2012年9月2日日曜日

ジプシー娘の宿/エリアーデ

エリアーデでの幻想小説の一つ。

ピアノ教師が電車に乗るが、教え子の家に楽譜を入れた鞄を忘れたことに気づく。
逆方向の電車に乗り換えるため、道路を渡るが暑さでぐったりしてしまい、ベンチで休んでいる間に、逆方向の電車に乗り遅れてしまう。

主人公は、胡桃の葉の匂いに誘われ、胡桃の木立にあるジプシー娘の宿に辿り着き、そこで、受付の老婆と話し合い、ジプシー娘、ギリシャ娘、ユダヤ娘を買うことになる。

そして、娘たちと話している間に、二十年前に愛したけれど結婚できなかった恋人のことを思い出す。

主人公は、三人の娘と、誰がジプシー娘かを当てるゲームに興じるが、いつの間にか、娘三人はいなくなっており、主人公は、暑さの中でカーテンに経帷子のように包まれてしまい、気を失う。

目覚めた主人公は、ジプシー娘の宿を後にし、楽譜を入れた鞄を取りに行くため、電車に乗るが、周りの世界がいつの間にか変わっている。

鞄を忘れた教え子の家には、別の家族が住んでおり、教え子の家族は8年前に引っ越したことを聞かされる。
自分の家に戻ろうと再び電車に乗ると、持っていた紙幣が一年前に流通停止になっており、料金も倍になっていることを車掌に指摘され、家に戻ると、妻はおらず別の人が住んでいることを隣の家の人から告げられる。
そして、近くの飲み屋に行くと、店主から、妻は自分が十二年前に失踪してしまったため、ドイツに戻ってしまったことを聞かされる。

主人公は、一頭立ての馬車(霊柩車?)に乗り、再び、ジプシー娘の宿に戻る。
そして、受付の老婆と話し合い、今度はドイツ娘を買うことになるが、そのドイツ娘は、二十年前に別れた恋人だった。
主人公が「今は、もう遅い」とか、家もなく、電車賃も上がったことなど、今の彼の事情を話そうとするが、恋人から「あなたがどうなったか分かっていないの?」と謎めいた言葉を言われる。
そして、恋人に誘われ、一頭立ての馬車に乗り、森の道へと旅立つ。

以上が、物語の粗筋だ。
昔の恋人との邂逅。美しい話のように一見思えるが、よくよく読み直すと、怖い部分がいくつかある。

まず、主人公が怪しい売春宿に行かなければ、二十年前に自分が本当に愛した恋人を思い出さなかった(思い出そうとしなかった)ことだ。
そんな事はあるはずがないと言い切れないところが怖い。人は本当は大事なことだったのに忘れたいと思って、本当に忘れてしまうことに成功してしまうこともあるのではないだろうか。

そして、物語でははっきりと明示していないが、主人公が既に死んでいると思われることだ。彼は電車に乗り遅れ、胡桃の葉の匂いを嗅いだとき、既に死んでいたのかもしれない(熱中症か何かで)。だとすれば、彼は自分の死の十二年後の世界をさまよっていたことになる。
(確かに周りからみると、彼は亡霊のようだ)

死んだら、ただちに全てがゼロになる(全ての因果から開放される)と考える世界観から見ると、これも怖い考えだと思う。

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