2012年7月18日水曜日

二人の稚児/谷崎潤一郎


谷崎の初期の作品の中でも、「二人の稚児」は、愛読している作品だ。

簡単にあらすじをいうと、こんな感じである。

女人禁制の比叡山の宿坊に、年端もいかないうちに預けられた千手丸と瑠璃光丸の二人の稚児。

年上の千手丸は年頃になるにつれ、次第に女人のまぼろしに悩まされるようになり、ついに、瑠璃光丸の反対を押し切って、女人の正体を究めようと山を降り、浮世に出て消息を絶ってしまう。

その半年後、瑠璃光丸のもとに、千手丸が主であると称する使いの男が訪れ、千手丸からの手紙を瑠璃光丸に渡す。
千手丸は山を降りてから人買いに浚われて、長者の家に下男として売られたが、長者の娘に見初められ、その家の婿になり、何不足ない生活をしているという。

千手丸の手紙には、浮世こそが極楽浄土であり、女人こそが菩薩であるということが書かれていた。

瑠璃光丸は一晩寝ずに考えるが、結局は山に残り、修行を続けることにする。

しかし、瑠璃光丸も年頃になると、次第に、千手丸同様、女人のまぼろしに悩まされるようになってしまう。

瑠璃光丸は、上人に勧められ、二十一日間の水垢離の行を行う。

二十一日目の満願の夜、 瑠璃光丸は夢の中で、気高い老人から、前世で瑠璃光丸を慕っていた女人がこの世では一羽の鳥になっており、山の頂で今まさに死のうとしているから、会いに行くがよいと告げられ、水晶の数珠を授けられる。

瑠璃光丸はその女人の現世の姿に会いたさに、山を登っていく…

という物語だ。

一見すると、千手丸と瑠璃光丸は、お互い相容れない異なった運命を選択したようにみえるが、私には、物質的、精神的、現世、来世の違いはあるのかもしれないが、辿る道が違っているだけで、結局は同じものを求めているように思えてならない。

瑠璃光丸が、血を流しながら苦しむ真白な鳥を抱きしめて、水晶の数珠をその首すじにかける美しい場面は、千手丸が浮世で経験し、瑠璃光丸に伝えたかったものと、表裏一体のような気がする。

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