2017年5月28日日曜日

誘惑者 安部公房 近現代作家集 II/日本文学全集27

池澤夏樹個人編集のこの近現代作家集は、個性ぞろいの短編が揃っているが、この「誘惑者」もすごい。

物語は、二人の行商の女が休んでいる始発待ちの駅の待合室に、時季外れの開襟シャツを着た大男が現れるところからはじまる。

疲れた男は眠るためにベンチを空けてくれるよう、お願いするが、女二人は動じない。 その女たちとの駆け引きの後、大男はようやく座れるが、そこに、事務員風の小男が現れる。

小男は、 大男と女二人に対して、自分が現れるのを先回りして待ち伏せしていた大男に捕まってしまったという話をする。吃音の大男に比べて、小男は流ちょうに話を進める。しかも、小男は昔、女を殺した過去があることをにおわせる。

そして、小男は、 自分が逃げ出さないよう、女二人に見張りを頼んで、自分は寝たらどうかと大男にもちかけ、大男は本当に寝てしまい、小男も合わせるように寝てしまう。

始発電車が来て、小男と大男の二人は乗り込み、さらに、バスに乗り換える。そして、ひっそりとした郊外の停留所で二人は降りて歩き、 ある門にたどり着いたところで、二人の関係が明るみになる...という物語だ。

短編小説の見本のような切れ味のあるどんでん返し。
そして、その結末を踏まえて、あらためて物語を見ると、最初からそう読み取ることもできたのだということに読者は気づかされるのだ。

小男の最後の台詞が、意味深だ。
来たるべき超管理社会を予言していたかのようにも思える。

2017年5月22日月曜日

白毛 井伏鱒二 近現代作家集 II/日本文学全集27

池澤夏樹が個人編集している日本文学全集は、今までの日本文学全集とは全く趣を異にしたものになっているが、この近現代作家の短編集に至っては、さらにその色合いが強くなっている。

この井伏鱒二の「白毛」も実に珍妙な話で、およそ既存の全集では見かけないような作品である。

作者(おそらく井伏鱒二、本人)は、仕事にとりかかるときに、つい所在なさげに、白毛(白髪)を抜き、それを釣り糸のようにつなぎ合わせる癖がある。

釣りが趣味だから、漁師結びやテグス結び、藤結びなど、骨が折れるような凝った結び方までしてしまう。

作者は結びながら、渓流釣りの場面を思い浮かべるのだが、どうしても消せない不快な思い出があるという。

それは、 偶然知り合った二人の青年と一緒に釣りをしていた時の話だ。

一人の青年がテグスを忘れてしまい、もう一人の青年と言い合いになる。
二人は酒を飲み、酔っぱらっていて険悪な雰囲気。
作者は、雰囲気を和らげるために、馬の毛を抜いてテグスの代わりにすることを提案するが、青年たちは思いがけない行動に出る...という話だ(読んでみてのお楽しみ)。

人の毛の強さが禁欲の有無、節制の度合いによって弾力性に開きが出てくるという話や、娘の生毛(うぶげ)が、男を知っているかどうかで違ってくる説など、作者の“毛”に対する興味は止むところがない。

なんとも変わった話だが、井伏鱒二の写真を見ながら、これが実話だったらと思うと、つい笑ってしまう。

堅いイメージのある作家だが、実は、かなり面白いおじさんだったのかもしれない。



2017年5月21日日曜日

父と暮らせば 井上ひさし 近現代作家集 II/日本文学全集27

原爆投下の3年後の広島の物語。

登場人物は、原爆で生き残った娘の美津江と、亡くなった父の竹造の二人だけ。

竹造は幽霊ということなのだろうが、どこか剽軽で明るい。そして、いつも美津江の将来を気にしている。

美津江は、原爆で過酷な死を強いられた人々を忘れられず、自分だけ幸せになることを恐れ、訪れた婚機を拒否しようとする。

竹造は、そんな美津江を必死になって説得する。
そして、二人の話は、原爆投下の日、瀕死の竹造を置いて行かざるを得なかった美津江の状況にさかのぼってゆく。

あの日、こんなつらい決断をした人々は、どれだけいたのだろう。
そして、それを背負いながら生き続けた人々も。

亡くなったしても、願えば、死者は生き残った者の心に生き続ける。
父娘の最後のやり取りが悲しいけれど、暖かい。

2017年5月14日日曜日

質屋の女房 安岡章太郎 近現代作家集 II/日本文学全集27

戦時中、学校にも行かず、友人の下宿でものを書いたり吉原で遊んで金がない学生と、彼の行きつけの質屋の女房との関係を描いた掌編。

この主人公の学生が語る質屋についての説明が面白い。
...店を出るとき、「ありがとうございます。」と、番頭とうしろに控えた小僧とに頭を下げられ、変な気がした。金をもらったうえに、礼を云われる理由が、咄嗟にはどういうことか合点が行かなかったのである。
また、質屋の女房について恋愛の気持ちがあった訳ではないと説明するくだり。
...しかし、こういうことは云えるだろう。金を借りる側にとっては、いかなる場合でも相手に信用を博そうとか、そのためには相手に好かれたいとかという気持ちが絶えず働いており、それは恋愛によく似た心のうごきを示すことになる、と。

