2012年8月10日金曜日

倦怠/モラヴィア

この小説の主人公を悩ませる「倦怠」は、私も共感するところがある。

自分と事物との間に、何のつながりもないと感じる意識。

学生時代のころ、試験に出る歴史上の人物の名前や遠い世界の山脈や川の名前、数学や物理の方程式、それら、ごたごたした厄介な知識は自分とは何も関係がないと感じ、覚えようという気力がわかない。

列車のコンパートメントで、長い旅の間、いやな相客とともに過ごす気まずい時間。移動したくても、他のコンパートメントとは区切られているため、移動もできず、最後まで鼻を突き合わせていなければならない、そんな感覚。

何かしたいと熱心に望みながら、一方では全然何もしたくない、
誰にも会いたくないが、同時にひとりではいたくない、
家にじっとしたくはないが、外にも出たくない、
旅をしようとは思わないが、家にもじっとしていたくない、
仕事をしたいとも思わないが、やめる気にもならない、
起きていたくはないが、眠りたくもない、
恋愛をしたくはないが、しないことに甘んじることもできない、

こうした相反する気持ちが同時に心に現れ、何時間もじっと身動きができず黙り込み、ぼんやりとする…

この小説の主人公ディーノは、職業にしようとしていた絵描きを、その「倦怠」から辞めてしまった三十半ばの男だが、母親が、かなり金持ちなので、お金には困らない生活をしている。

ある日、彼の住んでいる部屋の近くで住んでいた老画家が死亡する。それも普通の死に方ではなく、彼が付き合っていた十七歳の若い女性のモデル チェチリアとの情事の最中に死んだという。

ふとしたことをきっかけに、彼はチェチリアを自分のアトリエに連れ込み、同じような関係を持つことになる。

やがて、ディーノは、チェチリアとの関係も「倦怠」を感じるようになるのではないか、そうなる前に別れようと思い立ち、実行しようと思った矢先、彼女が他の男とも付き合っていることを知り、自分との時間よりその男との時間を楽しみ、優先させようとしていることを知る。

「軽蔑」でも描かれていた嫉妬心とそこから出てくる欲情が、この作品では、さまざまなパターンのセックスとともに際限なく描かれている。(ローマ法皇庁に禁書の烙印を押された)

それでも、この小説に汚いいやらしさや、暗さを感じないのは、チェチリアの空虚ともいえるほどの無垢な言動から受ける印象と、そんな女性を愛することで絶望し、死の淵まで行った男が「倦怠」を振り切ったかもしれないと感じさせる、ある意味、明るい結末のせいかもしれない。

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