2017年11月11日土曜日

文芸翻訳入門 言葉を紡ぎ直す人たち、世界を紡ぎ直す言葉たち/藤井光 編

イントロダクションで、藤井光さんが、「日本の語学教育は、文法と読解ばかりでコミュニケーション力が育たないという批判はあるが、翻訳という最大の使い道がある」と述べていたが、なるほどと深くうなずいてしまった。

基本文法が理解できて、知っている語彙が単語教材くらいになれば、たいていの文章を読めるようになり、背伸びをすれば小説も読めるようになる。
しかし、ただ読むだけでなく、(小説の)翻訳ができるようになるには、確かに長い道のりが必要な気がする。

原文をしっかり理解できていること(意味だけでなく、文章の性質も理解する)、対応する日本語の表現もなるべく多く頭に浮かび最適なものを選ぶ能力も必要となる。
加えて、背景や歴史的出来事を辞書やインターネットでしっかり調べるという地道な作業も必要になる。

慣れると、右脳で英語を考え、左脳で日本語を考え、これがつながる「回路」のようなものができるというが、どんな感じなのだろう。

本書で面白かったのは、以下のパートだった。

Basic Work 1 「下線部を翻訳しなさい」に正解はありません それでも綴る傾向と対策
(150年分)

藤井光さん(アメリカ文学)が、明治から現代にいたるまでの様々な文学作品(タイトル含む)の訳を例示し、その時代背景と翻訳者(森鴎外、谷崎精一、村上春樹、柴田元幸ら)の特徴を解説している。

同じポオの作品で、明治の森鴎外が意訳的で、昭和の谷崎が直訳的というのは意外だった。さらに時代が進んで、村上春樹になると、文章を短いセンテンスで切って、日本語の文章のリズム感をよくしたり、意訳と直訳を相互に共存させるなどの工夫がみられるという。

Basic Work 2 なぜ古典新訳は次々に生まれるか

沼野充義さんが、外国文学の「古典」の新訳ブームに火をつけたのは、村上春樹と亀山郁夫(ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」など)の功績であると述べている。

村上春樹がカポーティの「ティファニーで朝食を」の翻訳のなかで、「朝食」を「朝ごはん」と訳していることを取り上げ、タイトルも「ティファニーで朝ごはん」に思い切って変えてもよかったのではないかと述べている一方で、若島正が訳したナボコフの「ロリータ」に関する現代口語の思い切った表現には、懸念を示しているのは、沼野さんがロシア文学専門で、ナボコフに対する姿勢が厳しいせいだろうか?

Actual Work 3 翻訳の可能性と不可能性 蒸発する翻訳を目指して

笠間直穂子さん(フランス文学)が、翻訳する上での経験を具体的に述べていて、興味深かった。 

単語一つ調べるのに、すべての語義、用法、用例を読み、原文に適した語義を選び、辞典で解決しないときは、事典やインターネット検索を行うという根気のいる作業。
担当した学生が「ここが分かりません」というとき、「ほとんどの場合は、辞書に正解が載っているのに見逃しているにすぎず、」と言っているあたり、仕事に厳しい方なのかもしれない。

翻訳に興味がある人は、読んで損がない本だと思う。








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