2012年2月26日日曜日

民法改正/内田 貴

民法が百年ぶりに変わろうとしている。

民法といっても、ぴんと来ない方もいらっしゃるかと思うが、私たちの日常の活動にかかわる法律の中で最も基本的な法律と言われている。

民法は、大きく、5つのブロックで構成されている。
1.総則(人、物、民法全体の基本事項)
2.物権(所有権や抵当権など)
3.債権(契約)
4.親族(婚姻、離婚、親子など)
5.相続(遺産分割、遺言など)
今回、大きく変えようとしているところは、3.の部分らしい。

契約 とは、大雑把に言えば、スーパーで物を買うときの売買、マンションを借りるときの賃貸借のルールのことである。

よく知らなかったが、3.の契約のルールについては明治29年の民法制定以来、ほとんど変更がなかったらしい。

2004年に、民法が現代語化されたとき(それまではカタカナ交じりの文語体だった。今思うとちょっと信じられない)に、大きく変わったような気がしたが、ほとんど中身の変更はなかったらしい。

著者の内田貴さんは、東大法学部の教授で、民法に関する非常に分かりやすい教科書を書いている人であるが、この民法改正の作業に携わるために、わざわざ、教授の職を辞め、法務省の参与になった方だ。

とりわけ、 著者においては、以下に述べる民法改正の必要性についての思いが強かったらしく、そのあたりの思いが本書でも静かではあるが熱く述べられている。
A.文章のわかりづらさを是正する
厳密さを追求するあまり、プロしか読んで分からない文章になっている。これをユーザフレンドリーで明快なテキストにする。
B.確立した判例ルールを条文化する
裁判で確定したルールについては、実質法律なので、これを分かりやすさの観点から明文化する。 
C.日本民法の国際競争力を高める
世界的な市場の拡大(EU、FTA、TPPなど)に伴い、契約法が国際的に共通化する流れの中で、日本がガラパゴスにならないように、国際標準として通用する内容に見直す。また、英訳しても明晰さを失わない文章に書き直す。
とりわけ上記C.の部分は、日本がウィーン売買条約に、発効から20年遅れで批准したことで、受けたデメリット、例えば、売買条約の解釈や、国際取引ルールの形成で、他の国々に、日本の法文化や実績を対外的に主張できるプレゼンスが低いことを例に挙げている。

古い法曹の中には、改正など必要ないという声が聞かれているそうだが、やはり傍目から見ると、飯の種が変わってしまう(条文ががらりと変わると一から法律を学びなおさなければならない)ことへの反発としか思えない。

現在の進捗状況では、2013年2月ごろに、中間試案がでるそうだ。
しかし、すでに企業や経済界の実務レベルでは、改正論点のテーマについて、かなり議論になっている。

ちくま新書の、薄っぺらな本でしたが、民法改正の基本理念の大所がつかめる非常に有意義な本でした。

2012年2月25日土曜日

妻に捧げた1778話/眉村卓

「妻に捧げた1778話」が話題になっているときに、作者が眉村 卓であることを知って、妙に納得したのを覚えている。

小学生時代、眉村卓の少年向けのSF小説(今は「ジュブナイル小説」というらしい)は、当時、姉の本棚にならんでいたせいか、よく読んでいた。「天才はつくられる」「深夜放送のハプニング」「奇妙な妻」「泣いたら死がくる」などなど。

角川文庫の独特の表紙もなつかしい。

こんな感じ。

好んで読んでいたのは、どちらかというと「ポケットのABC」「ポケットのXYZ」「ふつうの家族」といったショート・ショートものだった。

ポケットシリーズなんかは、無意味でアナーキーな作品が好きだったし、「ふつうの家族」は、何気ない日常生活自体にも起こりうる奇妙な瞬間を描いていて面白かった。

また、子供ながらにも、この人は、まじめなんだなと感じる部分が多い作家であった。

中学生ぐらいの主人公が多く出てくるせいもあるが、異性関係や性に関する描写はほとんどなかったような気がする。そういうところが、採用されたNHK『少年ドラマシリーズ』にもぴったりだったのかもしれない。

