2013年7月24日水曜日

わが酒の讃歌/コリン・ウィルソン

この本は、間違いなく、お酒が好きな人が、お酒を飲むことは悪いことではない、むしろ素晴らしいことなのだと感じさせてくれる本だと思う。

たとえば、作者はアルコールが意識に与える効果として、95%のリラクゼーションと、5%の極度の集中という、いわゆる”抑制されたくつろぎ”をもたらしてくれると述べている。
仲間の誰かが、その日の出来事でたわいもない話や、つぎの休暇にいくつもりでいるところのことをあなたに話しはじめる。あなたの注意力を集中させるような話ではないが、感謝して、まるで強い興味を持っているかのように彼の話をじっと聞くのである。ある意味では、その話は注意力を集中させる焦点として役立ち、一方、あなたの残りの部分は、溜息をついてリラックスしている。
上記のような感覚は居酒屋やバーでお酒を飲んだ人(特に男性)なら誰もが感じることではないだろうか。

コリン・ウィルソンは、土管の中で野宿しながら大英図書館で文学を学んだという異色の作家であるが、折り紙つきの読書家であることが、この本を読んでもわかる。

たとえば、「作家とアルコール中毒」という章では、アルコールが、フィッツジェラルドとヘミングウェイの作品に与えた影響とその性格について分析している。

また、ワインの歴史を、地球のあけぼの、二十億年前の有機体に、ワインを作り出す酵母の原型をみるところまで遡る。

そして、石器時代の原始人が飢えて半ば腐った果物を食べたときにアルコールの特性を知ったのではないかという仮説、エジプト文明における酒の役割、ギリシア文明におけるアテネ人とスパルタ人のワインの飲み方の比較から浮かび上がるコントラスト、ギリシアからワインの作り方を承継し、発展させたローマ帝国、そして、ローマ崩壊後に、ワイン作りを支えた教会の役割等を、自在に述べていく。ワインとはまさに文明の勃興とともにあったことがよく分かる。

作者は、さらに人間が他のどの生物よりも非常に早く進化できたのは、アルコールの発酵法を発見した約BC8000年以後のことで、頭のいいチンパンジー同然の生物から、ロダンの「考える人」まで急激に変化したのだというロマンチックな仮説を提示している。
(この本の翻訳者である田村隆一は、この仮説をベースに「人 ウィスキーに間する仮説」という詩を残しています)

本書は、作者の好みでワインに関する章(フランスのブドウ園、ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガルのワイン)に多くが割かれている。その実体験に裏付けられた知識もすごいが、有名な銘柄のワインでも結構辛らつな意見があったりして、読んでいて飽きない。
ビール、ウイスキー、ブランデー、ジン等のスピリッツについても触れられている(作者がビールを飲むのをやめた理由については同感)。

しかし、そういった知識の内容よりも共感してしまうのは、アルコールの暗黒面(犯罪、中毒)に触れながらも、その効能について述べているところだ。
日常の生活はどの時代にもきびしいものだった。現在でも大多数の人間にとってはそうである。どのようにして人間が槍やすきや、ひきうすの石を発達させてきたかを理解するのはやさしい。
しかし、どのようにして、詩や哲学や数学といった日々の生活にかかわりのないものを創り出したかを理解するのはむずかしい。
私は厳粛にその答をいおう。それは精神を開放する不思議な力を持ったあのアルコールがあったからである、と。
これが嘘っぽく聞こえないのは、やはり、コリン・ウィルソンが労働者階級の家に生まれ、仕事を転々としながら苦労して作家になった背景にあるのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