2012年7月4日水曜日

世界の中の日本/司馬遼太郎 ドナルド・キーン

本書は、1990年6月に行われた司馬遼太郎(当時67歳)とドナルド・キーン(当時68歳)の対談である。

日本の歴史・文明に関する知識が蒸留の域に達している二人だから、話す内容はすべて平易なことばで語られており、理解するのに苦労するところがなかった。

面白いと思った部分を取り上げてみよう。

1.オランダからの刺激
織田信長の時代に、あれだけ重用された鉄砲が、江戸時代になると、幕府の意思で捨てさせられ、刀を使っていたという話(象嵌をいれるなど、鉄砲を美術品として扱っていたらしい)。
ほかの国では、鉄砲を一度手に入れたら絶対に手放さなかった。
2.日本人の近世観
鹿鳴館で日本人が慣れない洋服を着て、慣れないダンスを踊っていたことが、長く西洋人に「猿まね」の国だと確信させるような原因を作っていたこと。
3.明治の憂鬱
文部省の留学生としてロンドンにあった夏目漱石が、自分の見た目などに劣等感をもち、ケンブリッジなどの大学に入学せず、アイルランドの老教師の屋根裏部屋に通い、英語を学んでいたこと。
しかし、そんな夏目漱石が明治以降の日本語の文章の骨格を作るような大きな仕事をしたこと。
(対照的に、森鴎外には西洋は西洋、日本は日本という公平な見方ができていた)
4.大衆の時代
浮世絵には、人生の悲劇的な面や深刻な面は全く表現されておらず、美しさだけが表現されていた。例えば、西洋の伝統として、人の顔はその人の魂と変わらないものと思われていたので、顔を丁寧に描かなければならなかったが、鈴木春信の浮世絵などは、すべて同じ顔で描かれていること。
5.日本語と文章
・英語の中に入っているフランス語は約七割で、かつてフランス語であった言葉をたくさん使って英語の詩を書くと、日本で漢語を多用した詩のようになるということ 
・明治三十年ごろまでは、「お父さん」「お母さん」という言葉がなかったこと 
・芭蕉の「奥の細道」といえば、「国破れて山河在り」を引用した文章が印象的だが、実は、「自然こそむなしいが、手で書いた文章は永遠のものである」という考えを述べていたこと 
・日本語は断定を嫌い、語尾をあいまいにする。例えば、「であろう」とか「と思われる」とか「ないこともない」など。
西洋人が聞きたがるのは「である」か「でない」のどちらか。
6.日本人と「絶対」の観念
日本人とは無宗教と言われるが、根っこには基本的に神道的なものがあって、清浄こそこの世の最高価値として尊んでいること(他のアジアの国あるいは西洋と比較しても清潔な生活をしていること)
7.世界の会員へ
キーンが日本のホテルに泊まると、新聞の差し入れサービスがないこと(外国人だから日本語は読めないという偏見)
日本語で講演を行った後、英語で話しかけてくる人物もいること(中曽根元首相)
二人の視点は、老齢にかかわらず、新鮮なもので、内容は、すこしも退屈なところがなく、今読んでも、気づかされる部分が多い本である。
(対談中、司馬がエアロビに行こうとしていた話しが吐露されており、驚いた∵)

0 件のコメント:

コメントを投稿