2013年10月15日火曜日

別れの挨拶/丸谷才一

集英社の編集者が、丸谷才一の死後、残された書評、エッセイ、挨拶の文章などをとりまとめた一冊だが、丸谷才一の今までの仕事が一望できる集大成的な内容になっている。

愛読者からすると、「そうそう、こういうテーマ、人物が好きだったよな」とか、「こういう切り口で自分の考え方を膨らませていく人だったよな」とか、「中身が詰まっている挨拶だな」とか、懐かしく思うところが多い。

小説における王族の扱いに関して、ジョイスのユリシーズ

日本の自然主義小説に関して、ヨーロッパの十八世紀と十九世の比較

石川淳に関して、永井荷風の古典主義

吉田健一の趣味、文章に関しての肯定、河上徹太郎との関係

戦後の日本人に関して、大岡昇平の「野火」の引用

吉行淳之介、和田誠、辻静雄に関して

小林秀雄の批評に関する批判

谷崎潤一郎の中編小説に関する考察

そして、王朝和歌への興味

歴史的仮名づかいに代表される国語改革への批判、日本語への興味

吉田秀和に代表される音楽への興味

そして、読者に読ませたいと思わせる充実した書評

最後に、手本となるような数々の挨拶

329ページ程度のボリュームなのに、これだけ幅広いテーマで内容が濃い文章を書けたのは、やはり、丸谷才一ぐらいかなと思ってしまう。

読後、印象に残ったものとしては、

芥川龍之介の早すぎた死を優しく正当化した「完璧なマイナー・ポエット」

吉田健一の飲食(今でいうグルメ?)に関するエッセイを取り上げた「幸福の文学」

平成の年号を論じた「タヒラナリ」

文化勲章を受けて、天皇にお礼を述べる文章(宮内庁作成)を添削したエピソード「御礼言上書を書き直す」

小澤征爾×村上春樹 「小澤征爾さんと、音楽について話をする」の書評

氏の実質最初の小説「笹まくら」が発表当時、あまり反響がなくがっかりしたけれど、後年、村上春樹や池澤夏樹が、この作品の意義を述べていて嬉しかったというエピソードがある「未来の文学を創る」など。

どれも興味深い。

改めて思ったのは、丸谷才一という小説家兼批評家のおかげで、西洋文学、また、日本の古典文学との関係性のなかで、日本文学というものの位置づけがずいぶんと明確になったということ、また、次世代の日本を代表する作家たち(村上春樹や池澤夏樹)に色々な影響を与えたこと、分かりやすい美しい日本語で、一般読者の文学への関心と受け皿の容量を大きく引き上げたということだ。

そして、一言でいえば暗いじめじめした印象の日本文学の主流を、明るい理知的なものに方向転換させてしまったキーマンだったのでは。

2013年10月14日月曜日

昭和史 1926⇒1945/半藤一利

「風立ちぬ」(宮崎 駿監督)を見てあらためて昭和史(太平洋戦争に日本が突き進んだ経緯)に興味を持った。

振り返ってみると、昭和史というのは現在の日本の国としての骨格が成立するきっかけとなった時代であり、現在の日本が抱えている諸問題の多くの原因がこの時代の出来事にあるというにもかかわらず、いわゆる義務教育において、相当の時間をかけて丁寧に教わった記憶がない。

言うなれば、現代史は、古代・近代史の「つけたし」みたいなもので、授業も、現代に入ってからは、チョチョンと終わってしまったような記憶が残っている(約三十年前のことだから、今の義務教育は違うのかもしれない)。

恥ずかしながらいうと、昭和史(というか、太平洋戦争史)に関しては、斜め読みで終わっている作品が多い。
大岡昇平の「レイテ戦記」、「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」、中村 稔の「私の昭和史」 なんかは、全文を読みきれないでいる。

完読できたのは主なところで言うと、ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」、大岡昇平の「俘虜記」「野火」、司馬遼太郎の「昭和という国家」その他、断片的に書かれた文章と、水木しげるのコミック「昭和史」ぐらいか(長谷川町子の「サザエさんうちあけばなし」も戦争に関する記述などは、妙に記憶に残っている)。

言い訳がましいが、太平洋戦争における戦前から敗戦に至る日本の歴史というのは、どうにも気分が悪くなるところが多い。その一番の理由は、日本がこんな愚かな戦争をした原因は、結局のところ、誰のどんな行為にあるのかということが説明しづらいところだ。

明治憲法の統帥権を悪用した参謀本部(軍司令部)なのか、あるいは次々とまずい国策・外交を行った歴代の総理大臣や外務大臣その他大臣が悪かったのか、無能な軍上層部なのか、国民を煽った新聞社が悪いのか、戦争開始に熱狂してしまった国民が悪いのか、昭和天皇の責任はどうなのか、など。

たぶん、みんな何らかの責任はあるはずなのだが、一億総懺悔ということになると、個々の責任が曖昧になっていく。

文藝春秋の編集者として司馬遼太郎とも付き合いがあった半藤一利氏の「昭和史」は、日露戦争後の日本の状況に遡り、日本が自信過剰の状態から朝鮮・中国を属国にしようとし、国際社会の反発を招き、孤立化し、アメリカと戦争せざるを得ない状況に陥るまでの様々な事件を分かりやすく説明している。

本の表紙にも「すべての大事件の前には必ず小事件が起こるもの」と書いてあるが、あれだけの大戦争(この戦争の結果、日本人の約310万人が死亡)が起こるには、その前に布石となるたくさんの小事件が起こっていたのだ。

明治維新から日露戦争に勝利し日本の近代国家が成立したのが約40年、太平洋戦争の敗戦でその成果をほとんど失ったのも、それから約40年。

「国をつくるのに40年。滅ぼすのに40年」と本書でも書いているが、敗戦からバブル崩壊前の高度成長期を、そのまた40年後ととらえると、バブル崩壊後から約20年後の今は果たして何かの復興の途中なのだろうか。あるいは依然として何かを失う過程にあるのだろうか。

今、起きている中国・韓国との外交上の問題も、憲法改正の動向もあるいは大事件前の布石なのかもしれない。
そういう漠然とした不安を持ってしまうというところも、「昭和史」から足が遠のく理由なのかもしれません。

2013年10月8日火曜日

恋しくて/村上春樹 編訳

雑誌「ニューヨーカー」を中心に、村上春樹がセレクトした恋愛小説が10編収められている。

最後の作品「恋するザムザ」が読みたくて買ってしまった本だが、読んでみると中々面白かった。

恋愛小説というと、陳腐な筋立て、幼稚な馴れ合い、下品な表現のせいで、つまらないどころか、ベトベトした感触まで思い浮かんでしまうものもあるが、この作品集は、洗練されていて、大人が読んでも十分楽しめる内容になっている。

個人的には、村上春樹が各作品の終わりに付けている「恋愛甘苦度」の苦味が高いものが好きです。

「薄暗い運命」とか、「ジャック・ランダ・ホテル」とか、「モントリオールの恋人」とか。

最後の「恋するザムザ」は、村上春樹のオリジナル短編で、カフカの「変身」を題材にしたちょっと(かなり?)変わった恋愛小説だ。

ナチス占領下?の街で、ザムザがこんな風に生きられるのなら、「変身」をして恋愛することは決して悪いことではない。