2014年7月21日月曜日

増補版 街場の中国論/内田樹

本書は、2005年に神戸女子学院大学の大学院の演習で著者が話した内容を2007年にまとめたものに、2011年に尖閣問題などを扱った章を追加した内容になっている。

内容的に古いかなと懸念したが、今読んでも十分通用する内容になっていると思う。

言っていることも分かりやすい。

例えば、中国という国を論じるときに、国の規模を考慮しないことは不適切であるという指摘。
 この国は人口十四億人である。五十五の少数民族を擁し、少数民族だけで人口一億四千万人いる。それだけで日本の人口より多いのである。それが「日本と同じように統治されていない」ことをあげつらうのはあまり意味のないことである。
…小国には「小国の制度」があり、大国には「大国の制度」がある。「小国」では「いろいろなものを勘定に入れて、さじ加減を案分する」という統治手法が可能であり、大国ではそんな面倒なことはできない。だから、大国では「シンプルで誰にでもわかる国民統合の物語」を絶えず過剰に服用する必要が出てくる。
また、日本と中国の国情の最大の違いは、中国の統治形態が日本と比べると極めて不安定だという指摘。
中央政府のハードパワーが落ちれば、あらゆる国境地域で独立運動が起き、場合によっては内戦が始まるというリスクをつねに勘定に入れて中国政府のトップは外交政策を起案し実行している。
日本政府はそのようなリスクを勘定に入れる必要がない。…政権がどれほど外交上の失点を重ねようと、内閣の総辞職や国政選挙での与党の惨敗というようなことはありえても、九州や北海道が独立するとか、戒厳令が布告されるといった事態を想像する必要はない。
それと、中国政府が領有権問題で強硬姿勢をとるのは、外国に領土的に屈伏してきた歴史的事実に対する国民的な屈辱の記憶が生々しいからだという指摘。
一八四〇~四二年のアヘン戦争の敗北で巨額の賠償金と香港の割譲を強いられて以来、一九四九年の中華人民共和国成立まで、百年以上にわたり中国人は外国に領土的に屈服し続けてきた。百年以上、まるで肉食獣に食い散らかされるように、国土を蚕食され、主権を脅かされてきた国民の「領土的トラウマ」がどれほどのものか、私たちは一度彼らの立場になって想像してみる必要がある。
これだけでも、だいぶ中国の見方が変わるが、本書では、古代中国の統治方法 中華思想という華夷秩序によって整序された宇宙観とそれに馴染んできた日本の立ち位置、そして、その中国の座にとって代わったアメリカとの関係、そのアメリカの日中韓に対する思惑、東アジア戦略についても分かりやすく説明しており、今の各国の政治状況を思い浮かべても、うなづけるところが多い。

それと、中国の近代史を取り上げる中で、毛沢東がしたことの功罪というものは、いまだに、中国という国を読み解く上での重要な要素であるのだなということがよく分かりました。

この本を読むことで、ちまたにありふれている嫌中論のマスコミ報道、書籍では得られない視座が得られると思います。

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