい。

とすると、仕事の報酬は、仕事なのかもしれない。