2014年6月8日日曜日

新々百人一首/丸谷才一

買った当初は読んでピンとこなかった本も、本棚の片隅にあって、数年後パラパラとページをめくると、こんなに面白かったのかと思うことがある。

丸谷才一の「新々百人一首」(1999年発行)も、買った当初は、読んでみても、どうにも王朝和歌という文学形式に興味が湧かなかったが、十五年経った今、こうして読んでみると、その面白さがひたひたと感じられるようになった。

小倉百人一首にならって、百首選ばれているが、新古今集の部立てに従って、
春・夏・秋・冬・賀・哀傷・旅・離別・恋・雑・釈経・神祇の配列になっている。

まだ、夏の部までしか読んでいないが、紀貫之が屏風歌(調度的装飾歌)の代表的作者であったとか、鳥の泪(なみだ)が、日本の和歌独特のイメージであるとか、夜が明ける前から鳴く春鳥とは、閨中における婦女愉悦の声を意味すること等は、知りませんでした。

それと、一首ごとに丸谷の解説が付いているのだが、これが、文明批評や歴史学のように読ませる内容になっている。

例えば、

絵はものいわぬ詩であり、詩はものいう絵であるという見解にもとづいて、詩人たちと画家たちは何世紀も仕事をして来た。画家は文学の主題をてがかりにして構図を定め、詩人は視覚芸術ならではのイメージを読者につきつけようとして苦心した。詩と絵画は姉妹芸術であった。とマリオ・プラーツが「記憶の女神ムネモシュネ」で指摘するのを見ると、われわれは妙に当惑する。…東洋の詩と絵画については、あまりにも当たり前の話だからである。…たとえば出入りの八百屋が中元にくれた団扇には、あやしげな蔬菜図のかたわらに不出来な発句が書きそえてあるのだ。われわれはイタリアの英文学者があっけにとられるような美的状況のなかで暮らしている。

といった文章や、

平 忠度(たいら ただのり)の歌が、「千載集」撰入の際に、何故、作者名を伏せられ、読み人しらずとされたのか、他の勅撰集での用例、他の研究者の見立て、千載集の成立時期、政治的背景等を踏まえ推測していくくだりは、まるで推理小説を読んでいるような気分になる。

0 件のコメント:

コメントを投稿