2011年9月18日日曜日

「伊達」が気になる…

宮城県に住んでいる人ならば、「伊達」と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは、「伊達政宗」だろう。

私も、そのイメージが強かったので、福島県伊達市を通ったときも、伊達氏にゆかりのある土地なのだろうなと思っていたら、果たしてそうであった。

(この伊達市の霊山こどもの村のコテージに、2010年夏に泊まったことがあります。霊山という小さいけれど峻厳さが伝わってくる山から吹きおりてくるひんやりとした風がここちよい緑にあふれたところでした。現在の放射能の状況を思うと胸が痛みます)

伊予宇和島の伊達家も、伊達政宗の長男 秀宗が秀吉の猶子(養子)となった過去があることから、政宗が徳川幕府に遠慮して廃嫡したのを、幕府側でも配慮し、伊予宇和島十万石に秀宗を封じ、伊達家とは独立の家をたてさせたことが始まりらしい。

また、北海道の伊達市も、明治維新以後、仙台藩一門亘理伊達家の領主とその家臣・領民が集団移住をして開拓したことが由来らしい。

さらに、坂本竜馬の子分的な存在で、明治維新後、ヨーロッパ各国との不平等条約の改正に尽力しカミソリと評された外務大臣 陸奥宗光も、陸奥伊達家の子孫という話を聞くと、「伊達家」は、日本の歴史に少なからぬ影響を与えていたのだなと感じる。

司馬遼太郎の「馬上少年過ぐ」は、その伊達家の中興の祖 伊達政宗をとりあげた作品だ。

政宗の父 輝宗が、当時、政宗の弟が跡継ぎと有力視されていた状況の中、伊達家にとって神格化されていた「政宗」という名前を、さりげなく継がせたことについて、

「…あずまえびすの土俗を濃厚にのこしていたこのあたりの風土のなかですでにこういう微妙な政治表現があったということをおもうことは、後世のわれわれにとって、くさむらのなかで白い花をみいだしたようなあざやかさをおぼえる。
伊達政宗という、あずまえびすの土くさい執拗さと反面いかにも近世人らしいみごとな政略能力をもった人物は、こういう人間環境のなかからうまれあがってゆく。」

と政宗の資質について、とても分かりやすい分析をしている。
非常に興味深い本でした。

ちなみに、「伊達男」という言葉も、伊達政宗が、秀吉に濡れ衣をかけられたときに着ていった「白装束」を見ておどろいた上方の人が「伊達男」と呼んだのが、語源らしいですよ。

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