2014年10月12日日曜日

英語で日本語を考える/片岡義男

片岡義男が、日本語の“ひと言”を、英語に翻訳するプロセス――言葉の変換術――をまとめた本だ。

あらためて思ったのは、翻訳とは、単に日本語の単語を英単語に置き換える作業ではなく、日本語の文章を一旦、要素レベルに分解し、重要なものを抽出し、それに近い英語らしい表現に作り変えていくということだ。

たとえば、以下のような例文がある。
「こういう話になってくると、誰が悪い誰がいけないなんて言ってみても、始まらないんですよ。みんなどこかでつながっているわけですから」について、 
「こういう話」と「になってくる」のふたつの部分は、いっきに細かく砕いて意味だけにすると、「この状況では」という意味でしかない。
ここまで砕くと、そこから英語へは、“In a situation like this”とほぼ直訳できる。
「始まらないんですよ」も、意味だけを抽出すると、そのことに意味はない、というような内容であることが、すぐに分かる。
意味はない、という言い方が持つ範囲の広さを、意味の核に向けてさらに絞り込んでいくと、なんら有効な視点にはなり得ない、というようなことだと判明する。“pointless”という便利な言葉がある。これを使えばいい。
「誰が悪い誰がいけないなんて言ってみても」という日常的な語法は、「責められるべきは誰なのか判明させようとしても」という程度まで砕く…そしてこの内容をとにかく最短距離で言おうとすると、次のようになる。
“try to figure out who's to blame”
「みんなどこかでつながっているわけですから」という言いかたは、…「ぜんたいはひとつの環である」とまで砕くと、それをそのまま、“it's a circle”と言えば、英語らしい英語になる。
課題の日本語の文例ぜんたいは、次のような英語にまとまる。
“In a situation like this, it's pointless to figure out who's to blame. It's a circle.”
この作業プロセスをみると、日本語の要素となる骨の部分だけ抜き取り、それを英作文する作業に近いような印象を受ける。

そして、片岡義男が、この本の冒頭で述べているとおり、このような英語能力の習得の基本となるべき最重要なものは、日本語の能力なのだと思う。
たぶん、その能力がないと、日本語からの意味の抽出、別のことばへの置き換えが出来ないだろう。

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