2015年8月23日日曜日

行人/夏目漱石

行人(こうじん)は、夏目漱石晩年(45歳ごろの作品。彼の死は49歳)の作品で、有名な「こころ」の前作に当たる。

物語は、四部構成になっていて、切り離しても別々の作品として成立しそうな内容になっている。

最初のパート「友達」は、明治時代の高等遊民と思われる二郎が、友達と大阪で行き合い、高野山に登るのを約束し、その待ち合わせ場所として、かつて、二郎の家に書生として住み込んでいた岡田の家に泊まる場面から始まる。

ここでは、なかなか来ない友人 三沢を待つため、数日泊まる中で、いかにも善良そうな岡田と仲睦まじい妻のお兼さんの関係が描かれている。

そして、このパートの後半では、実は胃潰瘍で入院していた友人 三沢を見舞う二郎が、同じく入院している美しい若い女を見つけ、三沢と何らかの関係があるということが次第に分かるという筋書きになっている。

2つ目のパート「兄」は、大阪にいる二郎のところに、兄の一郎と、その妻の直、母が訪れ、一緒に観光することになる。この中で、一郎と直の関係が不和であることが明らかになるが、学者で神経を病んでいると思われる一郎は、妻が自分を愛しておらず、実は二郎を愛しているのではないかという疑いを持つ。
そして、一郎は、妻の節操を試すために、二郎に直と一緒に旅に出て一泊してくれと頼むことになる。
二郎は、ためらいつつも、直と一緒に旅に出て、天候の急変もあり、本当に一泊してしまうことになる。

帰ってから、 一郎は、二郎に結果を問いただすが、二郎は直の心根にやましいところはないことを告げる。

3つ目のパートの「帰ってから」は、家族が東京に帰ってからの様子を描いたもので、物語に、父と二郎の妹の重子、そして、下女の貞が出てくる。ここでの印象深い出来事は、父が話した父の友人であった書生と関係した下女がその後盲目になってから再会した際の話と、妻への疑いが晴れない兄 一郎に疎まれた二郎が家を出て、下宿することになったことだろうか。

4つ目のパート「塵労」は、さらに神経を病んでいく兄 一郎に焦点が当てられている。妻だけではなく、家族からも離れていく一郎を心配し、二郎は知人のHさんに、気分転換に兄を旅行に連れ出してほしいと頼む。一郎は、H氏に自分の悩みと思想を語り、H氏がそれを手紙で二郎に報告するという内容になっている。

弟と兄嫁の危うい関係を描いているが、どことなく、ユーモアを交えて、エロチックな要素を減殺しているのは、やはり新聞連載小説という意識が漱石に働いたせいだろうか。
どこか優柔不断な二郎は、「三四郎」に若干似ているような気がする。

物語はゆるゆると進みながらも冗長な部分がなく、文章はとても読みやすい。
まだ、時代的な制約がありながらも、直という飄々とした兄嫁の描き方もうまいし、蚊帳の話や次男より長男の威厳を気遣う母親の存在など、昔の日本の家庭の面影を感じられるところも興味深かった。

しかし、 最後の「塵労」は、漱石自身の神経衰弱と体調不良が如実に作品に現れていて、どこか暗い影が漂っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