2012年9月22日土曜日

危うい

尖閣諸島をめぐる問題で、米国議会において、中国で起きている反日運動を懸念し、日本を支援する旨の発言があったのを聞いて、ほっとした人も多いのではないだろうか。

私もその一人であるが、同時に、今の日本の弱さというか、危うさを感じずにはいられなかった。
自前の軍隊だけでは自国を守れず、アメリカに守ってもらわなければならないという日本の今更の現実。

建前上は、同盟関係という対等な立場なのだろうが、日本がお金や土地を提供して、極東アジアにおけるアメリカの前線基地の役割を担っている感がぬぐえない。

今、沖縄などで、オスプレイの安全性の問題が取り上げられているが、中国とのこんな状況では、なおさら、アメリカに対して、まともな反論はできないだろう。

司馬遼太郎が描いた江戸末期、明治維新の元勲たちは、少なくとも、軍事力という実力を持たない限り、他国とのテーブルの上の交渉も有名無実のものになってしまうという意識を明確に持っていたと思う。
当時は帝国主義の時代ではあったけれど、現在においても、諸外国に対等な立場で物が言える前提は、やはり国力なのだ。

私がもっと危ういと思うのは、アメリカとの関係と庇護を当然のものと思い(沖縄の人はそんな人はいないと思う)、自分の国を守らなければならないという意識さえもなくなってしまった日本人が増えることだ。
自分の国が侵略されそうになっているという危機感さえないとすると、武力ではない平和的な解決方法を考える知恵すら浮かんでこないだろう。

日本の戦国時代、小国の大名は大国の脅威から生き残るため、同盟と外交にひときわ神経を使った。例えば、徳川家康は織田信長と同盟を結び、その同盟関係の維持のため、自分の妻と息子さえ殺した。そして、その織田信長も、武田信玄には様々な贈り物をして同盟を結んだ。そして、織田 信長は、明智光秀や豊臣秀吉という一流の人材を外交官に登用していた。
いわば、小国が生き残るための覚悟と戦略である。

今の日本に、このような覚悟と戦略はあるのだろうか。
アメリカべったりの関係をさらに強化します!というのは、ある種の覚悟なのかもしれないが、とても戦略と呼べないことは言うまでもない。

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