2015年6月18日木曜日

憎念/谷崎 潤一郎

私は「憎み」という感情が大好きです。「憎み」ぐらい徹底した、生一本な、気持ちのいい感情はないと思います。人を憎むと云う事は、人を憎んで憎み通すとう事は、ほんとうに愉快なものです。
という、のっけから正直で真っ直ぐな感情が披瀝されている。
谷崎は、やはり人生をいかに楽しく生きるかの天才だと思ってしまう。

実は憎んでいる友達がいたとしても、その友達とは絶対に絶交せず、表面は親しく付き合いながら、腹の底では、軽蔑し、意地悪い行動をとったり、散々愚弄しぬいてやる…

一見、憎い者に対する復讐心のようにも思えるが、この作品で語られている「憎み」は、非常に即物的で、その者の皮膚の色、肌理の具合、鼻の形、手足の格好に向けられている。

例えば、嫌われている男が他人に殴られている時の歪んだ顔、鼻の穴、黄色い肉附きのいい足の裏に対して。
「何と云う醜い、汚らしい、鼻の孔だろう」と
ふつう、嫌いな人間に対しては、嫌な感情を抱いて、目を合わさず、関わらない、遠ざかるのが常だと思うが、谷崎は、とてもポジティブで、嫌な人間に自分の感性の快楽を誘う魅力を見つけて、秘かに楽しんでしまうのだ。

恐ろしいくらいの人生の達人ですね。

2015年6月17日水曜日

治療塔 大江健三郎 /日本文学全集 22

大江健三郎さんの小説は、今まで縁がなく、今回はじめて読んだのだが、このSF小説。

しかし、池澤夏樹がこの作品を選んだ理由もなんとなくわかる。
ここには、あまりにも現代に近い未来が描かれているからだ。

核戦争、原発事故による放射能、そして環境破壊で汚染され、資源も乏しくなった地球。人類には、エイズと新しい癌が蔓延し、その危機感から、ついに、人類の一部「選ばれた者」が、巨大な宇宙船団を組み、地球を離脱し、「新しい地球」を目指し、宇宙に旅立つ。

一方、地球に残された「落ちこぼれ」に属する人々は、文明のレベルを1960年代に落とし、「高度なものは、より高度ではない方へ」、「難しいものは、易しい方へ」、「複雑なものは、単純な方へ」といった方向に文明の舵を切っている。

ところが、「選ばれた者」が、「新しい地球」から、突然、地球に戻ってくる。
そして、「落ちこぼれ」に属する主人公のリツコは、「選ばれた者」に属するいとこの朔と会うことになるが、朔が出発する前にl比べ、はるかに若返っていることに気づく。


物語は、なぜ、「選ばれた者」が地球に戻ってきたのか、なぜ、朔(「選ばれた者」)は若返ったのかという謎を徐々に明らかにしてゆくとともに、リツコと朔が恋仲になることで、「選ばれた者」が社会を支配し、「落ちこぼれ」との格差を作ろうとしていることが明らかになってゆく。

そして、タイトルの「治療塔」の謎も明らかになる。(「2001年宇宙の旅」と似てるといったら、ネタバレだろうか)

女性主人公に物語を語らせている設定だが、文章も自然だし、読みやすいと思った。

セックスの描写もあるが、いやらしさがなく、 そういう意味で、池澤夏樹の小説と似たタッチを感じた。特に、リツコと朔が北軽井沢の農場で集団生活を行うあたりの雰囲気は、池澤夏樹の小説にも出てきそうな内容だと思う。

(些末な部分だが、「テレビ」を「テレヴィ」と変に語尾を伸ばしているは、近未来だからなのか、大江さんの感性なのか、若干気になった)

2015年6月16日火曜日

飈風/谷崎 潤一郎

飈風(ひょうふう)、つむじ風の意味だと思う。

「惡魔」同様、谷崎が神経を病んでいた時期に書かれた短編小説で、そのテーマも、いかに過度な性欲、淫蕩が、男を駄目にするかという点で共通している。

物語は、二十四歳の日本画家 直彦が、 吉原で知り合った芸者と経験を持ち、それに耽るうちに、「だんだん血色が蒼褪め、頭が晦くなって、何事をするにも慵い億劫な気分になり、遂には全く生活の興味や張り合いを持たなくなって、あれ程体内に根を張って居た欲求の力さへも失って」しまうところから始まる。

直彦は、自分の命の危険を感じ、それから遠ざかるために、東北に旅に出ることにする。
温泉につかり、滋養のある食べ物を食べ、部屋でごろごろする。

「蓄積された○○をabuseしないように、○○○○○○○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○○○○○、丁度一杯に満たされた羹の器を捧げるような気持で眠った。」
(○は、原文でも伏字されている)

その甲斐あって、彼の欲望は復活するが、今度は何をしても、それ以外考えられなくなってしまう。
しかし、恋人との約束があるため、旅先での女関係を持つことができない。

そんな中、汽車の車中で、癩病(ハンセン病)を患っている兄妹を見つけ、直彦は親身になって、宿の手配などをしてあげるが、彼の頭の中には、「娘の器量の人並み勝れて美しい事も、水々しい肉附きも、癩病と云う越ゆべからざる垣根のある爲に、安心して近寄ることが出来るように思われた」という打算があった。

彼の禁欲の旅はその後も続くが、一番の危機は、臀の下に出来た腫物の膿みを絞り出す作業を行った宿の女との関係だったろう。

しかし、それも我慢し、 直彦は、ついに半年後、恋人の元に戻る。
彼の堪え続けた欲望は頂点に達していた。そして、それを解放した時…。

女性の鼻の穴、白い肌、腫物に対するフェティシズムは、谷崎がその後書いた物語にも出てくるが、特に、この物語では、真っ赤になった腫物の描写が、生々しく描かれており、直彦の抑えきれない激しい欲望を暗示している。

同時期、東京日日新聞の連載小説として書いていた「羹」 が、明治末期の青年のごく常識的な生活を描いている一方、この「飈風」は、性欲の制御という、昔も今も変わらないテーマに正面から取り組んでいるせいか、前者に比べて、圧倒的な迫力を感じる。