2011年10月19日水曜日

時は今…

司馬遼太郎の「国盗り物語」。明智光秀が、連歌師たちを呼んで愛宕山の西坊で催した連歌の発句で、こう読み上げる。

「時は今 天(あめ)が下(した)しる五月哉(かな)」

織田信長に対する謀反を決意した歌であるが、
「時は今」は、明智の筋目である土岐源氏の「土岐(とき)は今」の意味が含まれており、
「天が下しる」は、文字どおり、「天下を治(し)る」という寓意が含まれている。

この発句を受けて、光秀の風流の友であった連歌師は、
次の句の「水上まさる庭の夏山」を受けて、

「花落ちる流れの末をせきとめて」

と、光秀の謀反の決意を阻みたいという意味を込めた。
光秀には、その意味が通じたが、彼は決意を変えなかった…

戦国期とは思えぬほど、文化的なやりとりである。
(ちなみに、信長は連歌という文芸よりも茶という美術趣味を好んだ)

このように、五七五の長句と七七の短句を互い違いに組みあわて、最終的には三十六句を仕立て、歌仙となる。

岩波新書「歌仙の愉しみ」で、丸谷才一は、その面白さとして、第一に何人でも作る合作性と、第二に即興的に続けていく遊戯性をあげている。

一読して思ったのは、確かに面白そうだけど、これを一緒に行うメンバーの選択が難しそうですね。まず、誰かしら師匠が必要だし、ある程度、歌に対する心得がないと、自分の番になって詰まってしまいそうで怖い。

でも、頭も使った相当に贅沢な遊びですね。

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