2012年8月28日火曜日

フェルナンド・ペソア最後の三日間/アントニオ・タブッキ

ポルトガルの詩人 フェルナンド・ペソアの最後の三日間を描いた作品。

一日目の1935年11月28日、ペソアは、十五年間、髭剃りをしてもらった床屋に髭を剃ってもらってから、友人三人とタクシーで思い出の街を走りながら、聖ルイス・ドス・フランセゼス病院に入院する。

そして、真夜中、ペソアは、まず、アルヴァロ・デ・カンポスと会話する。

「フェルナンド・ペソア最後の三日間」の本には、最後に「本書に登場する人物たち」という章があり、このアルヴァロ・デ・カンポスという人物について、

…職に就かないまま、リスボンで暮らし、デカダンス派、未来派、前衛派、ニヒリストであり、今世紀でもっとも美しい詩「煙草屋」を書き、ペソアの生活に入り込み、彼の恋愛を壊してしまい、ペソアの命日1935年11月30日にリスボンで死亡と書かれている。

同じ日に死亡?と思い、よくよく調べてみると、アルヴァロ・デ・カンポスは、ペソアの「異名」(ペンネーム)であることが分かった。
つまり、彼はもうひとりの自分と会話をしていたのだ。(このあたり、とても不思議な印象を受ける)

次に、ペソアは、師と仰いでいたアルベルト・カエイロ(すでに死んでいるので亡霊)と話す。
これが一日目。

二日目の1935年11月29日、ペソアは、リカルド・レイス(医者であり、詩人であったが、君主主義思想のため、ブラジルに身を退いた)と話す。彼もペソアの「異名」の一人。
ペソアは自分が死んだ後も、詩を書き続けることを彼に依頼する。

二人目の面会者は、友人のベルナルド・ソアーレス。とても質素な生活をしていた輸出入会社の「会計助手」。ソアーレスは、ペソアのために、レストランの食事を用意して持ってくる。
カルド・ヴェルデ、オポルト風トリッパ。病気のためペソアが食べ切れなかった分を、ソアーレスが食べる。二食分を支払う贅沢はできなかったので、ペソアの分だけを買ってきたのだ。

ソアーレスが説明する「汗をかいた伊勢エビ」のレシピの部分の説明がとてもいい。
なんだか、読んでるほうも幸せな気分になれる。
用意するのは、バター、タマネギ三つ、トマト、ニンニク少々、オイル、白ワイン、あなたの大好きな古い火酒(ブランデー)少々、杯二杯の辛口ポートワイン、唐辛子少々、胡椒とナツメグ。
伊勢エビは先に少しだけ蒸しておきます。それから今言った材料を加えて、オーブンに入れます。
なぜ「汗をかいた」と言うのか、わたしは知りません。たぶん味の良いスープができるからでしょう。…それからドン・ペドロ氏はおいしいポートワインをわたしにふるまってくれ、それを飲みに出たテラスの下には、カスカイスの湾の明かりがありました。ああ、ペソアさん、あれはとても美しかった…
最後の三日目の1935年11月30日、ペソアは、「異名」の一人である哲学者のアントニオ・モーラに、自分の人生を振り返り、こんな風に話す。
わたしは無限の空間の奥底に、オリオンの偽造者を見ましたし、わたしはこの人間の足で南十字の上を歩きましたし、光る流星のように終わりのない夜を、想像力の間惑星空間を、欲望と不安を横断しました。そして、わたしは男、女、老人、少女でした。西洋のいくつもの首都の大通りの群集であり、わたしたちがその落着きと思慮深さをうらやむ東洋の平静なブッダでした。わたしは自分自身であり、また他人、わたしがなり得たすべての他人でした。…アントニオ・モーラ、わたしの人生を生きるということは、千もの人生を生きることでした…
そして、ペソアは、アントニオ・モーラに、眼鏡をかけてもらい、息をひきとる。

美しい詩のような小さな物語(80ページ程)だ。タブッキがペソアをとても好きだったことが伝わってくる。

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