学生は、良心的に質屋の女房に接し、彼女も好意を持って接するが、学生との関係に未来はないことは気づいている。

最後、主人公の学生は、召集令状を受け取り、彼女と最後の対面をすることになるのだが、その結末にも、どこかほほえましさが残る。

2017年5月11日木曜日

海街diary 8 恋と巡礼/吉田秋生

今回の海街diaryは、今までの刊と比べると、正直感動が薄かった。

たぶん、原因は、三女チカが妊娠を秘密にしていたことから発生した事の顛末と、お相手のアフロ店長(アフロじゃなくなった)が失敗したヒマラヤ登山に再挑戦するというエピソードに感情移入できなかったからだ。

妊娠したのに、安全(安産)祈願のために、半日に5カ所もパワースポット巡りをするという無謀な計画を立て、途中で熱中症になってしまうという、どうしようもない展開とか、アフロ店長が、チカの妊娠を知った後、“臆病な自分を取り戻したい”という大の大人が言うのも恥ずかしくなるような動機を真顔で話し、“必ず戻って来る。結婚してください”と告白する状況がどうにも違和感があったためだと思う。

すずの鎌倉での中学最後の夏に話の中心を持ってきたほうが良かったのではと個人的には思ってしまった。

2017年5月8日月曜日

みみずくは黄昏に飛びたつ―川上未映子訊く 村上春樹語る

川上未映子よく訊いた!というのが正直な感想。

話があっちに行ったり、こっちに行ったりして、深く追求できている部分と突っ込みが足りないと感じる濃淡の差はあるが、全体としてみると、多少読んでる方も疲れるほどに、まあよくもこんなに訊いたなという印象を受ける。

それは村上の愛読者である川上未映子がとにかく自分の訊きたいことをストレートに訊きまくったということだろうし、村上春樹もほぼ逃げずに誠意をもって語ったことの証左だろう。

村上春樹が自身の仕事ぶりをまとめた「職業としての小説家」より、ある意味、面白かった。

色々なテーマが語られているが、私が特に興味深く読んだのは、以下の部分だった。

1. 中上健次の思い出

中上健次が文壇のイニシアチブを持っていた時代に、中上と村上が対談した後、中上が村上を飲みに誘って、村上が断ったという逸話。
村上本人も後悔しているが、これ、両者の愛読者としては是非行ってほしかったですね。

2.地下へ降りていくことの危うさ

地上2階建て地下2階の建物の絵(川上未映子作)が秀逸。
地下1階が近代的自我みたいなもの、日本の私小説的な世界(クヨクヨ室)で、 地下2階が無意識の世界という説明は、とてもイメージがしやすい。

3.女性が性的な役割を担わされ過ぎていないか

実は私も、村上春樹の小説で不必要なくらいにセックスシーンが多いなぁと気になっていたので、川上未映子はよく訊いた!と感じるところだったのだが、残念ながらこの部分の村上春樹の答えは、「えっそうなの。でも違うよ」という感じでちょっと逃げているというか、かわしている感じが強い。この部分は正直もっと突っ込んでほしかったが、川上未映子の質問内容も、かなりストレートに近いものなので、これが限界かなという気もする。

4.日記は残さず、数字は記録する

ワープロソフトに「EGWord」(旧Macユーザとしては懐かしい!)を使っているのも面白かったが、村上春樹のある意味緻密な仕事の仕方と仕事量に驚かされる。
長編小説の執筆において、毎日十枚原稿を書いて毎月二百枚のペースを堅持し、書き直し(推敲)は、第5稿までプリントアウトせず、画面上で修正するというのも恐ろしい。そして、プリントアウトした第6稿から念校まで入れると、全部で十校(!)まで書き直しをしているということになる。
しかも、その間に、翻訳を複数こなすというのだから、すご過ぎる。

