2014年2月16日日曜日

独立器官/村上春樹

「女のいない男たち」をテーマにした村上春樹の短編小説第4弾。
今までは、女を寝取られた男たちをテーマにしていたが、今度は寝取る側の男を描いている。

物語の設定は、職業的作家である筆者の僕が、渡会(とかい)という五十二歳の美容整形外科医の男の個人的な打ち明け話を聞き、それを読者に公にするという形式になっている。

谷崎潤一郎の作品で言えば、「卍」。村上春樹自身の作品で言えば、「回転木馬のデッドヒート」の設定である。

麻布の瀟洒(しょうしゃ)なマンションに住み、独身主義者で、料理も一通りできて、ジムに通い若いころの体の線を維持し、複数の女性と関係するという渡会医師は、村上作品で、何回かその姿をみかけるキャラクターだ。

「ダンス・ダンス・ダンス」では、五反田君、「国境の南、太陽の西」の主人公ハジメ、「回転木馬のデッドヒート」では、「プールサイド」に出てくる告白者など。

そして、渡会医師に結婚願望がなく、彼の付き合う女性が、おおむね人妻か、「本命」の恋人を持つ女性たちというところは、同じく「回転木馬のデッドヒート」の「嘔吐1979」に出てくるフリーランスの記者に似ている。

こういった男は、現実社会では明らかに片輪的な存在で非難されるべき男性像だと思うが、村上作品の中では、まともな知性と性格を持っているのだが、そういう趣味・趣向を持ち合わせてしまったある意味、悲劇的な存在として描かれている。

今回の渡会医師でいうと、女性に対する細かな思いやりと気配りの資質、話題の豊富さ、ユーモアのセンスなどが、まともな部分と言えそうだ。

しかし、その反面、自分の付き合っている女性が「他の男たちにも抱かれているという事実は、とくに彼の心を悩ませなかった」と感じるところや、
子供のいる夫婦を「親たちの頭にあるのは子供を名門校に入れることばかりで、学校の成績のことでいつも苛立っており、その責任のなすりつけあいで夫婦間の口論も絶えないようだった。子供たちは家ではろくすっぽ口もきかず、部屋に一人で籠もって級友たちと果てしなくチャットするか、得体の知れないポルノ・ゲームに耽るかしていた」という、ある側面では事実かもしれないが、ずいぶんと偏った考えを持っているところは、あまり、まともとは言えないような気がする。
(村上春樹自身の考え方が如実に現れている部分かもしれないが)

ここまでの物語の設定は、今までの作品でも描かれているところだが、今回の作品では新たな展開を見せており、その一つは渡会医師が、付き合っている一人の人妻を独占したいという、ある意味自然な恋愛感情に襲われる、しかし、反面、今までの彼の人生を根底から揺さぶる事件に遭遇してしまったところを描いている点である。

「私とはいったいなにものなのだろうって、ここのところよく考えるんです」という疑問に襲われ、今までの自分をリセットした状態を、アウシュビッツ強制収容所の話に仮定するところは、正直、極端すぎる感じを覚えたが、これは、その後にでてくる話の伏線なのだろう。
まるで、カフカの「断食芸人」をモチーフにしたような話の。

そして、もう一点は、この小説の題名にもなっている「独立器官」という概念を提示しているところだ。

この概念を女性一般に対して説明する渡会医師の考え方は、やはり独特な感じを受けるが、この物語の筆者は、それを否定しない。むしろ、「そのような器官の介入がなければ、僕らの人生はきっとすいぶんと素っ気ないものになることだろう。」とちょっとロマンチックすぎる肯定を述べている。

その説明に、私の脳裏には、およそ噛み合わない俗にいう「魔が差す」ということばが浮かんでしまったのだが、これは、この物語の渡会医師や筆者の感覚から見て私がすいぶんと素っ気ない人生を生きているからかもしれない。

皆さんはどう感じられたでしょうか。

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