2013年10月14日月曜日

昭和史 1926⇒1945/半藤一利

「風立ちぬ」(宮崎 駿監督)を見てあらためて昭和史(太平洋戦争に日本が突き進んだ経緯)に興味を持った。

振り返ってみると、昭和史というのは現在の日本の国としての骨格が成立するきっかけとなった時代であり、現在の日本が抱えている諸問題の多くの原因がこの時代の出来事にあるというにもかかわらず、いわゆる義務教育において、相当の時間をかけて丁寧に教わった記憶がない。

言うなれば、現代史は、古代・近代史の「つけたし」みたいなもので、授業も、現代に入ってからは、チョチョンと終わってしまったような記憶が残っている(約三十年前のことだから、今の義務教育は違うのかもしれない)。

恥ずかしながらいうと、昭和史(というか、太平洋戦争史)に関しては、斜め読みで終わっている作品が多い。
大岡昇平の「レイテ戦記」、「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」、中村 稔の「私の昭和史」 なんかは、全文を読みきれないでいる。

完読できたのは主なところで言うと、ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」、大岡昇平の「俘虜記」「野火」、司馬遼太郎の「昭和という国家」その他、断片的に書かれた文章と、水木しげるのコミック「昭和史」ぐらいか(長谷川町子の「サザエさんうちあけばなし」も戦争に関する記述などは、妙に記憶に残っている)。

言い訳がましいが、太平洋戦争における戦前から敗戦に至る日本の歴史というのは、どうにも気分が悪くなるところが多い。その一番の理由は、日本がこんな愚かな戦争をした原因は、結局のところ、誰のどんな行為にあるのかということが説明しづらいところだ。

明治憲法の統帥権を悪用した参謀本部(軍司令部)なのか、あるいは次々とまずい国策・外交を行った歴代の総理大臣や外務大臣その他大臣が悪かったのか、無能な軍上層部なのか、国民を煽った新聞社が悪いのか、戦争開始に熱狂してしまった国民が悪いのか、昭和天皇の責任はどうなのか、など。

たぶん、みんな何らかの責任はあるはずなのだが、一億総懺悔ということになると、個々の責任が曖昧になっていく。

文藝春秋の編集者として司馬遼太郎とも付き合いがあった半藤一利氏の「昭和史」は、日露戦争後の日本の状況に遡り、日本が自信過剰の状態から朝鮮・中国を属国にしようとし、国際社会の反発を招き、孤立化し、アメリカと戦争せざるを得ない状況に陥るまでの様々な事件を分かりやすく説明している。

本の表紙にも「すべての大事件の前には必ず小事件が起こるもの」と書いてあるが、あれだけの大戦争(この戦争の結果、日本人の約310万人が死亡)が起こるには、その前に布石となるたくさんの小事件が起こっていたのだ。

明治維新から日露戦争に勝利し日本の近代国家が成立したのが約40年、太平洋戦争の敗戦でその成果をほとんど失ったのも、それから約40年。

「国をつくるのに40年。滅ぼすのに40年」と本書でも書いているが、敗戦からバブル崩壊前の高度成長期を、そのまた40年後ととらえると、バブル崩壊後から約20年後の今は果たして何かの復興の途中なのだろうか。あるいは依然として何かを失う過程にあるのだろうか。

今、起きている中国・韓国との外交上の問題も、憲法改正の動向もあるいは大事件前の布石なのかもしれない。
そういう漠然とした不安を持ってしまうというところも、「昭和史」から足が遠のく理由なのかもしれません。

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