2012年4月15日日曜日

酔郷譚/倉橋由美子

吉田健一のエッセイか何かに、ドライ・マティーニの口あたりのよさから、何杯かお代わりしたら、翌日、酷い二日酔いになってしまい、カクテルという飲みものは安い酒を混ぜて作るものだからと作者が納得する文章があったような気がする。

それを読んだとき、カクテルもそんなひどいお酒ばかりではないと反発する自分を感じながらも、半分は納得する自分を感じていた。

カクテルというお酒は、ロングドリンクなら、まだしも、そうそう何杯もお代わりできるお酒ではない。
自分の経験から言っても、カクテルを飲みすぎた日は、だいたい、記憶をなくしているか、翌日、二日酔いになることが多い。
(最近、コップ一杯の水も頼んでおいて、チェーサー代わりに合間合間で飲んでる人をよく見かけます。意外と効果があるようです)

とくに桜の咲くころ、花びらが雪のように落花するなかで、おいしいカクテルを飲んでいたら、と夢想すると、妖しい気持ちになってしまう。
しんとした暗い夜で周りがうるさくないというのが絶対条件だけれど。

倉橋由美子の遺作「酔郷譚」では、まさにそんな情景が描かれていて、九鬼という得体の知れないバーテンダーが作り出す特製のカクテルを飲みながら、主人公の慧君が妖しい世界に足を踏み入れていく幻想的な作品だ。

慧君の「酔態」の説明がいい。
酔いを覚えると、最初は恐ろしく解像度の高い広角レンズで世界を見るような具合で、何もかもが細かくにぎやかに見える。 口がなめらかに動き、一見才気煥発的になる。
それからだんだんと望遠レンズの見え方になってくる。
限られた部分だけは拡大されて見える。
さらに酔いが進むと、焦点が合いにくくなって、像がぼやけはじめる。
もっと酩酊が深くなった時に、突然、視野の真ん中に穴が開く。
それは桃源郷に通じる穴のようなものに当たる。そこから入っていくと酔郷がある。
でも、難しいですね、
落とし穴という意味で、穴はいたるところに開いているような気がするけれど。

行く春に、お酒を飲みつつ、「酔郷譚」を読みながら、時間がゆっくりと過ぎていくのを感じるだけでも贅沢かも。

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