そんなまじめな作家が、がんで余命1年の妻のために、一日一話、気持ちが明るくなるようなショート・ショートを書いて読んでもらう。それが1778話続いた。

この背景を美談と感じてしまうせいだろうか、本を買ってみたのだが、残念ながら、昔のように、純粋にショート・ショート自体を楽しむことは出来なかった。

たぶん、毎日毎日、小さな物語を作る夫と、それを読む妻の光景が、ショート・ショートの物語を超えた大きな物語になってしまっているせいなのかもしれない。

2012年2月23日木曜日

NRCの情報公開

米原子力規制委員会(Nuclear Regulatory Commission、略称:NRC)が2月21日、福島の原発事故発生から5日後の時点で、原発から50マイル(約80キロメートル)圏から退避するよう、避難勧告すべきであるといった意見や、メルトダウン(炉心溶融)の可能性を指摘しているやりとり等が記録された全体で3000ページを超える議事録を公開した。

http://www.nrc.gov/about-nrc/organization/commission/comm-gregory-jaczko/0317nrc-transcript-jaczko.pdf

http://www.nrc.gov/japan/japan-meeting-briefing.html

NHKのニュースによると、議事録だけでなく、電話でのやり取りなども録音したデータも公開しているらしい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120222/t10013199921000.html

自主的な公開ではなく、米メディアなどが情報公開法に基づいて公開を請求していたことがきっかけだったようだが、NHKが日本政府に情報公開法に基づき請求したら、議事録を全く作っていなかったことが判明したことと比べると、ひどく対照的な結果である。

米側も、すべて公開している訳ではなく、一部は黒塗りしているようだ(例えば、北沢防衛大臣との会話の記録などは消したらしい)。

やはり、こうして、当時の記録を検証できるというのは、有用だと言わざるを得ない。

特に、米側が常に最悪の結果が起きることを想定して事故の影響を予測・分析している点や、日本からの情報公開の少なさに苛立つだけでなく、独自に情報収集に努めている点は、リスク管理という観点で大いに学ぶべき点があると思う。

情報を公開するということは、言わば、第三者の批評・検証にさらされるということだ。

おそらく、今回の事故で、仮に日本側が議事録をきちんととっていたとしても、米側の対応と比較・検証されて、やはり、何らかの非難を浴びる結果にはなったと思う。

政府・原子力保安院・東電の当事者にとっては、身につまされ、冷や汗をかくような批評や報道がなされることになった可能性は高い。

しかし、それが情報公開というスタートラインであり、原発という非常にリスクが高い技術や物質を扱う国家機関のグローバルスタンダードではないだろうか(少なくとも事故がおきたら日本だけの問題ではすまなくなることは明白になったのだから)。
日本は今回、そのスタートラインにすら立てなかったのだ。

ストレステストの一次評価で原発を早々に再稼動させようとしている政府関係者は、今回の原発事故とその後の対応について、十分に検証したのか、問題はなかったのか、本当によく考えてほしい。

2012年2月20日月曜日

絶対になくしてはならないものって…

鷲田清一の「語りきれないこと」を読んでいたら、なるほどと思う言葉が書いてありましたので、紹介します。

作者は、「教養」とは、いろんな社会的な出来事や人物に触れたときに、大体でいいから、それを以下の4つのカテゴリーに仕分けすることができることだと言っています。
1.絶対に手放してはいけないもの、見失ってはいけないもの。
2.あったらいい、あるいはあってもいいけど、なくてもいいもの 
3.端的になくてもいいもの。なくてもいいのに、商売になるからあふれているもの 
4.絶対にあってはならないこと
確かに、今の世の中、上記の2.と3.が特に溢れているような気がします。この辺を見極めるのは結構、人によってバラバラかもしれませんね。

また、 1.は普通、見失わないはずなのに、2.や3.の利害関係に惑わされ、4.に相当することを選択してしまうような世の中になっているような気がします。

このへんを、人間の軸というのでしょうか。

でも、これからの時代、この軸をきっちり持っていないと、絶対になくしてはならないものまで、なくしてしまうのではないのでしょうか。

2012年2月19日日曜日

眠れぬ夜の確定申告

昨日の夜は、すぐ眠れるようにと、腕立て伏せ、腹筋運動、スクワット、一通り、いつもより、回数を倍にしてヘロヘロになったところで、難しそうな本(山崎正和の「装飾とデザイン」)を読んでいたのだが、ちっとも眠れそうにない。また、そういうときに限って、救急車がやたら近所を走り回っていて、サイレンの音が気になって、言葉が頭を素どおりしていってしまう状態だ。

ぼーっとしていると、また怖くなるので、つまらない単純作業で 、何かやることはないかと午前1時ごろに考えていたら、確定申告がまだだったことを思いついた。

私の場合、医療費控除と寄付金控除が当てはまりそうだったので、早速準備をはじめる。

まず、領収書を集めた缶から、昨年1年度の医療費関係の領収書を集めてみて、電卓で計算してみると10万円を超えていた。(ドラッグストアで買う市販薬も対象になります)

