2014年4月6日日曜日

「危機管理・記者会見」のノウハウ/佐々淳行

佐々淳行が、東日本大震災時の菅内閣の対応を、まず危機管理の観点から検証している。

「重大な事件は、なぜか弱い総理のときに起きる」というジンクスがあるらしい。

確かに、非常事態にかかわらず冷静に対処していた日本市民が世界から称賛されていた一方で、日本政府の対応は今考えても酷いものだった。

本書では、それを「統治能力」の低さと表現しており、危機管理においては、「自分が何を知っているか」「何が出来るか」より、「何を知っている誰を知っているか」「何が出来る誰を知っているか」を知り、官僚を使いこなすことが重要だったことが述べられているが、官僚を使うことを否定し、そもそも官僚の「統治」を否定しようとしてきた民主党政権には無理な話だったのかもれない。

また、東電に不合理な要求(海水注入の停止)をする菅総理と、それを現場にそのまま伝えた東電副社長(上の意向ばかり伺い、適切な判断ができない高級幹部を「金魚の立ち泳ぎ」と言うのだそうです)、そして、その意向を無視し、海水注入を継続した吉田所長を例に挙げ、
現場を知らない上層部の無茶な命令を、現場を預かる指揮官は、握りつぶすぐらいの度胸がなくてないけないと言っているところも面白い。
この吉田所長の独断は、国の事故調でも、問題視されていたが、私の経験からしても握りつぶしたほうが物事が正しく進む場合が多い。

それと、東日本大震災時における政府広報が、①政府(枝野氏ら)、②保安院(審議官ら。次から次へと担当者が変わった)、③東電(会長・社長ら)が、三者三様に異なる見解を述べていたこと(これも酷かったですね)について、ニューヨーク市長を務めたジュリアーニの例を挙げ、危機管理においては、指揮命令や情報とともに、広報も一元化しなければならないことを述べている。

危機発生時の対応方法も参考になる。

優れた指導者は、自分も含めて全員が交代で眠る計画表を作成し、まず、自分が率先して何時間か眠り、みんなを交代で休ませるようにするのだという。
(これを、危機管理上の「ヤマタノオロチ体制」というらしい)

こういった対応をとらないと、全員が起き続けたまま、疲れが蓄積し、冷静な思考ができなくなり、感情的になったり、誤った指示が飛び出す。

「これはもうどうにもならないと思ったことも、一眠りしてから起きてみると、さしたることではないということに気づく」というパウエル元国務長官の言葉が説得力がある。

本書では、危機管理時の記者会見についても述べられている。
何か問題があって発表しなければならないとき、危機管理の担当者が真っ先に作らなければならないのは、「何を発表するか」ではなく、「何を言ってはいけないか」のネガティブリストだという。

このネガティブリストがないまま、記者会見で失言し、社会的な信用を無くした政治家・企業が表になってこの本にも掲載されていたが、確かに「信用を得るには多年の歳月を要するが、これを失墜するのは実に一瞬である」という言葉は言いえている。

なお、本書には、「記者会見の心得十か条」と「武器としてのソフィスト的詭弁術」が掲載されている。

記者会見だけでなく、日常のビジネスシーンでも十分使えそうだが、こういうテクニックだけに溺れてしまうと、やはり人には信頼されず、「小ずるい奴」という印象をもたれることにもなりそうな気がする。

0 件のコメント:

コメントを投稿