2018年4月15日日曜日

アメリカ 暴力の世紀/ジョン・W.ダワー

本書は、「敗北を抱きしめて」を書いたジョン・ダワーが、第二次世界大戦から、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争を経て、9.11以降、テロとの戦いと、常に軍事暴力に関わってきたアメリカを分析したものだ。

「ライフ」を創刊したヘンリー・ルースが発表した「アメリカの世紀」という言葉は、第二次世界大戦後、アメリカが世界で最も豊かで、強力で、影響力のある国家として世界の覇権を得るという意味だが、ジョン・ダワーは、その言葉は現在も生きていると述べている。

それは経済力だけでなく、軍事力においても顕著であり、アメリカは世界のほぼ70か国で800以上の基地を持ち、15万人の兵員を配属している。アメリカの年間の軍事関連予算は1兆ドルほどにもなっており、これは国防予算額で2位以下の8か国の予算額を合計したものよりもはるかに大きい。そして、軍事技術の精密な破壊手段の維持と最新化においても、アメリカに匹敵する国はない。

平和のイメージがあるオバマ大統領のもとでも、軍事化の貢献は止まることはなく、サイバー戦争と無人爆撃機ドローンによる暗殺の戦争技術が追求された。

ジョン・ダワーは、第二次世界大戦後も、アメリカは世界の武力紛争にずっと関わってきた歴史を一つ一つ例示していく。公的な海外派兵、国連・NATOの活動、代理戦争、武器輸出。アメリカの場合、それらはみな、いつも、平和、自由、民主主義という名称の下で行われてきた。

強大な軍事力と過度の傲慢さをもつ一方、深刻な被害妄想、失敗感、病的逸脱に苛まれている矛盾した国家。

本書では、アメリカの軍事的戦略の一つとして、1995年にアメリカ戦略司令部が作成した秘密メモの内容が紹介されていて、興味深かった。

そのメモには、核兵器だろうが、どんな大量破壊兵器であろうが使わせないように「敵の心理に恐怖をもたらすには何が最良の方法か」ということが書かれているのだが、そのためには、不確実性という状況を作り出すことが理想的であり、

「我々が過度に合理的で理性的であるというイメージを作り出すことは、自分たち自身を傷つけることになるのであり…アメリカ合衆国は、もしも自国の重要な利益が攻撃されれば、合理性を失って復讐にでるというのが国家的特性であるという印象を、いかなる敵にも示しておくべきである」と主張している。

このくだりを読んだとき、トランプ大統領のあの突飛な脈略もない非合理的な行動は、アメリカの軍事戦略的には是とされているのかもしれないと、妙に納得してしまった。

本書は、トランプ大統領の就任前に書かれたものであるが、日本語版にあたり、トランプ大統領に触れた序文が追加されている。

ジョン・ダワーは、トランプ大統領を、歴史を理解する能力に欠け、人種差別主義者、女性の侮辱、金と権力を持っていない他人と共感できない、科学と知的作業一般をバカにしていると、容赦ない言葉を連ねている一方、

トランプ大統領個人を恐れることより、むしろ、彼が主張する不寛容性と「アメリカ・ファースト」の愛国主義が、まるで世界の全般的状況のバロメーターのように、国際主義の拒否と世界的にみられる民族間、宗教間の憎悪、愛国主義的な憎悪と完全にマッチしていることの危険性を指摘している。

そのような時代にこそ、トランプのような扇動政治家で残酷な軍事力を重要視する人物が活躍できるのだと。

ジョン・ダワーは、序文で、日本についても語っているが、戦後、日本政府のみならず、日本の政治家たちが個人的にも、実質的にもアメリカの行動すべてを支持してきた事実を述べ、たとえ、日本国憲法の平和主義が変更されたとしても、アメリカ政府の指令に対する日本の従属と追従に変化が起きることは全くないだろうと、それどころか、

トランプと彼のアドバイザーたちが着手する新しい軍事戦略に、それがいかに思慮不足で好戦的なものであろうと「積極的に」貢献するようにとの圧力をますます強く受けるようになるだろう、という実に厳しい予言をしている。

おそらく、今の安倍政権は早晩もたないと思われるが、ジョン・ダワーの予言を覆すような戦略、気概を持っている政治家がまるで頭に浮かんでこないことが悲しい。

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