寄付金の方は、ふるさと納税をしたとき、その地方公共団体から送付されてきた証明書を用意しておく。

次に、国税庁の確定申告特集のページにアクセスし、確定申告書を作成することにした。

e-taxと書面提出の2種類があるが、もちろん、書面提出。

e-taxで手続きするには、電子署名(電子的な実印のようなもの)と電子証明書が必要となるのだが、個人で、こんなものを持っている人なんて、そうそういないと思うけど。
(国が電子政府と称して導入してみたら普及率が芳しくないので、税額控除など特典をつけて、普及させようとしているみたいですね)

初めて国税庁のHPを使って確定申告書の作成をしてみたのだが、全然期待していなかった割には、分かりやすく、戸惑うところは、あまりなかった。

ふるさと納税の寄付金の種類が何なのか、分からなかった点だけでした。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5699775.html

ちなみに、去年、東日本大震災で、義援金等を寄付された方も、確定申告で、ある程度は還付されるようなので、お忘れの方はやってみては。

それと、医療費控除は、明細書も作成しなければならないところが、若干面倒でした。
(国税庁のページで明細書も作成できましたが、医療を受けた人、病院、薬局などで分類しなければならないところは、面倒ですね)

でも、今夜は、その若干面倒なところをまさに求めていた。
いくつかのプロセスを経て、ようやく確定申告書を印刷。

軽い疲れを感じながら、ようやく眠れそうだなと思って、時計を見たら、午前2時。
これって、丑三つ時か。

シーンとした部屋の中、もう知らんと、布団の中に入って目を閉じると、幸いにも重たい眠気の渦が覆いかぶさってきた。

今朝は、ノックはありませんでした(あったのかもしれませんが熟睡していたので気づかず)。
よかったー★★

午前4時のノック

土曜の朝、部屋のノックで目が覚めた。

トントンと2回、音がして、

なぜか、「はい」と自分は答えて半身を起こした。

時計を見たら、午前4時7分。

当然だけれども、ドアの外には誰もいなかった。

誰かが来たのかも…と思ったとたん、年甲斐もなく、布団にくるまり、ガタガタと震えてしまった。

いやな思いが頭をかけめぐった。それとも寝ぼけていたのか?

幽霊など、信じていない自分だったのに。

今夜は眠れそうにないので、電気をつけたまま、本でも読んでいよう。

2012年2月13日月曜日

お札の中の人々

司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を読んでいると、お札にもなっている偉人たちが、生々しく描かれているところが、とても面白い。

たとえば、昔の五百円札の岩倉具視…
口をひらくと、舌が鳴った。岩倉は開口の最初に舌を鳴らすくせがあった。
「わしのこの両眼の黒いうちは、おぬしたちが勝手なことをしたいと思うてもそうはさせんぞ」と、岩倉の生涯のなかでもっとも凄味のある一言を吐くにいたるのである。異様な一言といっていい。いかに、岩倉が、どこか海賊の巨魁のようなところのある男でも、行儀のやかましい公家育ちである以上、この一言はただごととは思えない。 
しかし元来が公卿的な人物ではなかった。若いころから源氏物語や古今・新古今集になんの関心ももたず、…どうやらそういう博覧強記を必要とするものは頭からうけつけない男のようだった。文章はうまかった。が、かれの属した時代の名文の規格に適うものではなく、まるで欧米の文章のように達意で平明すぎた。
昔の千円札の伊藤博文も…
伊藤博文という男は、岩倉具視を大使とする欧州の文明見学団の大一座のなかでは風采のもっともあがらぬ人物だった。背がひくく、顔は典型的な蒙古型で、日本の基準でいえばどうみても百姓の息子としかみえず…(女色にいやしいことにも触れられています)
学校で歴史を学んでいて感じる物足りなさは、このような偉人ひとりひとりの人間臭さが消されてしまっていることに違いない。

 司馬遼太郎の本では、早稲田大学の創設者 大隈重信にも手厳しい。
かれの特技が、二つあった。外国人をこわがらなかったことで、もめごとがあると英国公使館あたりに押しかけて行っておそろしくブロークンな英語をがなりたてて日本側の利益を主張しきってくるということと、銭勘定が達者であるということだった。
他にも、徳川家康がどうしようもない田舎者であるとか、直截な口調で語られていて、その辺りも、愛読者にはたまらないところがある。

2012年2月11日土曜日

苦海浄土/石牟礼道子

自分の故郷の名前を、災害や病気として人々に記憶されることほど、悲しいことはない。

石牟礼道子の「苦海浄土」は、熊本県水俣を故郷として生まれた作者が、1950年代の高度成長期の日本で初めて起きた公害病である水俣病に苦しむ人々の声を語り部としてつむいだ作品だ。

