2015年2月15日日曜日

夏目漱石 三四郎/日本文学全集 13

明治時代と聞くと、文芸の世界では、筆頭に夏目漱石の肖像が頭に浮かんでくるけれど、漱石の年齢と明治の年の数が一致しているのを見るだけで、その思いが強くなる。

夏目漱石が、四十一歳の時に書いた青春小説であり、時は、明治四十一年。

日露戦争が明治三十八年に終結しているので、その戦後間もない時期ということになる。

日本が、司馬遼太郎が描いた「坂の上の雲」の坂を上りきって、 山崎正和の言う「不機嫌な時代」に移っていったその時代なのだが、この「三四郎」からは、そういった虚無感というか暗さは、ほとんど感じられない(ほのかには見える)。

一番の理由は、漱石の文章が俳味が利いていて、重苦しくないからだと思う。広田先生がつぶやく日本の将来を予言しているかのような言葉にさえ、軽妙なユーモアが漂っている。

それに、三四郎という主人公の性格のせいもあるだろう。

熊本出身の田舎の学生であり、いかにも、のほほんとした雰囲気が漂っている。

上京の際、女性と同宿する羽目になるが、何もせず一夜を過ごしたら、「あなたはよっぽど度胸のない方ですね」と、その女性から言われてしまう。
東京では、美禰子(みねこ)という、いかにも都会的な女性と知り合うことになるが、恋愛の雰囲気が漂いながらも、気の利いたことばが言えず、翻弄される立場になる。総じて言えば、女性慣れしていない、うぶな青年である。

東大に入るエリートでありながら、国のために勉強をとか、立身出世いう意気込みも感じられない。律儀に講義(週に四十時間!)を受けるが、勉学に面白さを感じることができない。
お調子者風の友人に相談したら、「下宿屋のまずい飯を一日に十辺食ったら物足りるようになるか考えてみろ」とどやしつけられてしまう。
そして、その友人には馬券ですって困っているという理由でお金を貸してしまい、返してもらえなくて、田舎の母にお金を無心してしまう。
まったく、世慣れていない。

しかし、そういうある意味、プレーンな性格だからこそ、 三四郎は魅力的だし、色々な人々に諭され、翻弄され、事件に巻き込まれてしまうのだろう。
そして、今、読んでも、 三四郎みたいな田舎の青年は、おそらく都内の学生にもいるだろうし、きっと色々な人々や事件に翻弄されるのだろうと、現代と重ね合わせて読むこともできると思う。

個人的には、三四郎の上京の場面から冴えない大学生活を中心に描いていた前半部分が圧倒的に面白いと思う。  美禰子との関係が中心になりはじめた後半からは、正直、その面白さが半減してしまった感はある。

しかし、明治四十年頃の日本の社会の雰囲気を伝えながら進んでゆく物語は、いかにもイギリスの文学を勉強した漱石らしく、しっかりとした作りの小説になっていて、それがこの物語に一種の風格を与えているような気がする。

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