2012年2月13日月曜日

お札の中の人々

司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を読んでいると、お札にもなっている偉人たちが、生々しく描かれているところが、とても面白い。

たとえば、昔の五百円札の岩倉具視…
口をひらくと、舌が鳴った。岩倉は開口の最初に舌を鳴らすくせがあった。
「わしのこの両眼の黒いうちは、おぬしたちが勝手なことをしたいと思うてもそうはさせんぞ」と、岩倉の生涯のなかでもっとも凄味のある一言を吐くにいたるのである。異様な一言といっていい。いかに、岩倉が、どこか海賊の巨魁のようなところのある男でも、行儀のやかましい公家育ちである以上、この一言はただごととは思えない。 
しかし元来が公卿的な人物ではなかった。若いころから源氏物語や古今・新古今集になんの関心ももたず、…どうやらそういう博覧強記を必要とするものは頭からうけつけない男のようだった。文章はうまかった。が、かれの属した時代の名文の規格に適うものではなく、まるで欧米の文章のように達意で平明すぎた。
昔の千円札の伊藤博文も…
伊藤博文という男は、岩倉具視を大使とする欧州の文明見学団の大一座のなかでは風采のもっともあがらぬ人物だった。背がひくく、顔は典型的な蒙古型で、日本の基準でいえばどうみても百姓の息子としかみえず…(女色にいやしいことにも触れられています)
学校で歴史を学んでいて感じる物足りなさは、このような偉人ひとりひとりの人間臭さが消されてしまっていることに違いない。

 司馬遼太郎の本では、早稲田大学の創設者 大隈重信にも手厳しい。
かれの特技が、二つあった。外国人をこわがらなかったことで、もめごとがあると英国公使館あたりに押しかけて行っておそろしくブロークンな英語をがなりたてて日本側の利益を主張しきってくるということと、銭勘定が達者であるということだった。
他にも、徳川家康がどうしようもない田舎者であるとか、直截な口調で語られていて、その辺りも、愛読者にはたまらないところがある。

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