化学品メーカーであるチッソ(旧社名:新日本窒素肥料)の水俣工場において、化学製品を合成する際の重要な原料となるアセトアルデヒドの生産の際に発生したメチル水銀を含んだ排水を、水俣湾に、ほぼ未処理のまま多量に廃棄した。

その結果、魚介類にメチル水銀が蓄積され、それらを日常的に多く食していた猫に異変が生じ、そして人間が発病した。

手指のしびれ感、聴力障害 、言語障害、歩行障害、意識障害、狂騒状態…

苦しむ患者たちを無視して、原因を隠蔽し無責任を装う会社、それを黙認する無責任な行政。今の原発事故をめぐる対応にも重なる思いがした。

水俣病で命を落とした勤勉な漁師だった老人の言葉と、その思いを伝える作者の言葉が心に響く。
水俣病のなんの、そげん見苦しか病気に、なんで俺がかかるか。
彼はいつもそういっていたのだった。彼にとって水俣病などというものはありうべからざることであり、実際それはありうべからざることであり、見苦しいという彼の言葉は、水俣病事件への、この事件を創り出し、隠蔽し、無視し、忘れ去らせようとし、忘れつつある側が負わねばならぬ道義を、そちらの側が棄て去ってかえりみない道義を、そのことによって死につつある無名の人間が、背負って放ったひとことであった。
しかし、この本の素晴らしいところは、それだけにととまらず、水俣という地が、今の日本では考えられないほど、豊穣な自然に囲まれ、幸福に満ちた場所であったことを見事に記録している点にあると思う。

作者を「あねさん」と呼ぶ漁師の老人が語る方言によって、きらきらと再現される水俣の海と、そこで悠々と生きる人々の美しさ。
(この部分の文章は、丸谷才一、池澤夏樹氏など、数々の評者に引用されていますので、一度読んでみる価値はあると思います)


以下、余談です。

*国の基準で水俣病と認められていない被害者を救済する水俣病被害者救済特別措置法の申請について、今年7月末までで受付を終了する方針を、政府が出したらしい。

いまだに、月に数十人単位の申請が続いている現状もあり、かつ、水俣病に対する偏見や差別の実態があることから、申請できない潜在的な患者も多いという。そういった現状や問題を無視して、何故、苦しんでいる人々に期限を突きつけようとするのだろうか?

2012年2月10日金曜日

本当のリーダーって?

鷲田清一のエッセイ集?「噛みきれない想い」を読んでいたら、うーん!とうなってしまうような事が書いてあったので、紹介します。

それは、リーダーの資質について書いた短文なのだが、書店に並んでいるリーダー論、心得を説くマニュアルで描かれた「優等生」的リーダーと比較するように、著者が、かつて人づてに聞いた松下幸之助の言葉だった。

松下幸之助は、成功する人が備えていなければならないものとして、以下の3つを挙げたという。

1.愛嬌
愛嬌のある人にはスキがある。だから、周りをはらはらさせて、私がしっかり見守っていないとという思いにさせる

2.運が強そうなこと
その人のそばにいると、何でもうまくいきそうな気になる。そのハツラツとした晴れやかな空気に乗せられて、冒険的なことにも挑戦できる

3.後姿
その人の後姿に、目がいってしまう。何をやろうとしているのか、何にこだわっているのか、つい考える

上記3つに共通しているのは、見る人を、受身ではなく、能動的にする人だということ。

そして、今の政治や企業のトップの多くは、みんな、間違いやスキがあってはならないという「優等生」タイプで、上記3つの要素を持ち合わせていない人々だと分析している。

また、そのようなリーダを選んでいる私たちの社会が、異端を嫌い、同じかどうかを重視する友人関係、ちょっとした失言、不祥事で弾劾をはじめるマスコミ、それに反応する直情的な視聴者など…によって成り立っていることに起因していることも指摘している。

みなさんは、上記3つからイメージする人は、周りにいますか?

私は、残念ながら、司馬遼太郎が描く 秀吉しか、イメージできませんでした。

しかし、こんな短文で、世のリーダー論を、バサッと切ってしまう鷲田清一と、そんな事を見抜いていた松下幸之助は、すごいなと思いました。

★2/19追記
 後で思いましたが、上記3つのイメージに近い人物として、坂本竜馬がいることに思い当った。
 愛嬌、後姿なんかでは抜群に魅力があった人ではないだろうか?