2015年12月6日日曜日

ラオスにいったい何があるというんですか?/村上春樹

 本書では、「遠い太鼓」で村上春樹が生活していたミコノス島を再訪しているが、今回は旅行者として訪れていることもあり、あまり印象に残らなかったが、アイスランドの章は、実に面白かった。

「アイスランド語」という独自の言語があることも知らなかったし、動物も独自の進化を遂げているという話(羊にしっぽがない等)や、パフィンという鳥(こんな鳥でした。ペンギンみたいな鳥ですね)の存在も興味深かった。


ちょっと前まで、ビールが禁酒扱いになっていたことや、コンビニでもクレジットカードを使う習慣があることや、地味な造花の話も興味深かった。

村上春樹の美しい風景に対する態度というか姿勢も共感するものがある。
いったんカメラのレンズで切り取られてしまえば、あるいは科学的な色彩の調合に翻訳されてしまえば、それは今目の前にあるものとはぜんぜん別のものになってしまうだろう。そこにある心持ちのようなものは、ほとんど消え失せてしまうことになるだろう。だから我々はそれをできるだけ長い時間をかけて自分の目で眺め、脳裏に刻み込むしかないのだ。そして記憶のはかない引き出しにしまい込んで、自分の力でどこかに持ち運ぶしかないのだ。
「できるだけ長い時間をかけて自分の目で眺め、脳裏に刻み込み、自分の力でどこかに持ち運ぶ」という姿勢は、旅の基本かもしれませんね。そういえば、紀行集というのに、写真の数が少ないのは、上記のようなポリシーが貫かれているのかもしれない。

この他、表題にもあるラオスの托鉢の話や、ニューヨークのジャズ・クラブ事情、トスカナのワイン事情なども面白かったが、各国で乗ったレンタカーの車種(韓国車、イタリア車)について語る言葉は、いかにも楽しげだ。

村上春樹の紀行文は、数は少ないが、読んでいて、はずれと思ったことがない。
そこをいくと、小説は、好みの問題があって、読んでいて、これは駄目だなとか思ってしまうことも多々あるのだが、紀行文にはそれがない。

「遠い太鼓」のほのぼのとしたギリシアの田舎の人々や、ローマの盗難リスク、駐車事情、個性的なイタリア車など、未だに記憶から消えていないし、「雨天炎天」のアトスの山中にある修道院の質素な様子や、険しい山中、レモンを齧った際の感触とか、そういうものがぱっとイメージとして浮かぶ。

この人は、マラソンが趣味だが、ゆっくりとしたスピードで景色が変わってゆく動的な立ち位置から物事を見ることに、喜びを感じる性質なのかもしれない。

リラックス感が全体に漂っていて、読んでいるこちら側にも伝わってくる。

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