2011年9月23日金曜日

フランツ・カフカの小説

フランツ・カフカの「変身」を最初に読んだのは、高校生のときの「読書感想文」の課題図書としてだった。

「読書感想文」という気の乗らない作業だったせいもあるが、そのときは、ずいぶんと奇妙な話だなという程度の印象しかなく、肝心の「感想文」も盛りあがらないものになってしまった記憶がある。

その後、自分が社会人の年代になると、営業マンの男がある朝起きたら虫になっていたというストーリーに不思議な興味を感じはじめ、ひさびさに「変身」を読み返してみると今度は面白かった。
変な話だがグレゴール青年にある種のシンパシーのようなものさえ感じた。

池澤夏樹の「世界文学リミックス」では、カフカの「変身」について、『「虫」の代わりに「鬱病」という言葉を入れたら、今やそんな話はどこにでもある。…カフカが恐ろしいのは、結局のところ彼の書く不条理の世界が現実だったからだ』と解説している。

倉橋由美子の短文「カフカの悪夢」も、カフカの作品について面白い解釈をしている。

『「審判」は絶対に自分の罪を理解することができず、従って責任を取ることも知らない人間が、その無知の故に罰せられる物語ではないかと解釈するのです。そうすればこの悪夢の塊のような小説はにわかに倫理的な色彩を帯びてきます。』

倉橋は、そう解釈する理由を、カフカの奇妙な実生活(女性との婚約、解消を何度となく繰り返し、結局、結婚せず)をあげている。
そして、「何一つ責任も取らない奇怪な男」が「自分を罰するためにあんな小説を書いたのかもしれません…」と述べている。

うーん。確かに。
ひょっとすると、読者も自分自身を罰するために、この不条理な悪夢のような小説を読んでいるのかもしれませんね。そうすると、その読者というのは…

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