2011年10月30日日曜日

憲法の話

丸谷才一の著書のなかで、文芸評論家の 小林秀雄と中村光夫を、大日本帝国憲法(明治憲法)と日本国憲法(現在の憲法)にたとえて説明している文章がある。
中村光夫さんの文章は、小林さんの文章にくらべると落ちるような感じがする。
しかし、小林さんの文章よりもいい面もある。それは何であるかというと、小林さんのものより言ってることがよく分かる。小林さんのは、文章はうまくて歯切れがよくて、なんだか凄い!という感じがするけれども、しかし、何を言ってるのか分からない(笑)
つまり、言ってみれば、小林秀雄は明治憲法であって、明治憲法の文体は、なんだかよくわからないでしょう。
「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と、なんかドスーンと肝にこたえて凄いけれども、普通の人間にはよくわからない。したがっていくらでも悪用ができる。
そこへゆくと新憲法は、文章は本当に下手であるけれども、よくわかる。
小林秀雄の文芸評論に対する批評としても面白いし、大日本帝国憲法と日本国憲法の比較としても面白い文章だ。

大日本帝国憲法は、プロイセン(ドイツ)憲法を参考に初代枢密院議長 伊藤博文の主導のもと作成され、明治22年2月11日に発布された。
三権分立や、「法律の留保のもと」とはいえ、言論の自由・結社の自由や信書の秘密など臣民の権利が保障されている点で、近代憲法の要素を備えたものだった。

最大の特徴としては、「第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」の条項で、これは、軍隊を動かす権力が天皇にあり、総理大臣も口出しができない仕組みになっていたということだ。

司馬遼太郎は、大日本帝国憲法を評して、こんな風に述べている。
まことに、この点、明治憲法は、あぶなさをもった憲法でした。
それでも、明治時代いっぱいは、少しも危なげなかったのは、まだ明治国家をつくったひとびとが生きていて、亀裂しそうなこの箇所を肉体と精神でふさいでいたからです。
この憲法をつくった伊藤博文たちも、まさか三代目の昭和前期(1926年以後45年まで)になってから、この箇所に大穴があき、ついには憲法の”不備”によって国がほろびるとは思いもしていなかったでしょう。
この統帥権が、陸軍の参謀本部などに悪用され、張作霖爆殺事件や満州事変を独断で実行され、日本は亡国への道を進むことになってしまう。

池澤夏樹の「憲法なんて知らないよ」は、日本国憲法を新約したもので、これも非常に興味深い本だ。

日本国憲法は、当時、日本を統治していたアメリカが、GHQ草案という日本国憲法の原型を作った経緯もあることから、英語版があり、翻訳が可能なのだ。

あまりにも読みやすいため、法律の条文に慣れ親しんだ人は違和感を覚えるかもしれない。でも、池澤夏樹訳の日本国憲法は、改めてよむと、すごくいい憲法のような気がする。

こころみに、第12条と第13条を引いてみよう。
第12条
この憲法は国民に自由と権利を保障するけれども、国民はこれを毎日の努力によって支えなければならない。自由や権利を悪用してはいけない。この権利は国民ぜんたいの幸福のために、責任を持って使うべきものである。
第13条
国民は一人一人すべて、個人として大事にされなくてはいけない。国民ぜんたいの幸福と衝突しない範囲で、一人一人が生きていく権利、自由である権利、また幸せになろうと努める権利を他のどんなことよりも大事にしなければならない。法を作る時や行政の場でこれをいちばん尊重すること。

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