2015年7月3日金曜日

人面疽 / 谷崎潤一郎

谷崎は、大正時代、娯楽小説と言ってもいいくらい、面白い小説をたくさん残している。その中には、探偵小説や怪奇小説も含まれていて、この「人面疽(じんめんそ)」もその一つだ。

物語は、アメリカ帰りの映画女優 歌川百合絵が、自分が主人公として出演しているという、ある不思議な映画が東京の場末の映画館で放映されているという噂を聞くところから始まる。

その映画は、日本語で「執念」、英語では「人間の顔を持った腫物(できもの)」 という題名で、百合絵が演じる菖蒲太夫という華魁が、彼女に恋い焦がれる乞食の青年を騙し死に追いやった後、膝頭に腫物ができて、そのうち人の顔のような形になり、やがて乞食の顔を生き写した「人面疽」になるという不気味な物語だ。この「人面疽」は、卑しく泣いたり、下卑に笑ったり、喜怒哀楽の表情をリアルに浮かべながら、彼女の運命を迫害してゆく。

菖蒲太夫は、この「人面疽」の存在を隠し通すが、ついに、夜会で彼女が踊っている満座の中、「人面疽」がガーゼを食い破り、長い舌を出し、目から鼻から血を流しながらゲラゲラと笑っている姿を暴露してしまう。
絶望した彼女はナイフを胸に突き刺し、死に至るが、「人面疽」は、なおも生きているらしく、笑い続ける場面で映画は終わる。

しかし、不思議なことに、百合絵には、この映画に出演したという記憶が全くない。彼女は、映画会社の外国映画に詳しい社員に、この映画について尋ねるが、その社員から、乞食役の男優が何者なのか全く分からないという話と、ある気味の悪い噂を聞く。
それは、この映画を夜遅く一人きりで見ていると恐ろしい出来事が起きるという噂だった…

というのが、「人面疽」の大体のあらすじである。

映像に怪奇が写っているという、我々にもなじみのあるホラー映画のあらすじのようでもあるが、この時代、すでに谷崎が発案していたことにまず驚く。

そして、谷崎の巧みなところは、読者に対し、映画業界特有の事情をもっともらしく説明し、百合絵が知らない間に、このような映画が作られてしまう可能性や、「人面疽」が特撮技術を用いて撮影された可能性もないことはないと思わせるところだ。

この物語を常識的に解釈する基準線を一本書いたことで、読者は、逆にその線の中にはおさまらない現象があることを認めざるを得ないことになり、恐怖を感じる。

谷崎は、「亡友」などでも取り上げていたが、人の肉体の醜い部分、例えば、下から見上げる鼻の穴だったり、腫物の存在を、嫌々そうで、その実、熱心に観察していた。

特に、赤い膿のような腫物は人の欲望が鬱積した現象であるかのように。
その谷崎特有の即物的な感覚と怪奇趣味が結びついたことで、 この傑作が出来上がったのだと思う。

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