2018年11月18日日曜日

ダンシング・ヴァニティ/筒井康隆

美術評論家の主人公 渡真利の半生?を描いた作品だが、これ程かというぐらい実験的にパロディ化された作品だ。

時々家族の前に顔を出す死んだはずの主人公の父親と息子、人を投げ飛ばす体格のいい妹、コーラスガールとしてデビューする娘、何故か壁に激突する癖がある友人の精神科医、取引先の出版社で鳥の格好をする美しい女性社員、主人公の快楽願望を体現したようなコーラスガールの十人組の女の子たちコロス、主人公の保守性を象徴する足に絡みつくタコ、主人公の人生の局面を見守るような存在のフクロウ。

これらのキャラクターの中でも、背後から主人公を揶揄する発言を繰り返すコロスの存在が最高である。

描かれる場面も、何故か家の前で多発するヤクザの喧嘩や軍隊の粛清、銃弾が飛び交い、地雷原を走り回る戦場、主人公が考案したフクロウダンスを踊るクラブの劇場、主人公が研究している浮世絵絵師の菱川師宣がいる万治三年の江戸の町、主人公の無意識の自我が虎となって現れる中国映画、孫娘の遊び相手のピンクアウル(フクロウ)を連れ出すバーチャルゲームの世界と、どんどん変わってゆく。

そして、まるで意図的に物語の進行を妨げるように同じような場面が3回リピートされて描かれるのだが、2回目、3回目の場面は微妙にデフォルメされたり、脱線したりと世界が無目的に多重化しているような、まるで迷路に入り込んだような雰囲気を感じる。

この物語で唯一、単一の多重化していないリアリティを感じるのは、最後に主人公の意識の中で感じる死の重みだけだ。

映画監督のフェデリコ・フェリーニが、この小説を読んだら、絶対に映画化したくなっただろうと思うような作品である。


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