2015年7月7日火曜日

評価と贈与の経済学/内田樹 岡田斗氏夫

大江健三郎の「人生の親戚」で描かれていた、ゆるやかな他人との関係。

それを想っていたら、この本に書かれていたネットカフェの話を思い出した。

内田樹さんが、ネットカフェ難民の取材を受けたときに、「ここで一か月以上寝泊まりしている人がほかに30人います」という記事を読んで驚いたという。
なんであと3人に声かけて、「ねえ、一緒に部屋借りない?」って言えないんだろう。ネットカフェの利用料ってそのときで一日1500円なんだ。畳一枚ぐらいのスペースに月45000円払ってるわけですよ。ルームシェアする仲間をあと3人見つけて、4人で暮らせば、18万円でしょ。都内だって10万円もあれば、風呂付の部屋が借りられるよ。
そこに2段ベッドを2つ入れて4人で寝たほうが絶対いいですよね。
そうすれば住民票も手に入るし、病気になっても「薬買って来て」とか頼めるし、「面接あるからスーツ貸して」とかありなわけでしょ。
最初、読んだとき、あまりの正論に確かに!とは思ったものの、私には、こういう発想が出来なかった。

そんな私のような人間を含め、何の疑いもなくネットカフェに住み続けている人たちを、内田さんは、こんなふうに述べている。
 「他人に迷惑をかけたくない、他人に迷惑をかけられたくない、だからネットカフェでひとりで暮らす」というのが彼らにとっては「正解」なんだよね。どれほど生活上の不自由さに耐えても、「自己決定しているオレ」は正しい生き方をしていると思っているんだよ。これって、もろに1990年代以降の「自己決定・自己責任」イデオロギーの帰結だよ。発想そのものを切り替えないと。
まるで自分の心の中を言い当てられたような気がして、正直ドキッとしましたが、家族以外の他人を利用する相互扶助の生き方は、もっと必要になってくるだろうし、これからは当たり前のことになるんでしょうね。おそらく。

※この本、他にも、なるほどと気づかせてくれることが書いてあり、お薦めです。


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