以上、私が特に興味があるところだけ取り上げてみたが、色々な側面から質問しているので、村上春樹の愛読者であれば、どこかしら興味を感じるところは、きっとあると思う。


http://www.shinchosha.co.jp/book/353434/

2017年5月7日日曜日

晴子情歌(抄) 高村薫 近現代作家集 I /日本文学全集26

昭和十年代の北海道の鰊の漁場とはこんな所だったのか。
赤の他人が金を得るという一つの目的のために集い、鰊の大群を捕獲するという大きな仕事を成し遂げる。

現代でいうプロジェクトなのだが、ここで描かれる情景は、企業で行うプロジェクト等とは比べ物にならないくらい、多種多様な人びとが集まり、濃密な人間関係があり、ダイナミックなエネルギーに満ちている。

私ははじめて高村薫の文章を読んだが、このような題材で、このような人間味のある文章を書く人だとは全く知らなかった。

面白いのは、編者の池澤夏樹がこの作品を、小林多喜二らのプロレタリア文学の系譜に位置づけているということだ。

しかし、ここで描かれる労働というものは過酷ではあるが、はるかに人権が尊重されている仕事場であり、労働者には働く喜びさえ感じられる。

昭和十年からなんと遠くに離れてしまったのだろうと感じてしまうほどに。

2017年5月6日土曜日

機械 横光利一 近現代作家集 I /日本文学全集26

私は初めて横光利一の小説を読んだのだが、軽い衝撃を受けた。
昭和初期に書かれたと思われるこの小説に斬新な印象を覚えたからだ。

カフカが書いた不条理な世界の印象とよく似ていると思う。

物語は、ほぼ密室劇に近い。
ネームプレートを作る町工場が舞台で、主人公はプレートに着色させるための化学薬品の調合を担当しており、その劇薬のせいで頭脳や視力にも影響が出てきていると感じている。
その主人公を敵視するのは、先輩社員の軽部だ。
主人公を町工場の主人から赤色プレート製法を盗み出そうとしている間者だと疑い、工具を頭に落としててきたり、足元に金属の板を崩れさせたり、薬品を劇薬に取り替え、命まで狙おうとしている。

もう一人は、町工場が受注した大量の仕事をさばくため、同業の製作所から応援で働きはじめた屋敷という男。
この男は、主人公から見ても、本物の間者のような怪しい行動をする。

そして、軽部が主人公を殴り、屋敷も殴り、屋敷も軽部を殴り、ついには主人公まで殴り出す。
この三人の職工の馬鹿馬鹿しい殴り合いの果てには更なる馬鹿馬鹿しい結果が用意されている。

主人公の一見客観的に思える状況分析は、物語の中心部を必要以上に掘削し、遂には、すかすかのナンセンスなものに変えていく。

この物語の構成は、ひどく現代的なもののように感じる。

2017年5月5日金曜日

女誡扇綺譚 佐藤春夫 近現代作家集 I /日本文学全集26

佐藤春夫が書いた怪奇ミステリ小説ともいうべき作品。

佐藤春夫と思われる新聞記者が大正時代半ばに友人とともに台湾の荒廃した街を散策した際、無人のはずの豪華な廃屋の二階から若い女性の声を聞く。
不審に思った二人が近隣の住民に話を聞くと、それはかつてその家に住んでいた豪商だった沈家の一人娘の幽霊だという。
そして、二人は沈家の短い栄枯盛衰の歴史を聞くことになる。

台湾人の友人は幽霊の存在を信じるが、作者はきっと若い恋人たちが隠れた密会の場所に選んでいたのではないかと推測を立てる。

興味をかきたてられた作者は再び廃屋を訪ねるが幽霊の姿はなく、一本の扇を拾う。
その扇に書かれていた女性の生き方を指南する言葉が本書のタイトルになっている。

再訪後、二人はその廃屋で若い男が首吊り自殺をしたことを知る。
作者はその男の第一発見者がきっと恋人で、彼らが聞いた女の声の主ではないかと仮説を立て、新聞記者の仕事を利用し会いに行く...という物語だ。

怪奇ものではあるが、終始クールな空気が流れているのは佐藤春夫が人生に対して時折みせる退廃的な雰囲気のせいだろう。

例えば、こんな一節。
いったい私は必要な是非ともしなければならない事に対してはこの上なくずぼらなくせに、無用なことにかけては妙に熱中する性癖が、その頃最もひどかった。
そうして私自身はというと、いかなる方法でも世の中を制服するどころか、世の力によって刻々に圧しつぶされ、見放されつつあった。
私はまず第一に酒を飲むことをやめなければならない。何故かというのに私は自分に快適だから酒を飲むのではない。自分に快適でないことをしているのはよくない。無論、新聞社などは酒よりもさきにやめたい程だ。で、すると結局はあるいは生きることが快適でなくなるかも知れない惧れがある。だが、もしそうならば生きることそのものをも、やめることがむしろ正しいかもしれない。...