2014年10月11日土曜日

日本語と英語 その違いを楽しむ/片岡義男

本書でもっとも面白いと感じたのは、片岡義男が十五歳のときに「源氏物語」を読んで衝撃を受けたというエピソードだ。

彼は、「源氏物語」の出だしのフレーズ「いずれのおんときにか」というわずか10文字がまったく理解できない事実に愕然とし、後年、「源氏物語」の英訳を読み、該当する文章「In the reign certain emperor」(ある天皇の統治下で)の、あまりのわかりやすさに、強い衝撃を受けた。

本書は、この片岡義男の原体験「源氏物語の影」に基づき書き留められた日本語と英語の比較言語学的エッセイだ。

片岡義男が愛用しているインデックス・カードに書き留められつづけた日本語と英語の数々のフレーズ。
ほとんどが日常的に使われている常套句といっていいものだが、そのありふれたフレーズから、日本語と英語の違いを浮き上がらせる。

たとえば、

「住所氏名をご記入の上この葉書をご返送いただければ当社の新刊や特典、催物などの情報をお届けいたします。」と、

“We invite you to return this card with your name and address so that we can keep your informed of our new publications, special offers and events.”。

この2つの文章に関して、片岡義男は、こんな風に分析する。

(日本語の文章は、)「ご返送いただければ」という、自分のところに葉書が返送されてきたあとの状態を想定している。
すでにそうなっている状態のなかに自分も身を置くのが、日本の人たちはなによりも好きなのだろう。

(しかし)葉書が返送されるからには、返送する側は返送というアクションをとるのだし、返送を促すための訴えかけというアクションを、返送を求めるほうはおこなうのだが。

英語の例文を見ると、この両方の動詞がごく当然のこととして、あるべきところにある。
返送を促すための訴えかけをおこなうのは、出版社の人たち、つまりこの短文の主語となるべき We という人たちだ。
だから、Weが主語になり、そのWeが引き受ける動詞はinviteだ。そして相手に促す返送というアクションは、returnという明確な動詞が引き受ける。

なるほどと思う。こういう日常の常套句を比べてみると、確かに日本語と英語はまるで違う。

片岡義男は、日本語について、こう分析する。

主語がIやYouなら、それらは主語にならないし、IやYouの思考や行動を引き受けて言いあらわす動詞も、必要ないから姿をあらわさない。
動詞が働きかける目的語その他、主語からの一連の構造的なつながりはそこになく、そのかわりに、いつのまにかそうなっている状態、というものが言いあらわされる。

そして、片岡義男は、日本語について、主語が不在ということは、主語の主語たるゆえんである思考も隠れ、結果、思考に基づく行動も隠れ、思考と行動を放棄しているという。

片岡義男の考えとしては、日常生活で用いられる常套句にこそ、言語の性質が現れ、その言語の性質が、日本語を話す人の、あるいは英語を話す人の思考や行動に大きな影響を及ぼしているということなのかもしれない。

片岡義男の言い方は、時に日本語のそういった性質をとらえ、日本人と日本の社会を批判しているようにも思えるが、語気はそれほど鋭くない(ように私は感じる)。

この本の副題のように、何故こんなにも違うのか、まさに、その違いを楽しんでいるのだと思う。

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